「わたし」をめぐるパトス しかしそうなると、次にこんなことを考えてみたくなる。冒頭のような問いに対して、『食客論』を「小説」だと言ってみることはできるだろうか。そのような答えは相手を困らせるばかりであるような気もするのだが、ならばその困惑の理由とは何だろうか。かりにそこで論じられている事柄がいちおう事実に基づいたものであるにしても、それを語る「わたし」がフィクショナルな人物であったとしたら、それは小説に求められる要件をいくばくか満たすものになってはいないだろうか。 『食客論』のもとになった連載を終えてから、時々そんなことを考えていた。より実践的に言えば、自分がかつて経験したことを思い出しつつ書くこと(ノンフィクション)と、自分が経験していないことを思い出しながら書くこと(フィクション)とのあいだには、おそらく世間で思われているほどの落差はないのではないか。ある意味で小説とは、「誰も経験して