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文学に関するyanozのブックマーク (72)

  • 幸田文「この崩れこの荒れは、いつか…」 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    「幸田さんは年齢七十二歳、体重五十二キロ、この点をご配慮――どうかよろしく」。山崩れの現場にある砂防事務所へ伝えられた言葉を、幸田文(あや)は喜んだ。人の背中を拝借してでも、行ってみたい心が勝った。1976年(昭和51年)、崩壊地「見てある記」の旅は始まる。 「祖母は体に厚みがあって、当時の女性としては大柄でした。家事労働で鍛えていましたから」。文の孫で、すらりとした長身の青木奈緒さん(53)は言う。5歳で母を亡くした文は、女学校に入学すると父で作家の幸田露伴から徹底的に家事を仕込まれる。幕臣の子だった露伴の口癖は「脊梁(せきりょう)骨を提起しろ」。その命に従い、背骨をまっすぐに立て、幸田家を「崩れ」から守ってきたその人が、自然のなせる崩壊に心を奪われた。 きっかけは、楓(かえで)の芽吹きを見に出かけた静岡市・梅ヶ島の安倍川源流で目にした大谷崩(おおやくずれ)だった。1707年の宝永地震で

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  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 人文学は何の役に立つのか? - 道徳的動物日記

    (2020/12/10 追記) この記事で行なった議論を大幅に改訂したものを、晶文社スクラップ・ブックの連載で発表した。どちらかといえば、この記事ではなくそっちを参照してほしい。 s-scrap.com 近年、「学問は役に立つのか?」「人文学を学ぶ意味はあるのか?」「利益を上げない学問に税金を投入する意味はあるのか?」みたいなことが言われることが多くなっているような気がする。大体の場合、やり玉に挙げられるのは人文学や文系の科目全般だったりする。 私は学生時代に人文系の学問を専攻していたし家族にも人文系の大学教授がいるのでわかるのだが、人文系の大学教授の大半は、「人文学は役に立つのか?」あるいは「お前のやっている学問は何かの役に立つのか?」ということを問われると憮然としたり心外だと言わんばかりに憤ったりする。それで「役に立つかどうかという理由で学問をやっている訳ではない」「何かの役に立つから

    人文学は何の役に立つのか? - 道徳的動物日記
  • 嵐山歩鳥は何処から来て、何処へ行くのか - それでも町は廻っている 通称“それ町” 1 など - シミルボン

  • 知里真志保の闘争とは 読書の人気・最新記事を集めました - はてな

    批評家・鎌田哲哉の論文。『群像』1999年4月号掲載。 知里真志保の「怒り」などに焦点を当て、武田泰淳の『ひかりごけ (新潮文庫)』や『森と湖のまつり (講談社文芸文庫)』が検討される。知里幸恵、金田一京助などと知里真志保の関係にも目が向けられる。鎌田には著書がないから雑誌にしか載っていないのに浅田彰が絶賛したというだけでえらく有名になっている、ある種の人々の浅田への個人崇拝のあらわれを見て取ることのできるもの。なお知里については藤英夫『知里真志保の生涯』に詳しい。浅田がそれを読んでいたかどうかは知らない。 鎌田哲哉が丸山真男論についで発表した知里真志保論(『群像』1999年4月号)は、その点でも瞠目に値する。彼は、このアイヌの知識人が、もとより日人に同化するのでもなく、かといってアイヌのアイデンティティに安住するのでもなく、あくまでも両者に対する鋭い違和感を怒りとともに生き抜いたこと

    知里真志保の闘争とは 読書の人気・最新記事を集めました - はてな
  • http://yaplog.jp/tipotipo/

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  • タカマサのきまぐれ時評2 「日本文学という奇跡?」 とでもいいたいらしい…

    ■トラックバックをいただいた「ふーむ。よそ様のコメント欄」にリンクされていたブログ記事。 日語が亡びるとき憂国のバイリンガル文士は宣ふ 日語を、つまりは日文化を、ひいては日を、愛する者にとって 必読の書であろう。水村美苗「日語が亡びるとき~英語の世紀の中で」。 書は、 『私は十二歳で父親の仕事で家族とともにニューヨークに渡り、それ以来ずっとアメリカにも英語にもなじめず、親が娘のためにともってきた日語の古い小説ばかり読み日に恋いこがれ続け、それでいながらなんと二十年もアメリカに居続けてしまったという経歴の持主』が、日語の惨状と存亡の危機に居ても立ってもいられず、自らのアイデンティティを賭して世に問うた、憂国の檄である。 『人間をある人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日人を日人たらしめるのは、日の国家でもなく、日人の血でもなく、日

  • 岸田国士 - ウラ・アオゾラブンコ

    岸田国士 【きしだ・くにお】 劇作家、小説家、評論家、翻訳家。明治23年11月2日〜昭和29年3月5日。東京四谷に生まれる。明治45年、士官学校を卒業。軍隊生活を送るも、学生時代からの文学志望やみがたく退職。大正6年、東大仏文選科に入り、フランスの古典、近代劇を学ぶ。大正9年、フランスに渡り、ジャック・コポーが主宰する小劇場ヴィユ・コロンビエ座などに出入りする。大正12年に帰国し、「チロルの秋」(大正13)、「紙風船」(大正14)などを発表。その機智に富んだみずみずしい戯曲は、それまで北欧やロシアの暗い外国近代劇になれていた劇界に革新をもたらした。その後も理論と実践の両面で精力的な活動を展開し、日の現代劇運動に大きな功績を残した。また「暖流」(昭和13)などの長編小説や、ルナールをはじめとする翻訳も多く発表している。昭和29年3月5日、脳出血により死去。享年63歳。代表作は「チロルの秋

  • 『文学鶴亀』 武藤康史 - とみきち読書日記

  • 物語要素事典

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  • ノート - 人生という憂鬱のためのアーカイヴズ

  • 対話よりもおしゃべりを: 犬猫ウォーズ*

    『1Q84』、まだ読めていないが、『海辺のカフカ』を読み返したり、雑誌でいくつか村上春樹がらみの記事など読んだ。 なかでも、この人にかぎってはこのタイミングというわけでもないのだろうけど、『オルタ』に載った杉田俊介「性暴力と失語――村上春樹『風の歌を聴け』ノート」がよかった。 かつて岡田利規は杉田俊介の思考スタイルについて「引き延ばし」という言葉をつかったが、今回も軸足はまったく動かさないまま、もう片方の足をより遠い地点へ飛ばそうとしている。 杉田さんはまず、「信用できない語り手」や「ノート」を手がかりに、『風の歌を聴け』が、その内在する重層的な失語にどうあいまみえた小説であるかをあきらかにする。 他人を騙すのみならず自分への嘘こそが嘘の純粋結晶体なのであり、性暴力の核心には「自分に嘘をつくこと」のブラックホールがある。自己欺瞞がおそろしいのは、他人や自分の言動の矛盾や微少な虚偽を責めれ