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合同調査に関するyamaigaのブックマーク (78)

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 小湊鉄道線旧線 上総久保~高滝

    【周辺図(マピオン)】 小湊鉄道が営業する小湊鉄道線は、千葉県市原市の五井駅から夷隅郡大多喜町の上総中野駅までを結ぶ、全長39.1km全線単線非電化の鉄道だ。 関東近郊の代表的なローカル線として有名な存在だが、上総久保駅と高滝駅の間に短い旧線が存在することは、あまり知られていない。 この線路変更については、なぜか『鉄道廃線跡を歩く8』巻末の「全国線路変更区間一覧」にも記載が無く、そのために線路変更の時期や事由など不明点も多いのだが、北から南に向かって現地の旧線跡を紹介していこう。 この探索は、情報提供者である「湯島のとも」氏および「R28」氏が同行案内してくださいました。ありがとうございました。 2008/3/15 15:07 《現在地》 市原市久保にある上総久保駅を南に出た線路は、小高い丘の裾を左カーブで回り込み、田んぼの中の長い直線に入る。 そして直線の先は細長い丘があり、これを右カ

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第148回 銚子第二発電所 未成水路隧道跡

    今回は皆様に“ある”廃隧道を見ていただこう。 ここは、私が初見で「踏査不可能」と即断した、曰く付きの場所である。 確かに隧道は存在し、物理的に入れる隙間もあるのだが……。 「我こそは!」と言う猛者の突撃を止めはしないが、くれぐれも無茶はするなよ…。 今回私たち4名(私、細田氏、HAMAMI氏、どら氏)が探索したのは、秋田県北部の十和田山中にある、未成発電水路用隧道である。 かなりマイナーな存在であり、秋田に長く暮らした私も、今回ある新聞記事に掲載されるまで全く知らなかった。 ネタ元は秋田の地方紙「秋田さきがけ」の平成21年8月11日号朝刊文化面に掲載された、「県内戦争の記憶を訪ねて<8>」という野添憲治氏の記事である。 その大まかな内容は、第二次大戦末期に大湯川から十和田湖への導水発電を計画した際に途中まで建設された水路用の隧道が、今も広森川近くの山中に残っているというものだった。 この地

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第144回 鷲ノ瀬隧道

    突然ですが、クイズです。 ← これは なんでしょうか? 1.ビル 2.冷凍庫の中のアレ 3.法面 正解は、「3.法面」でした。 すごいでしょ? こんな場所、見たこと有る? ここは、「森吉山ダム」の原石山である。 原石山というのは、ダムを作るために大量に必要となる岩石を採取するための場所で、だいたいは現場の近くに設けられる。 この森吉山ダムの場合も堤体から5kmほど上流の川べりにあり、将来はダム湖に面する場所である。 特に、国内最大級のロックフィル形式ダムである同ダムの原石使用量は、生半可ではなかった。 それですっかり山ごとイッってしまった訳である。 10年前にはこの写真いっぱいにあった山がまるまる無くなってしまった姿は、当に恐ろしい。 まさに、平成の逆さピラミッドである。 【現在地をmapionで見る(別ウィンドウ)】 平成22年の完成予定にむけ、工事の最終段階に入りつつある森吉山ダム

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第143回 長滝沢の“ファンタジー橋” 

    【現在地をmapionで見る(別ウィンドウ)】 “ファンタジー橋” この語から、あなたはどんな橋を想像するだろうか。 私と細田氏が、出会うなりそう命名した橋の姿を、ご覧いただこう。 橋が見えますか? → ここは秋田県北秋田郡上小阿仁村。 いまも林業が財政的基盤であるこの村には、昭和40年代まで小阿仁林鉄とその支線が根のように張り巡らされていた。 長滝沢という全長20kmほどの谷に沿って存在していた長滝沢支線の痕跡を求め、細田氏の運転で沢沿いの林道(軌道跡を転用していた)を走っていた際に、この橋は「発見」された。 自動車運転中に予想外の発見をすることを、私と細田氏は昔から「チョットチョット」と呼んでいるのだが、これなどは典型的なチョットチョットであった。 そして、私は細田氏のチョットチョットの力には大変感服している。 大概のチョットチョットは細田氏によるものだからだ。 この景色から運転中に

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-143>美し森のファンタジー橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第142回 奥羽本線旧線 第二小繋隧道 

    2008/10/29 10:24 【所在地(別ウィンドウ)】 皆様の中で、この場所のレポートを覚えている人がいるとしたら、それは驚くべき記憶力である。 前にここをレポートしたのは、かれこれ5年も前の2003年7月だった。(→「隧道レポート 奥羽線 小繋の廃隧道群」) この「奥羽線旧線」とは、明治34年に官設鉄道「奥羽北線」の一部として開通したものの、トンネルの老朽化や複線化および電化のために昭和46年に現在線へ切り替えられて廃止された、全長3.9kmの区間である。 二ツ井駅から前山駅の間にあり、旧線には七座(ななくら)信号所という信号所も設置されていた。 前回のレポートでは、「小繋第4隧道」から「小繋第1隧道」まで、4つの隧道跡を捜索しているが、その結果は… 第4隧道=現存していて、通り抜けた。 第3隧道=未発見(埋没) 第2隧道=現存するが、再利用(用途不明)のため内部立ち入り不可

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-142>オブローダーの手に戻った明治の隧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第138回  小阿仁森林鉄道 堂川隧道 <前編>

    小阿仁林鉄は、小阿仁川とその支流に路線網を敷く、線全長43kmに及ぶ森林鉄道である。 この路線は大正後期に上流部の開通をみて以来、徐々に下流方向へ路線を延ばすという、多くの林鉄とは逆方向の延伸を重ねた。 これまで「山さ行がねが」および「日の廃道」においては、小阿仁林鉄とその支線に関して7のレポートを掲載した。(右の地図はクリッカブルマップになっています) それらはいずれも下流部と上流部に属するもので、中流部に関しては探索自体をしていなかった。 そのわけは、中流部の地形がかなり穏やかで、並行する国道から全容を把握できると感じていた為である。 しかし今回(といってもレポート執筆時点からみれば10ヶ月も前の話だが)、このエリアに詳しいミリンダ細田氏が、住民からの地道な聞き込みの結果、この中流域に隧道を発見したというのである! その場所は上小阿仁村堂川地区で、これを含む福舘~根田間延伸は昭和

  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第129回 夏狩天神峠の未成市道

    私が最近、廃道と共に非常に“入れ込んでいる”のが、「未成道路」というジャンルである。 未成、すなわち来の目的を果たしていない未開通の道路のことである。 部分的に開通しているものも、建設途中に中止されたものも、実際に着工はしておらず図面や計画だけのものも、晴れて開通するまでは全て未成道路の括りである。 ただし、盛んに工事が進められている最中のものは含まない。 今回、読者から寄せられた情報を元に、山梨県都留市の山間にあるという未成道路を訪ねた。 そこには、情報無くしては決して訪れることもなかっただろう地味めで静かなトンネルが、しっかり口を開けて待っていた。 未成道路ならではの不条理なムードを、たっぷり詰め込んで。 【mapion 周辺図】 現場は、都留市の中心部から西へ2.5kmほど入った加畑(かはた)にある。 未成道路であるが、既成部分が地形図に描かれており、地図読み全長は1kmほど。 加

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-129>人知れず開通していた峠のトンネル
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第123回 二戸市福田の桟橋

    この写真は、ネット上に「中国に実在する登山道」などとして紹介されているものである。 見ての通り、とんでもない恐ろしい桟橋である。 これで一般の登山道らしいのだから、かの国の観光客は皆、オブローダーライセンスA級を所持しているのだろうか。 私も、もし目の前にこんな橋があったら、精一杯強がりながら、きっと渡ってみせるだろう。 しかし、海外旅行などに興味のない私は、生涯ここへ行くことはなさそうだ。 ただ、我が日国内にこれに匹敵するような道を探すだけである。 で 見つけちゃった。 えへへ。 まあ、ミニレポな時点で、読者の大半はもう(・∀・)ニヤニヤなのだろうが… 侮るな! …どこにあるかといえば…。 この橋のすぐ傍である。 県道6号の青海橋を渡っているときに、ちらりと見えたのだ。 凄まじい桟橋の姿が! 旧青海橋のレポートは、その桟橋へ行くための副産物に過ぎなかった。 実は。 ん? とても険しそう

  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第100回 前代未聞の橋

    ミニレポも今回で100回目。 東北各地の珍道・奇道ネタを中心に紹介してきたが、いまから3年と少し前の第一回では、「ど田舎の旧橋」を紹介している。 記念すべき100回目は、原点に立ち返り、やはり田舎の何気ない小橋を紹介しようと思う。 ただし、この橋は前代未聞だぞ。 秋田県北秋田市の阿仁前田は、まだ市町村合併からそう日が経っておらず、県人にとっては森吉町阿仁前田と言った方が遙かに通りがよいだろう。 これまでも山行がではあの「森吉林鉄」の総起点として何度も名前の出ている地名だが、ここにまたひとつ、山行が好みの“道”が発見された。 県道の一段下を流れる小又川に架かる、見るからに危なっかしい橋。 これはもう、行くしかない。 この橋の行き先は小又川の小さな中州である。 林となった中州の中には一棟の作業小屋が建っているが、ここの主以外は、おそらくこれまで渡ったことがないであろう橋だ。 県道からの降り口に

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-100>100本目のレポにて、橋の原点を知る
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第94回 JR釜石線 陸中大橋駅

    個人的に大好きな街、釜石。 道路も面白いし、鉄道も面白い、鉱山(ヤマ)も面白いといった感じで、私の冒険心をいつ何時でも刺激してくれるこの街の、愉快なスポットの一つを、紹介しよう。 内陸側から釜石へと鉄道で足を踏み入れたときの玄関口となる、JR釜石線の陸中大橋駅である。 と同時にここは、かの釜石鉱山の積み出し駅としても栄えた場所であり、当時の沿線では釜石駅に次いで活気溢れる駅だったという。 その今を、お伝えしよう。 もしあなたがこの陸中大橋駅で列車から降りたとする。 そのとき、駅の出口をくぐって最初に見る駅前の景色は、おそらくあなたの想像していた通りの景色だろう。 前提としては、あなたが釜石について、既に廃山になっているという最低限の事前情報を持っていた場合だが。 駅前には、もう二度と満車になることがないのではないかと思えるような、奇妙に広く、しかも未舗装の駐車場がある。 その先には大橋地区

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-94>巨大鉱山の玄関口
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第91回 下山隧道

    2006年2月11日、私はかなり久々の体験をした。 その体験とは、廃隧道を発見するというもの。 いやいや、廃隧道自体は毎年たくさん発見しているのだけれど、今回の発見は、正真正銘の発見。 つまり、事前情報一切無しの、ラッキーパンチ、まぐれ発見というわけ。 思えば、一昔前なら山チャリで適当に走り回っているうちに廃隧道を発見するという体験はそこそこあったが、当然一度発見した隧道を二度発見できるわけもなく、しかも「全国隧道リスト」などという強力な事前情報を手に入れてしまうに至り、道路隧道に関してはほぼ、まぐれ発見というのが無くなって来ていた。 そんな最中、既に通ったことのある道で今まで気が付かなかった廃隧道を発見したのだから、まだまだ油断は出来ぬと気を引き締めた次第なのである。 そんな発見劇の舞台は、州最大の街、岩泉。 国道340号線と455号線の重要区間内でのまさかの発見であった。 今回の発見

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    秋田市市民の皆様、おまたせしました?! もしあなたが秋田市に子供の頃から住んでいる方なら、まず一度は絶対に登っていると思われる、太平山は旭又口。 秋田市を見下ろす海抜1176mの太平山は、市民歌を始め、市域の学校校歌でも多くが謳っている。 そんな市民なじみの山である太平山の、最もメジャーな登り口である旭又口までは、秋田市中心部から約25km。 僅かに未舗装が残る林道の終点には、巨大な駐車場があり、学校登山の大型観光バスもよく停まっている。 ここに、秋田県内はおろか、日中を見ても最大級の、林鉄用のインクライン跡がある。 これを聞いて、「あっ アレね!」そう相づちを打つ方、 そう、アレである。 「登っているはずなのに分からないな~」という方、安心して欲しい。 私も、つい最近まで そうだった。 来るたびに少しずつだが変化のある、旭又登山口の様子。 橋を渡って正面の急な階段に進むのが、正規のルー

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-87>30万市民が通う巨大林鉄遺構
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    写真の滝は「老不知の滝」といい、昭和52年指定の「新観光秋田三十景」にも選ばれている。 場所は、秋田県北秋田郡上小阿仁村の南沢にあり、国道285号線からは一瞬だけ、小阿仁川の対岸の崖に落ちる優美な姿が見える。 この滝をよく見たければ、国道に並行する旧国道を通ると良い。 平成になってから国道が代替わりして、滝の向かいにあるドライブインが廃業。 いまは、至って静かな場所になっている。 国道に見限られ、廃業してしまった巨大なドライブインは、独特の三角屋根の大豪邸。 住宅としてだけ今は使われているようだ。 かつて、ドライバー達にひとときの憩いを与えていた庭園も、併設されていた釣り堀も、老い知らずの滝の前で、朽ちることなく残っている。 初めて格的な雪が降った日、たまたまここを通りかかった私は、以前から知っていた滝とは別に吊り橋を発見した。 そして、車を付近に停め、その吊り橋へと近づいていった。 無

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    三陸海岸は日を代表する巨大なリアス式海岸であり、北東北三県の太平洋に臨む海岸線の半分以上は、険しい断崖絶壁となっている。 その北部に位置する陸中海岸の中心的観光地である北山崎は、岩手県下閉伊郡の田野畑村を中心に、南は岩泉町、北は普代村に繋がる、日一の大絶壁海岸である。 その核心部分においては、海岸線から200mも一気に迫り上がる崖が南北8kmも続いている。 一帯の余りにも険しすぎる海岸には、今日に至るまで開発の手が殆ど及ぶこともなく、原始のままの姿にある。 断崖の下に僅かに点在する砂浜には小さい漁港が散見されるが、津波の危険を避けるため定住する者はなく、集落は主に海岸線から100m以上も高い台地上に点在している。 そして、集落と漁港を結ぶ為の道が多く存在するのに対し、海岸線を縦貫する様な道は地形的に無理があり、殆ど存在しない。 あったとしても、その多くは海岸から少し離れた、台地上を迂回

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    以下、事中には読まぬ事。不快な思いをしても責任持ちません。 秋田県の北都大館市から青森県碇ヶ関村に越える矢立峠、現在の国道7号線筋には、多くの廃モノが点在しており、さながら廃.Stの様相を呈しているわけだが、その代表的なモノは、まずは以前レポでも取り上げた「奥羽線旧線」である。 秋田県側から青森県に至まで線上に点在する廃モノを探索をしていると、自然と他にも、いろいろな廃が目に入ってくる。 例えば、相乗温泉(←おっと!最近遂に取り壊されて、一部老人保養施設として復活してるぞ!)や、国鉄廃隧道の前に立ち並ぶ廃ロッジ群、それに、国鉄廃アーチの上に建つ廃モーテルなど…。 って、なんか国鉄旧線の廃が空気感染してしまったような矢立峠の廃モノ群であるが、 なんだ、青森県側にばかりあるじゃねーか。 ダセーな、青森。 と、ついこの前までほくそ笑んでいた。 しかし… 秋田県側にもあたーよ… 国道7号線を大

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    全長94.2kmの秋田内陸線は、全国屈指の長さを誇る第三セクターの私鉄である。 秋田県の内陸部を観光の街 角館から北秋経済の古顔である鷹巣まで敷かれた鉄路は、全長5700m近い十二段トンネルをはじめ、大小のトンネルや橋梁が配される、山岳路線である。 県内でも利用者の少ない鉄道の筆頭であり、廃止の話題は随分昔から出ている。 しかし、沿線町村の足並みも揃っておらず、廃止にせよ存続にせよ、もうしばらく結論が出ることはなさそうに見える。 内陸線は平成元年に全通したばかりの比較的新しい鉄道であるが、その計画自体は大正時代にまで遡る。 もともとは、国鉄の鷹角線として計画されたが、先に着工された鷹巣側を阿仁合線と呼んでいた。 阿仁合線は昭和38年に比立内まで伸び、角館線も昭和45年に松葉まで完成したが、残り29kmの十二段峠区間の工事は、なかなか進展しなかった。 そして、国鉄整理を受け一度は全線が廃止さ

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    世界遺産白神山地の懐深く、素波里ダムより粕毛林道を10kmほど進むと、一取林道という細道が左に分岐している。 入り口には「奥素波里」と言う行き先が、古い木の標柱で案内されているが、その終点にあるものは、長い長い林鉄跡くらいなものだ。 まさに、我々オブローダーと釣り人専用道の様相を呈している。 一取林道は、荒れたダートで、乗用車ではヒヤヒヤする場所が多いが、入り口から2.5kmほどで、写真の吊り橋が林道脇に現れる。 これより先林道は間もなく終点の広場となる。 この日、粕毛林鉄の源流部踏査のため、初めてここへ入山した我々、私とパタリン氏くじ氏の3名による合調隊は、威容を誇る吊り橋に釘付けとなった。 特に私は、たまらなく惹かれるものがあった。 錆が浮き触るのも憚られるような鉄製のタワーが、林道の路肩に立っている。 メインケーブル2は林道の頭上を跨ぎ、のり面の岩盤へ打ち据えられている。 もとより

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    国道342号線は、秋田県横手市と宮城県吉郡津山町(現:登米市)を繋ぐ、全長約170kmの一般国道である。 道中、秋田と岩手の県境には栗駒山が横たわっており、国道は須川【すかわ(地名)】峠にて海抜1100m以上をもって、これを克服している。 その長大難渋な峠道の岩手県側麓にあたるのが、一関市の真湯【しんゆ(地名)】温泉であり、近接する最奥集落の祭畤【まつるべ(地名)】である。 この祭畤地区で鬼越沢川を跨ぐ場所には、現在昭和52年開通の祭畤大橋が架橋されていて、一跨ぎである。 同様に、祭畤と真湯温泉との間にも、同年開通の真湯大橋が、巨大なアーチで磐井【いわい】川を跨いでいる。 このうち祭畤大橋の下に、一見して道が通じていないような別のトラス橋が存在していることが、読者情報として寄せられた。 今回はこの正体に迫ってみよう。 実は今回は、いつもながらの山チャリではない。 私の傍らに、愛車である

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-79>読者から寄せられた情報を元に…。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    二ッ小屋隧道は明治14年に開通した、万世大路に三つあった隧道の一つである。 このうち、最も米沢側の苅安隧道は昭和改築時に開削され、峠の栗子隧道は国道として昭和41年まで改築使用されたが、旧化して程なく大落盤により閉塞し現在に至る。 万世大路時代の隧道で、唯一通り抜けが可能なのが、この二ッ小屋隧道である。 その延長は、387m。 当初は素堀りであったが、昭和9~11年の大改築工事を経て、車道規格の隧道となっている。 廃止されて40年近くを経ているが、現役末期には内壁の覆工や路面舗装などの2次改修も施されたようで、内部だけを見れば、現代的なトンネルの様相を呈している。 その剥離崩落等の綻びは、年代相応と言えるが。 この二ッ小屋隧道が掘られた場所は、福島市街から小川に沿って奥羽山脈の一座である葡萄沢山を目指してきた万世大路が、この稜線はひとつの隧道では潜りきれるものでないと見るや、おもむろに北西

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-73>万世大路 もう一つの工事用道路
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 旧鳥坂大橋 

    確か今年の8月7日だったと思うが、ミリンダ細田氏から電話がかかってきた。 そのときの彼の興奮ぶりと来たら、暑い盛りでぼうっとしていた私にとっては唐突すぎて、訳が分からなかった。 だが、よくよく聞いてみると… どうも彼はまた、見つけてしまったらしい。 彼自身が愛して止まない、恐ろしい廃橋を。 なんでも、この電話の前に一人で行って見てきたが、 あまりの恐ろしさで、渡れるのかどうかを確かめもせずに逃げ帰ってきた…(人談) らしい。 話の経緯は、以下の通りだ。 彼の地道な聞き取り調査が実を結び、森吉森林鉄道の「3号橋梁」を撤去した業者が判明したという。 そのことも初耳だった(遊覧船航路の安全確保のために平成9年に撤去されたことは知っていたが、具体的な担当者や工事方法は長らく謎だった)のだが、 彼はその日のうち(つまり当日)に、さっそく撤去工事を担当した地元の某建設会社への“取材”を敢行。 「3号

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-19>細田氏プロデュースによる“秋田の廃橋探索”シリーズ 第3弾。