ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (18)

  • なぜ子どもに家事を手伝わせるべきなのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    つい数日前のことだ。中学1年生の親御さんに「夏休みに何をさせたらいいでしょうか?」と質問を受けた。小学校から中学校に上がるに際して成績が下がることが不安だからと4月から新たに教えることになった生徒だ。ご両親の不安は的中して、家庭教師を付けたにもかかわらず、定期テストの点数は下がり続けている。 「夏休みに何をさせたらいいか?」という質問は、こういう文脈で出てきたものだ。だから、当然それは、「成績をあげるためには、どんな勉強をさせたらいいのでしょうか?」という相談であり、期待されているのは、「この教材を毎日これだけの時間やりなさい」という「勉強」の具体的な指示だ。けれど私は、あえて言った。 「じゃあ、料理を手伝わせてください」と。 家庭教師は、成績をあげるのが仕事だ。特殊なニーズがあるケースがないわけではないが、ふつうは、それ以上でも以下でもない。だから、生徒に特定の思想やライフスタイルを植え

    なぜ子どもに家事を手伝わせるべきなのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 「貧困」という言葉を誤解していたらしい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「実家が太い」と言ってしまっていいと思うのだが、私は貧しさと無縁な生活を送ってきた。無縁というのもちょっとちがう。いろいろな局面で貧しさと隣り合わせになりながら、そこにつきものの苦しみから質的に遠いところにいた。事業がうまくいかなくなって畳むときには現金が足りなくて当に困ったが、それでも三度の事を欠かすことはなかった。定収入なしで結婚したときも、どうにかなると思っていたらどうにかなった。不景気の風が吹いて仕事がなくなったときにも、安い給料でかまわないやと思ったら雇ってもらえるところがあった。実家が太いと、「親の老後のために貯金をしとかなければ」というプレッシャーがない。子どもができていろいろと金がかかるだろうといっても、高価なものは頼まなくてもやってくる。祖父母の楽しみなのだから、そこは譲ってもかえって親孝行ぐらいなものだ。結局、自分がべていければそれで十分であり、べるだけなら1

    「貧困」という言葉を誤解していたらしい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 価値観から逃れられないからこそ、いったんそこを保留にすることが重要になるという話 - 「良い」「悪い」で見えないもの - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    何の気なしに書いたブコメに星がいっぱいついて慌てることがある。いや、私の意見に何かを感じてくれた人が多いのは単純に嬉しい。一生懸命考えて書いたブコメだと、特に嬉しい。慌てるのは、何の気なしに書いたものが思わず伸びるときだ。詰めて書いてないから、曖昧になっている。曖昧なぶん、ときには真逆に受け取られることもある。これまでも何度かそういうことがあった。そして、昨日も。 問題のブックマークコメントは、これだ。 新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔) | 現代新書 | 講談社(1/5) 「良いこと」とか「悪いこと」という言い方が、そもそも歴史に向き合う態度じゃないと思う。 2021/06/27 10:49 b.hatena.ne.jp 元の記事は、「ナチスもよいことをした」と主張する人々に対して、「それはおかしいよ」と、を紹介しながら述べるものだ。私は基的に

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  • なぜ若者に説教してしまうのか - 老害は避けられない運命 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    17歳の若い子を友人の家に連れて行った。この春まで家庭教師として教えていた生徒である。推薦枠を利用しての大学進学という方向性がほぼ確定したので、これ以上の受験準備も必要なかろうということで指導を終了した生徒だ。私の中では片付いた生徒だった。そのお母さんからメールがあったのが半月ほど前。進路のことで悩み始めたという。大学に行く意味が見出だせない。いや、そりゃそうだよ、と、大学中退者である私は思った。ただ、だからといって放置するわけにもいかない。 思いとどまって進学するように説得してほしいというお母さんの気持ちはわかる。進路相談という名前で面談をして、いろいろ聞いてみた。大学に何があるかわからないのに、流されるようにそこに行くことがいいのかどうかわからない。知りたいことがあれば自分自身で勉強もできる。それよりは、いろんなことを実際に体験してみたい。具体的には海外に行ってみたい、というような内容

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  • 中学受験は、やっぱりおかしい - 基礎教育が目指すものと評価基準の乖離 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「成長」というとらえどころのないもの 教育が目指すものは、なにはさておき、人間の成長である。人間の成長を支える介入を教育とよぶ、と定義しても差し支えないほどだ。原理的に、これに異を唱える人は多くないだろう。多数の人が教育を人間の権利とし、それを提供することが社会の義務だと考えるのも、それが人間を成長させるからだ。人間は成長する権利をもつのだし、成長を支えるのは社会である。生物はその基特性として成長するのだし、社会的生物である人類はそれを構成する個人のそれぞれの成長によって成り立っている、ともいえるだろう。 ここに、教育を評価する根的な困難が存在する。というのは、人間の精神的な成長は、容易に測定できない。さらに、介入が効果を上げたかどうかの測定は、それ以上にむずかしい。というのは、およそ人間は、教育なんか受けなくったって、それなりには成長するからだ。だから、仮に精神的な成長が観測されたか

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  • なぜ勉強するのかを教えてはならない - 家庭教師の経験を通じて見えてくる真理 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    家庭教師としての経験も5年になった。入れ替わりの激しいこの業界だから、ベテランと言ってもいいだろう。これは「プロ」としての経験という意味だ。大学生のアルバイトとか、そういうのは除外したい。 その私が、いくつかの例外的なケースを除いてほぼ最初からずっと厳格に適用してきているルーチンがある。それは、初回の指導時に、「なんで勉強するんですか?」と生徒に聞くことだ。どうしても都合で第1回めにできないときには2回めとか3回めになる場合もあるが、できるだけ早い時期にこれを確認しておく。 当は、「勉強」という言葉も使いたくない。これは誤用だし、危険な言葉だ。けれど、「学習」みたいなよそ行きの言葉では生徒と話が通じないから、しかたなしに使って尋ねる。「勉強は好きですか?」「好きじゃないです」「じゃあなぜ、好きじゃないことをするんですか? なぜ勉強するんですか?」すぐに答える生徒は多くない。たいていは、こ

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  • 「体操服の下に下着を着ない」は、変態教師の妄言とは、ちょっとちがう - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    ブラック校則との関係で「体操服の下に肌着を着てはいけない」というルールが少し前からときどき取り上げられる。私は着衣や髪型などに関してとやかくいうのは人間としてどうなのと思うほうだから、こういうルールが学校にあるのはおかしいと思っている。そして、多くの校則が「規則のための規則」と化し、その意味が検討されることもなく、ただそれが存在することによって統制と権威付けが行われる機能だけをもっているという現状を見たら、「ええかげんにせぇよ」と言いたくなる。ときには、「そのルールは異常だろう」と思えるものもふつうに通用していたりする。 ただ、どんなにおかしく見えるものであっても、成立当初には何らかの合理的な理由があったと考えるのが穏当だろうとは思う。たとえば「体操服の下に下着を着ない」というルールにしても、一見、「下着のことなんて気にするのはおよそ変質者ぐらいなもんだろう」と思えるのだが、実はそれなりの

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  • なぜ「忘れ物を叱る」のが無意味なのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    忘れ物をしても叱らない教育をしている学校があるとかいうTogetter記事を見て、「そりゃそうだ」と思ったのだが、そこについてるブコメ群のかなりの部分を占める意見が否定的なのに驚いた。いや、ほんとに驚いた。 b.hatena.ne.jp もちろん、「叱ってもいいことない」という論調に賛同するコメントもないことはないのだけれど、「いや、それは当人のためにならないだろう」という意見が多い。ああ、地獄への道は善意で舗装されてる、と思った。 もともと教育現場で「叱る」という行為が横行していることに関しては別途思うところがあるのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、そこはおくとしよう。教師が叱ることが場合によっては認められるとした上で、なお、少なくとも忘れ物に関しては効果はほとんどない。それは私自身がほとんど常にクラスいちばんの忘れ物王者であり、そしてそれはいくら叱られたってなおらなかっ

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  • 中学受験は、そろそろ根本的に変わったほうがいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    役に立ってない中学受験勉強 中学受験はおよそ害悪だ。私がそう思う理由は単純だ。それが子どもたちの役に立っていないからだ。中学受験制度そのものは、それは何らかの役に立っているのかもしれない。少なくともそれを実施する私立中学校にとっては、メリットがあるはずだ。そうでなければやらないだろう(そのメリットも、後述するように怪しいものではあるけれど)。けれど、当事者のもう一方である子どもたちにとって、得られるものは「合格」以外のものはなにもない。そういうものだと言ってしまえばそれまでなのだが、じゃあ、合格競争のためだけに貴重な時間を無駄にすることはどうなのか、ということになる。私はそれを害悪だと思う。 なぜ、「子どもたちの役に立たない」というのか。それは、家庭教師としての経験からだ。私は中高一貫の私立中学・高校の生徒の指導にあたった経験が過去に何件もある。いずれも中学受験を無事に突破した生徒たちだ。

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  • 子どもの世界は安全になったのか - 子どもの目に映る世界 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    昭和の子どもの世界は非常に危険だった。直接的な危害だけでも、私の記憶の中には「あれは当に危なかった」というのがいくつかある。たとえば、当時、宅地化が進みつつあった私の家の近所には、(子どもの目からみて)広大なジャンクヤードがあった。廃物の家財道具や電化製品、廃車に至るまでのありとあらゆるガラクタ類がうず高く積み上げて放置してあったのである。もちろんまったく放置されていたわけではなく、そこに廃品を持ち込む業者や、そこから廃品を運び出していく業者が出入りしていた。けれど、常駐の管理人などはおらず、周囲との境界も曖昧で、子どもたちが勝手に出入りする遊び場となっていた。そしてひどく危険な場所であった。たとえば、当時の冷蔵庫は外側からノブを引かなければ開かない構造になっていたのだが、その冷蔵庫の中に子どもが隠れるぐらいのスペースはあった。結果として、冷蔵庫内への子どもの閉じ込めによる死亡事故が多発

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  • BlackLivesMatterは「黒人の命は大事」なのか? - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    合衆国を吹き荒れる#BlackLivesMatterの嵐は、けっして他人事ではない。現代社会がコロンブス以降のグローバル化の果に成立していることを思えば、そのなかで植民地支配の歴史と人種差別の歴史はすべての人々の生活に分かちがたく絡まり合っているといえる。だから、合衆国に依然として残る人種差別の問題は、世界にすむすべての人々の問題でもある。 ということはなにも私が言うまでもないことなのだが、この記事のタイトルを見て「?」となった。いや、誤訳じゃない。これはこれで正しいのだけれど、それでいいのか?と。 www.bbc.com 「黒人の命は大事」、ホワイトハウス前に巨大ペイント 米ワシントン - BBCニュース 議論があるにしても、「black」がかつてアフリカ大陸から暴力で連行された人々にルーツを持ち、一部その他の人々も含みながら現在も合衆国で差別されている人々を表す言葉であることは間違いな

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  • 「授業」はもう時代遅れなのか - 言葉はていねいに使わなければいけないなあ - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    授業 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 教師が諸分野の知識,技能を生徒に習得させるために行う活動。講義や一斉教授など教師中心の授業が伝統的であったが,今日では新教育の影響で,生徒の自主性や経験が重んじられ,多様な授業方式がある。また授業の改善,科学化を求めて,授業分析などの授業研究が盛んになってきている。 デジタル大辞泉の解説 [名](スル)学校などで、学問や技芸を教え授けること。「国語の授業を受ける」「教科書なしで授業する」「授業時間」 授業(じゅぎょう)とは - コトバンク 家庭教師は気楽な商売だ。というのは、生徒と一対一で学習を進めるからだ。たまには「きょうだい一緒に面倒見てください」みたいな注文もあって、複数の生徒を同時に指導することもある。三人きょうだいを同時に指導した経験もあって、やってやれないことではないことは知っている。けれど、それはあまりにも負担が大きく、指導の

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  • 「うちで踊ろう」の一件について - わかっちゃいない大人たち - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    星野源の「うちで踊ろう」動画を官邸ツイートに利用した件で、ネットは今日もにぎやかだ。来なら私はこの件になにか一言はさむ資格はない。というのは、テレビを見ない私は星野源というシンガー(一応、さっきからあえて「さん」は付けずに書いてる。そのぐらいにはアイコンであろうという認識はある)のことはほとんど知らないからだ。もちろん、この時代、テレビなんか見なくても動画を探せばいくらでも出てくる。たとえば www.youtube.com トップアーティストであることが十分わかる歌唱力、曲作りだろう。好みかどうかはおいておいて、実力は申し分ない。 今回の騒動は、彼がカバーやダンスで多くの人に乗っかってくるのを呼びかけた「うちで踊ろう」に、なんと官邸オフィシャルのTwitterが反応して首相が家でくつろぐ動画をアップしたことによるものだ。日曜の朝、これを見たとき、私は「あ、これは確実に炎上案件」と思った。

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  • なぜ学校はワープロを受け入れない? - 「現実」に過適応していると未来が失われる - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    私の観測範囲だけのことではあるのだけれど、現代の小学校、中学校、一部の高校においては、パソコンを使用した提出物を受け入れない。もちろん細かいことをいえば例外はあって、たとえば小学校の夏休みの自由課題なんかでパソコンを使った研究みたいなのはあり得る。けれど、パソコンで制作されたもの、たとえば読書感想文であるとか自由作文とか、ワープロ打ちしたものは、受け付けない。もちろん、「ノートまとめ」とか、「自主勉帳」みたいなのをワープロ打ちすることも許されない。 「なんで?」と思うのだけれど、これにはちゃんと理由がある。まずひとつには、「パソコン使ったら漢字を覚えないでしょう」というものだ。それから、「人が書いたのか筆跡でわからない」というのもある。人の代わりに親が書いたのかもしれないし、ネットから拾ってきてコピペしたものかもしれない。そういう不正を防ぐために、ワープロ打ちは認められない、というもの

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  • 畑ぐらい手伝えよ、の理想と現実 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    あまり自分とは関係のない増田(通称アノニマスダイアリー、いや、逆だ)記事に雑なコメントをつけたらそこそこに星がついた。雑なコメントをだったなあと思うけど、書き直すには長くなるので、こっちで追記みたいなことをしておこう。ま、元記事の趣旨とは全く関係ないのだけれどね。 anond.hatelabo.jp 49歳ひきこもり歴15年の男性ですが結婚は可能でしょうか? 畑ぐらい手伝えよ 2019/06/12 09:26 b.hatena.ne.jp まず、このコメントに星がついたことそのものは、ちょっと嬉しい。というのは(承認欲求とかはおいておくとして)、私はかつて「自給的な農業こそが未来をつくる」みたいな思想をベースにした小さな雑誌の編集をやっていたこともあって、あまりに生産現場から離れた発想の言説が世間に多いことにいまだに危機感をもっているからだ。そんななか、「畑ぐらい手伝え」という田舎ならごく

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  • 学校の要求仕様はどうなっている? - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    学校は変わらない 義務教育=学校に行かせること、という図式が、ようやく変わろうとしている。変わろうとしているけれど、まだいまのところは変わらない。いろいろあっても結局変わっていない。「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」のことである。 別添3 義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律(平成28年法律第105号):文部科学省 この法律、 (基理念) 第三条 教育機会の確保等に関する施策は、次に掲げる事項を基理念として行われなければならない。 一 全ての児童生徒が豊かな学校生活を送り、安心して教育を受けられるよう、学校における環境の確保が図られるようにすること。 二 不登校児童生徒が行う多様な学習活動の実情を踏まえ、個々の不登校児童生徒の状況に応じた必要な支援が行われるようにすること。 三 不登校児童生徒が安心して教育を十分

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  • 人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    半年ほど前から、老齢の父親の調子がよくない。それでもどうにか生きながらえて年を越すことができた。感謝すべきなのだろう。 だが、素直に喜べないのは、病床にあって父親が日々苦しんでいるのを知っているからだ。循環器系にガタがきていて、身体全体に酸素が足りない。高山で生活しているようなもんだから、とにかくしんどい。そのしんどさを耐え忍んでも、その先にそれが改善する見込みはほとんどない。よくて現状維持、わるければ、いつでも最期がくる。そういう状態でいる人を前に、それでも「生きていてよかったね」とは、素直に言えない。 父親は、決して命に未練があるタイプではない。むしろ、無意味な延命治療はしてくれるなと、これは元気なうちからずっと言い続けてきた。過去に何度か大病を生き延びてきているので、医療に対する信頼は厚い。治る病気なら、現代医学の力で必ず治るものだと信じている。そして、治らないのなら、ムダな抵抗はせ

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  • なんでカタカナ読みで英語を教えるのか - いまだに謎 - シアワセの容相

    家庭教師で新しい生徒をもったときにもっとも重要なのは、現状を把握することだ。ということで多くの家庭教師は「テストの点数を教えて」というのだが、そんなもので生徒の現状がわかるはずはない。点数やその推移は参考にはなるし、戦略を立てる上でも重要なのだけれど、最初に知るべきことはそれではない。 数学だったら四則計算や方程式の解法ができるかどうか、いくつかの問題をやらせてみればいい。そして英語なら、適当な文章を音読させてみる。それでだいたいの現状は把握できる。音読でつっかえるようなら、英語の学習に問題があると言い切っていい。そういう場合には、音読させた文章の大意もつかめていないことが多い。短くても1ヶ月、長ければ半年、そこからひたすら音読を続けると、たいてい劇的に改善する。バカバカしい手法のように思うかもしれないが、音読の効果は侮れない。ただし、学校の教科書は既に飽きるほど音読しているのだから、音読

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