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2010年6月4日のブックマーク (21件)

  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) 

    見えるのに、 どうやっていくのか分からない。 これから紹介する橋は、出会いの段階でまずその印象を非常に強く持った。 それは、オブローダーにとって最も甘美な刺激である。 なにせ、そんな場所にはもう、辿り着くだけでオブローダーは大満足なのだから。 その上に、歴史技術の味付けが加わったとすれば、それはもう千人力。 最上級の“廃道物件”という感想も、遠くはない。 【周辺図(mapion)】 橋は、公開済みの「道路レポート 牛岳車道 第2回」の終盤で存在が発見され、「第3回」の前半で、同日中の接近・攻略を断念している。 その流れを先にご覧頂いた方が当レポートは理解しやすいはずだ。 この「前説」はそれを踏まえて、国道471号から遠望可能な姿を再掲載するに留める。 その後に、具体的な接近・攻略の方策をプラニングしてみよう。 青い湖面の双竜湖は、日最古の格派ダムである「小牧堰堤(ダム)」が昭和5年

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-20>見えるのに、どうやっていくのか分からない。
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 旧鳥坂大橋 

    確か今年の8月7日だったと思うが、ミリンダ細田氏から電話がかかってきた。 そのときの彼の興奮ぶりと来たら、暑い盛りでぼうっとしていた私にとっては唐突すぎて、訳が分からなかった。 だが、よくよく聞いてみると… どうも彼はまた、見つけてしまったらしい。 彼自身が愛して止まない、恐ろしい廃橋を。 なんでも、この電話の前に一人で行って見てきたが、 あまりの恐ろしさで、渡れるのかどうかを確かめもせずに逃げ帰ってきた…(人談) らしい。 話の経緯は、以下の通りだ。 彼の地道な聞き取り調査が実を結び、森吉森林鉄道の「3号橋梁」を撤去した業者が判明したという。 そのことも初耳だった(遊覧船航路の安全確保のために平成9年に撤去されたことは知っていたが、具体的な担当者や工事方法は長らく謎だった)のだが、 彼はその日のうち(つまり当日)に、さっそく撤去工事を担当した地元の某建設会社への“取材”を敢行。 「3号

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-19>細田氏プロデュースによる“秋田の廃橋探索”シリーズ 第3弾。
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 菖蒲大橋 

    全長150mの廃木橋が 秋田県内にあるらしい。 これは、秋田県在住の盟友ミリンダ細田氏が仕入れていて、秋田へ帰った私に教えてくれた情報だ。 当然、我々はそこへ行くことになった。 はたして、現存すれば自己最長ともなりうる「全長150mの廃木橋」は、いかなる姿を晒していたのか。 つか、150mってマジ?  ただ事でないぜ?? 2009/7/1 4:16 ここは、我々の自宅がある秋田市から65km南に位置する南由利原高原。 細田氏が運転する車は、まだ日の昇らぬ薄暗い現地に到着。 明るい時間だと、人に見られる危険がある。 そんな後ろめたい判断から、この時間を選んだのだった。 ちなみに、細田氏はこの探索の後に普通に勤めに出るという。 細田氏も現地へ来るのはこれが初めてらしい。 車の入れない道を歩き始めるが、最初のうち我々は迷ってしまった。 細田氏は、秋田魁新報(秋田の地方新聞)の紙面に細田氏がこの廃

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-18>細田氏プロデュースによる“秋田の廃橋探索”シリーズ 第2弾。
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 旧稲又川橋 

    そんな物があるのかというのは置いておくとして… またひとつ、 廃橋梁の殿堂入り しそうな橋が発見された。 ネタ元は、mixi内の “山行がコミュ”(管理人:いし氏)だ。 あそこの「最近」トピックは意外なネタの穴場で、私も密かに(密かである必要性は謎?)利用させて貰っているが、そこに先日「明日、栖湖集合!(以下、情報提供者)」さんが 「結構、衝撃的な…橋梁です。見に行かれるなら早めがいいと思われ。」 というコメントとともに写真をアップされたのが、今回の橋である。 見た瞬間に“ニュニュニュ”っと来て、それから2週間しないうちに私は現場に立っていた。 したがって、下調べというものはほとんどしていない。 それでも「まず見てみたい!」「見なきゃ!」と思う引力が、彼の撮った1枚の小さな遠景写真にはあったのである。 【周辺図(mapion)】 その“ブツ”は、今まで近づいたことのないエリアにあった。

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-17>期間限定、廃橋最期の曲芸。
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋

    有数の観光名所である栃木県は日光。 広大な日光観光圏のなかでも特によく知られた景勝地が、華厳滝(けごんのたき)である。 大谷(だいや)川にかかる落差97mの直瀑は「日三大名瀑」に数えられる偉容を誇り、初めて目にした老若男女誰しもが感嘆の吐息を漏らす。 私は日光市の回し者ではないが、今まで自身が二度観光で日光を訪れ畏怖を持って滝を眺めた経験と、その展望台で一様に魂を抜かれたように滝を眺める群衆を目撃した経験からそう言える。 先に言ってしまうと、残念ながら今回のレポートでは天候の都合上、ナマの華厳滝は拝めなかった。 なので、華厳滝をまだ見たことがないという読者の期待には応えられないかもしれないことを、あらかじめお断りしておく。 さて、華厳の滝を実際に観覧された経験のある方ならばお分かりだと思うが、通常この滝を間近に眺める方法は一通りしかない。 それは、「華厳滝エレベーター」という有料のエ

  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 

    【広域位置図(Mapionに接続)】 とんでもない橋が発見された。 場所は岩手県の最北部、数年前までは浄法寺町といったあたり。今の二戸市福田である。 この地区を安比川とともに縦断する主要地方道二戸五日市線に、安比(あっぴ)川を渡る青海(あおうみ)橋という橋が架かっている。 問題の橋は、これの旧橋である。 現地は右の地図の通り、少なくとも2代の旧道が存在している。 ひとつは「旧青海橋」と「旧福田橋」を通っていた旧旧道で、昭和47年に現在の青海橋が架けられた時点で、今度は青海橋と旧福田橋を経由するルート(旧道)に切り替えられたようだ。 そして時期が不明だが、現在の福田橋の開通を待って旧福田橋はお役ご免となり、現行のルートになった。 今回紹介するのは、旧青海橋である。 この橋は、ちょっと尋常ではない。 10月23日、午前6時過ぎ。まだ太陽は山の陰から上ってはいない。 安比川から立ち上る蒸気によっ

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-15>とんでもない橋が発見された。
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 山形県道375号 十里塚遊佐線

    このタイトルなのに「橋梁レポート」? 何かの間違いじゃないの?? そう思われるかも知れない。 だが、この県道の近くには、是非とも紹介したい橋が2つある。 この県道、一般県道375号十里塚遊佐線は、右の地図の通りの短い路線である。 遊佐町の役場所在地である遊佐と、海岸沿いの十里塚とを結ぶ、わずか5km足らずの道だ。 だが、この道は2つの顔を持ち合わせている。 一つは西の海岸線近く、砂丘の防砂林を越える小さな峠区間。 残る東側は広大な田園風景である。 僅かばかり、遊佐の街並みの景色もある。 そして、私が紹介したい橋は、ちょうど路線の中程の江地(えち・えぢ)地区にある。 レポートは、終点である遊佐より始まる。 時は夕暮れ。 ご覧頂こう。 霊峰鳥海の南の一角を占める遊佐(ゆざ)町。 平成の大合併でも、巨大化した酒田市に呑み込まれることを回避し、観光に根ざした独自の町作りが模索されている。 鳥海山の

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-14>なぜ橋梁レポ?!
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 西会津上野尻の大廃橋

    この探索劇は、次のメールから始まった。 差出人は、498氏。 (略)阿賀川をまたぐ白い道が上野尻ダム(柴崎橋)です。ダムといっても、大きい堰という感じです。 そこより南、写真では目立ちませんが航空写真で黒っぽく写っているトラス橋があり、廃橋です。西側の橋げたが落ちています。 トラスの大きさからすると、ちょうど森林鉄道サイズに見えなくもないですが、その生い立ちはまったく不明です。 前述の知人によれば「線路ではなかった」。 私はこの廃橋がずっと気になっているのですが、インターネットで探しても全然ヒットしません。 まるで存在自体が認められていないか、箝口令がしかれているのではないかと思うほど、実に見事にスルーされています。 もし、ここに述べられているような橋が実在するとしたら、これは是非確認する必要がある。 トラス橋は非常に高価で、また耐用年数も大きな事から、そうおおく廃橋として現存する物はない

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-13>戦慄の大廃橋。
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 魔の橋 (旧松峰橋)

    秋田県、特に県の北部に長くお住まいの方ならば、1960年代に嵐のように巻き起こった『黒鉱ブーム』というのを覚えておられるだろう。 これは、当時既に秋田県第二の都市であった大館市の北部にて、銅や亜鉛を多量に含む、『黒鉱』と呼ばれる鉱石の埋蔵が発覚した事による、日版のゴールドラッシュと言える。 当時真剣に、“埋蔵量は無尽蔵”と言われた巨大な鉱床は、市街地にかなり隣接したそれまで単なる水田だった場所や、小山の地下にも埋蔵していることが明らかになり、瞬く間に一帯には大鉱山街が形成され、それまでの大館市の中心部さえ多少北側に引っ張ってくる程の勢いだった。 松峰鉱山、釈迦内鉱山、深沢鉱山、松木鉱山、餌釣鉱山などが大館市街地を取り囲むように相次いで開発され、もとより鉱山の多い地域柄もあって、秋田県北部全域を巻き込んでの大盛況となったわけである。 しかしその後、鉱業界の経済構造の変化などにより、黒鉱はな

  • 橋梁レポート 藤琴森林鉄道 高岩橋 遺構編

    これまでも、山行がでは多くの林鉄遺構を紹介してきた。 特に私の住む秋田県内の遺構を重点的に紹介してきたわけだが、探索を続ける中で、今はもうすっかり失われてしまった物がとても多いことに、「跡もう10年早く生まれていたらなぁ~」などとため息をつくことが少なくない。 県内でも最も林鉄が密にあった旧二ツ井町荷上場にも、私にそんな悔し涙を流させた、かつて「日一」を冠されていた物件がある。 それは、日一長い、森林鉄道用の橋梁である。 その橋は、高岩橋という。 それは、二ツ井営林署が昭和5年までに完成させた、藤琴森林軌道に架かる橋で、藤琴川とその左岸の耕地をまとめて跨いでいた。 さて、この橋、現役当時何メートルあったと思うだろう? 答えは、724 m である。 驚いた人、感覚的に掴めない人、色々な反応があろう。 比較対象物として、例えば秋田県内に現在ある(川に架かる)橋の中で最も長い橋を挙げると、そ

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-11>日本最長の森林鉄道橋
  • 橋梁レポート 斉内川(神成)の洗い越し

    平成17年3月に市町村合併により大仙市として再出発を果たした、秋田県仙北郡の7市町村。 その一角、奥羽山脈の西麓に位置する旧太田町と旧中仙町は、いずれも同じ悩みを長年共有してきた。 生活用水問題だ。 この2町はともに、奥羽山脈が形成する巨大な扇状地に町域のほぼ全てが含まれており、山脈から吐き出される豊富な水は大部分が扇状地特有の伏流によって、河川流量が不足する状況にあった。 農業用水こそ、世紀の大事業として昭和初期から40年代までに完工した田沢疎水(第一、第二)によって確保されたものの、住民たちの生活用水は今なお、自家用の井戸による取水が大部分を占め、しかもその安全性に近年は疑問符が出されている。 この問題の根が深いのは、つい近年まで両町の境に流れる斉内川の上流、真木渓谷に県営ダムを建設し取水する計画があり、実際に両町はそれをあてにした上水道計画を行ってきた点にある。 しかし、県ではここ数

  • 隧道探険隊

    山形県酒田市にあり最上川に架かる両羽橋は、2004年より解体工事が始められている。 計画では、3年がかりで完全に撤去されるという。 押しも押されもせぬ日海岸第一位の幹線・国道7号線にあり、50年以上もその交通を支え続けた両羽橋。 その歴史は、昭和11年に始まる。 一級国道7号線に、それまであった木橋に代わり竣工した2代目両羽橋は、当時の長大橋を象徴するワーレントラスが誇らしげな全長713.9m。 その長さは、竣工当時東北一、全国でも第6位に数えられるものであった。 戦後、交通量の増大や大型化、橋自体の老朽化など、同時期に架けられた橋の多くと同様の問題が顕在化し、さらに悪いことに、橋の南側の袂がちょうど国道47号線の起点の交差点になっていることから、致命的な渋滞に見まわれ続けた。 将来の4車線化が計画されることとなり、まずは現在使われている新・両羽橋のうち上り2車線分が、昭和51年に完成し

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-09>恐怖のスケートリンク
  • 隧道探険隊

    皆さん、八郎潟はご存知だろう。 古くは日第二の大湖として、そして、近年ではバス釣りやワカサギ釣りのメッカとして、全国的に有名である。 そして、皆さんの持つ八郎潟のイメージとはどんなものだろうか? 広い。 お米の産地。 チャリで走るとダルイ。 …これらはどれも、同感だ。 だが、広大な八郎潟の干拓によって誕生した多くの橋を、貴方はご存知だろうか? 東西12km、南北27km、周囲100kmにも及ぶ広大な八郎潟の湖畔のうち、特に湖東地区と呼ばれる東岸一帯は、もっとも古くから干拓が進められてきた部分である。 太平山系より西流する大小の河川が幾筋も湖に流れ込んでいて、その河口部にはかつての湖岸に沿うように小さな集落が点在している。 最近は町村合併の嵐が吹き荒れてきているとはいえ、現時点では小さな町が犇くように隣接している。 今回、湖東を南から北へと辿ってみた。 起点となった昭和町大久保は、一時期私

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-08>農魂尽きたる地
  • 橋梁レポート

    山形・宮城の両県と接する秋田県雄勝町。 町役場のある横堀地区から南へ約10kmほど国道108号線を進み、沿道を流れる役内川を2度目に跨ぐのが、川井橋である。 ちょうどこの場所は主要地方道73号線との分岐になっているが、その交差点の脇に巨大なコンクリートの構造物が建っている。 白いペンキが全体に塗られ、一体何のモニュメントかと思うかもしれないが、これは、平成四年まで現役で利用されていた橋の残骸なのだ。 その橋の残骸の一部が、ここで放置、いや、保存されているのである。 近づいてみるとかなりデカイ。 そして、それは単純な橋桁ではなく、奇妙といってよいなんとも特徴的な外観である。 全体はコンクリートで出来ており、非常に肉厚な印象。 現代的な姿では到底無く、まるで城砦の一部のよう。 地肌の上にそのまま置かれており、その気になれば橋上に立つ事も出来るので、上ってみた。 時刻は午前5時前で夜明けはもう少

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-07>蘇った橋
  • 隧道探険隊

    1996年の国道108号線鬼首道路の開通は、明治より秋田と仙台を結ぶ最短ルートとして開発されてきた歴史を持つ同路線が、初めて名実共に仙秋の最短路線になった瞬間であった。 その後、予想通り交通量は増大し、多大な経済効果をあげている。 沿線には鬼首道路開通どころか、一時改築以前の旧道も、かなり残されている。 とくに、鳴子町の荒雄湖畔の国道を注意深く走っていれば、今では利用されなくなり自然に還りつつある橋が散見される。 今回、全くの事前調査もなく、思いがけず古橋達に出会ったので、現地で知りえた以上の情報はお伝えできないし、まだまだ見落とした古橋・廃橋もあろうかと思う。 それらについては、皆様からの情報に頼りたい。 2003年4月上旬、鬼首道路は年中通行できるのだが、旧峠はまだまだ背丈よりも高い積雪の下である。 私にとっても、この鬼首峠は、便利な新道の開通を素直に喜べる場所の一つである。 その鬼首

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-06>歴史の道に残る橋たち
  • 隧道探険隊

    県南沿岸部の唯一の市、荘市。 市を南北に縦貫する子吉川の左岸に市街地は集中しており、右岸は田畑や山野が主だ。 難読知名に数えられる「二十六木(とどろき)」地区にかかる橋は、そんな対照的な両岸を結ぶ。 現在、新二十六木橋が国道107号線に供されており、昼夜を問わず通行量が多い。 しかし、元来の二十六木橋は、国道の橋の100mほど北側に架けられたものであり、これは現橋からもよく見える。 この、元祖、二十六木橋が旧道となってから、もうかなりの年月がたっていると思うが、幸いにして、この橋は未だ現役である。 驚きの、昭和8年竣工。 県内最古級の現役橋の今を、お伝えしよう。 荘にて輪行を解いた私は、一路横手市へ向け、国道107号線の主要な旧道のトレースを開始した。 そして、この日の私にとって、最初の旧道となったのが、子吉川を渡る、二十六木橋であった。 橋の200mほど手前で、写真のように現道と別れ

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-05>静かな余生を送る、県内最古級の長大橋。
  • 隧道探険隊

    今回は、左の地図で示した「雄物新橋」が主役である。 私の住む秋田市に、この橋はある。 名は、「雄物新橋」という。 橋長 416m 竣工 昭和38年11月 そう、“新”橋とはいっても、この橋は古い。 この雄物川河口部には並んで3の道路橋が掛かっているが、昭和9年竣工とダントツに古かった「秋田大橋」が2001年度に遂に架け替えられたことで、この橋が、最古橋ということになってしまった。 そして今、この橋が大変なことになっている! 2002年9月、現状を視察してきた。 実は、上記の前置きには少しうそがある。 この橋が陥っている“大変な事態”のことは、この走行時には知らなかったのだ。 ただ、何やらただならぬ雰囲気になっていたので、写真を多数撮り、帰宅後、秋田魁新報のサイトを検索してみたところ…、この橋の置かれてる状況を正確に把握したというのが、実のところだ。 以下では、私が現場で感じたことをメイン

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-04>満身創痍! なんとかしてやって!!
  • 秋田小橋

    この風変わりな名前の橋、そのまま「あきたこはし」とよむ。 ついこの前までは、主幹国道7号の通う橋であった。 竣工は、昭和13年。 歴史あるこの橋の上には、バス停があった。 そのバス停の名は、「秋田大橋」。 河口間近の太い雄物川を一跨ぎにする長大な秋田大橋、その隣に、ちょこんと。 大橋の隣にある、小さな小さな橋。 だから、それは、秋田小橋。 この小橋は、もともとが、川に架かったものではなかった。 通うのは、単線の鉄路。 羽越線の工業用支線である。 しかもそれは遠い昔に廃止されていた。 長く、草生した小さな溝を越えるためだけに、そこに在り続けた、けなげな小橋は、 ついに、その生涯を静かに終えたのだった。 21世紀初めの年の出来事である。 老朽化した秋田大橋の架け替えの情報を聞いた時から、私は、この小橋の安否が気がかりだった。 新しい大橋の供用が開始され、旧橋がまもなく撤去されると聞いた200

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-03>マイナーなまま生涯を終えた、跨線橋。
  • 秋田大橋

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-03>昭和初期から秋田の交通を支えてきた橋の、最期。
  • 隧道探険隊

    この写真。 なにやら、時代錯誤な景色であるが、紛れも無く、先日の景色である。 一応、今回の主役は、明らかに古臭いこの橋なのだが、奥に写る巨大な工場。 この迫力には、かなりマイッタ。 一目見た瞬間に、もう、私は骨抜きにされてしまった。 一目ぼれというやつである。 奥に写る沢山の建物は全て同じ敷地無いにあるものなのだが、一際目立つ正面の工場は、一見して廃墟かと思った。 その全体が赤錆に覆われ、その屋根の上の一部は草地と化してさえあった。 さすがに、これで現役とは思えない。 そう思ったのだが、周辺の工場は、稼動しているようであり、これでも現役なのかもしれない。 手持ちの地図には何の施設も描かれていない一角に、この工場群を含め、国道を挟んで反対側にも、同規模の巨大な工場があった。 こんな内陸の、山間の地に、なぜこれほどの巨大工業地帯が形成されているのか、甚だ疑問である。 ともかく長い歴史を持つ工場

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-02>何ゆえ残るか? 鋼鉄巨大橋梁跡
  • 橋梁調査隊

    私の住む秋田市に、相当に古い起源を持ちそうな橋を見つけたので、報告します。 いかにも、年季の入ったこの名前「伽羅橋」は、珍しいものと思ったが、Googleで検索すると、実は結構全国にあるものらしい。 ちなみに、この読み方は、あとの写真を見てもらえればわかると思います。 では、昭和15年に改修されたと言う、現在の伽羅橋をご覧ください。 写真上にポインターを置くと、説明文が表示されます。 この橋があるのは、かつて羽州街道と呼ばれた道筋で、現在は、秋田市道に組み込まれている。 秋田市民には国道7号の旧道がいまも“新国道”と呼ばれているが、それに対する“旧国道”と呼ばれる、現道から見れば旧旧道といえる道の、さらに旧道だ。 ようは、旧旧旧道というわけだ。 近くには中世の城柵跡である秋田城址を始め、多くの史跡が残る地域でもある。

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-01>いつからあるのかこの橋は??