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2010年6月7日のブックマーク (55件)

  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第105回 国道46号 水沢旧道

    一般国道国道46号は秋田市と盛岡市を結ぶ、州で最も北にある列島横断2桁国道である。 昭和38年に、それまでの2級国道105号から、一級国道46号に昇格し、この路線番号を得た。 46号といえばなんといっても県境の仙岩峠が第一であり、その存在が大きすぎるためか、全線約100kmの道中にあるその他の旧道にはあまり触れてこなかった。 今回は、秋田県大仙市協和境(さかい、旧協和町境)と仙北市角館(旧角館町)の間に残る旧国道を紹介しよう。 ここは意外に謎の多い旧区間である。 読者の皆様は、机上にて廃道を探すとき、どうしておられるだろう? 新旧の地図を見比べるというのは、やはり常套手段だと思う。 今回の旧道もまた、そのような地道な作業の中で発見されたものである。 発見する以前から現道の方は繰り返し通っていたのだが、地図で確認するまで旧道の存在を知らなかった。 いかにも旧道がありそうな場所というのはある

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-105>地図が教えた旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第104回 国道49号 揚川隧道

    先日は難所「尊岩隧道」を紹介したが、そのすぐ近くに、やはり現役でありながら老朽化著しい隧道があるので紹介しよう。 その名は揚川隧道。 阿賀野川の屈曲に対し素直に従ってなどいられないとばかり、山襞を貫きショートカットするための、国道49号に付帯する構造物であるが、並行する磐越西線の白崎隧道が大正初期にこれほど内巻きをしているのに比すれば、昭和36年完成の隧道は、何だか遠慮深い存在に思える(笑)。 単純に車は小回りが利くからこのくらいの隧道でいいでしょ? もしそんな論理が介在したとしたら、その後40年を経てなお現役であり続ける業を少し考えて欲しかった。 なんて言うか、こいつはちょっと困った隧道なのである。 尊岩方向から車を走らせると、そこには福島・新潟両県の主要な部分を結ぶ重要な国道らしく、十分に立派な道が付けられている。 左はなみなみと水を湛える阿賀野川(揚川ダム)、右は一段上がって単

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-104>これが線形改良と言えるのか?!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第103回 国道286号 秋保旧道

    国道286号と主要地方道62号仙台山寺線が分岐する地点は、現在では都会的な多重車線の三叉路となっているが、一昔前まで、国道の赤石バイパスが開通するまでは、その分岐地点は1km少々西よりにあった。 今回は、このミニ旧道をご覧頂こう。 この探索はきわめて行き当たりばったりに行われた。 ようは、国道286号をチャリで走行中に、現道と並走するようにして別れていく、ご覧の古びたアスファルトを発見。 何所へ通じるのかなどを調べもせず、咄嗟に旧国道であると判断し、進入したのである。 現道との接点は、この写真の通り緩やかな分岐となっているが、ガードレールに車が通れるような切れ目がないので、事実上廃道である。 旧道敷きには日焼けしたアスファルトが残り、行く手のカーブを予感させる道路ペイントが懐かしさを感じさせる。 最近はあまりこういう道路ペイントって見ないよね。(雪国だと特にね) 始め仲のよかったカップルが

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-103>古車の見守るミニ旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第102回 太白山第二橋

    以前、読者情報によって発見した「青葉山橋」は、東北最大の都・仙台の遠大な都市計画が置き残した、未完の道の名残であった。(→ミニレポ「青葉山橋」) それが、特に高速道路の上を跨いでいたために、多くの人の目にとまりながらも、長らく謎の存在として放置され続けてきたのである。 今回、新たにもう一、おそらく似たような経緯によるものと思われる、行き止まりの橋が発見されたので報告しよう。 場所は、青葉山橋から南にわずか2kmほどの地点だ。 仙台市太白区は、政令指定都市仙台の南西部を、奥羽山脈に接する形で区域としている。 西部は秋保温泉や二口渓谷などの観光地として、東部は仙台市のベッドタウンとして開発が進んでいる。 紹介する太白山第二橋は、東部住宅地と西部の山地とを大まかに分かつ東北自動車道を跨ぐ橋である。 ただし、橋の西側には道がない。 ご覧頂こう。 七夕の日の早朝、前夜遅くまで仙台で仕事をした私は、

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-102>杜の都の忘れ物 ふたたび
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第101回 国道45号旧道 摂待峠

    仙台と八戸を三陸海岸を縦断するように結ぶ国道45号が、昭和38年にそれまでの2級国道から1級国道へと昇格した当時、それはまだ海沿いの小さな漁村どうしを一筆書きでどうにか繋いだような、迂遠屈曲の連続する大変な道程であった。 昭和40年代にどうにか一時改良を終え、全線が大型車でも通れるようになったときまでに、その全長が200km(これは実に東京-長野間に相当)も短縮されてしまったのは今も語りぐさとなっている。 岩手県宮古市北部の、数年前までは田老町と呼ばれていた一帯もまた、海岸線に直交するように落ち込んでいく幾筋もの稜線を、有名無名の多数の峠で国道は貫いていく、元々は難所だった区間である。 今回はそのような峠の中から一つ、典型的な新旧道の成り立ちを見せる摂待峠を紹介しよう。 ここは、現在も未改良のままに残る小の急坂からは南に7kmほどの地点である。 (山行がとしては)珍しく、車でも通過できる

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-101>二桁国道の正統派旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第100回 前代未聞の橋

    ミニレポも今回で100回目。 東北各地の珍道・奇道ネタを中心に紹介してきたが、いまから3年と少し前の第一回では、「ど田舎の旧橋」を紹介している。 記念すべき100回目は、原点に立ち返り、やはり田舎の何気ない小橋を紹介しようと思う。 ただし、この橋は前代未聞だぞ。 秋田県北秋田市の阿仁前田は、まだ市町村合併からそう日が経っておらず、県人にとっては森吉町阿仁前田と言った方が遙かに通りがよいだろう。 これまでも山行がではあの「森吉林鉄」の総起点として何度も名前の出ている地名だが、ここにまたひとつ、山行が好みの“道”が発見された。 県道の一段下を流れる小又川に架かる、見るからに危なっかしい橋。 これはもう、行くしかない。 この橋の行き先は小又川の小さな中州である。 林となった中州の中には一棟の作業小屋が建っているが、ここの主以外は、おそらくこれまで渡ったことがないであろう橋だ。 県道からの降り口に

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-100>100本目のレポにて、橋の原点を知る
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第99回 信夫山 羽黒神社旧参道

    どうやら、日一急な車道というのは、勾配30%くらいあるらしい。(参考:「霧に走る」) 全国数箇所に、「30%」を示した勾配標識が立てられているようだが、現地点で東日での発見例はないようだ。 このような常識を越えた急坂は、単に地形が急であるということだけでなく、その勾配を緩和する蛇行を道が描けないような、なんらかの土地的な制約もあると考えられ、未開発エリアの多い東北地方では、発見例がないのも無理はないのかもしれない。 もっとも、ここで言う車道とは、作業用ブルがはいるような造林道路などは除く。 ふつうに一般車が通っている道に限定しての話だ。 だが、東北在住急坂マニアのみなさんに朗報である。 なんと、福島市の市街地ど真ん中に聳える霊峰であり、市民憩いの公園である信夫山(標高268m)に、残念ながら標識こそ無いが、どう考えても、今まで遭遇したレベルを遙かに超越した一の、坂に遭遇したのである。

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-99>日本最急勾配車道?!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第98回 国道455号旧道 岩泉町牛畑地区

    国道455号線は平成4年に国道昇格を果たしたばかりの、東北ではもっとも新しい国道の一つである。 それまで県道だった路線をいくつかつなぎ合わせ、盛岡と太平洋岸の岩泉町は小港までが指定されている。 このラインは県都と、著名な観光地である龍泉洞、それに三陸海岸などを繋ぐ重要な路線として、国道指定後特にピッチを上げて改良工事がなされ、現在では冬期間でもその全区間を通行することが出来るまでになった。 道中最大の難所である早坂峠に長大なトンネルが穿たれる日も、近いだろう。 快走路へと生まれ変わりつつある国道455号線であるが、その大部分は従来道路の拡幅や比較的規模の小さな線形改良によっており、大がかりな旧道はあまり見られない。 これまでもいくつかの旧隧道や旧道を紹介してはいるが、どれも規模は小さかった。 今回紹介する旧道もまた、わずか300mほどのミニ旧道である。 しかし、小さくてもなかなかに骨のあ

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-98>かなり狭い桟橋旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第97回 国道115号旧道 旧欅橋

    福島県福島市から、ほぼ真東へ阿武隈高地を横断して、太平洋岸の相馬を目指す一の道がある。 この道は江戸時代には相馬の古名から「中村街道」などと呼ばれ、それは内陸と沿岸とを結ぶ塩の道であり、五十集の道であった。 【広域地図(外部リンク)】 この道が近代交通の恩恵に浴したのは比較的早く、関連する市町村の記録にあたってみると、明治10年代から馬車道への改良が始まっていたようだ。そして、明治26年までには一通りの改良が終わったらしく、福島から中村までの全線が揃って県道「中村街道」に昇格している。そして時代が下ると、やがてこれは国道115号となる。 現在の相馬市域の西端に近い玉野地区の街道が、旧来の卒塔婆(そとば)峠から、玉野川の河谷に面した元ルートに切り替わったのも、おそらくその当時であったろう。 左に紹介した明治41年当時の地形図では、既に現道に近いルートが「県道」の太さで描かれているのが分かる

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-97>けやき橋の旧橋は現存するのか
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第96回 JR羽越線 鵜泊隧道の謎

    北日の日海沿岸有数の観光地である新潟県村上市は笹川流れ。 奇岩や断崖絶壁が海岸線に聳え立ち、特に夕暮れが海に沈む頃には最高の景観を見せる。 ここは、その中心地から10kmほど北の鵜泊地区。 海岸線に沿う国道345号線と、それに並んだJR羽越線の単線の線路が印象的な道路景観を形作っており、私の好きな場所だ。 今回のレポートは、その国道脇から見える景色に始まる。 ちょうどここにはJRの塩害試験場が線路端に設置されており、変電所の設備や架線柱などが林立している。実際に潮風にあててその劣化具合を検査しているようである。 これが、国道からも見える、問題の景色である。 そこにあるのは羽越線の現役トンネルなのだが、よく見ると、奥にも穴が見える? ここは間違いなく単線のはずだが…?(厳密には複線だが、もう一線はより山側を長いトンネルで貫いていて、ここでは地上に出ないはず) これは、調べねばなるまい。

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-96>ふたつ並んだ穴の正体
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第95回 主要地方道酒田温海線 由良トンネル旧道

    秋田から山形県の酒田を経て新潟県村上までの約150kmを日海の海岸線に沿って走ると、途中何度か国道をバトンタッチすることになるのだが、そのなかの約8kmだけが国道が内陸を経由するために、かわりに県道を利用することになる。 それが、山形県鶴岡市の加茂から由良までの区間であり、主要地方道酒田温海線がこの任に当たっている。 現在、この海岸線の道路は前後の国道と見紛うばかりの立派な整備がなされており、快適に通過することが出来る。 区間の南端に位置する由良トンネルには、かつてこの道がどのような道であったのかを今に伝える貴重な旧道区間が僅かに残されている。 由良トンネルの南口は、県道の終点である由良地区のはずれにある。 旧道の入口はこの南口では坑門のすぐとなりにあり、非常に見つけやすい。 私は、まだ日の明けぬうちに車でこの場所へ辿り着き、この日の探索の始まりをこの小さな旧道に決めると、坑口の海に面し

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-95>トンネルのありがたみ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第94回 JR釜石線 陸中大橋駅

    個人的に大好きな街、釜石。 道路も面白いし、鉄道も面白い、鉱山(ヤマ)も面白いといった感じで、私の冒険心をいつ何時でも刺激してくれるこの街の、愉快なスポットの一つを、紹介しよう。 内陸側から釜石へと鉄道で足を踏み入れたときの玄関口となる、JR釜石線の陸中大橋駅である。 と同時にここは、かの釜石鉱山の積み出し駅としても栄えた場所であり、当時の沿線では釜石駅に次いで活気溢れる駅だったという。 その今を、お伝えしよう。 もしあなたがこの陸中大橋駅で列車から降りたとする。 そのとき、駅の出口をくぐって最初に見る駅前の景色は、おそらくあなたの想像していた通りの景色だろう。 前提としては、あなたが釜石について、既に廃山になっているという最低限の事前情報を持っていた場合だが。 駅前には、もう二度と満車になることがないのではないかと思えるような、奇妙に広く、しかも未舗装の駐車場がある。 その先には大橋地区

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-94>巨大鉱山の玄関口
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第93回 洞門の橋の洞門

    そのような事例はおそらく全国でもここだけと思われるのが、県都の中心駅が終点となっていた仁別森林鉄道。 廃止されてもう久しいが、今もそのほぼ全線をサイクリングロードとして辿ることが出来る。 山行がでも部分的に紹介してきたが(起点部分となる「旭又インクライン」や「旭川ダム直下部分」など)、今回は、沿線最大の集落であり中間土場ともなっていた仁別駅と一つ下流の集落であった藤倉までの区間に潜む奇妙な隧道を紹介したい。 秋田市民ならばその存在を知っている方も多いことだろう。 だが、その正体をご存じの方は少ないはずだ。 山間の村であった仁別地区も、太平山の観光開発に伴って大きく地図が塗り替えられている。 集落の南側の山間部は広大な公園となっており、様々な施設が憩いを提供している。 かつての森林鉄道は、現在の県道15号線(主要地方道秋田八郎潟線)とは並走するがその多くの部分で重ならず、代わりに雄和仁別自転

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-93>秋田市民にはお馴染みの隧道、  いよいよ登場!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第92回 小倉隧道

    国内にここだけという極めて珍しいダブルアーチ形式の大倉ダムは、昭和36年に完成した多目的ダムである。 ダブルアーチ形式は、アーチダムを二つ繋げた独特の形状であり、上から見ると羽ばたくカモメのような形である。 ここ数年来、ダムサイトを通る県道を通行止めにしての大規模な改修工事が行われているのだが、その迂回路として利用されている市道には、かつて存在した隧道の痕跡が鮮明に残っている。 左の写真は、改良工事で通行止中のダムサイト。 来はこの狭い道が県道である。 冬真っ盛りの1月末、私が訪れた時には大倉湖は一面の厚い氷に閉ざされ、湖畔に僅かに残る集落を含め、動くものの何もない静寂の景色となっていた。 遠くに見える高い雪山は信仰の山でもある船形山だ。 山の向こうの山形側では御所山と呼ばれている。 この小倉隧道は、現在市販されている地図にも大半は普通に描かれているのだが、実際にはご覧の通り埋め戻され、

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-92>迂遠改良の妙
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第91回 下山隧道

    2006年2月11日、私はかなり久々の体験をした。 その体験とは、廃隧道を発見するというもの。 いやいや、廃隧道自体は毎年たくさん発見しているのだけれど、今回の発見は、正真正銘の発見。 つまり、事前情報一切無しの、ラッキーパンチ、まぐれ発見というわけ。 思えば、一昔前なら山チャリで適当に走り回っているうちに廃隧道を発見するという体験はそこそこあったが、当然一度発見した隧道を二度発見できるわけもなく、しかも「全国隧道リスト」などという強力な事前情報を手に入れてしまうに至り、道路隧道に関してはほぼ、まぐれ発見というのが無くなって来ていた。 そんな最中、既に通ったことのある道で今まで気が付かなかった廃隧道を発見したのだから、まだまだ油断は出来ぬと気を引き締めた次第なのである。 そんな発見劇の舞台は、州最大の街、岩泉。 国道340号線と455号線の重要区間内でのまさかの発見であった。 今回の発見

  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第90回 旧 青下橋

    “仙台のグランドキャニオン” そう聞いただけでピンと来たあなたは、めちゃくめちゃ仙台通か、あるいは知ったかぶりさんである。 なんせ、そんな呼び方は私がさっき思いついて付けただけだからだ。 だが、これから始まるしごく短いレポートを読み終えたとき、あなたはおそらく、そのような呼び方に納得しているのではないだろうか。 東北唯一の政令指定都市、仙台市。 そのビルの建ち並ぶ市街地のそばに、俄には信じがたいような凄まじい情景が、広がっている。 場所は、仙台市と山形市を結ぶ動脈国道48号線から定義方面へ少し入ったところで、熊ヶ根地区と大原地区の間を隔てる青下川を跨ぐ一の橋が、青下橋といって、その絶景の唯一のビューポイントとなる。 青下川は仙台市民にはお馴染みの広瀬川の枝川である。 熊ヶ根にはこの広瀬川を跨ぐ巨大橋が二つ並んでいる。 一つは右の写真の橋で、国道48号線が通る熊ヶ根橋。 そのすぐ西側にはJ

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-90>杜の都のグランドキャニオン
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第89回 青葉山橋

    宮城県丸森町にお住まいのd-chさんからもたらされた情報を元に、私は仙台市郊外の青葉地区へと向かった。 そこには何やら、“山行が好み”なものがあるという。 現地は東北自動車道の開通にあわせ「仙台宮城IC」が設置された事を契機にして、国道48号線の仙台西道路を始めとするバイパス道路の集約が進み、巨大なジャンクションがひしめき合う場所となっている。 仙台市中心部とは有名な青葉山を隔てているが、問題のブツは、青葉山と高速道路との、両方に関連しているらしい。 周辺の地図は右の通り。 車でも行くことが出来るが、それなりに入り組んだ一角なので、私は近くのコンビニに車を止め、チャリを組み立ててから行った。 仙台宮城ICと仙台西道路(自専道)がジャンクションする片隅に現地への入口はあるが、目印は東日高速道路株式会社(旧日道路公団)の建物で、すぐ傍には道路資料館「みちあむ」がある。 高速道路の側道を拡幅

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-89>杜の都、その都市計画の影に…
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    これまで、山行がでも何度も名前が出てきた小阿仁林鉄。 北秋田郡上小阿仁村を南北に縦貫し、太平山系の膨大な森林資源を開発するために敷設された、県下最大級の森林鉄道である。 能代市(旧二ツ井町)の天神貯木場から、小阿仁川に沿うてひたすらに南下し、終点は上小阿仁村最南端の萩形(はぎなり)の奥地で、線だけでも全長43kmに達する。 これに、無数の支線網が沢ごとに伸びており、総延長は計り知れない。 小阿仁林鉄は一般的な路線延伸のイメージとは異なり、起点から順次奥地へと伸ばされたのではなく、中央部から小阿仁川に沿って南北へそれぞれ延伸されてきた経緯を持つ。 上流へは新たな森林資源を求めて、下流方向へは、非効率的な舟運への依存を減らし、最大の集散地である二ツ井への直接の乗り入れを目指し、長い年月をかけて伸ばされた。 その最終延伸区間が、小阿仁川の母流である阿仁川の積み出し港「増沢」から、一山隔てた二ツ

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-88>身の危険を感じさせる●●
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    秋田市市民の皆様、おまたせしました?! もしあなたが秋田市に子供の頃から住んでいる方なら、まず一度は絶対に登っていると思われる、太平山は旭又口。 秋田市を見下ろす海抜1176mの太平山は、市民歌を始め、市域の学校校歌でも多くが謳っている。 そんな市民なじみの山である太平山の、最もメジャーな登り口である旭又口までは、秋田市中心部から約25km。 僅かに未舗装が残る林道の終点には、巨大な駐車場があり、学校登山の大型観光バスもよく停まっている。 ここに、秋田県内はおろか、日中を見ても最大級の、林鉄用のインクライン跡がある。 これを聞いて、「あっ アレね!」そう相づちを打つ方、 そう、アレである。 「登っているはずなのに分からないな~」という方、安心して欲しい。 私も、つい最近まで そうだった。 来るたびに少しずつだが変化のある、旭又登山口の様子。 橋を渡って正面の急な階段に進むのが、正規のルー

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-87>30万市民が通う巨大林鉄遺構
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    写真の滝は「老不知の滝」といい、昭和52年指定の「新観光秋田三十景」にも選ばれている。 場所は、秋田県北秋田郡上小阿仁村の南沢にあり、国道285号線からは一瞬だけ、小阿仁川の対岸の崖に落ちる優美な姿が見える。 この滝をよく見たければ、国道に並行する旧国道を通ると良い。 平成になってから国道が代替わりして、滝の向かいにあるドライブインが廃業。 いまは、至って静かな場所になっている。 国道に見限られ、廃業してしまった巨大なドライブインは、独特の三角屋根の大豪邸。 住宅としてだけ今は使われているようだ。 かつて、ドライバー達にひとときの憩いを与えていた庭園も、併設されていた釣り堀も、老い知らずの滝の前で、朽ちることなく残っている。 初めて格的な雪が降った日、たまたまここを通りかかった私は、以前から知っていた滝とは別に吊り橋を発見した。 そして、車を付近に停め、その吊り橋へと近づいていった。 無

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-85>山行が特選怪奇譚シリーズ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    三陸海岸は日を代表する巨大なリアス式海岸であり、北東北三県の太平洋に臨む海岸線の半分以上は、険しい断崖絶壁となっている。 その北部に位置する陸中海岸の中心的観光地である北山崎は、岩手県下閉伊郡の田野畑村を中心に、南は岩泉町、北は普代村に繋がる、日一の大絶壁海岸である。 その核心部分においては、海岸線から200mも一気に迫り上がる崖が南北8kmも続いている。 一帯の余りにも険しすぎる海岸には、今日に至るまで開発の手が殆ど及ぶこともなく、原始のままの姿にある。 断崖の下に僅かに点在する砂浜には小さい漁港が散見されるが、津波の危険を避けるため定住する者はなく、集落は主に海岸線から100m以上も高い台地上に点在している。 そして、集落と漁港を結ぶ為の道が多く存在するのに対し、海岸線を縦貫する様な道は地形的に無理があり、殆ど存在しない。 あったとしても、その多くは海岸から少し離れた、台地上を迂回

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    以下、事中には読まぬ事。不快な思いをしても責任持ちません。 秋田県の北都大館市から青森県碇ヶ関村に越える矢立峠、現在の国道7号線筋には、多くの廃モノが点在しており、さながら廃.Stの様相を呈しているわけだが、その代表的なモノは、まずは以前レポでも取り上げた「奥羽線旧線」である。 秋田県側から青森県に至まで線上に点在する廃モノを探索をしていると、自然と他にも、いろいろな廃が目に入ってくる。 例えば、相乗温泉(←おっと!最近遂に取り壊されて、一部老人保養施設として復活してるぞ!)や、国鉄廃隧道の前に立ち並ぶ廃ロッジ群、それに、国鉄廃アーチの上に建つ廃モーテルなど…。 って、なんか国鉄旧線の廃が空気感染してしまったような矢立峠の廃モノ群であるが、 なんだ、青森県側にばかりあるじゃねーか。 ダセーな、青森。 と、ついこの前までほくそ笑んでいた。 しかし… 秋田県側にもあたーよ… 国道7号線を大

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2004年最大の林鉄系発見「定義林鉄 巨大木橋」の5kmほ下流には、古くから「定義さん」と呼ばれ親しまれてきた古刹「定義如来」がある。 この定義如来を起点として仙台市中西部に至る主要地方道が、主要地方道定義仙台線だ。 大都市近郊でありながら、その沿道には大倉川が流れ、大倉ダムがあり、山深い道という印象がある。 そして、いつの頃かは定かではないものの、起点付近の道筋はもともと大倉川右岸にあったものが、左岸へと大規模に付け替えられている。 この付け替えによって生じた旧道区間はおおよそ6km。 うち、最上流部の1kmが、現在は廃道となっている。 ご覧頂こう。 まずはオードブル。 県道の起点からさらに上流へと市道が続いている。 この市道の十里平と定義の中間付近、大倉川を渡る橋があるが、この橋の辺りから川原に降りる事が出来る。 そこから下流を見るとびっくり、 こんな場所によくぞ川が通ったもんだ。 特

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-82>如来様のお膝元での不思議な体験
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    全長94.2kmの秋田内陸線は、全国屈指の長さを誇る第三セクターの私鉄である。 秋田県の内陸部を観光の街 角館から北秋経済の古顔である鷹巣まで敷かれた鉄路は、全長5700m近い十二段トンネルをはじめ、大小のトンネルや橋梁が配される、山岳路線である。 県内でも利用者の少ない鉄道の筆頭であり、廃止の話題は随分昔から出ている。 しかし、沿線町村の足並みも揃っておらず、廃止にせよ存続にせよ、もうしばらく結論が出ることはなさそうに見える。 内陸線は平成元年に全通したばかりの比較的新しい鉄道であるが、その計画自体は大正時代にまで遡る。 もともとは、国鉄の鷹角線として計画されたが、先に着工された鷹巣側を阿仁合線と呼んでいた。 阿仁合線は昭和38年に比立内まで伸び、角館線も昭和45年に松葉まで完成したが、残り29kmの十二段峠区間の工事は、なかなか進展しなかった。 そして、国鉄整理を受け一度は全線が廃止さ

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    世界遺産白神山地の懐深く、素波里ダムより粕毛林道を10kmほど進むと、一取林道という細道が左に分岐している。 入り口には「奥素波里」と言う行き先が、古い木の標柱で案内されているが、その終点にあるものは、長い長い林鉄跡くらいなものだ。 まさに、我々オブローダーと釣り人専用道の様相を呈している。 一取林道は、荒れたダートで、乗用車ではヒヤヒヤする場所が多いが、入り口から2.5kmほどで、写真の吊り橋が林道脇に現れる。 これより先林道は間もなく終点の広場となる。 この日、粕毛林鉄の源流部踏査のため、初めてここへ入山した我々、私とパタリン氏くじ氏の3名による合調隊は、威容を誇る吊り橋に釘付けとなった。 特に私は、たまらなく惹かれるものがあった。 錆が浮き触るのも憚られるような鉄製のタワーが、林道の路肩に立っている。 メインケーブル2は林道の頭上を跨ぎ、のり面の岩盤へ打ち据えられている。 もとより

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    国道342号線は、秋田県横手市と宮城県吉郡津山町(現:登米市)を繋ぐ、全長約170kmの一般国道である。 道中、秋田と岩手の県境には栗駒山が横たわっており、国道は須川【すかわ(地名)】峠にて海抜1100m以上をもって、これを克服している。 その長大難渋な峠道の岩手県側麓にあたるのが、一関市の真湯【しんゆ(地名)】温泉であり、近接する最奥集落の祭畤【まつるべ(地名)】である。 この祭畤地区で鬼越沢川を跨ぐ場所には、現在昭和52年開通の祭畤大橋が架橋されていて、一跨ぎである。 同様に、祭畤と真湯温泉との間にも、同年開通の真湯大橋が、巨大なアーチで磐井【いわい】川を跨いでいる。 このうち祭畤大橋の下に、一見して道が通じていないような別のトラス橋が存在していることが、読者情報として寄せられた。 今回はこの正体に迫ってみよう。 実は今回は、いつもながらの山チャリではない。 私の傍らに、愛車である

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-79>読者から寄せられた情報を元に…。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    由利町は、子吉川とその支流である鮎川流域に広がる町で、南端は南由利原と呼ばれる標高500mほどの高原地帯である。 川に近い低地では稲作が、高原地では酪農が営まれているほか、高原の一部では今なお油田が稼働している場所もある。 この由利町を、鮎川に沿って子吉川から南由利原まで縦断するのが、一般県道287号鮎川南由利原線だ。 私は、この道のちょうど中盤、西沢集落の片隅で、変わったガーダー橋を目撃した。 皆様からの情報提供を目的に、これを公開したい。 場所は、県道287号線を国道108号線との分岐点から7.5km南下した、西沢地区。 県道は舞台橋との標識が掲げられた桟道橋で、蛇行する鮎川に落ち込む急斜面を渡っているのだが、この橋の辺りから、川面を見下ろすと、ご覧のガーダー橋が目撃される。 旧道と言うことはなさそうで、対岸には狭い農地しかない。 ガーダー橋の先は、何処かへ通じているというわけではなさ

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-78>山村に現れた奇妙な鉄橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    山チャリ活動を続ける中で得られる楽しみは多いが、そのなかでも、街のなかに融けこんだ現役の古物件を見つけた時の、なにか愛おしい気持ちは、なんだろうか。 「 ああ、 まだ頑張っていたのか 」 そんな声を、思わずかけたくなってしまう。 全然派手ではないが、私の悦びには欠かせない存在。 それが、地図を眺めただけでは決して分からない、小さな街の古物件 。 国道47号線を酒田から新庄へと向かう途中、余目町廻舘交差点を通過時に、なんとなく右手の県道の入り口に違和感を感じた。 このような違和感が、小ネタ発掘のきっかけとなることは、多い。 今回も、そのうちの一つである。 青看には、 →県道342号(西袋) ←県道358号(小出新田) とある。 この地点は、県道342号線の終点であり、358号線の起点でもある。 違和感の正体をつかむため、右折して県道342号線に入る。 この道は西袋廻舘線といい、同町内の羽越線

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-77>蜃気楼橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-76>喪 失 の 谷
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-75>林鉄跡のチャリによる高速探索
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    不老倉は、"フロクラ〝と読む。 一帯は、秋田県の北端である鹿角市の東山中に位置し、青森県二戸郡田子町や岩手県岩手郡安代町とは、奥羽山脈を隔てて接している。 17世紀に不老倉鉱山が発見され、昭和初期まで採掘が続けられた。 ほかにも、付近には多くの銅山が稼動していた時期があり、小坂・尾去沢にも並び賞される大鉱山街を形成したこともあった。 また、同地域の入り口である大湯温泉から、不老倉経由で奥羽山脈を峠越えし、青森県田子町へと抜ける来満街道は、藩政時代から盛んに利用されたが、現在の国道103号及び104号線が来満峠を経由しない北寄りルートを選択したことにより、車輌交通時代には取り残されて久しい。 現在は袋小路の不老倉地区だが、その最奥部まで一の林道が延びている。 便宜的に不老倉林道と呼ぶが、明治時代には林道ではなく、現在でいう県道の地位にあった。 当時はまだ、来満峠を隧道で貫通する新道路の建設

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-74>不老倉レポート 2004
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    二ッ小屋隧道は明治14年に開通した、万世大路に三つあった隧道の一つである。 このうち、最も米沢側の苅安隧道は昭和改築時に開削され、峠の栗子隧道は国道として昭和41年まで改築使用されたが、旧化して程なく大落盤により閉塞し現在に至る。 万世大路時代の隧道で、唯一通り抜けが可能なのが、この二ッ小屋隧道である。 その延長は、387m。 当初は素堀りであったが、昭和9~11年の大改築工事を経て、車道規格の隧道となっている。 廃止されて40年近くを経ているが、現役末期には内壁の覆工や路面舗装などの2次改修も施されたようで、内部だけを見れば、現代的なトンネルの様相を呈している。 その剥離崩落等の綻びは、年代相応と言えるが。 この二ッ小屋隧道が掘られた場所は、福島市街から小川に沿って奥羽山脈の一座である葡萄沢山を目指してきた万世大路が、この稜線はひとつの隧道では潜りきれるものでないと見るや、おもむろに北西

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-73>万世大路 もう一つの工事用道路
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-72>渡られなかった木橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-71>県内最後から二番目の林鉄跡
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-70>林業の街の林鉄跡
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-68>情報提供お願いします。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    この小国町界隈の国道113号線には、かなりの数の旧橋・旧旧橋が存在しており、しかも、それらの多くが何らかの遺構を今に残している。 それらのうち主な物を表したのが、上図である。 このレポを執筆している段階では、東から見て行って、宇津峠・上杉橋・下杉橋、そして少し飛んで松栗沢橋を紹介している。 そして、今回は、明沢橋とその前後の旧道区間を紹介したい。 一連の旧道は、国道113号線を西進する時、現道の沼沢トンネルの手前で左に別れる。 この先はJR米坂線羽前沼沢駅を中心とした沼沢の集落であり、旧道は生活道路として大切に利用されている。 旧道に折れると即座に線路を渡る。 そして、間瀬川に迫り出した巌を切り取ったカーブの向こうに集落が見えてくる。 この場所の景色は、少しばかり目を惹く。 もともとは山際から続いていたはずの尾根が鉄道と旧国道に連続して切り取られており、尖塔のような小山を残しているのだ。

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-67>隠しアーチ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    国道113号線はこれまでも数度紹介してきた。 例えば、宇津峠旧道や旧旧道、それに八ツ口の旧道などだ。 また、アクシデントによりレポ化できない状況にある“片洞門”は、この国道に数ある旧道の白眉といって良い名勝である。 今回紹介する小さな小さな旧道は、片洞門のすぐ西側である明沢地区の路傍に埋もれている。 短いレポだ。 気楽にご覧頂こう。 小国町の唯一の幹線と言って良い国道113号線は3桁の国道にしては良く整備されており、新潟・山形の最短ルートであることもあり、通行量も多い。 片洞門は綱取地区にあるが、この一つ東側にあるのが、明沢地区だ。 それらの中間付近に、この小さな旧橋はある。 現国道の松栗橋からは、北側に平行する旧橋の姿を発見できる。 旧橋と、前後の旧道は、合わせても僅か30mほど。 完全に見捨てられた存在である。 橋へ接近するには、徒歩ならばどちらからも可能だが、通常は西側からだ。 東側

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-66>新しすぎる旧橋と…
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    小坂鉄道といえば、鉄道ファンの間では比較的知られた、歴史と話題に事欠かない鉄道である。 簡単に紹介すれば、小坂鉱山の専用鉱山鉄道として明治41年には早くも小坂~大館間が開通している。 間もなく旅客輸送も開始し、一部電化や支線の建設、762mmから1067mmへの改軌など当初順調だったが、近年では鉱山の閉山や旅客輸送の廃止など激しく時代に揉まれている。 が、紆余曲折を経つつ生き続けている、希有な存在でもある。 この小坂鉄道には、比較的よく知られた廃線が2つある。 当初は別会社の鉱山鉄道であった花岡線と、現存すれば日一の閑散線であったろう長木沢線である。 いずれも短い路線であるが、さらに小さな廃線が、終点小坂にある。 今回は、この廃線を紹介しよう。 右図中赤線で示したのが、今回紹介する専用線だ。 最近の地図からは抹消されているが、いつ頃に廃止されたのかは、分かっていない。 ただ、その創始は相

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-65>鉱山都市の遺したレール
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    東北有数の都市近郊鉄道であるJR仙石線は、その各所で路線の近代化が行われてきた。 その中でも、昭和56年に塩竃市街地を縦貫していた路線を高架化した工事は、廃止延長2900mにも及ぶ大きなものであった。 この時に、合計三の隧道が廃止されている。 現在では、市街地にあるこれら廃隧道はいずれも封鎖されてしまっているが、唯一、この杉の入隧道のみ、内部を確かめることが出来る。 敢えて詳細な場所は伏せるが、塩竃市杉の入の仙石線の高架の傍に、隧道はある。 時刻は夕暮れ。 隧道とは、仙台に仕事で出張した帰りに、おもむろに連れてきていたチャリに跨って一路三陸を目指した、そのスタート直後の遭遇であった。 え? コウシコンドウでないかって? …。 とある民家の物置小屋。 しかし、その背後にちらりと見える、なにやらコンクリートの壁。 ア レ は まさか? 間違いない。 坑門が隠されている! 直前に仙石線の旧隧道

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-64>密度の濃い闇
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    今回は、林道の紹介だ。 山行がで林道を紹介する事は稀で、それには理由がある。 ずばり、林道は距離が長く、ネタとして冗長なのだ。 このカーブを曲がると、今度はこんな景色で… などとレポートしても、余り楽しくない。 そして、林道は余りチャリに適さない。 通常であれば、バイクの機動性や速度性には叶わないし、林道ネタに終始するならば、バイクを主機動力とする探索者には到底及ばないであろう。 その様な打算があり、そして、そのことが私に林道を敬遠させている。 そして、これは私の趣向の問題だが、一度歴史ある遺構を探して走る楽しみを覚えてしまうと、たかだか十数年内に完成した林道を走る事への興味が薄れてしまった。 山行がを取り巻く林道情勢は、明るくないのが実情なのである。 だが、例外的に林道を走ることがある。 例えば、道が荒れているなど、興味深い状況にある場合。 隧道など、見るべき物件がある場合。 そして、目

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-63>山行がマイナー林道情報シリーズ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    ここは、地図上で以前から気になっていた場所だった。 北上山地に数多く存在する峠の中でも、その意味ありげな名や、現道の見せる心地よいクロソイド曲線など、是非とも行ってみたい峠として、長く私の心に留まり続けていた。 それが、姥石峠である。 ここは、かつて「盛街道」と呼ばれ、岩手県内陸の水沢市と太平洋岸の大船渡市とを結ぶ重要な路であった。 沿線にいくつもの鉱山を有するヤマの路として、また、水沢より西へ奥羽山脈を縦断する平和街道や仙北街道などと連携して、表裏日を繋ぐ路としても、永く利用されてきた。 路は現在、モータリゼーションがもたらした新道の影に、現役を退いている。 上の地図を見て頂けると分かると思うのだが、以前の姥石峠は主要地方道8号線の峠であった。 今回辿るのも、この県道時代の姥石峠だ。 しかし、この県道の現在の道はと言えば、山を登ることなく、梺の古歌葉集落で国道397号線にぶつかり終点を

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-62>原 点 回 帰
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-61>巨大林鉄橋梁
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    今回は、林道だ。 「山行が」では、ここんとこかなりご無沙汰だった林道ネタである。 名は、ソッケ林道。 あ、待って。 名前だけの一発ネタだと思った人、待って! ちゃんと、廃道だからサ。 寄っていってよ、ちょっと。 国道341号線における、田沢湖町から鹿角市への80km近い山越えルートの前半は、ほとんどダム湖の景色である。 生保内から続く集落が尽きると、間もなく長いトンネル二が現れる。 2目のトンネルを出ると、エメラルドブルーの湖が左に現れる。 これが、鎧畑ダムの作る秋扇湖。 さらに、ダム沿いを橋の連続で進むと、ひときわ巨大な玉川大橋を経て、再び車窓はトンネルの連続を迎える。 そして直後、さらに広大な水面が目の前に現れる。 玉川ダムの形成する宝仙湖である。 この先、国道は延々10km近くこの湖の縁を走ることになる。 平成元年に多目的重力式コンクリートダムとして完成した玉川ダムは、県内最大の

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    国道341号線は、秋田県鹿角市と荘市との間を、八幡平や田沢湖に角館といった県内の代表的な観光地を経由地に結ぶ路線だ。 比較的国道に指定されたのは最近のことであり、最も早く指定を受けた鹿角市花輪~田沢湖町生保内間が昭和50年指定。 歴史のそう長くない国道であるが、既に大部分が一次改築を終えている。 それは、先に述べたとおり、多くの著名な観光地を結ぶ観光路線として、県政の中でも重視されているからだ。 蛇足だが、郡境の峠は標高900m近くあるのだが、ここの通年走行を実現しようと、零下20度積雪5mを越える中に試験除雪を行っているのだから、その意気込みといえば、ちょっと正気を疑ってしまう。 無論、その実現性は低いというのが、専ら専門家達の意見である。 今回紹介するのは、郡境の峠や八幡平の入り口に位置する、トロコ温泉付近に取り残された旧道である。 今回、約8年ぶりに田沢湖町から郡境の峠を越えてこの

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-59>消えた舗装路
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-58>きな臭い。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    国道108号線を県境の鬼首峠から鳴子へ向けて下っていけば、途中大きな人造湖が右手に現れる。 これは、昭和32年に江合川を堰き止めて誕生した荒雄湖である。 細長い湖の頭に近づけば、近年では余り見られない形のダムが見えてくる。 日人のみの手で設計建築された日初のアーチ式ダムといわれている鳴子ダムだ。 ダムサイトを右下に見つつ、国道は堰を切ったように急な下りに転じる。 このまま下りは鳴子温泉郷まで続くのだが、このダムサイト傍に一の使われていない隧道が口を開けている。 写真のS字カーブの途中に、その入り口は少し注意していれば容易に発見できる。 丁度カーブの突き当たりにあるので、もし開放されていればうっかり進入してしまいそうだが、残念ながら施錠され完全に封鎖されている。 隧道が潜る山の上には、鳴子ダムの管理事務所が建っており、この尾根線がそのままダムサイトに続いている。 大型車や観光バスなどが

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-57>設計者出てこい。狭い。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    この七座森林鉄道を説明するには、まず地図を見て頂くのが手っ取り早い。 七座林鉄は、県内、いや日有数の林鉄大ターミナルを構成していた路線である。 その存在がもたらした、長大林鉄相互の運用性が与えた経済効果は計り知れないものがある。 総路線長は8.4km。 昭和22年から昭和42年頃に廃止されるまで、盛んに利用されていた。 路線は、藤琴森林軌道(藤里営林署 大正元年~昭和38年)、仁鮒林鉄(能代営林署 明治42年~昭和46年)、小阿仁林鉄(合川営林署 大正13年~昭和42年)の三つの路線それぞれ終点である三つの貯木場を繋ぐ三叉線であった。 このうち、米代川と、その支流である阿仁川に面し舟運(筏流しと言った)を担当したのが仁鮒・天神の二貯木場であり、二ツ井貯木場は三カ所の貯木場の中では最大の容積を有し、国鉄二ツ井駅に対する陸送を担っていた。 と同時に、林鉄車輌を整備する機関庫などが完備された

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-56>林鉄大ターミナル線
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-55>地図に記されし謎の隧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2004.5.19撮影 岩手県大船渡市~陸前高田市 岩手県で表題の県道を走行中、奇妙な体験をした。 ご覧頂こう。 広田半島は、鯨歯の様に複雑な海岸線を見せる三陸地方にあり、陸前高田市と大船渡市の境界線になっている。 三陸特有の鋭角な海岸地形と、その隙間を埋めるわずかな白浜。 この組み合わせに合わせ、沢山の集落が小さな半島に乗っかっている。 そこを、点々を繋ぎ、最終的には大船渡と陸前高田を繋いで、国道45号線の補佐的な役割を担っているのが、主要地方道38号「大船渡広田陸前高田線」(県道名ながッ!)である。 そして、半島の中心的な存在なのが、ひょうたん型をした半島の“くびれ”の部分に位置する広田集落である。 ここには小学校や中学校、コンビニなんかもあった。 写真は、広田集落の中心部の交差点から、半島西部への道を撮影。 これは、北側を撮影した写真。 こっちへ進めば、いずれ陸前高田市で国道45号線

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-54>世にも奇妙な県道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2004.4.14撮影 秋田県協和町 かつては鉱山と林業が盛んだった仙北郡協和町。 その中心部である境地区から鉱山街のあった荒川地区まで、明治期から昭和初期まで鉱山馬車軌道が繋いでいた。 その大部分は、現在の国道46号線の旧道に当たる車道との併用軌道となっていた。 未だに、その開設時期や、正確な位置などが判然としない謎の存在である馬車軌道だが、その当時のものかもしれない、大変古びた遺構を発見した。 紹介しよう。 現在の国道46号線は、境で国道13号線から分かれた後、荒川集落を迂回して、荒川の右岸山際を通っている。 それは、かつて馬車軌道とはまた別に存在した、森林軌道に近い道のりである。 一方、旧国道や馬車軌道は、荒川集落を通っていたが、荒川へと注ぐ宮田又沢川を渡る写真の橋のすぐ東側で、現道と旧道は合流する。 写真は、現道の荒川橋上から、旧国道の橋を撮影したものである。 奥に見えるのは、荒川

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-53>老朽化もここまで行けば芸術的
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2004.5.12撮影 山形県西置賜郡小国町 国道113号線は、福島県相馬市に端を発し、山形県南部を通り、新潟県新潟市にいたる一般国道である。 私も、その全線を走ったわけではないが、その旧道密度、つまり旧道が現在の道とは別に存在する割合としては、他のどの国道よりも高いと言う実感を持った。 特に、山形県飯豊町から宇津峠を経て小国町、荒川にそって県境を越え、新潟県関川村に至るまでの約50kmについては、その殆ど全線に何らかの旧道が付随していると言っても過言でないほど、とにかく旧道が多い。 それら旧道の由来については、今回のミニレポでは紙幅が足りないので割愛するが、とにかく明治期から使われてきた道が、その時代時代に応じて、徐々に姿を変えてきたと言うことだ。 今回紹介する橋は、そんな道の一つである。 特異な光景を見せてくれているが、あとどれだけ存続できるかは、誰にも分からない。 国道の長いトンネル

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-52>橋を守った橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    2004.4.29撮影 秋田県協和町 協和町を貫流する淀川の源流である唐松地区に、1997年完成した多目的ダムが協和ダムだ。 そしてこのダムによって誕生した湖が、美山湖である。 袋小路の山中にある閑静なダム湖には毎年ニジマスなどが放流され、現在では太公望達に人気のスポットとなっている。 ダムの湛水域にもともと人家はなかったが、船岡林道が沈んだ。 その一部は、水位の変動に伴い地上に現れ、そしてまた沈んでいく。 今回は、美山湖の水没旧道をお伝えしよう。 JR羽後境駅のある協和町の中心地から協和スキー場方面へ県道28号線、宇津野からは県道316号線へ、それぞれ淀川沿いを道なりに進むこと15kmほどで、協和ダムへ着く。 正面の山並みは標高1000mちかい太平山地の壁であり、反対側には西木村や田沢湖町がひかえているものの、越える道はなく袋小路だ。 これ以上奥には集落もなく、釣り人や林業関係者、それに

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-51>釣り人達の水没旧道