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びしょ濡れに関するyamaigaのブックマーク (19)

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 [総扉ページ]

    その経営規模は極めて大きく、昭和44年度の予算規模は約11億5千万円と全国350署中の一位を占め、日における表街道である東海道筋にそのようなマンモス署が存在することは特異なことといえる。 昭和46年版「千頭営林署管内概要」より 昭和44年当時の千頭(せんず)営林署は、全国350の営林署のなかで最大の予算規模を誇っていた。 このことは同署発行の「管内概要」自らが「特異」だとしているが、確かに誰もが知っている青森や秋田、それに木曽などの“林業国”を差し置いて、静岡県の一部を所管する千頭営林署がそのような地位にあった事は意外である。 ということは当然のことながら、千頭営林署を所管する東京営林局の中でも同署が最大の営林署であった。 膨大な予算は、首都の名を冠する東京営林局が半ば宿命的に持たされていた、わが国の林業の模範となりまた先進的でなければならないという性格を反映させたものでもあった。 それ

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    今回は、林道の紹介だ。 山行がで林道を紹介する事は稀で、それには理由がある。 ずばり、林道は距離が長く、ネタとして冗長なのだ。 このカーブを曲がると、今度はこんな景色で… などとレポートしても、余り楽しくない。 そして、林道は余りチャリに適さない。 通常であれば、バイクの機動性や速度性には叶わないし、林道ネタに終始するならば、バイクを主機動力とする探索者には到底及ばないであろう。 その様な打算があり、そして、そのことが私に林道を敬遠させている。 そして、これは私の趣向の問題だが、一度歴史ある遺構を探して走る楽しみを覚えてしまうと、たかだか十数年内に完成した林道を走る事への興味が薄れてしまった。 山行がを取り巻く林道情勢は、明るくないのが実情なのである。 だが、例外的に林道を走ることがある。 例えば、道が荒れているなど、興味深い状況にある場合。 隧道など、見るべき物件がある場合。 そして、目

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-63>山行がマイナー林道情報シリーズ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    今回は、林道だ。 「山行が」では、ここんとこかなりご無沙汰だった林道ネタである。 名は、ソッケ林道。 あ、待って。 名前だけの一発ネタだと思った人、待って! ちゃんと、廃道だからサ。 寄っていってよ、ちょっと。 国道341号線における、田沢湖町から鹿角市への80km近い山越えルートの前半は、ほとんどダム湖の景色である。 生保内から続く集落が尽きると、間もなく長いトンネル二が現れる。 2目のトンネルを出ると、エメラルドブルーの湖が左に現れる。 これが、鎧畑ダムの作る秋扇湖。 さらに、ダム沿いを橋の連続で進むと、ひときわ巨大な玉川大橋を経て、再び車窓はトンネルの連続を迎える。 そして直後、さらに広大な水面が目の前に現れる。 玉川ダムの形成する宝仙湖である。 この先、国道は延々10km近くこの湖の縁を走ることになる。 平成元年に多目的重力式コンクリートダムとして完成した玉川ダムは、県内最大の

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 伊東線旧線 宇佐美隧道

    2007/7/25 11:55 【静岡県伊東市宇佐美】 目の前を軽快なステンレスカーが駆け抜けていく。 水平線と空をイメージしたのだと容易に分かるカラーリングのそれは、伊豆急行線の8000形電車という。 伊東から先の下田まで、国鉄が果たせなかった伊豆循環鉄道の使命を一部受け継いで、昭和36年に開業した私鉄だが、その当初の使命を思い出させるかのように、JRの線路を熱海まで悠々と乗り入れている。その逆も然りである。 ここは、宇佐美隧道の宇佐美駅側坑口に最寄りの小さな踏切である。 実は、既にこの地点では新旧線の切り替えが済んでおり、旧線のレールも踏切の両側に残されている。 だが、踏切部分のレールは綺麗に撤去されており、通行していてそれに気付くことはない。 遮断棒手前の道路右側に、黄色いバーが二横に渡されているが、この位置で旧線は道路を横切っていた。 上の写真と同じ地点で、左手、すなわち網代駅方

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 馬場目隧道 南口捜索編

    ※このレポートのタイトルを水無沢隧道から馬場目隧道に変更しました。(2014/8/29) 私が住む秋田市で最長のトンネルは、平成18年現在でもなお、昭和9年に完成した一の隧道である。 ましてその隧道が、森林鉄道用の隧道であり、昭和40年代初頭には全てが廃止されていると言えば、なんと秋田市の開発の進んでないことかと驚かれるかも知れない。 だが事実、後にも先にも秋田市内にこれを超える長さの山岳トンネルは存在していない。 そんな曰わく付きの隧道を、私も過去何度となく訪れている。 2002年に自身としては始めてその坑口を発見し、その模様はこの山行がでも紹介している。 さらに2004年には水没する内部へ侵入、閉塞地点の模様をお伝えすることにも成功した。 だが、未だにこの隧道の秋田市側の坑口を発見したという報告は、内にも外にもない。 私も以前、捜索しに入山したことがあるが、その時は発見できずに撤収し

  • 隧道レポート

    森林鉄道とは、木材などの林産物の搬出の為に建設された鉄道のことである。 全国有数の林産王国であった秋田県におけるその歴史は、明治の終わりごろにまで遡る。 その一部は鉱山鉄道とも供用されていたというが、県内各地に張り巡らされた線路網は昭和初めの全盛期においては、総延長1000kmを越えていた。 しかし、その後のモータリゼーションや林業自体の衰退などで、どのような末路を辿ったかは、皆さんご存知の通りである。 その森林鉄道の中でも、県都秋田市と太平山地を結んだ仁別森林鉄道は県内で最も遅くまで活躍していた路線である。(写真下) そしてそれは、日最後の純粋な(観光化していない)森林鉄道でもあった。 仁別森林鉄道には線である「秋田駅~仁別~旭又」の30km余りのほかにも、旭川の支沢に沿いに無数の支線が存在していたが、今日ではその一部が林道や登山道、または自転車道として再整備されている他は、大規模な

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 三陸海岸 真木沢隧道群

    三陸海岸は、東北地方の太平洋岸の北半分の大半を占める、全長600kmに及ぶきわめて長い海岸線の総称で、かつてこの地方が「陸前」「陸中」「陸奥」の3国であった事から比較的近代に名付けられた。 三陸海岸と言えば全国的に有名なのが、リアス式と言われる複雑で険しい海岸線である。 中学校の地理で必ず名前が出てくることもあって、皆様の多くも「リアス=三陸海岸」というイメージをお持ちだろう。 実際に三陸海岸の大部分にリアス地形が見られるわけだが、岩手県宮古市より北側では隆起によるリアス地形、宮古以南では沈降によって生じたリアス地形というように、出来上がり方に違いがある。 無論、この違いは地形的な違いにも現れていて、南三陸ほど規模の大きな湾が多く、したがってその水深も深く、天然の良港に恵まれる。 北三陸では徐々に海岸線が海側へと後退を続けており、海岸線から垂直に切り立つ断崖絶壁という、おそらく多くの読者に

  • 隧道探険隊

    この隧道は、fuku氏のサイト『山形の廃道』より得た情報を元に、ヨッキれんが実走しました。 隧道についての諸情報は、自身で調べておりませんので、最低限の転載に留めました。ご理解ください。 この隧道の背景など、さらに詳細な情報が、氏のサイトにはございますので、合わせてご覧になることを強くお勧めします。 笹立隧道は、東北日海沿岸ではおそらく最大の温泉地である湯野浜温泉と、やはり東北有数の名刹善宝寺との間を隔てる高舘山を貫く。隧道と、その前後の峠道は、笹立新道といい、この鶴岡市を代表する観光に代拠点を短絡している。 この紹介文の「隧道」を「トンネル」に、「新道」を「バイパス」に置き換えれば、最近開通した新トンネルのことかと思われるだろう。 しかし、この新道は、もはや、新しくない。 それどころか、新道のまま、地中に眠っているのだ。 湯野浜の個人のよって竣工された新道の開通は、明治44年(1911

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/02
    <隧道レポ-55>2003年度 「山さ行がねが」 人気投票第4位
  • 隧道レポート

    今回は、船岡森林軌道にある、ただ一つの隧道を紹介したい。 通称:船岡森林軌道だが、正式には「大曲営林署宮田又沢林道船岡支線」であり、宮田又沢林道の中間地点である協和町滝ノ沢から分岐して淀川上流を目指す路線として、大正7年から翌年にかけてに建設された。 同14年にはさらに延伸され、淀川源流部の朝日又沢にまで伸び、全盛期には全長14823mの2級路線だった。 廃止は、他の森林鉄道同様に昭和40年代初頭である。 この路線に確認されている隧道は一つであり、それも、意外なことに山深い終点付近ではなく、人里近い宇津野地区に存在する。 名称は仮に「宇津野隧道」と呼ぶことにして、その様子を紹介しよう。 2004年3月24日、午前7時半過ぎ。 秋田市街地の雪は完全に消えていたが、二つ隣町の協和町の山寄りとなれば、まだ冬の装いだった。 ちょっと来るのが早かったかと後悔したが、まあ目的地は人家からそう遠くないの

  • 隧道探険隊

    当隧道の正式な名称や延長を、書籍『奥羽鐡道建設概要』の内の表記として、『NICHT EILEN』の管理人TILL様よりご紹介いただきました。 名称:峯ノ山隧道 長さ:約 156.9メートル 廃棄(現在線への置き換え):1975(昭和50)年9月26日 国道13号線が秋田市を発し、協和町の中心地境さかいを経て国道46号線と別れるとすぐ、峰の山から繋がる稜線を越える小さな峠を越え、東北有数の規模を誇る仙北平野に達する。 この峠には、どうやら失われた道路トンネルがあったらしい。 相互リンク先である『MOTO WORKS HIRATA 』サイト内に1958年頃に撮影されたと言う、国道13号線のなぞの隧道写真を発見した事が始まりであった。 これまでも何度となく何気なく通っている小さな峠道に、重厚な石組みのトンネルが存在していたと言う事だけでも十分衝撃的であったが、何よりも、もし未だにこの隧道が残って

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 常磐線 旧隧道群11連発 その1

    これから数回にわたり紹介するのは、常磐線の旧隧道たちである。 常磐線は東京都荒川区にある日暮里駅と宮城県岩沼市の岩沼駅を太平洋岸に沿って結ぶ全長343kmあまりの幹線鉄道である。 首都圏と東北地方を繋ぐ鉄道として東北線を補完するのみならず、福島県浜通地方や茨城県海岸沿い及び宮城県南部の動脈となっており、多くの特急列車や貨物列車が日夜疾駆するこの路線は、東北地方では東北線に次いで歴史の深い鉄道である。 その誕生には東北線同様、日鉄道株式会社が深く関わっており、明治38年に日鉄道によって現在利用されている全線が完成している。 その翌年には国有化され、それまで「磐城線」や「海岸線」などと呼ばれていた路線は、「常磐線」が正式名称となる。 全線開通以前の明治31年に開通した久ノ浜~小高間は丘陵が海岸線に落ち込む縁に鉄道が敷かれており、これらの起伏を突破するために多くの隧道が建設された。

  • 廃線レポート

  • 廃線レポート

    森吉森林鉄道。 「全国森林鉄道(JTBキャンブックス)」によれば、その全長は33.9kmとある。 国鉄阿仁合線(現:秋田内陸線)阿仁前田駅付近の貯木場に端を発し、小又川に沿って東進。 途中、森吉や小滝などの集落を経由しつつ森吉山北麓を通過、その終点は小又川源流に近い大杉集落にあったという。 さらに、途中からは幾つもの支線が延び、またその支線からも事業線と呼ばれた一時的な軌道が敷設されるなど、往時の森吉町には、県内の他の木産地に勝るとも劣らない遠大な鉄道網が存在していた。 それらは全て、昭和43年までに廃止されている。 この森吉森林鉄道には森林鉄道としては珍しい、ダム建設に伴う路線の付け替えという一大転機があった。 昭和28年に完成した森吉ダムの建設の際に、ダム下部の平田地区から終点間近の大杉地区まで小又川沿いにあった軌道を、湛水域から逃れるため、その南側の山中に付け替えたと言う記録が残って

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    yamaiga
    yamaiga 2010/05/31
    <廃線レポ-07>2003年度 「山さ行がねが」 人気投票第3位
  • 【山さ行がねが】道路レポート 新潟県一般県道178号 山ノ相川下条(停)線 

    ちょっと肩に力が入ったレポが多かったと思うので、ここいらで“昔くせー”レポを一発。 おもわず、チャリ馬鹿トリオ愛唱歌である『マイナーマンのテーマ』が脳内リフレインするほどにマイナーな、新潟県内のある県道不通区間の探索である。 道は、新潟県一般県道の178号、路線名「山ノ相川下条停車場線」である。 「そんな道しらねーよ」という声がいまにも聞こえてきそうである。 …あ、マジ聞こえてきた。家のが言ったよ、いま。 この道、今時「山ノ相川下条」ってググってもたった2頁しかヒットしないほど、マイナーであり、知られていない。 無論、私も知らなかったし、そう力んで近付いていったわけでもなかった。 ただ、なんとなくね。不通みたいに地図で描かれていたんで、チャリ旅の途中に寄ったわけよ。 で、この道についてレポる前に、何だか妙にカラフルチックな上のMAPを見て欲しい。 カラフルなのは、狭い範囲に県道や国道がひ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号 三陸峠 

    全国津々浦々にある大峠。 岩手県大船渡市立根町(たっこん)と越喜来(おっきらい)の間にある海抜321mの大峠もまた、その一つだ。 この峠の直下には国道45号がトンネルで通過しており、トンネルの名前は旧町名を取って三陸トンネルという。 それゆえ、私はつい最近までこの旧道の峠も三陸峠だと信じていた。 その間違った思いこみを敢えてレポートのタイトル名にしたのは、これからお送りするレポートが大峠だけではないためだ。 近接し、異なる時代に存在した三代三の峠道を一挙にレポートしたい。 そして、この三つの峠を総称し、便宜的に三陸峠と称する事にしたのである。 右の地形図の断片を見ていただきたい。 いかにも旧国道だろうと思われる位置(三陸トンネル直上)に大峠が記されている。 そして、今回現地に赴いて色々と知る前には、この大峠に対して新しい峠道だと疑わなかった新峠も記載がある。 だが、地形図には記載がないも

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