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【山さ行がねが】道路レポート 牛岳車道
先日、日本有数の僻山村「利賀村」(現:南砺市利賀)に関する最初のレポート「隧道レポート 栃折隧道... 先日、日本有数の僻山村「利賀村」(現:南砺市利賀)に関する最初のレポート「隧道レポート 栃折隧道」を公開したばかりだが、利賀村の探索自体は栃折峠がほとんどラストであった。 そしてこれから述べるのは、“利賀村への最初の進入”の場面だ。 利賀村への入路としては古くから2本のルートがあった。 ひとつは八尾方面から栃折峠を越えるもので、もうひとつは井波や庄川方面から利賀川をさかのぼるものだ。 いずれも現在では国道471号となっているが、その完成は一時に成されたものではなかった。 これから紹介するのは後者のルートで、特に青島(庄川)から高沼までの区間は、利賀村内を通った歴史的に最初の車道だった。 その開通は、明治時代にまでさかのぼることが出来るという。 牛岳(海抜987m)の山腹に「ある目的」をもって通じた道は、「牛岳車道」と呼ばれるものであったが、この後で述べる私との出会いは衝撃的であり、まだ見ぬ
2010/05/30 リンク