タグ

2006に関するyamaigaのブックマーク (67)

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 木戸川森林鉄道 (乙次郎~木戸川第1発電所)

    【周辺図(マピオン)】 木戸川森林鉄道は、福島県の南東部、阿武隈山地から太平洋に注ぐ一級河川木戸川に沿って存在した、前橋営林局富岡営林署所管の森林鉄道(2級線)である。 常磐線の木戸駅を起点に伸びていた軌道は、最盛期には約21kmの長さを誇り、福島県浜通り地方を代表する林鉄のひとつであった。 この路線については、廃線跡探索の有名書である宮脇俊三氏の『鉄道廃線跡を歩く』シリーズ第一作目に取り上げられ、平成7(1995)年頃の廃線跡の状況が大まかに紹介されている。 また路線の歴史については、関東森林管理局内のコンテンツ「福島の森林鉄道WEB史料室」に解説がある。 それによると、木戸川森林鉄道のルーツは、大正3(1914)年に民間の丸三製材所が木戸駅から約5km離れた女平まで開設した「木戸川軌道」にある。 当時は木戸川上流の川内方面で伐採した原木を、川流しによって女平まで運び、そこから軌道で木

  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第120回 福島県道391号広野小高線

    「日の廃道」編集部も、東日大震災の被災地復興を応援しています。 東日大震災の被災地となってしまった地域のレポートを1冊にまとめた、「震災復興支援特別号」(\400)を販売中です。 誌の売り上げは、全額被災地支援の募金にあてさせていただきます。(「日の廃道」編集部) 壮大にくだらないミニレポ!! <導入> また新しき道の獣が、この山行がを舞台に、その鎌首を擡げようとしている。 その名は、 福島県一般県道391号 広野小高線 おそらく、様々な道路サイトを足繁く通ってきた御仁でも、この名を聞いてピンと来る人はない。 そう。 ヤツは限りなくマイナー。 そして、狡猾。 ヤツは、一度捕らえたと思っても、決してその全貌を曝すことはない。 何度でもその尾をちぎり、捕らえんとする我々から逃げおおせる。 そして、気付いたときにはもう、ヤツは居ない。 ハッキリ言おう。 この道は、カーナビ如きでは攻略で

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-120>壮大にくだらないミニレポ!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第116回 間瀬隧道

    越後を代表する信仰の山である弥彦山(海抜634m)。 その南北に長い尾根を縦走する全長13.7kmの弥彦山スカイライン(一般県道弥彦岩室線)が開通したのは、昭和45年のことである。 休日にはライダーや観光バスで賑わうスカイライン入り口の片隅に、今は使われていない小さな隧道が口を開けている。 隧道の名は間瀬隧道。 昭和8年生の、今は無き間瀬村と岩室村の間の動脈だった。 隣に出来た切り通しに道を譲ってだいぶ経つようだが、今も隧道は多くの地図に記載されている。 そのせいもあるのだろう。近隣ではちょっとした肝試しスポットになっているようで、私もまた彼らに倣って真夏の暑い日に行ってみた。 この隧道を訪問するのは、燦々と日の照りつける真夏の暑い日がいい。(夜である必要は特にない) たとえオバケがいたって隧道の中へ入りたくなること請け合いだ。 昨年8月23日。この日の天候は文句ない快晴で、アスファルトの

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-116>村と外界をつなぐ、唯一の道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第114回 城下小高線

    福島県は面積も広いが、県道の数も多い。 小中規模の市町村が多いという政治的な事情にもよるのだろう。 それは、州最大の面積を持つ岩手県に較べても、格段に多い。 そのなかには、かつてこのミニレポでも紹介した岩手県一関市の「山目停車場線」の全長49.5mに匹敵する激短路線もある。 今回紹介する福島県一般県道259号「城下小高線」は、全長が343mあり、驚くほどの短さとは言えない。 しかし、地図上における描かれ方や、現地での佇まいは、山目停車場線に劣らず不可思議である。 まずは小高町…昨年から南相馬市小高区となった、その中心部の地図をご覧頂こう。 上の地図を見ても、何がどう珍しいのか分からない人が殆どだと思う。 かく言う私も、自分で書き足した上地図を見て、なんだか自信が無くなってきたというのが音だ…。 地図上でこの道が “変わっている” と思える点、すなわち、わざわざ現地調査に私を赴かせた理

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-114>存在感の無さ過ぎる県道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第113回 大森山林鉄 明神川橋梁

    山間のいで湯、宮城県鳴子町鳴子温泉郷から西へ、国道47号を進む。 鳴子峡に架かる巨大な橋を渡り、中山平温泉を過ぎると、やがてあたりは高原的な疎林の風景となる。 しばらく緩やかな登りが続くが、ここは奥羽山脈のなかでも最も低い峠の一つである。 やがて下りに転じる頃には、そこは山形県の東の端、最上郡最上町だ。 更に進み、松尾芭蕉の句で有名な山刀伐峠方面へ行く県道最上尾花沢線との分岐を過ぎると、そのすぐ先で左手に大きな鉄橋が見えてくる。 ここまで、鳴子温泉から約20kmの道のりである。 鉄橋は国道からも見えるが、車通りの多い国道では落ち着いて見られない。 国道から下り、川との間にある田んぼの畦道へ。 それは、ご覧の通り巨大な鉄橋だ。 私がここを訪れたのは、2006年の七夕の日。 夕暮れ時だった。 この場所に鉄橋があると言うことは、前に東北のオブローダー仲間の間で話題となったことがあり知っていたが、

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-113>田園を渡る橋 東北最長?
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第112回 旧国道4号 小坂橋

    岩手県の南玄関、一関市。 現在の国道4号は町の中心部から西へ外れているが、古くは駅前を通っていた。 その経路は右の地図の通りで、かつての国道4号の南半分は国道342号、北側は県道19号や260号などとなっている。 市街地の中心部を貫流する磐井川には昭和26年竣功の磐井橋が架かり、国道だった当時から相変わらず膨大な通行量を捌いている。 今回紹介する小坂橋は、この磐井橋のすぐ北側にひっそりと架かっている。 そこは、旧国道よりもさらに古い旧旧道と言うべき道筋だ。 次は拡大図をご覧頂こう。 左の図の通り、旧旧道は旧道の東側を通っていた。 手元の資料によれば、ここはさらに古い奥州街道とも重なっているように見える。 もっとも、街道時代には磐井橋が無かったので(初めてここに木製の仮橋が架けられ「磐井橋」と命名されたのは明治3年)、渡し場があったのだろう。 また残念ながら、旧旧道が確実に国道のそれであった

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-112>地に埋もれたアーチ橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第111回 奥州街道古街道 石鳥谷地区 

    サブタイトルの通り、今回紹介する道は、これまで山行がで取り扱ってきた道の中で、おそらくもっとも古いものになる。 しかも、ちゃんと?廃道をしているのだ。(そうでなければ取り上げなかっただろう) 奥州街道については、このようなミニレポでいまさら説明するまでもないかも知れないが、山行がでは余り触れてこなかったので、やはり簡単に説明しておこう。 「○○街道」と呼ばれる道の多くがそうであるように、奥州街道もまた、江戸時代に盛んに利用された道である。 時代劇でよく出てくる、飛脚や大名行列が通る路、それが街道と呼ばれる道の一般的な光景だ。 そして、様々ある街道の中でも「奥州街道」は東北第一位の重要な路線であり、それは現在の東北地方における国道4号であり或いは東北自動車道の重要度に匹敵する。 実際に、明治時代に入ってから奥州街道の道筋を元にして陸羽街道が造られ、それはやがて国道という呼称を与えられるように

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-111>山行が史上最古の廃道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第110回 岩手県道134号 山目停車場線 

    今回紹介する県道は、岩手県南部の都市、一関市の北部を走っている。 路線名は「山目停車場線」で、路線番号は134。 路線名の通り、JR東北線山ノ目駅と一関市山目(やまのめ)町を結んでいる。 なぜ、なぜに駅の名前が「山 ノ 目」なのかというツッコミは置いておくとして、ともかくレポートを始めよう。 路線名からは、一体何を私が伝えんとしているのか、全く予想が付かないと思うので。 終点は県道260号一関平泉線上にある。 この写真の青看のすぐ先にT字路があり、そこから目指す県道134号は分岐しているのだ。 ちなみに、県道260号はかつての国道4号であり、一関バイパス開通によって格下げされているが、この山目地区の目抜き通りとなっている。 では、起点である山ノ目駅へ向けて右折しよう。 この際、青看の駅名が間違っていることについては不問にしよう。 うおっ! 思いがけずそこには4車線の素晴らしい道が! 2車

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-110>素晴らしきメーンストリート!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第109回 国道402号旧道 色見隧道 

    あなたは日海夕日ラインをご存じだろうか。 日海へ没する夕日の景観が美しいことから、新潟県内の日海海岸沿いを通る複数の国道をまとめてこのように称したものである。 この名前を記載する地図帳もあるが、その総延長は実に337km。北は山形県と接する笹川流れ、西は天下の奇景親不知海岸までと長大である。 国道7号、8号、113号、116号、345号などとともに、これから紹介する国道402号線も夕日ラインの一翼を担っている。 国道402号は前述の通り、日海沿岸を通る国道である。 新潟県の柏崎市と新潟市を結ぶ、実延長86.5kmの比較的新しい路線である。(路線指定は昭和56年) 特に、長岡市寺泊から新潟市角田浜までの13.9km区間は、「越後七浦シーサイドライン」の愛称を「日海夕日ライン」と重複して有し、険阻な海岸線を上下して通り抜ける観光道路として知られている。 越後七浦シーサイドラインはかつ

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-109>謎の隧道跡
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第108回 国道7号旧道 山北町大鳥地区 

    東北地方の日海沿岸を縦貫し、青森と新潟を結ぶ国道7号。 通過する全ての市で、町で村で、その存在感を発揮している東北有数の幹線道路である。 特に、いまだ高速交通体系の恩恵に浴さない秋田~酒田~新潟間の環日海地域において通行量は最も多く、昼夜を問わず常に車に充ちた印象がある。 実際、市街地を除いては殆ど片側1車線の道を、延々と列をなして道幅いっぱいに通行する夜間輸送のトラック便たちは、この道のお馴染みの景色である。 その車列が南下するとき、秋田から続く長い長いシーサイドラインと別れ内陸へ進路を採るのが、鼠ヶ関で越後の国に入って間もなく、岩船郡山北(さんぽく)町勝木(がつぎ)である。 勝木から村上市までの約40kmは、朝日山地が海岸線に落ち込む海の難所「笹川流れ」を避けるように山中を進む、同路線随一の山岳地帯となっており、最高所の葡萄峠には長いトンネルがある。 この峠へ続く沢沿いの上り坂の途

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-108>幹線国道の骨太な旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第107回 新潟県(主)58号 小千谷大和線 

    新潟県魚沼丘陵一帯にバラバラになった紐のように存在する不通県道たち。 私はこれらを総称して“魚沼丘陵不通ファミリー”と呼んだが、今回はそのうちの一を紹介しよう。 道路レポ「一般県道178号山ノ相川下条(停)線」の時にも、この路線には触れている。 そこでは、不通区間の南の端である川口町山ノ相川の様子をお伝えした。 よって今回は、不通区間の北端となる小千谷市池ノ平を紹介する。 なお、この主要地方道58号小千谷大和線はその名の通り、小千谷市の岩沢が起点となっており国道117号線に接している。 起点を発した路線は、魚沼丘陵北部を徐々に高度を上げつつ小千谷市南端の池ノ平へ、そこから約1.3km(直線で)の不通区間を挟みつつ川口町山ノ相川に出る。そこからは前出のレポートで紹介している峠越え区間となり、越えて魚沼市下稲倉で国道252号に接続。かつては堀之内町だった。路線はここで終わらず、すぐに国道から

  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第106回 枡沢隧道

    山形県北東部、北に秋田県と接する最上郡金山町の南縁に、桝沢ダムがひっそり水を湛えている。 昭和36年に完成した同ダムは、全国でも比較的数の少ない、農林水産省直轄ダムの一つである。私も今回のレポを書くために調べるまで、そのようなものがあることを知らなかった。 管轄省からも予想が付くとおり、このダムの目的は農地灌漑にある。 そして、現在は東北農政局が管理しているこのダムへ行く道には、一つの隧道がある。 地図上ではとても小さく描かれ、ダムへ行く以外にはどこへも通じていない隧道である。 見に行ってみた。 金山町中心部から舗装路を約5km、金山川が形作る扇状地の南端である下明野地区から、その支流である枡沢川を遡って東へ進むと、やがて眼前に一つのダムが現れ、谷をめいいっぱい塞いでいる。 ダムサイト上にまるで飛行場の管制塔のような建物が目立つ桝沢ダムで、重力式コンクリートダムの堤高は60mある。 湖畔へ

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/08
    <ミニレポ-106>ダムへの小隧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第105回 国道46号 水沢旧道

    一般国道国道46号は秋田市と盛岡市を結ぶ、州で最も北にある列島横断2桁国道である。 昭和38年に、それまでの2級国道105号から、一級国道46号に昇格し、この路線番号を得た。 46号といえばなんといっても県境の仙岩峠が第一であり、その存在が大きすぎるためか、全線約100kmの道中にあるその他の旧道にはあまり触れてこなかった。 今回は、秋田県大仙市協和境(さかい、旧協和町境)と仙北市角館(旧角館町)の間に残る旧国道を紹介しよう。 ここは意外に謎の多い旧区間である。 読者の皆様は、机上にて廃道を探すとき、どうしておられるだろう? 新旧の地図を見比べるというのは、やはり常套手段だと思う。 今回の旧道もまた、そのような地道な作業の中で発見されたものである。 発見する以前から現道の方は繰り返し通っていたのだが、地図で確認するまで旧道の存在を知らなかった。 いかにも旧道がありそうな場所というのはある

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-105>地図が教えた旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第104回 国道49号 揚川隧道

    先日は難所「尊岩隧道」を紹介したが、そのすぐ近くに、やはり現役でありながら老朽化著しい隧道があるので紹介しよう。 その名は揚川隧道。 阿賀野川の屈曲に対し素直に従ってなどいられないとばかり、山襞を貫きショートカットするための、国道49号に付帯する構造物であるが、並行する磐越西線の白崎隧道が大正初期にこれほど内巻きをしているのに比すれば、昭和36年完成の隧道は、何だか遠慮深い存在に思える(笑)。 単純に車は小回りが利くからこのくらいの隧道でいいでしょ? もしそんな論理が介在したとしたら、その後40年を経てなお現役であり続ける業を少し考えて欲しかった。 なんて言うか、こいつはちょっと困った隧道なのである。 尊岩方向から車を走らせると、そこには福島・新潟両県の主要な部分を結ぶ重要な国道らしく、十分に立派な道が付けられている。 左はなみなみと水を湛える阿賀野川(揚川ダム)、右は一段上がって単

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-104>これが線形改良と言えるのか?!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第103回 国道286号 秋保旧道

    国道286号と主要地方道62号仙台山寺線が分岐する地点は、現在では都会的な多重車線の三叉路となっているが、一昔前まで、国道の赤石バイパスが開通するまでは、その分岐地点は1km少々西よりにあった。 今回は、このミニ旧道をご覧頂こう。 この探索はきわめて行き当たりばったりに行われた。 ようは、国道286号をチャリで走行中に、現道と並走するようにして別れていく、ご覧の古びたアスファルトを発見。 何所へ通じるのかなどを調べもせず、咄嗟に旧国道であると判断し、進入したのである。 現道との接点は、この写真の通り緩やかな分岐となっているが、ガードレールに車が通れるような切れ目がないので、事実上廃道である。 旧道敷きには日焼けしたアスファルトが残り、行く手のカーブを予感させる道路ペイントが懐かしさを感じさせる。 最近はあまりこういう道路ペイントって見ないよね。(雪国だと特にね) 始め仲のよかったカップルが

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-103>古車の見守るミニ旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第102回 太白山第二橋

    以前、読者情報によって発見した「青葉山橋」は、東北最大の都・仙台の遠大な都市計画が置き残した、未完の道の名残であった。(→ミニレポ「青葉山橋」) それが、特に高速道路の上を跨いでいたために、多くの人の目にとまりながらも、長らく謎の存在として放置され続けてきたのである。 今回、新たにもう一、おそらく似たような経緯によるものと思われる、行き止まりの橋が発見されたので報告しよう。 場所は、青葉山橋から南にわずか2kmほどの地点だ。 仙台市太白区は、政令指定都市仙台の南西部を、奥羽山脈に接する形で区域としている。 西部は秋保温泉や二口渓谷などの観光地として、東部は仙台市のベッドタウンとして開発が進んでいる。 紹介する太白山第二橋は、東部住宅地と西部の山地とを大まかに分かつ東北自動車道を跨ぐ橋である。 ただし、橋の西側には道がない。 ご覧頂こう。 七夕の日の早朝、前夜遅くまで仙台で仕事をした私は、

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-102>杜の都の忘れ物 ふたたび
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第101回 国道45号旧道 摂待峠

    仙台と八戸を三陸海岸を縦断するように結ぶ国道45号が、昭和38年にそれまでの2級国道から1級国道へと昇格した当時、それはまだ海沿いの小さな漁村どうしを一筆書きでどうにか繋いだような、迂遠屈曲の連続する大変な道程であった。 昭和40年代にどうにか一時改良を終え、全線が大型車でも通れるようになったときまでに、その全長が200km(これは実に東京-長野間に相当)も短縮されてしまったのは今も語りぐさとなっている。 岩手県宮古市北部の、数年前までは田老町と呼ばれていた一帯もまた、海岸線に直交するように落ち込んでいく幾筋もの稜線を、有名無名の多数の峠で国道は貫いていく、元々は難所だった区間である。 今回はそのような峠の中から一つ、典型的な新旧道の成り立ちを見せる摂待峠を紹介しよう。 ここは、現在も未改良のままに残る小の急坂からは南に7kmほどの地点である。 (山行がとしては)珍しく、車でも通過できる

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-101>二桁国道の正統派旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第100回 前代未聞の橋

    ミニレポも今回で100回目。 東北各地の珍道・奇道ネタを中心に紹介してきたが、いまから3年と少し前の第一回では、「ど田舎の旧橋」を紹介している。 記念すべき100回目は、原点に立ち返り、やはり田舎の何気ない小橋を紹介しようと思う。 ただし、この橋は前代未聞だぞ。 秋田県北秋田市の阿仁前田は、まだ市町村合併からそう日が経っておらず、県人にとっては森吉町阿仁前田と言った方が遙かに通りがよいだろう。 これまでも山行がではあの「森吉林鉄」の総起点として何度も名前の出ている地名だが、ここにまたひとつ、山行が好みの“道”が発見された。 県道の一段下を流れる小又川に架かる、見るからに危なっかしい橋。 これはもう、行くしかない。 この橋の行き先は小又川の小さな中州である。 林となった中州の中には一棟の作業小屋が建っているが、ここの主以外は、おそらくこれまで渡ったことがないであろう橋だ。 県道からの降り口に

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-100>100本目のレポにて、橋の原点を知る
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第99回 信夫山 羽黒神社旧参道

    どうやら、日一急な車道というのは、勾配30%くらいあるらしい。(参考:「霧に走る」) 全国数箇所に、「30%」を示した勾配標識が立てられているようだが、現地点で東日での発見例はないようだ。 このような常識を越えた急坂は、単に地形が急であるということだけでなく、その勾配を緩和する蛇行を道が描けないような、なんらかの土地的な制約もあると考えられ、未開発エリアの多い東北地方では、発見例がないのも無理はないのかもしれない。 もっとも、ここで言う車道とは、作業用ブルがはいるような造林道路などは除く。 ふつうに一般車が通っている道に限定しての話だ。 だが、東北在住急坂マニアのみなさんに朗報である。 なんと、福島市の市街地ど真ん中に聳える霊峰であり、市民憩いの公園である信夫山(標高268m)に、残念ながら標識こそ無いが、どう考えても、今まで遭遇したレベルを遙かに超越した一の、坂に遭遇したのである。

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-99>日本最急勾配車道?!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第98回 国道455号旧道 岩泉町牛畑地区

    国道455号線は平成4年に国道昇格を果たしたばかりの、東北ではもっとも新しい国道の一つである。 それまで県道だった路線をいくつかつなぎ合わせ、盛岡と太平洋岸の岩泉町は小港までが指定されている。 このラインは県都と、著名な観光地である龍泉洞、それに三陸海岸などを繋ぐ重要な路線として、国道指定後特にピッチを上げて改良工事がなされ、現在では冬期間でもその全区間を通行することが出来るまでになった。 道中最大の難所である早坂峠に長大なトンネルが穿たれる日も、近いだろう。 快走路へと生まれ変わりつつある国道455号線であるが、その大部分は従来道路の拡幅や比較的規模の小さな線形改良によっており、大がかりな旧道はあまり見られない。 これまでもいくつかの旧隧道や旧道を紹介してはいるが、どれも規模は小さかった。 今回紹介する旧道もまた、わずか300mほどのミニ旧道である。 しかし、小さくてもなかなかに骨のあ

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-98>かなり狭い桟橋旧道