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国道7号に関するyamaigaのブックマーク (6)

  • 隧道探険隊

    山形県酒田市にあり最上川に架かる両羽橋は、2004年より解体工事が始められている。 計画では、3年がかりで完全に撤去されるという。 押しも押されもせぬ日海岸第一位の幹線・国道7号線にあり、50年以上もその交通を支え続けた両羽橋。 その歴史は、昭和11年に始まる。 一級国道7号線に、それまであった木橋に代わり竣工した2代目両羽橋は、当時の長大橋を象徴するワーレントラスが誇らしげな全長713.9m。 その長さは、竣工当時東北一、全国でも第6位に数えられるものであった。 戦後、交通量の増大や大型化、橋自体の老朽化など、同時期に架けられた橋の多くと同様の問題が顕在化し、さらに悪いことに、橋の南側の袂がちょうど国道47号線の起点の交差点になっていることから、致命的な渋滞に見まわれ続けた。 将来の4車線化が計画されることとなり、まずは現在使われている新・両羽橋のうち上り2車線分が、昭和51年に完成し

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-09>恐怖のスケートリンク
  • 秋田小橋

    この風変わりな名前の橋、そのまま「あきたこはし」とよむ。 ついこの前までは、主幹国道7号の通う橋であった。 竣工は、昭和13年。 歴史あるこの橋の上には、バス停があった。 そのバス停の名は、「秋田大橋」。 河口間近の太い雄物川を一跨ぎにする長大な秋田大橋、その隣に、ちょこんと。 大橋の隣にある、小さな小さな橋。 だから、それは、秋田小橋。 この小橋は、もともとが、川に架かったものではなかった。 通うのは、単線の鉄路。 羽越線の工業用支線である。 しかもそれは遠い昔に廃止されていた。 長く、草生した小さな溝を越えるためだけに、そこに在り続けた、けなげな小橋は、 ついに、その生涯を静かに終えたのだった。 21世紀初めの年の出来事である。 老朽化した秋田大橋の架け替えの情報を聞いた時から、私は、この小橋の安否が気がかりだった。 新しい大橋の供用が開始され、旧橋がまもなく撤去されると聞いた200

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-03>マイナーなまま生涯を終えた、跨線橋。
  • 秋田大橋

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-03>昭和初期から秋田の交通を支えてきた橋の、最期。
  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道7号旧線 笠取峠

    笠取峠。 ここは日最大級の遊歩道網である「新奥の細道」に指定されている、現役の遊歩道である。 そして、その入口近くにある案内板には、次のように説明書きがある。 (抜粋) 笠取峠は、旧羽州浜街道のうち山浜通りである三瀬村より小波渡村までの山路で、昔、旅人が峠を越えるときかぶっていた笠が、日海より吹き上げる強風で顔に結んでいたひもを残してとられることから名付けられたと言われています。 この道筋が地図に描かれている事は前から知っていたのだが、このような説明書きがあることから、これは古い時代の道筋であって、平行する国道7号線の旧道は別に存在する物と考えていた。 しかし、東北建設協会の発行する『語り継ぐ道づくり~東北の直轄国道改修史[国道6号・7号]』によると、そうではなく、昭和36~39年に行われた三瀬~小波渡間の一次改築工事より前には笠取峠が国道だったらしい。 半信半疑の気持のまま、私は地図

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道7号旧線 三崎峠

    北日の環日海交通のメーンルートである国道7号線(新潟~秋田~青森間)。 この道が山形県と秋田県の境で越える峠が、三崎峠である。 だが、現在の国道を車で走る限り、県境を示す巨大な標識さえ無ければ、そこがかつて難所と呼ばれた峠であることは窺い知れないだろう。 この三崎峠の沿革を簡単に述べれば、国道7号線の前身であるところの藩政時代以前の羽州浜街道に端を発する。 当時の道は海岸線に近い位置を通っており、かの俳聖松尾芭蕉も「奥の細道」紀行で通った道であるが、明治期に入って馬車交通の要請には応えらぬ難路であったという。参考写真:三崎峠の旧街道(歩道) この道は当時の雰囲気を残した遊歩道となっており歩くことが出来る。 そして、この峠に文明開化をもたらしたのは、またしてもこの男。初代山形県令三島通庸である。 彼は、これまで山行がでも繰り返しその業績を(文字通り)辿ってきたわけだが、秋田山形両県間の交

  • ルートレポート

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