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2009に関するyamaigaのブックマーク (35)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 金沢区朝比奈の“脅迫的な”市道

    道路レポートは今回が記念すべき(?)150作目。 そこで今回は、普段あまり取り上げないジャンルとして、都会の市道を見てみようと思う。 おそらく日に一番沢山あるのが「市道」カテゴリの道だと思うし(平成の大合併により、町道や村道を確実に上回ったはず)、ほとんど誰しもがお世話になっているはずだが、個々の路線名が分かりにくい事もあってか、道路趣味の対象としてはマイナーと言わねばならない。 そして、私が今回のレポートを発表した事によって、そうした傾向に風穴を穿つ… つもりなど毛頭なく、そもそもそれほどのインパクトを有さない道なのであるが、 し か し ! この道の入口にある“看板”だけは、オブローダーなら決して素通り出来ないはず! かく言う私も、何の予備知識も持たないまま、もちろん探索の対象とするつもりも全くないまま通りかかり、そしてこの市道に捕まった。 そんな舞台はどこかと言いますと… 2009

  • 【山さ行がねが】道路レポート 大塩沢林道

    今回紹介する大塩沢林道は、栃木県の西側南北軸の一部を構成する国道121号と、県央部から会津地方への近道であり観光幹線でもある国道400号を短絡する、やや長い峠越えの林道である。 この林道が存在する地域は、県内でも有数の観光資源(特に温泉)の宝庫であり、国際的観光地の日光から鬼怒川温泉、塩原温泉、那須山岳を連絡する線上にあると同時に、東北(会津)と関東を結ぶ最短線上にもあるため、奥羽山脈に連なる深い山地帯でありながら、昔から旺盛な“開道欲”に晒されてきたといえる。 多くの道が世代交代を繰りかえしてきた結果、格的な廃道の多産地ともなっており、明治の三島街道(塩原街道)や尾頭明治道、昭和の塩那道路などは、いずれも塩原温泉を基点とした大廃道である。 そして大塩沢林道も、これら“死したる先駆者”の一列に加わるべき廃道だ。 鬼怒川水系(日光市:旧藤原町)と那珂川水系(那須塩原市:旧塩原町)を隔てる山

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第165回 国道49号旧道 旧旧藤橋

    【所在地(マピオン)】 国道49号を会津若松から西へ向かうと、会津平野を離れる直前に、只見(ただみ)川の太い流れを一度横断する。 その先は、新潟平野に出るまで続く広大な山岳地帯であり、旅人は渡河の前にある七折(ななおり)峠と渡河後に現れる藤(ふじ)峠とを自然に見較べ、山国へ踏み込んだ実感を得るのである。 この渡河地点の東を坂(会津坂下町)、西を藤(柳津町)といい、明治初期の三島通庸県令時代、「会津三方道路」建設の一環として初めて架橋され、藤橋と呼ばれるようになった。 以来ずっと、会津と新潟を結ぶ第一路線である越後街道(会津街道)は、この地を通い続けている。 「柳津町史」によると、橋は水量豊富な只見川を渡る都合上、かつて頻繁に流出・架け替えを繰りかえしており、現在架かっている藤大橋(昭和58年完成)は、少なくとも9代目の橋であるという。(初代橋は現在の橋の旧旧旧旧旧旧旧旧橋ということに

    yamaiga
    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-165>130年間で8度架け替えられた橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第159回 国道252号旧道 持寄地区

    【周辺地図(マピオン)】 今回行ってみたのは、福島県の会津地方の中西部に位置する柳津(やないづ)町にある短い廃道。 新潟県柏崎市と福島県会津若松市を結ぶ国道252号の旧道であり、昭和52年までは使われていたようだ。 右の地図を見て欲しい。 中央の川べりに描かれている一のトンネルが、昭和52年に竣功した持寄(もちより)トンネルである。 地図にカーソルを合わせると昭和33年頃の地形図に切り替わるが、当時はトンネルの無いルートだったことが分かるだろう。 また現在はトンネルの前後に、かなり長いスノーシェッドないし洞門も描かれているが、これも当時は存在しなかったようだ。 ということで、只見川の川べりにあるこの数百メートルの旧道を紹介しよう。 まずは、東側から。 2009/6/28 9:17 地形図で“屋根付き”で描かれていた部分には、雪国特有の道路構造物「スノーシェルター」があった。 スノーシェル

    yamaiga
    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-159>深緑の只見川に臨む旧国道の跡
  • 【山さ行がねが】廃線レポート 白湯山林道(森林軌道) 

    【周辺図(マピオン)】 那須塩原市の北部、那珂川源流の那須山地一帯には、いくつかの森林鉄道が存在した。 今回紹介する白湯山(はくとうさん)林道は、近世に山岳信仰の対象となっていた奥那須の白湯山から流れ出る湯川と、大川に挟まれた山林(図中では左上の僅かな面積だが、実際はこの背後に広大な山林がある)通称“七千町歩”からの伐木運材を目的に開削された、全長12kmの路線である。 ただし、この全線に軌道が敷かれていた訳ではないようだ。 昭和8年版の地形図でも、軌道が描かれている部分(矢沢より北側)と里道として描かれている部分(矢沢より南側)があるが、『黒磯市史』によると、白湯山林道は起点「谷地田原」から「地蔵平」までの4kmは牛馬道として、「地蔵平」から終点「七千町歩」までの8kmは軌道として、昭和6年に開通したというのである。 また、この林道を計画し建設したのも営林署ではなく、七千町歩の伐採権を

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 外房線旧線 久保隧道

    平成21年1月に2146氏から頂戴した情報によると… 外房線の浪花~御宿間に、現在線のトンネルと平行する形で使用されていないトンネルがあります。複線化の未成トンネルなのか、旧トンネルなのか…。御宿側抗口は車窓や付近の陸橋やからよく見えるのですが、浪花側は現在線が切り通し区間であるため貫通しているかは確認できませんでした。 とのことである。 ネット上にはこれといった情報が無さそうだったので、外房探索の途中に寄り道してみたのがこの記録である。 2146さま、ありがとうございましたm(_ _)m 【広域地図(マピオン)】 情報では「外房線の浪花~御宿間」のトンネルということだけだったが、地図を見るとこの駅間にはトンネルはひとつしか無く、場所の特定に苦労はしなかった。 ちょうどそこは御宿町といすみ市の境で、外房線は国道128号とその旧道の間を切り通しとトンネルで通過しているようだ。 旧国道からト

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道156号旧道 福島歩危

    福島村と尾神村の間なる、岩山の絶壁を斫(切)割て路を作れり。 郷中にも、国内にも、比類なき嶮難の歩危路にて、鬚摺・睾丸縮等の名に負う難所あり。 「白川村誌」引用の「斐太後風土記」より転載 これは江戸時代に編纂された飛騨国の風土記「斐太後風土記」の一文(書き下し)で、「国内に比類なき嶮難の歩危(ほき)路」について語っている。 この「歩危」というのは地域性のある表現だが、飛騨地方では専らこの字を当て、川に迫る岩場の難所を示す地名として頻出する。 東北で言えば「へつり」のようなものか。また「大歩危(おおぼけ)」という景勝地が四国にあるが、これも同義と思われる。 そしてなんと言っても最大のインパクトは、鬚摺(ひげすり)・睾丸縮(こうがんちぢむ)といった難場に付けられた名称だ。 これらも難所地名であり、鬚摺とは路が狭くて岩場に鬚を擦らなければ通り抜けられないような道と言うことだろうし、睾丸縮は男性に

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第152回 山形県道279号荒谷原崎線 旧道 

    山形県内陸部には山形盆地という日有数の大きな内陸性盆地が広がっており、これを書いている7月から8月頃にかけては日有数の酷暑の地となる。 そして東北の例に漏れず、冬は豪雪に閉ざされる。 これだけを見れば決して住み良さそうではないのだが、住めば都ということか、山形盆地こそが数十万人が住まう山形県の中心的な生活圏である。 そんな山形盆地のほぼ中央部にあって交通の枢要を押さえているのが、サクランボや将棋の駒の産地として名高い天童市である。 ここは盆地を南北に貫く羽州街道から、東へ関山峠越えの関山街道が別れており、近世から近代そして現代と、常に人の流れが絶えない。 羽州街道とは現代の国道13号であり、関山街道とは国道48号のことである。 だが、そんな交通の要所であっても、当然のようにそれとは機能を異にし、もっと言えばごくごく地元の人ばかりが使うような道もある。 それは当たり前のことであるが、時に

    yamaiga
    yamaiga 2010/08/01
    <ミニレポ-152>心に沁みる、山裾の旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第148回 銚子第二発電所 未成水路隧道跡

    今回は皆様に“ある”廃隧道を見ていただこう。 ここは、私が初見で「踏査不可能」と即断した、曰く付きの場所である。 確かに隧道は存在し、物理的に入れる隙間もあるのだが……。 「我こそは!」と言う猛者の突撃を止めはしないが、くれぐれも無茶はするなよ…。 今回私たち4名(私、細田氏、HAMAMI氏、どら氏)が探索したのは、秋田県北部の十和田山中にある、未成発電水路用隧道である。 かなりマイナーな存在であり、秋田に長く暮らした私も、今回ある新聞記事に掲載されるまで全く知らなかった。 ネタ元は秋田の地方紙「秋田さきがけ」の平成21年8月11日号朝刊文化面に掲載された、「県内戦争の記憶を訪ねて<8>」という野添憲治氏の記事である。 その大まかな内容は、第二次大戦末期に大湯川から十和田湖への導水発電を計画した際に途中まで建設された水路用の隧道が、今も広森川近くの山中に残っているというものだった。 この地

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第147回 大多喜町横山の謎の橋

    東京に引っ越して2年、房総半島の東半分には立ち入ったことが無かった私だが、今回初めて東海岸に属する夷隅(いすみ)郡のなかでは西寄りの大多喜(おおたき)町に行ってみた。 もちろん何のあてもなく行ったわけではなく、廃なるものの呼び声に導かれたのである。 「でもミニレポ?」 夷隅在住のあなた、そう残念がらないで欲しい。 行ったのはここだけではない。 だが、ここが最初である。 2009年3月18日から20日にかけて行われた「房総東部探索」は、この探索によって幕を開けた。 場所は右図の通り。 大多喜町の中心部から北西に2kmほど行った横山地区。 国道からは1km弱西に入った沢沿いである。 この地図上には沢に沿って1の行き止まりの道と小さな溜め池が描かれているだけだが、現地にはここにないものが…。 朝6時前、まだ明けきらない空の下、私の初めての夷隅郡での探索が始まった。 初めての土地というのは、緊張

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第146回 片門ダム 堤上路

    【現在地(別ウィンドウ)】 今回紹介するのは、表題の通りの道である。 ダム堤体の上を車で通れるところは結構あるが、それらの多くは地図上でもそれと分かるように道が描かれていたりする。 だが、福島県の片門(かたかど)ダムにあるそれは、ほとんど…というか、全くと言っていいほど地元以外では知られていない。 右の地図を見てもお分かりの通り、堤上の道は繋がっていないように描かれているからだ。 また、近くには別に主要な道があって、敢えてこのダムを渡る理由も乏しいからだ。 これだけを聞いて、この場所に興味が湧いたという人は多分少ないだろう。 だが、この場所には独特の良さというか、知るものを一人ほくそ笑ませるような効果がある。 そしてもしあなたが変な道を愛するならば、或いは車でそう言うところを通りたいと願うならば、無視できない存在になるだろう。 事実、私もここを訪れたあと、自分の車で渡ってみたいという衝動

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    yamaiga 2010/06/09
    <ミニレポ-146>ジモピーだけが知っている? ダム堤上の隠れ道
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) 

    見えるのに、 どうやっていくのか分からない。 これから紹介する橋は、出会いの段階でまずその印象を非常に強く持った。 それは、オブローダーにとって最も甘美な刺激である。 なにせ、そんな場所にはもう、辿り着くだけでオブローダーは大満足なのだから。 その上に、歴史技術の味付けが加わったとすれば、それはもう千人力。 最上級の“廃道物件”という感想も、遠くはない。 【周辺図(mapion)】 橋は、公開済みの「道路レポート 牛岳車道 第2回」の終盤で存在が発見され、「第3回」の前半で、同日中の接近・攻略を断念している。 その流れを先にご覧頂いた方が当レポートは理解しやすいはずだ。 この「前説」はそれを踏まえて、国道471号から遠望可能な姿を再掲載するに留める。 その後に、具体的な接近・攻略の方策をプラニングしてみよう。 青い湖面の双竜湖は、日最古の格派ダムである「小牧堰堤(ダム)」が昭和5年

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-20>見えるのに、どうやっていくのか分からない。
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 旧鳥坂大橋 

    確か今年の8月7日だったと思うが、ミリンダ細田氏から電話がかかってきた。 そのときの彼の興奮ぶりと来たら、暑い盛りでぼうっとしていた私にとっては唐突すぎて、訳が分からなかった。 だが、よくよく聞いてみると… どうも彼はまた、見つけてしまったらしい。 彼自身が愛して止まない、恐ろしい廃橋を。 なんでも、この電話の前に一人で行って見てきたが、 あまりの恐ろしさで、渡れるのかどうかを確かめもせずに逃げ帰ってきた…(人談) らしい。 話の経緯は、以下の通りだ。 彼の地道な聞き取り調査が実を結び、森吉森林鉄道の「3号橋梁」を撤去した業者が判明したという。 そのことも初耳だった(遊覧船航路の安全確保のために平成9年に撤去されたことは知っていたが、具体的な担当者や工事方法は長らく謎だった)のだが、 彼はその日のうち(つまり当日)に、さっそく撤去工事を担当した地元の某建設会社への“取材”を敢行。 「3号

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-19>細田氏プロデュースによる“秋田の廃橋探索”シリーズ 第3弾。
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 菖蒲大橋 

    全長150mの廃木橋が 秋田県内にあるらしい。 これは、秋田県在住の盟友ミリンダ細田氏が仕入れていて、秋田へ帰った私に教えてくれた情報だ。 当然、我々はそこへ行くことになった。 はたして、現存すれば自己最長ともなりうる「全長150mの廃木橋」は、いかなる姿を晒していたのか。 つか、150mってマジ?  ただ事でないぜ?? 2009/7/1 4:16 ここは、我々の自宅がある秋田市から65km南に位置する南由利原高原。 細田氏が運転する車は、まだ日の昇らぬ薄暗い現地に到着。 明るい時間だと、人に見られる危険がある。 そんな後ろめたい判断から、この時間を選んだのだった。 ちなみに、細田氏はこの探索の後に普通に勤めに出るという。 細田氏も現地へ来るのはこれが初めてらしい。 車の入れない道を歩き始めるが、最初のうち我々は迷ってしまった。 細田氏は、秋田魁新報(秋田の地方新聞)の紙面に細田氏がこの廃

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    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-18>細田氏プロデュースによる“秋田の廃橋探索”シリーズ 第2弾。
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 旧稲又川橋 

    そんな物があるのかというのは置いておくとして… またひとつ、 廃橋梁の殿堂入り しそうな橋が発見された。 ネタ元は、mixi内の “山行がコミュ”(管理人:いし氏)だ。 あそこの「最近」トピックは意外なネタの穴場で、私も密かに(密かである必要性は謎?)利用させて貰っているが、そこに先日「明日、栖湖集合!(以下、情報提供者)」さんが 「結構、衝撃的な…橋梁です。見に行かれるなら早めがいいと思われ。」 というコメントとともに写真をアップされたのが、今回の橋である。 見た瞬間に“ニュニュニュ”っと来て、それから2週間しないうちに私は現場に立っていた。 したがって、下調べというものはほとんどしていない。 それでも「まず見てみたい!」「見なきゃ!」と思う引力が、彼の撮った1枚の小さな遠景写真にはあったのである。 【周辺図(mapion)】 その“ブツ”は、今まで近づいたことのないエリアにあった。

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/04
    <橋梁レポ-17>期間限定、廃橋最期の曲芸。
  • 【山さ行がねが】隧道レポート 利賀村の栃折隧道 

    【周辺地図(マピオン)】 この村、ちょっと凄いぜ。 私が気でそう思っているのが、富山県西部の東礪波(となみ)郡に平成16年まで置かれていた、利賀(とが)村である。 今は、南砺(なんと)市利賀村を名乗っている地域だ。 何が凄いって? 右の地図を見て欲しい。 南北にとても細長い村域には、とにかく山と谷しかない。 しかも、村内を東西方向に横断しようとすると…山→谷→山→谷→山 である。 まるで“蛇腹”かと思うような起伏ぶりだが、高低差も大きく、海抜300m~700m範囲に集落が点在する。 また、村を囲む山の高さは1000mを越える。 この村の中心地区は利賀川沿いにあるが、東の百瀬川沿いにも、西の庄川沿いにも集落がある。 だが相互に往来するためには、必ずといっていいほど山越えをしなければならない。 東西には狭いはずの村だが、地形を見る限りその狭さを感じない。むしろ、東西の方が遠いくらいだ。 関東

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道52号旧道 下山隧道 

    《現在地》 右の地図を見て欲しい。 画像にカーソルを合わせると、現在のほぼ同じ範囲の地図と入れ替わる。 昭和27年応急修正版の5万分の1地形図「身延」に描かれている隧道は、「下山隧道」という。 おなじみ「道路トンネル大鑑」にも収録されている“正統派”であるが、ここを通る現在の道…国道52号…に隧道はない。 その代わり、地形図にも描かれているとおり、「古屋敷洞門」が置かれている。 新旧の地図を見較べる限り、下山隧道の跡地に古屋敷洞門が有るように見える。 だが、実際はそうではなかった。 これは、諦めずに現地を踏査した者だけが見出すことの出来る、珠玉の“大正廃隧道”である。 <参考資料> ・身延町誌 ・山梨県南巨摩郡治概要(大正10年)  ほか &トリ氏 (私の知る限り、最初にこの隧道を「再発見」して私に情報をくれたのは、数年前の…トリ氏である) 2009/9/17 16:24 150m先に見え

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道128号旧道 向台隧道

    “隧道レポ”という割にちょっとした廃道探索もあった前回の更新分「浜隧道(仮)」とは違い、今度のレポートはより端的に廃隧道である。 時系列順では、「おせんころがし」の後で、「浜隧道(仮)」の前になっている。 →【周辺図】 「向台隧道」(むこうだい-)は、勝浦市鵜原の国道128号上にある。 右図参照の通り昭和27年以前からあって、定番『道路トンネル大鑑』には昭和34年竣功として記録されている。 だが実は明治36年版にも描かれているので、明治隧道である。 そしてそれを裏付ける資料として、大正12年に夷隅郡役所が出した『千葉県夷隅郡誌』がある。 2009/3/19 11:28 《現在地》 向台隧道まであと200m地点。 見えてます! 峠の隧道というわけではないので“道中”は皆無で、あけすけな大口は市街地にひらけて少しも隠れようとするところがない。 それでもまだ、隣の線路に較べれば慎み深いと言うべき

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道128号旧道 浜隧道(仮)

    平成21年3月19日は終日、房総東海岸を縦貫する国道128号の旧道巡りに費やした。 鴨川を夜明けと共に出発し、どこまで行けるかは敢えて問わずにひたすらに東進。 夕暮れまでに、いすみ市大原へとチャリを進めることが出来た。その後は外房線を輪行してこの日の探索を終えたのだった。 もちろん「旧道巡り」であるから、少しは準備がある。 事前に入手した明治末の5万分の1地形図を元に、最新の2万5千図に現国道と異なるラインを赤ペンで書き込み、それをプリントアウトしたものを頼りに旧道を巡り“走る”のだ。 ただ、基的にこの方法だと地図に現れないほど小さなルート変更以外の見落としは無いが、レポートとしては映えない市街地の旧道にも多くの時間を割くことになる。 よって、ネタ収集という意味では決して効率的ではない方法だが、それでも私はこの手のロングスケールな旧道巡りが大好きである。 ピンポイントの探索では味わえない

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 北寺家隧道(仮)改め 市場隧道 前編

    【周辺地図(マピオン)】 2009/4/27 10:45 つい先日、4泊5日で岐阜富山方面の探索に行ってきた。 目的は神岡軌道の再訪と追加調査および、北陸有数の電源地帯である庄川沿いにある国道156号の旧道探索などであったのだが、富山市付近に行ったのならば当然体験せねばなるまいというくらいの、有名な「道路スポット」がある。 それは、廃道ではなく現役の道路、しかも県道、さらに一個格上の主要地方道なのだが、乗用車がようやく通れるくらいの極狭隧道が3もあるという。 これまでも、たくさんの読者様からその調査依頼を頂いていた。 右の地図にもその一部が写っている。 「富山県道67号大沢野宇奈月線」なのであるが、実は今回その序でに見てきた隧道が思いのほか印象的だったので、マイナーを承知で紹介したいと思う。 個人的には、知られたる大ネタより知られざる小ネタを愛する質なので、県道の方を期待してくださる方に