原発事故の直後は「できるだけ遠くへ避難させたい」という母親の気持ちと、「今すぐ福島に行きたい」という物書の気持ちが強く引っ張りあっていた。 —— 2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故以降、柳さんは居を構えていた神奈川県鎌倉市から福島県に足繁く通われていました。2015年4月には福島県南相馬市に移住されましたが、そもそも、なぜ原発事故後に福島に向かわれたのでしょうか。 柳 一つは幼いころに母から聞かされていた「福島の記憶」があったからです。私自身は横浜で生まれ育ちましたが、福島県とは「縁」があるんです。 私の母は中学・高校時代を福島県南会津郡只見町で過ごしました。只見町には、只見ダム、田子倉ダムがあり、隣の檜枝岐村には奥只見ダムがあります。首都圏に送電するために作られた東京電力福島第一・第二原子力発電所がある浜通りが「原発銀座」だとしたら、只見は「ダム銀座」と