ブックマーク / note.com/masayachiba (2)

  • 芸術作品とは「解けない問題」である|千葉雅也

    (無料記事です。連続ツイートを元にして書きました。) 芸術作品とは何か。作品に向き合う方法とは。ここでは、作品を見たり読んだりして、まず「ふわっと」感じること、それが大事で、それをいくらか言葉で膨らませる、ということについて説明したいと思います。 それは、作品の「謎解き」ではありません。しばしば、謎解き的に作品を読みたがる傾向があり、それはそれなのだけれども、僕が思うに、芸術鑑賞の「体」はそうではない。むしろ、「ふわっと」が大事。これはまあ、ものの言い方で、実は、「ふわっと」感じたことには「深いもの」が秘められている、という話になります。 芸術を「深く」鑑賞するためにこそ、むしろ「ふわっと」から始めたほうがいい、というのが僕の考えなのです。 芸術作品に対して、「何が言いたい」のかわからない、というのをよく見かけます。どうも人は、作品に「メッセージ」のようなものを期待しているようです。そし

    芸術作品とは「解けない問題」である|千葉雅也
    yarumato
    yarumato 2023/08/06
    “要するに、と言い切るようなコスパ・タイパ的な言葉づかいでは、芸術家が取り組んでいる解けない問題、他者と自己の人生を深く捉えるという倫理、それは反コスパ・反タイパ、を受け止めることはできません。”
  • 「自分は誰かにとって他人である」という当たり前の事実をマネタイズすること:自己啓発、占い、資本主義|千葉雅也

    國分さんとの対談は『言語が消滅する前に』というタイトル。ゲラで通して読んで、なかなかに挑発的なものになったと思う。収録した時期よりも、現在は強いことを言いにくくなった。どんどんそうなっている。たぶんそれで、というのもつまらない話だが、今読むと挑発的に見える。 言葉の力が失われつつある。僕はよくツイートで、言語の「隠喩」機能が弱体化しているのではないか、という懸念を示している。書かれたものの文字通りの意味ではなく、皮肉な意味であったり象徴的な意味であったりが、読み取られにくくなっている。何でも一対一対応にすればスッキリするというのが強まっている。言語がただの「情報」になっていく。というのは、理系的なものの全面化である——と言うと理系の人は不快に思うかもしれないが、プログラミング言語は文字ひとつ欠けても作動しないわけで、まさに一対一対応的な、いささかの「ハンドルの遊び」もないものの代表である

    「自分は誰かにとって他人である」という当たり前の事実をマネタイズすること:自己啓発、占い、資本主義|千葉雅也
    yarumato
    yarumato 2021/10/27
    “言語の隠喩(文字通りの意味ではなく皮肉や象徴的な意味)が弱体化している。一対一対応にすればスッキリ、が強まっている。言語がただの情報になっていく。理系的なものの全面化である——”
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