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栃木県と<ミニレポート>に関するyamaigaのブックマーク (7)

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第155回 日光市日向の旧竹ノ上橋 

    2008/5/4 15:06 《現在地》 ここは栃木県道23号川俣温泉川治線の途中、日光市日向の一角である。 いまでもまだ旧栗山村の名前で呼んだ方が通りが良いかもしれない(2006年に日光市と合併)。 写真は西を背にして撮影しており、正面にそびえる大日向山(1176m)の左側が日向、右側が日蔭というふうに地名が分けられている。 そしてそこから真っ直ぐ降りてきた境界線は、この場所のすぐ右側を通って背後に通じる。 それでは、この右側には何があるのかというと…。 ちょっと古風な吊橋主塔があった。 しかも主索が張られたままになっていて、空き地の中に確固たる意志を持ってアンカーされている。 それなのに、入口に空気を読めない重機が停まっていて、橋の先を見通すことは出来ない。 ともかくこの橋は鬼怒川に架かる橋で、鬼怒川を挟んで日向と日蔭という2つの大字が、つまり明治22年町村制施行前の日向と日蔭の2つの

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-155>陰陽あい結ぶ橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第140回 五十里湖の伝説と4本の橋 

    ※このレポートは、ミニレポ第139回の続きですので、先にご一読下さい。 2008/5/4 7:17 【現在地(マピオン)】 関東地方と東北・会津地方を結ぶ幹線である国道121号は、日光市北部の五十里(いかり)湖で、その両岸に分かれた後に再びひとつに戻るという経路を持っている。 案内標識にあるとおり片方は旧道なのであるが、平成16年に新道が全線開通してからも国道の指定を外されていない。 そしてもちろん、問題無く通り抜ける事も出来る。 そして南から来たとき旧道の入口になるのが、この優美なアーチのシルエットを誇る橋である。名を海尻橋という。 橋長117mの婉美な単スパンで、真っ青な水を深く湛える五十里湖を跨ぐ海尻橋。 四季折々の山河に見事に溶け込んだその姿は、通行する者だけでなく、現国道を素通りする者の目を楽しませることさえ惜しまない。 まさに、国道121号の旅を魅力的にする名脇役として、私の

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    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-140>六左の正体は、廃道の奥に!!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第139回 栃木県道249号黒部西川線 五十里湖畔の旧道 

    【周辺の地図を表示(別ウィンドウ)】 鬼怒川上流の男鹿川を堰き止めた巨大な人造湖、五十里(いかり)湖。 江戸から50里(約200km)の位置にあるこの湖の湖畔には、ダム湖畔には珍しい旧道が多く存在している。 それは、このダムがかなり古くからここにあるということを意味している。 事実、五十里ダムは昭和31年の完成と、利根川水系では最古参に類するダムであり、戦前、というか大正時代から既に着工されていた点に特色がある。 編に繋がる続編「ミニレポ140回」で詳しくは触れるが、この五十里という地は、当にダムと縁の深い場所なのである。 …まるで、「水没すべし」という呪いでもかかっているかのようにね…。 以前、「ミニレポ135回」でこの五十里湖畔の古い旧国道を紹介したが、今回はそれよりも新しく、平成14年に廃止された「旧県道」を紹介する。 右の図で赤い太線で示した部分がその区間で、これだけを見ると

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    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-139>不思議な名前の橋達
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第135回  国道121号 五十里トンネル旧道

    【周辺の地図を表示】 国道121号の五十里(いかり)湖付近は、旧道・廃道の宝庫である。 ここには鬼怒川から男鹿川に繋がる長大な縦谷が奥羽山脈と帝釈山地に挟まれる形で走り、古くから会津地方と関東を結ぶ重要な交通路となってきた。 五十里の名前も江戸日橋から数えて50里(おおよそ200km)の位置にあったことにちなむものである。 しかしもとより深く険しい谷筋に沿う道であったから、洪水や山崩れによってたびたび道は付け替えを余儀なくされてきたし、その都度生き残る道は一だけだった。 しかし、この谷筋から人の往来が途絶えることは一度としてなかった。 近年においても、この界隈の道の付け替えは盛んに行われている。 例えば、昭和31年に利根川水系で最初の多目的ダムとして完成した五十里ダムは、歴史ある旧道を大量に湖底へ持ち去った。 この時に谷底から山裾へと移された道は国道121号となり、その後も改良が繰り返

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    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-135>何の変哲もない… 廃道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第132回 竜王隧道旧道

    今夜の更新は、宮城県白石市の新幹線駅近くのホテルの一室からお送りする。 あるアルバイトをするために来ているので、しばらくは自宅に戻れない。 慣れないノートパソコンのキーボードは打ちづらいしモニタも狭いし明日は早いしで、三重苦であるが、ちょっとがんばってみたい。 いろいろと見苦しいかも知れないが、帰宅するまで大目に見てください(笑)。 このネタは、昨日ここへ来る途中ちょっと寄り道した、まさにもぎたての新鮮素材だ。 場所は栃木県日光市藤原。数年前までは藤原町であった川治温泉と鬼怒川温泉との境の辺りの、竜王峡と呼ばれている辺り。 ⇒【所在地】 ここで私は、国道121号の旧道とおぼしき、ごく短距離…200m程度…の旧道を発見。 チャリを使って踏査を試みた。 そこで、明治の古地図にも描かれていない“奴”と出会った。 この場所は前述の通り竜王峡と呼ばれていて、鬼怒川の蛇行する渓谷のだいぶ高い縁を国道は

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    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-132>臨時更新@宮城県白石の夜
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第131回 鶉橋遺構

    先日、私ははじめて栃木県栃木市の土を踏んだ。 もちろん山チャリ目当てだったのだが、その道すがら奇妙な橋に出会う。 場所はこの辺りだ。⇒【所在地】 まず目に付いたのがこの親柱。 御影石製の立派なものである。 すり切れるように角の欠けた姿には、足尾山地が吹き下ろす砂塵混じりの季節風に耐え抜いてきた、そんな風格を感じる。 古色を示すように堂々と達筆に刻まれた橋名は… 鶉(うずら)橋 恥ずかしながら、現地では読めなかった…。 道を挟んで対になる親柱も健在。 こちらも古い字体の気難しげな文字が、4文字刻まれている。 元縣廳堀 明治っぽい臭いがプンプンするが、こっちは読めた。 「元県庁堀」…つまり、この鶉橋が架けられている川の名前である。 現存する親柱はこの2のみである。 だが、橋自体も現存存在している。 うわっ… これはひどい…。 いろいろとツッコミどころ満載な感じなのだが、親柱の存在感に対して添

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    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-131>奇妙な親柱の語ること
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第126回 国道122号 沢入トンネル旧道

    【周辺地図】 【拡大図】 渡良瀬川に沿って関東平野と日光を結ぶ国道122号の大部分は、江戸時代後期に、江戸と足尾銅山を結ぶ銅街道(銅山街道)として切り開かれた道をもとにしている。 牛馬が重い鉱石を背に幾つもの尾根と谷を越えて往来した難路に沿って、明治末から鉄道が延ばされ、大正元年には群馬県の大間々(現:みどり市)から栃木県足尾(現:日光市)まで開通した。 さらに、昭和一桁台後半には、従来の銅山街道を大幅に改良して自動車道が建設された。 昭和38年には二級国道122号日光東京線に指定され、狭隘であった谷沿いの道は各所で改良された。 昭和51年には沿線に大規模な草木ダム(群馬県東村、現:みどり市)が完成し、一般国道122号と改称されていた路線にも水没区間が生じた。 また長い歴史を誇る足尾鉱山も観光鉱山として生まれ変わった。 現在の国道122号は、かつての路線名の示すそのままに関東と日光を最短

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    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-126>記念された片洞門
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