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<道路レポート>に関するyamaigaのブックマーク (162)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号旧道 只越峠 

    2007年4月21日土曜日。 この日は岩手県宮古市に住むちい氏との合同調査が予定されていた。 前夜のうちに集合場所である気仙沼市某所に到着した私は、午前7時の集合を前に独り、眠い目を擦りながら、ある企てを実行に移した。 ただいまの時刻は午前5時。 車泊の窓は既に薄明るい。 鈍色の空だが、やや強い西風は乾いており、予報の雨はまだ遠そうだ。 この隙に、いままで数度の三陸訪問でも未訪のままとなっていた国道45号旧道にある峠の一つ、只越峠(ただごしとうげ)を攻略してしまおう。 タイムリミットは2時間。 短いが、急げば何とかなるだろう。 ここから新道と旧道を行って帰ってきて、合計15kmほどである。 実走レポートに入る前に、只越峠について簡単に説明したい。 この峠は宮城県北東端に位置する気仙沼市内の鹿折(ししおり)地区と只越地区の間にある国道45号の峠である。2006年3月の市町合併以前には旧気仙沼

  • 【山さ行がねが】道路レポート 都道194号 成木河辺線 

    都内にある自動車交通の出来ない都道は西部の多摩地区に集まっている。その多くは山間部ないし郊外にある。今回紹介する一般都道194号成木河辺線もまた、そのような路線の一つである。 そしてこの道は、ある“特異な事情”により通行不能となっている。 その事情ゆえ、従来この通行不能区間の南半分については踏査が難しく、ネット上にもこれといったレポートが存在しないようである。今回、私は意を決して挑戦してきた。 結論から言えば、道はある。 だが、この道を通ろうとするものは皆、心臓にふさふさの毛を生やす必要がある。もの凄く図太くなる必要がある。 レポートに入る前に、右の地図を使って路線を概説したい。 線(都道194号成木河辺線)は、東京都青梅市の東部を南北に縦貫する路線である。資料によれば全長は6697mあるが、このうちちょうど中央部に位置する小曽木3丁目(都道28号交差点)から塩船までの約2.2kmが自動

  • 【山さ行がねが】道路レポート 第二次 日原古道探索計画 

    あの日、私は勝者ではなかったのか? 「都内最狂廃道」などと喧伝されてきた都道204号日原鍾乳洞線の旧道を危なげなく踏破した私は、有頂天だった。 旧道の終点で「あの道」を見るまでは。 私は急遽計画を変更し、「あの道」へ行くため対岸の作業道に入った。 決定的に時間が足りなかった。 それでも私は荒れ果てた作業道をチャリで疾駆し、巨大な吊り橋の残骸が残る廃鉱山へ行った。 そのまま、「あの道」目指し、危険きわまりない斜面にも進み出た。 全てが命がけだった。 しかし、孤軍奮闘もそこまでだった… (写真右) 結局私は日原古道の核心部。「あの道」へ辿り着くことは出来ず、迫り来る夕暮れに追い立てられるように撤退した。 再訪ではなく、再攻略を誓って。 …以上が私と日原のファーストコンタクトの要約である。レポートはこちら。 撤退の翌日、私は近くの図書館へ行き日原や奥多摩町に関する郷土資料を読みあさった。 その成

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-79>2007年度 山行がレポート大賞第2位
  • 【山さ行がねが】道路レポート 日原古道探索計画 

    新たなる目的地は定まった。 苦難の果てに辿り着いた都道204号日原鍾乳洞線の旧道最奥部から、千尋の谷を成す日原川の対岸に目撃された複数の道らしき痕跡。 旧都道突破の美酒に酔うはずだった私を一瞬で素面に戻してしまった、「伝説」を超える……道。 後日、図書館に行って「奥多摩町史」を調たところ、この道らしき影は確かに道であった。 氷川から日原へ向かう古来“日原みち”と呼ばれたそれの険しさは、町史としても特筆すべきところがあったらしく、かなり詳しい記載があったのだ。 それによれば、私がいままで辿った旧都道でさえ、日原みちとしては6代目の道であるらしい。 日原に人が住み始めたのは遅くとも室町時代に遡るそうで、以来、道中で最も険しいこの岩場…“とぼう岩”(日原の戸口という意味だそうだ)の“越え方”を中心にして、何度も道が変遷してきている。 断崖の中腹をほぼ水平に通る姿が、かなり鮮明に見えるそれは、大正

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-78>2007年度 山行がレポート大賞第3位
  • 【山さ行がねが】道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線 旧道 

    後にも先にも、山行が史上最悪の路面崩壊といえば、松の木峠の旧道を置いて他にない。 そう信じてきた私だが、レポート公開以来、読者から「もっと凄い場所がある!」 そんな挑戦状のようなメールが、年に数回以上も届けられるようになった。 中でも、複数の人から繰り返し紹介された場所がある。 東京都奥多摩町の日原川流域に、おそらく松の木峠を越える絶望的な崩落地点が、存在するのだという。 促されるようにして、WEB上で見ることが出来た幾つかの現地レポートを見たが… 皆 撤退していた。 だが。 私は、この崩壊地をモニタ越しに何度か見るうち、 「突破できるのではないか」 「言うほど難しいのだろうか?」 そんな疑問を感じるようになっていた。 確かにその崩壊地の幅は、松の木の比ではないように見えた。 だが… 松の木の時のように、チャリ同伴を強制される訳ではないのだ。 極端な話し、山頂まで高巻することだって、谷底ま

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-77>2007年度 山行がレポート大賞第6位
  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道20号旧道 大垂水峠 

    大垂水峠。 これで「オオタルミ」もしくは濁って「オオダルミ」と読む。この読み方は難読であるが、その印象的な響きは一度覚えると忘れにくい。トウゲという言葉の起源にも何か関わりを持っているのではないかと思わせる、弛んだ名前。 関東地方に住まう人ならば大概が車窓や交通ラジオにこの名を見聞きし、知らず知らずに覚えている。 行楽と、渋滞と、少し前まではローリング族のメッカ。 大垂水峠。 それは、天下の五街道のひとつ甲州街道を受け継いだ幹線も幹線、国道20号が都心新宿を発って初めて挑む峠。 海抜389mに過ぎないが、日最大の広さを持つ関東平野、そして大首都圏からの離脱を阻み、文字通り都県の境を成す、決して小さくない峠。 この峠は地形的に明瞭な鞍部を示しており、古くからこの地方に人が暮らしていたことを考えれば、その道としての興りが古いことは明白である。だが、意外なことに歴史の表舞台にこの名が現れるのは

  • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線

    物音を出来るだけたてないように注意しながら、玄関の扉を閉める。 砂利敷きの駐車場に置かれた、我が愛車ルーキー号。 狭く短い坂を下ると、そこは北野街道と名の付いた県道だ。 ここでは、分からないことだらけだ。まだ。 何故この辺りの住人は、県道や国道に「街道」の名を付けたがるのだろう。 お陰で、青看板と道路地図帳での探索では、たびたび戸惑いを覚える。 件の北野街道を西に向かう。 時刻は午前6時より前だが、道路端に敷かれた複線の線路には、既に幾度も列車が駆けていた。 しかも、その編成はどれも長い。始発はいつなんだろう。 6時をまわる頃、有料道路になっている高架のバイパス道路と交差した。 巨大な高架の上からは、獅子の咆哮にも似た騒音が絶え間なく聞こえてくる。 ここまで、行く先々、ひとときも車通りは途絶えていない。 街は日のあがる前に、もう目覚めの時を迎えているのだった。 さらに西へと進んでいく。 や

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道12号旧道 八木沢峠

    阿武隈高地は、宮城・福島・茨城3県の太平洋岸に連なる広大な丘陵性山地で、八溝山や霊山などがよく知られている。 昭和53年に出版された『ふくしまの峠(福島中央テレビ刊)』に「阿武隈高地最難所の峠」と紹介されているのが、福島県南相馬市(旧原町市)と相馬郡飯舘村の間にある八木沢峠(海抜520m)だ。 昭和52年に完成したという現道を行けば峠も遠く感じないが、旧道には7つの大曲りと23の小曲りがあったといい、ドライバー泣かせの難路として知られていたという。 また、この旧道は明治初期から2度にわたり開鑿された道であったともいう。 八木沢峠は典型的な“片越え”の峠で、原町側は鹿島区(旧鹿島町)橲原(じさはら)あたりから峠が始まり、約10km、高低差450mの長大な登りを要するが、一方で飯舘側は峠のすぐそばまで農地が広がっており、最も峠寄りの八木沢集落からは500mと離れていない。 峠の名は冠しているも

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道318号 上小国下川原線 

    福島県北建設事務所が管轄する一般県道上小国下川原線は、同所発行の「管内概要」によれば、実延長6045mの路線である。 平成18年現在、このうち0.7kmが交通不能区間に指定されている。 路線は伊達市霊山町上小国において主要地方道霊山松川線より分岐し、福島市境をなす小山脈を越える。この初っ端の区間が不通となっている。 その先は福島市大波地区に下って国道115号と交差し、そこから再び伊達市保原町との境をなす峠を越え、下川原地区に下ると一般県道山口保原線に合流し終点となる。 路線は、福島市と伊達市の山間集落を相互に連絡し、ほぼ全線が山間部に位置する、国道及び主要地方道の補助的路線である。 私は、東北一円が雪に閉ざされつつある12月の初旬、草藪の弱った時期を見計らうようにして、この短い不通区間へ挑戦した。 この道は、今年春に周辺町村と広域合併を果たし「伊達市」となった旧霊山(りょうぜん)町が関

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島・宮城県道45号 丸森霊山線 

    主要地方道丸森霊山線は、宮城県伊具郡丸森町と福島県伊達市を結ぶ約30kmの路線である。 阿武隈川沿いの国道349号を補完する越県境交通路に位置づけられているが、肝心の県境部分の約3kmが通行不能区間となっている。 福島県と宮城県間の通行不能路は、この路線と以前紹介した県道107号赤井畑国見線の2路線が存在しているが、後者はかつて一度は開通したものが様々な要因によって通行不能となっているのに対し、この路線は未だかつて車道が開通した歴史を持たない。 一見したところ、一帯はなだらかな山域に思われるが、果たしてどのような事情があるのだろう。 県境の峠の名前は、笹ノ峠。 『伊具郡史(伊具郡教育会 大正15年刊行)』には、「沿道笹が繁茂したので此の名出ず」とあり、まさに名が体を表す沿道風景だったようだが、私は2006年4月24日に不通区間の踏査へと私は出かけている。 今回のレポートの開始地点は伊達市霊

  • 【山さ行がねが】道路レポート 秋田県一般県道200号 矢坂糠沢線 

    秋田県一般県道矢坂糠沢線の路線番号は200。 各県に何かずつはこんな“キリ番”県道があるはずだが、秋田県ではこれが唯一のキリ番らしいキリ番県道である。(100号や300号400号などは存在しない) そんな訳で、長年秋田県内の地図を見続けてきた私にとっては少し気になる道だった。 さらに、よく調べてみると、この路線は県内に合計13ある不通区間を持つ県道“不通県道”の一つであることが判明。 不通が地図上で余り目立たないのは、その不通と指定されている延長が860mしかないためである。 この路線の全体像を簡単にお伝えしておこう。 県の道路調書によれば、起点は山郡藤里町矢坂、終点は北秋田市綴子(つづりこ)糠沢(ぬかさわ)である。 経路は右の地図の通りだが、全体を見ると、米代川沿いの平野部の各地方都市を最短で結ぶ国道7号に対する別線(迂回路)としての性格が見て取れる。 人口の減少が著しい山間部の小

  • 【山さ行がねが】道路レポート 新潟県一般県道178号 山ノ相川下条(停)線 

    ちょっと肩に力が入ったレポが多かったと思うので、ここいらで“昔くせー”レポを一発。 おもわず、チャリ馬鹿トリオ愛唱歌である『マイナーマンのテーマ』が脳内リフレインするほどにマイナーな、新潟県内のある県道不通区間の探索である。 道は、新潟県一般県道の178号、路線名「山ノ相川下条停車場線」である。 「そんな道しらねーよ」という声がいまにも聞こえてきそうである。 …あ、マジ聞こえてきた。家のが言ったよ、いま。 この道、今時「山ノ相川下条」ってググってもたった2頁しかヒットしないほど、マイナーであり、知られていない。 無論、私も知らなかったし、そう力んで近付いていったわけでもなかった。 ただ、なんとなくね。不通みたいに地図で描かれていたんで、チャリ旅の途中に寄ったわけよ。 で、この道についてレポる前に、何だか妙にカラフルチックな上のMAPを見て欲しい。 カラフルなのは、狭い範囲に県道や国道がひ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号 三陸峠 

    全国津々浦々にある大峠。 岩手県大船渡市立根町(たっこん)と越喜来(おっきらい)の間にある海抜321mの大峠もまた、その一つだ。 この峠の直下には国道45号がトンネルで通過しており、トンネルの名前は旧町名を取って三陸トンネルという。 それゆえ、私はつい最近までこの旧道の峠も三陸峠だと信じていた。 その間違った思いこみを敢えてレポートのタイトル名にしたのは、これからお送りするレポートが大峠だけではないためだ。 近接し、異なる時代に存在した三代三の峠道を一挙にレポートしたい。 そして、この三つの峠を総称し、便宜的に三陸峠と称する事にしたのである。 右の地形図の断片を見ていただきたい。 いかにも旧国道だろうと思われる位置(三陸トンネル直上)に大峠が記されている。 そして、今回現地に赴いて色々と知る前には、この大峠に対して新しい峠道だと疑わなかった新峠も記載がある。 だが、地形図には記載がないも

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号 羅生峠旧道 

    よく岩手県は峠の国などといわれる。 地形図に峠と記されているものいないものを含め、県内には二千を越える峠があるとも言わるほどに、古来多くの峠が拓かれてきた。 それは、岩手県が全国有数の山がちな県域を持つことと当然無関係ではないが、そればかりではなく、今も民謡などに伝わる馬追衆の営みなど、もとより岩手県の民は遊牧や交易に生計を立てる素質を持っていたのである。 県内には、北上川流域を除けば稲作に適した肥沃な土地が少ない。 特に北上山地一帯や三陸地方においては、毎年吹き付けるやませと呼ばれる冷たい季節風が、著しい稲作不適地域を生じさせてきた。 かつての人々は生きるために流浪を余儀なくされたとも言える。 三陸地方にも、多くの峠が拓かれてきた。 そのうち、メーンとなるルートは、藩政期までは浜街道と、明治には東浜街道と呼ばれ、時代に応じて整備されてきた。 昭和30年代以降、ようやく自動車交通時代が要請

  • 道路レポート 主要地方道小出奥只見線 <シルバーライン> 第一回

    私が生涯に体験したい道10選 というものがあるとしたら、確実にあの塩那道路と共にランクインする道の一つ。 それがこの、“奥只見シルバーライン”こと、新潟県道50号小出奥只見線である。 この道は、かつて日最大の電源開発事業のために、国力をあげて開発された道である。 行く手にあるものはただ一つ、2006年時点での国内ダム総貯水量第一位の奥只見ダム(6億百万立方メートル)。 ダムを生み出し、管理するためだけに設けられた、開発道路。 それが、“奥只見シルバーライン”と後に愛称され、年間15万台が訪れる観光道路になる道の、始まりだった。 道路の開通は、昭和32年。 国営の電源開発株式会社によって施工され、3年の年月と延180万人の労働力が投入された。 開通した全長22kmの資材運搬道路には、あわせて19、合計延長18km余りの隧道が掘り抜かれ、他に類を見ないトンネル連続道路が出現したのである。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道253号旧道 八箇峠

    山行が合調隊メンバーのふみやん氏(新潟県長岡市在住)より、今からだいぶ前に現地の廃道情報がもたらされた。 それは、新潟県十日町市と南魚沼市を結ぶ八箇峠の旧国道に関するものであった。 彼は普段から余り感情を表に出すことはないが、こと、この八箇峠については、並ならぬ感情が含まれている気がした。 そして、彼は言った。 「夏場には近づけない」 -らしいと。 私は、彼が示すいくつかのサイトのレポートを見たが、確かに偉大なる先人の数人が峠に辿り着いてはいるものの、みな、盛夏期を避けているようだ。 はたして、夏場にはどんな景観がそこにあるのだろう。 当に、近付くことさえ出来ないというのだろうか。 たかが、たかが薮ではないのか?! 別に私は、そんな無意味な挑戦に駆られたわけでは決して無く、単に、この時期に通りかかってしまっただけである。 まさか、あんな重大な困難が待ち受けているとは、思っていなかった。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 主要地方道久慈岩泉線 滝地区旧道 前編

    『道路トンネル大鑑(土木界通信社発行)』巻末の昭和42年の道路トンネルリストによれば、当時岩手県主要地方道久慈岩泉線には、3の隧道があったようだ。 そして、平成18年現在でも道路線は名前も変わらずに存在しているのだが、地図で見る限り隧道はかなり増えているようだ。 机上での調査を行った結果、リストにある3の隧道はいずれも旧道上に取り残されているであろう事が判明。 現地調査と相成った。 レポート範囲は右の地図の通りである。 私はここを北側からチャリで通過しつつ探索した。 鯉のぼりがかわいいこのダムは滝ダム。 ここが今回のスタート地点だ。 滝ダムは、変わった景観で知られる。 このダムの堤体から下流を見下ろすと、手に取るほど近くに市街地が見える。 それだけでも珍しいが、その向こうには、大きな入り江に小島が浮かぶ久慈湾が鮮明に見える。 ここは、全国でも珍しい「海が見えるダム」なのである。 ダムサ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道459号 和風月名隧道及び橋梁群 前編

    平成12年に国道指定を受けた459号は、400番台の路線としては唯一太平洋岸と日海岸(浪江町~新潟市)とを繋いでいる全長260km余りの道だ。 列島横断国道の例に漏れずその道中は険しく、幾多の山を越え谷を跨ぐ道のりとなっているのだが、この路線を辿ることの難しさはそればかりではない。 既存の国道や県道を繋ぎ合わせ(全線合わせて10もの他国道と重複している)、国道を求める幾多の市町村の要望に応えながら路線指定を行った結果、太平洋と日海沿岸を結んでいるという実感があまりにも湧きにくい、むしろ、「あれれ?なんで新潟と浜通りに同じ路線番号があるの?間違い?」などと思われそうな、迂遠屈曲を団子の如く列ねた継ぎ接ぎだらけの国道となってしまった。 故に、この道を辿る難しさは、未改良区間が多く残るという物理的側面のみならず、道なりに走っているといつの間にか国道から外れ、別の道へ誘導されているなどといった

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(雫石側) 第一回

    仙岩峠については、これまで山行がでも何度も語ってきた。 この峠は、秋田県と岩手県の県庁所在地を最短で結ぶ奥羽山脈越えの峠であり、今でこそ秋田自動車道とその役目を二分しているといえ、開通以来北東北の物流・観光・生活を支える、文字通りの幹線道路である。 この道は一般国道46号に指定されており、国の直轄路線であるころからも、その重要性が窺い知れるであろう。 この仙岩峠について我々旧廃道傾倒者、いわゆるオブローダーが語るとき、必ず話題に出る、いやむしろ仙岩峠と言ってもまず現道を指さないと言うほどに有名なのが、昭和38年10月に開通し、この峠に初めて自動車交通の時代を切り開いた旧国道である。海抜800mの仙岩峠を越える、九十九折りと断崖絶壁を繋いだ全線2車線の完全舗装道路だったが、一年のうち半分は雪に閉ざされ、沿道の景色の美しさから観光道路としても愛称を与えられるほどであったものの、結局は幹線国道と

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道13号旧道 栗子峠<万世大路> 再訪編 第一回

    いまさら、万世大路(ばんせいたいろ)や栗子峠の旧国道について長々しい説明は不要だろう。 山行がでも03年と04年に訪れ、それぞれレポートしているし(03年「万世大路」、04年「万世大路工事用軌道」)、様々な道路系サイト、特に旧道や廃道を取り扱った多くのサイトが、この万世大路について報告している。 きわめて簡潔にこの道を紹介するならば、奥羽山脈を縦断して福島市と米沢市とを結ぶ栗子峠の旧国道で、開通当初に明治天皇より「万世大路」と言う名を与えられた、日有数の由緒深い峠道、と言うことになる。 万世大路に関する略年表 年で き ご と