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2005に関するyamaigaのブックマーク (48)

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    秋田市市民の皆様、おまたせしました?! もしあなたが秋田市に子供の頃から住んでいる方なら、まず一度は絶対に登っていると思われる、太平山は旭又口。 秋田市を見下ろす海抜1176mの太平山は、市民歌を始め、市域の学校校歌でも多くが謳っている。 そんな市民なじみの山である太平山の、最もメジャーな登り口である旭又口までは、秋田市中心部から約25km。 僅かに未舗装が残る林道の終点には、巨大な駐車場があり、学校登山の大型観光バスもよく停まっている。 ここに、秋田県内はおろか、日中を見ても最大級の、林鉄用のインクライン跡がある。 これを聞いて、「あっ アレね!」そう相づちを打つ方、 そう、アレである。 「登っているはずなのに分からないな~」という方、安心して欲しい。 私も、つい最近まで そうだった。 来るたびに少しずつだが変化のある、旭又登山口の様子。 橋を渡って正面の急な階段に進むのが、正規のルー

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-87>30万市民が通う巨大林鉄遺構
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    写真の滝は「老不知の滝」といい、昭和52年指定の「新観光秋田三十景」にも選ばれている。 場所は、秋田県北秋田郡上小阿仁村の南沢にあり、国道285号線からは一瞬だけ、小阿仁川の対岸の崖に落ちる優美な姿が見える。 この滝をよく見たければ、国道に並行する旧国道を通ると良い。 平成になってから国道が代替わりして、滝の向かいにあるドライブインが廃業。 いまは、至って静かな場所になっている。 国道に見限られ、廃業してしまった巨大なドライブインは、独特の三角屋根の大豪邸。 住宅としてだけ今は使われているようだ。 かつて、ドライバー達にひとときの憩いを与えていた庭園も、併設されていた釣り堀も、老い知らずの滝の前で、朽ちることなく残っている。 初めて格的な雪が降った日、たまたまここを通りかかった私は、以前から知っていた滝とは別に吊り橋を発見した。 そして、車を付近に停め、その吊り橋へと近づいていった。 無

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-85>山行が特選怪奇譚シリーズ
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    三陸海岸は日を代表する巨大なリアス式海岸であり、北東北三県の太平洋に臨む海岸線の半分以上は、険しい断崖絶壁となっている。 その北部に位置する陸中海岸の中心的観光地である北山崎は、岩手県下閉伊郡の田野畑村を中心に、南は岩泉町、北は普代村に繋がる、日一の大絶壁海岸である。 その核心部分においては、海岸線から200mも一気に迫り上がる崖が南北8kmも続いている。 一帯の余りにも険しすぎる海岸には、今日に至るまで開発の手が殆ど及ぶこともなく、原始のままの姿にある。 断崖の下に僅かに点在する砂浜には小さい漁港が散見されるが、津波の危険を避けるため定住する者はなく、集落は主に海岸線から100m以上も高い台地上に点在している。 そして、集落と漁港を結ぶ為の道が多く存在するのに対し、海岸線を縦貫する様な道は地形的に無理があり、殆ど存在しない。 あったとしても、その多くは海岸から少し離れた、台地上を迂回

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    以下、事中には読まぬ事。不快な思いをしても責任持ちません。 秋田県の北都大館市から青森県碇ヶ関村に越える矢立峠、現在の国道7号線筋には、多くの廃モノが点在しており、さながら廃.Stの様相を呈しているわけだが、その代表的なモノは、まずは以前レポでも取り上げた「奥羽線旧線」である。 秋田県側から青森県に至まで線上に点在する廃モノを探索をしていると、自然と他にも、いろいろな廃が目に入ってくる。 例えば、相乗温泉(←おっと!最近遂に取り壊されて、一部老人保養施設として復活してるぞ!)や、国鉄廃隧道の前に立ち並ぶ廃ロッジ群、それに、国鉄廃アーチの上に建つ廃モーテルなど…。 って、なんか国鉄旧線の廃が空気感染してしまったような矢立峠の廃モノ群であるが、 なんだ、青森県側にばかりあるじゃねーか。 ダセーな、青森。 と、ついこの前までほくそ笑んでいた。 しかし… 秋田県側にもあたーよ… 国道7号線を大

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    全長94.2kmの秋田内陸線は、全国屈指の長さを誇る第三セクターの私鉄である。 秋田県の内陸部を観光の街 角館から北秋経済の古顔である鷹巣まで敷かれた鉄路は、全長5700m近い十二段トンネルをはじめ、大小のトンネルや橋梁が配される、山岳路線である。 県内でも利用者の少ない鉄道の筆頭であり、廃止の話題は随分昔から出ている。 しかし、沿線町村の足並みも揃っておらず、廃止にせよ存続にせよ、もうしばらく結論が出ることはなさそうに見える。 内陸線は平成元年に全通したばかりの比較的新しい鉄道であるが、その計画自体は大正時代にまで遡る。 もともとは、国鉄の鷹角線として計画されたが、先に着工された鷹巣側を阿仁合線と呼んでいた。 阿仁合線は昭和38年に比立内まで伸び、角館線も昭和45年に松葉まで完成したが、残り29kmの十二段峠区間の工事は、なかなか進展しなかった。 そして、国鉄整理を受け一度は全線が廃止さ

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    世界遺産白神山地の懐深く、素波里ダムより粕毛林道を10kmほど進むと、一取林道という細道が左に分岐している。 入り口には「奥素波里」と言う行き先が、古い木の標柱で案内されているが、その終点にあるものは、長い長い林鉄跡くらいなものだ。 まさに、我々オブローダーと釣り人専用道の様相を呈している。 一取林道は、荒れたダートで、乗用車ではヒヤヒヤする場所が多いが、入り口から2.5kmほどで、写真の吊り橋が林道脇に現れる。 これより先林道は間もなく終点の広場となる。 この日、粕毛林鉄の源流部踏査のため、初めてここへ入山した我々、私とパタリン氏くじ氏の3名による合調隊は、威容を誇る吊り橋に釘付けとなった。 特に私は、たまらなく惹かれるものがあった。 錆が浮き触るのも憚られるような鉄製のタワーが、林道の路肩に立っている。 メインケーブル2は林道の頭上を跨ぎ、のり面の岩盤へ打ち据えられている。 もとより

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    国道342号線は、秋田県横手市と宮城県吉郡津山町(現:登米市)を繋ぐ、全長約170kmの一般国道である。 道中、秋田と岩手の県境には栗駒山が横たわっており、国道は須川【すかわ(地名)】峠にて海抜1100m以上をもって、これを克服している。 その長大難渋な峠道の岩手県側麓にあたるのが、一関市の真湯【しんゆ(地名)】温泉であり、近接する最奥集落の祭畤【まつるべ(地名)】である。 この祭畤地区で鬼越沢川を跨ぐ場所には、現在昭和52年開通の祭畤大橋が架橋されていて、一跨ぎである。 同様に、祭畤と真湯温泉との間にも、同年開通の真湯大橋が、巨大なアーチで磐井【いわい】川を跨いでいる。 このうち祭畤大橋の下に、一見して道が通じていないような別のトラス橋が存在していることが、読者情報として寄せられた。 今回はこの正体に迫ってみよう。 実は今回は、いつもながらの山チャリではない。 私の傍らに、愛車である

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-79>読者から寄せられた情報を元に…。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    由利町は、子吉川とその支流である鮎川流域に広がる町で、南端は南由利原と呼ばれる標高500mほどの高原地帯である。 川に近い低地では稲作が、高原地では酪農が営まれているほか、高原の一部では今なお油田が稼働している場所もある。 この由利町を、鮎川に沿って子吉川から南由利原まで縦断するのが、一般県道287号鮎川南由利原線だ。 私は、この道のちょうど中盤、西沢集落の片隅で、変わったガーダー橋を目撃した。 皆様からの情報提供を目的に、これを公開したい。 場所は、県道287号線を国道108号線との分岐点から7.5km南下した、西沢地区。 県道は舞台橋との標識が掲げられた桟道橋で、蛇行する鮎川に落ち込む急斜面を渡っているのだが、この橋の辺りから、川面を見下ろすと、ご覧のガーダー橋が目撃される。 旧道と言うことはなさそうで、対岸には狭い農地しかない。 ガーダー橋の先は、何処かへ通じているというわけではなさ

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-78>山村に現れた奇妙な鉄橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    山チャリ活動を続ける中で得られる楽しみは多いが、そのなかでも、街のなかに融けこんだ現役の古物件を見つけた時の、なにか愛おしい気持ちは、なんだろうか。 「 ああ、 まだ頑張っていたのか 」 そんな声を、思わずかけたくなってしまう。 全然派手ではないが、私の悦びには欠かせない存在。 それが、地図を眺めただけでは決して分からない、小さな街の古物件 。 国道47号線を酒田から新庄へと向かう途中、余目町廻舘交差点を通過時に、なんとなく右手の県道の入り口に違和感を感じた。 このような違和感が、小ネタ発掘のきっかけとなることは、多い。 今回も、そのうちの一つである。 青看には、 →県道342号(西袋) ←県道358号(小出新田) とある。 この地点は、県道342号線の終点であり、358号線の起点でもある。 違和感の正体をつかむため、右折して県道342号線に入る。 この道は西袋廻舘線といい、同町内の羽越線

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    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-77>蜃気楼橋
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 魔の橋 (旧松峰橋)

    秋田県、特に県の北部に長くお住まいの方ならば、1960年代に嵐のように巻き起こった『黒鉱ブーム』というのを覚えておられるだろう。 これは、当時既に秋田県第二の都市であった大館市の北部にて、銅や亜鉛を多量に含む、『黒鉱』と呼ばれる鉱石の埋蔵が発覚した事による、日版のゴールドラッシュと言える。 当時真剣に、“埋蔵量は無尽蔵”と言われた巨大な鉱床は、市街地にかなり隣接したそれまで単なる水田だった場所や、小山の地下にも埋蔵していることが明らかになり、瞬く間に一帯には大鉱山街が形成され、それまでの大館市の中心部さえ多少北側に引っ張ってくる程の勢いだった。 松峰鉱山、釈迦内鉱山、深沢鉱山、松木鉱山、餌釣鉱山などが大館市街地を取り囲むように相次いで開発され、もとより鉱山の多い地域柄もあって、秋田県北部全域を巻き込んでの大盛況となったわけである。 しかしその後、鉱業界の経済構造の変化などにより、黒鉱はな

  • 橋梁レポート 斉内川(神成)の洗い越し

    平成17年3月に市町村合併により大仙市として再出発を果たした、秋田県仙北郡の7市町村。 その一角、奥羽山脈の西麓に位置する旧太田町と旧中仙町は、いずれも同じ悩みを長年共有してきた。 生活用水問題だ。 この2町はともに、奥羽山脈が形成する巨大な扇状地に町域のほぼ全てが含まれており、山脈から吐き出される豊富な水は大部分が扇状地特有の伏流によって、河川流量が不足する状況にあった。 農業用水こそ、世紀の大事業として昭和初期から40年代までに完工した田沢疎水(第一、第二)によって確保されたものの、住民たちの生活用水は今なお、自家用の井戸による取水が大部分を占め、しかもその安全性に近年は疑問符が出されている。 この問題の根が深いのは、つい近年まで両町の境に流れる斉内川の上流、真木渓谷に県営ダムを建設し取水する計画があり、実際に両町はそれをあてにした上水道計画を行ってきた点にある。 しかし、県ではここ数

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 馬場目隧道 南口捜索編

    ※このレポートのタイトルを水無沢隧道から馬場目隧道に変更しました。(2014/8/29) 私が住む秋田市で最長のトンネルは、平成18年現在でもなお、昭和9年に完成した一の隧道である。 ましてその隧道が、森林鉄道用の隧道であり、昭和40年代初頭には全てが廃止されていると言えば、なんと秋田市の開発の進んでないことかと驚かれるかも知れない。 だが事実、後にも先にも秋田市内にこれを超える長さの山岳トンネルは存在していない。 そんな曰わく付きの隧道を、私も過去何度となく訪れている。 2002年に自身としては始めてその坑口を発見し、その模様はこの山行がでも紹介している。 さらに2004年には水没する内部へ侵入、閉塞地点の模様をお伝えすることにも成功した。 だが、未だにこの隧道の秋田市側の坑口を発見したという報告は、内にも外にもない。 私も以前、捜索しに入山したことがあるが、その時は発見できずに撤収し

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 三陸海岸 真木沢隧道群

    三陸海岸は、東北地方の太平洋岸の北半分の大半を占める、全長600kmに及ぶきわめて長い海岸線の総称で、かつてこの地方が「陸前」「陸中」「陸奥」の3国であった事から比較的近代に名付けられた。 三陸海岸と言えば全国的に有名なのが、リアス式と言われる複雑で険しい海岸線である。 中学校の地理で必ず名前が出てくることもあって、皆様の多くも「リアス=三陸海岸」というイメージをお持ちだろう。 実際に三陸海岸の大部分にリアス地形が見られるわけだが、岩手県宮古市より北側では隆起によるリアス地形、宮古以南では沈降によって生じたリアス地形というように、出来上がり方に違いがある。 無論、この違いは地形的な違いにも現れていて、南三陸ほど規模の大きな湾が多く、したがってその水深も深く、天然の良港に恵まれる。 北三陸では徐々に海岸線が海側へと後退を続けており、海岸線から垂直に切り立つ断崖絶壁という、おそらく多くの読者に

  • 隧道レポート

    おなじみ、『山形の廃道 全国隧道リスト(昭和42年度版)』にて、特に凄まじいスペックを誇っていた隧道群がある。 それは、現在の岩船郡山北町。 かつてそこがまだ村であり、そして、その道も県道にすぎなかった時代だ。 異常な隧道達を抱えていた道の名は、主要地方道村上温海線。 それは、ほぼ現在の国道345号線勝木~村上間に相当する路線だった。 隧道群の多くは、リストに記載された直後から続々と新線に切り替えられ、放棄された。 なにせ、リストに記載された、同路線上の隧道は合計27もあるが、そのうち11までが車道幅員2m以下なのである。 おいおい、そんな隧道を車が通れるのかと突っ込みたくなるが、とりあえず絶対に通れなかっただろうものもある。 最狭の平木隧道など、幅0.9m高さ2mなのだから、自転車だって、乗ったままではちょっと無理。 そんな異常な隧道群のレポートは、すでに以前に行った。 「道路レポー

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 大沢田隧道 東北本線 (前編)

    2005年の春に山行がが挑んだ隧道の一つに、この大沢田隧道がある。 これは、東北線の旧線の隧道で、右図の通り、この隧道があるのは宮城県と岩手県の県境部である。 ただし、この県境にある東北線の隧道としては、有壁隧道がとみに有名であり、この大沢田隧道はこれまで商業誌ベースで取り上げられたこともない、ひっそりとした旧線である。 おなじ県境にある有壁隧道と大沢田隧道だが、これらは親子の関係にある。 東北線がまだ日鉄道株式会社によって敷設されていた頃、明治23年に完成したのが有壁隧道である。 そして、この有壁隧道が老朽化し、また前後の線形も良くなかったことから、日国有鉄道が路線を約2kmほど西に移設した折に建設されたのが、大沢田隧道である。 こちらは、大正の13年生まれだ。 よって、いずれも県境を貫く隧道である。 そして、この一ノ関と清水原駅の間の峠越えの隧道は、この二だけには留まらず、

  • 隧道探険隊

    広大な三陸海岸の一角にあり、その男性的な荒々しい景観から「海のアルプス」とも称されることのある北山崎海岸は、岩手県下閉伊郡田野畑村から普代村に続く、全長8kmの海岸線一帯を指す。 この南端にあるのが北山漁港のある北山浜と、矢越崎である。 北山漁港から矢越崎を越え、さらに南の机浜に至る約1kmの道には、幾つかの隧道が描かれており、その現状を確かめるべく、我々3名は2005年8月末に実踏調査を行った。 そこに存在した隧道と道は、我々の想像を遙かに超越した、凄まじいものであった。 現地へは、北山浜から入った。 主要地方道44号線から、標識に従って北山漁港への1車線の舗装路に入ると、約700mほどで漁港のある海岸線に下り、すぐに地図上に描かれた一つめの隧道が現れる。 しかし、想像していたようなものではなく小柄だが普通のトンネルであり、全部で3ある隧道の残り2についても、期待薄であると感じた。

  • 隧道レポート 津軽森林鉄道 相の股隧道と六郎越隧道

    で最初に完成した森林鉄道は、青森県の津軽半島を走っていた。 明治39年に、日三大美林の一つに数えられる、津軽半島のヒバ林を効率的に運材する目的で着工された日初の森林鉄道は、明治41年 から利用が開始され、42年にはその線である67kmが完成に至った。 線上では当初から外国製の蒸気機関車が用いられ、その当時の主流であった筏流しや、橇、手押しトロッコなどを圧倒する運材力を遺憾なく発揮した。 その後も支線の開設が相次ぎ、県内のみならず日国内でも例を見ないほどの細密な、半島の隅々まで行き渡る路線網が確立されたのである。 運材料の全盛期は、大正3年頃であったという。 交通の立ち後れていた半島内の住民の足としても活躍した津軽森林鉄道であったが、昭和26年には国鉄津軽線の一部が開通、昭和30年代からは全国の例に漏れず、トラック運材への転換が急速に進み、その茫漠な路線網も次第に無用のものとな

  • 隧道探険隊

    主要地方道寒河江西川線は、寒河江(さがえ)市のJR左沢(あてらざわ)線羽前高松駅付近で国道287号線から分かれ、国道112号線と寒河江川を挟み平行して西進。約13kmをもって西川町間沢にて国道112号線に合流して終わる、国道を補完し地域ネットワークを構成する路線である。 寒河江川に沿っては他に山形自動車道が、目を瞠るほどの高所を連続した橋梁とトンネルでもって通過しており、この三つの道が絡まり合うようにして、庄内地方と山形地方の動脈を形成している。 さてこの一角に、極めて現道の近くにありながら、今日ではその存在が現道から全く関知できなくなってしまった旧隧道が存在する。 その名も、吉川隧道。 「山形の廃道」サイトによると、昭和11年竣工の全長89,8m。 私がこの旧隧道の存在を「山形の廃道」さんのレポートにより知った2003年6月。 私は一度目の接近を試みている。 その日は抜けるような快晴で、

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 玉川森林鉄道 旧線 鎧畑ダム水没隧道群

    以前公開した廃線レポート「玉川森林鉄道」では、玉川森林鉄道のうち、起点から玉川ダムまでの区間を探索・紹介したが、途中の鎧畑ダム周辺にある新旧線については、新線のみを紹介している。 ダム湖(秋扇湖)に水没した旧線については、素通りせざるを得なかったのである。 だが、2005年7月末、ユウタ氏が当サイトの掲示板に投稿された写真を見て、私は驚いた。 そこに写っていたのは、これまでいくらダム湖の水位が下がっても決して地上には現れることがなかった、旧軌道跡の隧道のように思われたからだ。 再調査の必要を感じた私は、細田ミリンダ氏を誘って現地へ向かった。 → 問題の投稿写真。(ユウタさん ありがとうございます!) 角度がよく分からないものの、従来対岸から見えていた水没隧道よりもさらに深い位置にあるものに見えた。 文に入る前に、玉川林鉄について簡単におさらいしておこう。 玉川森林鉄道は、大正10年に生保