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対話よりもおしゃべりを: 犬猫ウォーズ*
『1Q84』、まだ読めていないが、『海辺のカフカ』を読み返したり、雑誌でいくつか村上春樹がらみの... 『1Q84』、まだ読めていないが、『海辺のカフカ』を読み返したり、雑誌でいくつか村上春樹がらみの記事など読んだ。 なかでも、この人にかぎってはこのタイミングというわけでもないのだろうけど、『オルタ』に載った杉田俊介「性暴力と失語――村上春樹『風の歌を聴け』ノート」がよかった。 かつて岡田利規は杉田俊介の思考スタイルについて「引き延ばし」という言葉をつかったが、今回も軸足はまったく動かさないまま、もう片方の足をより遠い地点へ飛ばそうとしている。 杉田さんはまず、「信用できない語り手」や「ノート」を手がかりに、『風の歌を聴け』が、その内在する重層的な失語にどうあいまみえた小説であるかをあきらかにする。 他人を騙すのみならず自分への嘘こそが嘘の純粋結晶体なのであり、性暴力の核心には「自分に嘘をつくこと」のブラックホールがある。自己欺瞞がおそろしいのは、他人や自分の言動の矛盾や微少な虚偽を責めれ