ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (16)

  • Jリーグ昇格請負人が悲痛な叫び「移籍の速さについていけない」 J2・J3「沼」の正体をギラヴァンツ北九州・小林伸二前監督が明かす

    webスポルティーバサッカーの記事一覧Jリーグ他JリーグJリーグ昇格請負人が悲痛な叫び「移籍の速さについていけない」 J2・J3「沼」の正体をギラヴァンツ北九州・小林伸二前監督が明かす ギラヴァンツ北九州・小林伸二前監督インタビュー 前編 ギラヴァンツ北九州で5年間スポーツダイレクターと監督を務めた小林伸二氏をインタビュー。J3最下位から優勝&J2昇格、そしてJ3降格、J3最下位と激しい順位変動の裏で一体チームに何が起きていたのか。 後編「小林伸二が語るJリーグ下位クラブの生き残り策」>> 【「選手を引き留めることができないんです」】「あした、引っ越しなんですよ」 そうやってホームタウンを去っていくJリーグ監督と言葉を交わしたのは初めてだった。 昨年12月中旬のことだ。 小林伸二は2023年12月いっぱいで5年間在籍したギラヴァンツ北九州を去った。すでに12月15日に来季の新監督が発表にな

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  • 女性ゲーマーたぬかなが嘆くeスポーツ界の女性蔑視。結果を出しても国内外から誹謗中傷がある (2ページ目)

    webスポルティーバその他競技の記事一覧eスポーツ女性ゲーマーたぬかなが嘆くeスポーツ界の女性蔑視。結果を出しても国内外から誹謗中傷がある (2ページ目) 人の噂や陰口を叩くのは年齢性別を問わず、世の常。そのすべてを禁止することはできない。ただそれが誰もが見られる掲示板に、しかも誹謗中傷、女性蔑視的な内容で書かれることは問題だ。情報収集、コミュニケーションの場として掲示板を閲覧していたたぬかなは、それらのコメントによって気持ちが大きく落ち込むことがあった。 それでもプロゲーマーとして活動するために、たぬかなは一念発起して大阪に移り住んだ。当時はネット回線の問題もあって、自宅からでは快適なオンライン対戦ができなかったため、ゲームセンターで練習する日々を送っていた。ここでもやはり女性蔑視は起こった。 「当時一番辛かったのは、やっぱり容姿に対する誹謗中傷ですね。もともとスカートが好きでひざ丈のも

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  • 力道山が刺された日。妻が聞いたアントニオ猪木を認める言葉と幻の計画

    力道山のが語る「馬場・猪木」の記憶 後編 前編:ジャイアント馬場との意外な関係を告白>> 戦後、プロレスラーとして多くの日国民に勇気を与えた力道山。そのである田中敬子さんは、弟子のジャイアント馬場(名・馬場正平)について回想したのち、「主人が気にかけていたのは猪木さん」と、もうひとりの偉大な弟子について話し始めた。 中学時代、家族と共にブラジルへと移住したアントニオ猪木(名・猪木寛至)。17歳の時に陸上競技で活躍していたところが力道山の目に留まり、現地でスカウトされて昭和35年4月に日プロレスへ入門した。 力道山のつきを見守るアントニオ猪木(左から2人目)、ジャイアント馬場(左から3人目)たち(写真/・田中敬子さん提供) 東京・浜町の道場で開かれた会見では、読売ジャイアンツの投手からプロレスに転向したジャイアント馬場と共に入門が発表され、デビュー戦も同じ同年9月30日だった

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  • 「球史に残る5人の名投手」をジャッジ歴35年の杉永元審判員が選出。「野球を8イニングに変えた男」がいた

    webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球「球史に残る5人の名投手」をジャッジ歴35年の杉永元審判員が選出。「野球を8イニングに変えた男」がいた 昨年までプロ野球の審判を務めた杉永政信氏。ジャッジ歴35年はNPB史上4位タイの長さである。そんな超ベテラン審判員だった杉永氏に、これまでジャッジしてきたなかで「印象に残っている投手5人」を挙げてもらった。審判員が選ぶ「名投手」の条件とは? 日人選手初の「100勝・100ホールド・100セーブ」を達成した上原浩治この記事に関連する写真を見る上原浩治(元巨人ほか) 「絶対に抑える」「絶対に勝つ」という観点からすれば、上原浩治投手は当の意味で最強の投手でした。日球界唯一の「100勝・100ホールド・100セーブ」を達成したように、先発、中継ぎ、抑えで実力を発揮した稀有な存在です。 9イニング平均与四球率2.00個で抜群のコントロールと言われると

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  • 30歳になった「和製アンリ」。伊藤翔がゴール量産で鹿島を牽引

    コロンビア、ボリビアと戦う日本代表の試合がもう1週間遅かったら。日本代表のメンバー発表が、それにともなって1週間遅かったら――伊藤翔(鹿島アントラーズ)が選出されていた可能性なきにしもあらず、だ。 今季ここまで4ゴールを挙げ、得点ランキング3位の伊藤翔(鹿島アントラーズ) Jリーグ第4節。鹿島がコンサドーレ札幌とのアウェー戦に1-3で勝利した一戦で、伊藤翔は2ゴールをマーク。今季の通算ゴールを4に伸ばし、得点ランキングで藤憲明(大分トリニータ)、アンデルソン・ロペス(札幌)を1点差で追う3位に躍進した。 アジアチャンピオンズリーグ(ACL)でも、プレーオフを含む3試合で3ゴールを挙げている伊藤翔。つまり、公式戦6試合で7ゴールを叩き出した計算になる。 今季、横浜F・マリノスから鹿島に移籍するや、いきなりの活躍。結果を残している。これが1年前の出来事なら、ロシアW杯の代表メンバーに名を連ね

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  • 07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」

    木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko松岡健三郎/アフロ●写真 photo by Kenzaburo Matsuoka/AFLO ★日サッカーを救った男の現在地 前編 カマタマーレ讃岐が使用する高松市東部運動公園サッカー場には、2月の寒風がすさぶ中でも熱心なサポーターたちが練習を見学するためにやって来る。若い広報のスタッフはそんな顔が見える度、丁寧にあいさつをする。サポーターとチームスタッフとの距離の近さと信頼が垣間見える。彼がこのチームに来たのはまだ半年前である。サッカー仕事をしたいということで大阪から讃岐にやって来たのだ。選手との初めての顔合わせの際は緊張したが、その中で最も気さくに接してくれたのが、ベテランの我那覇和樹(38歳)だった。 世代的に言えば、代表戦をテレビで観ていた中学生時代、我那覇にはサウジアラビア戦でゴールを決めた男として強烈な印象が今でもあ

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  • オシムがセネガル戦を絶賛。「日本の強さはポーランドより上」

    ズドラフコ・レイチ●文 text by Zdravko Reic 利根川 晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko 日よ、見事だ。当に見事だ。このようなエネルギー溢れるサッカーを見たとき、チームスピリットに触れたとき、私は大きな幸福を感じる。 試合前は日がセネガルに対抗できるのか、私は懐疑的だった。セネガルの選手の身体能力は非常に高く、すこぶる強靭だ。野生動物のような鋭さを持っている。そんな彼らと互角の戦いをするのは、決して簡単なことではなかったろう。 それなのにデータを見ると、"デュエル"での勝利は日がセネガルを上回っている。日の選手が知能と工夫を駆使して競り勝つたびに、私は誇りのような喜びを感じ、思わず手を叩いていた。 中盤で屈強なセネガルの選手たちと渡り合った柴崎岳 photo by Sano Miki 1点のビハインドから同点にすることは、た

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  • オシムが語るコロンビア戦。「日本は相手の退場で勝ったのではない」

    W杯が始まった。各国の戦いを興味深く見ているが、なかでも特別な思いで追っているのは、かつてユーゴスラビアという名の同じ国であったクロアチアとセルビア、そして私が率いたことのある日だ。 その日が初戦でコロンビアに勝利した。W杯でアジアのチームが南米のチームを破ったのは史上初だ。まさに快挙という言葉がふさわしい。 コロンビア戦で決勝ゴールを決めた大迫勇也 photo by Sano Miki 正直、大会が始まるまで、日がコロンビア相手に勝ち点3を挙げられるとは思っていなかった。日が勇猛なチームであることは知っていたが、W杯前のデリケートな時期の監督交代は、あまりにもリスクが高かった。 おそらく西野朗氏が新監督に就任したことが、日を救ったのだと思う。西野氏はもともとチームの中にいた人間で、詳細なチーム内の状況を熟知していた。新監督に与えられた時間は少なかったが、それがあまり足かせになら

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  • 53歳の山本昌が、突然ピッチング練習を再開。その驚くべき理由は?

    まるで映画のワンシーンでも見ているかのようだった。 夕闇に染まるブルペン、ジャージ姿の大男がマウンドに立つ。両腕を揃えて天に掲げるような特徴的なワインドアップから、捕手に向かって軽く左腕を振り下ろす。球速にすれば80キロにも満たないようなスローボール。それなのに、ボールにはしっかりと回転がかかっており、捕手のミットを「ドスン」と叩く。 ブルペンの脇でトレーニングしていた10人ほどの高校生が、一斉に手を止めて大男のキャッチボールにじっと見入る。誰も言葉を発しない。ただただ静謐(せいひつ)な時間が流れていた。 球児たちの視線に気づいた大男は、苦笑しながらこう言った。 「ごめん、ごめん。3年ぶりだからまだこんなボールしか投げられないけど、あと2、3カ月もすれば、お前らよりいいボールを投げるようになるから」 山昌コーチ(写真中央)の話を熱心に聞く日大藤沢の選手たち 大男は8月で53歳になろうとし

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  • オシムが語るハリル解任「腐ったリンゴの排除か、監督交代しかない」

    ズドラフコ・レイチ●文 text by Zdravko Reic 利根川 晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko W杯を直前にしたハリルホジッチ解任劇を、ハリルにとって同郷(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の先輩であり、日本代表監督の先輩でもある「彼」はどう見ているのか。イビツァ・オシムはオーストリア第2の都市グラーツにいた。その町の病院で半年に1回、検診を受けなければいけないのだという。「でも安心してほしい。現在の体調はいたって良好だ」というオシムを、旧知のクロアチア人ジャーナリストが直撃した。 2006年から、病に倒れる2007年11月まで、日本代表監督の座にあったイビツァ・オシム氏 photo by YUTAKA/AFLO SPORTS ハリルホジッチの解任以降、多くの人々が私の意見を求めてきた。私のことをよく知っている人であれば、私がこうした他人の問題に首

    オシムが語るハリル解任「腐ったリンゴの排除か、監督交代しかない」
  • ハリル解任会見での違和感。なぜ「目指すサッカー」は語られないのか

    日本代表監督交代。「代える」という判断は間違っていないと思う。 コンディションを重視すべき選手と、コンディションが少々悪くても選んでおかなければならない選手とが共存するのが、代表チームの来の像だ。にもかかわらず、ハリルホジッチはコンディションというフィルターを選手全員にあてがった。 選手起用は場当たり的になりがちだ。2018年のW杯番から逆算する目を欠き、ストーリー性も脆弱になる。それに好き嫌いが見透けてしまう選手選考も加われば、23人枠を巡る争いは、悪い意味で混沌とする。 標榜する「縦に速いサッカー」(よく言えば)と、日サッカーとの相性の悪さもある。その論理的な矛盾と効率性の悪さが表面化していることも混乱に輪をかけた。よいサッカーか悪いサッカーかと言えば、後者だ。 さらに、このサッカーでW杯大会に臨めば大丈夫だとの自信が、監督自身に見られないこと。居丈高な態度を取る一方で、弱気な

    ハリル解任会見での違和感。なぜ「目指すサッカー」は語られないのか
  • ハリルに「8年前の岡田ジャパン」再現は無理。協会は7日以内に解任を

    ウクライナ戦は1-2に終わった。マリ、ウクライナを仮想セネガル、仮想ポーランドに見立てて戦った2試合を1分け1敗で終えた日。この両チームはあくまでも"仮想"で、実際の相手はこれ以上に強い。このまま大会に突入すれば、大苦戦必至。だが、このあと番出発前に国内で行なわれる準備の試合は、壮行試合を兼ねたガーナ戦(5月30日)に限られる。 ウクライナ戦を「マリ戦よりよかった」と評したハリルホジッチ監督 これほど希望の光が見えない代表チームも珍しい。試合後のインタビューでハリルホジッチは「マリ戦よりよかった。もう2、3点決めるチャンスがあった」と、強気を装ったが、日が2、3点決めるチャンスがあったとすれば、ウクライナは5、6点決めるチャンスがあった。 無理のある理屈だ。そうした客観性に乏しい分析を恥も外聞もなく口にするハリルホジッチそのものに、なにより無理を感じる。日本代表監督への信頼感は,

    ハリルに「8年前の岡田ジャパン」再現は無理。協会は7日以内に解任を
  • 注目のポドルスキはスタッフも面白い。専属通訳の破天荒なサッカー人生

    来日してから約3週間。ルーカス・ポドルスキは今、日にフィットしようと懸命なようだ。 「結構、日語を話したりするんですよ。ポルディ(ポドルスキの愛称)は発音がいいのか、簡単な日語だと日人が話しているみたいです。まじめで、自身の得点について質問されたりしても、『まずはチームの勝ち点3が大事で、得点は二の次』という話をしています」 Jリーグデビュー直前のルーカス・ポドルスキと通訳の村上範和氏 こう明かすのは、ポドルスキの専属通訳をつとめる村上範和氏(35歳)だ。横浜フリューゲルスジュニアユースから横浜マリノスユースを経て明治大学に進学。昨季末まで約15年間国外でプレーし、今回の通訳就任を機にスパイクを脱いだ。今や多くのサッカー少年がJリーグを経験しないまま海外でのプレーを志す。ドイツにはそんな日人選手が多くおり、村上氏もそんなひとりだった。 今回の通訳就任は、マリノスユース時代の恩師が

    注目のポドルスキはスタッフも面白い。専属通訳の破天荒なサッカー人生
  • 【恩田社長の600日】特別寄稿「解任されたラモス監督の功罪」

    FC岐阜・恩田社長の600日 ~Jリーグ地域クラブへの伝言~ 番外編 ラモス監督解任! そして、誰もいなくなったFC岐阜で約2年半、指揮を執ったラモス瑠偉監督 前回の記事はこちら>> 7月22日、FC岐阜の監督であったラモス瑠偉氏との監督契約解除が、クラブよりリリースされました。 2014年シーズン開幕前、新生FC岐阜の象徴として招聘された、ラモス瑠偉監督・川口能活選手・三都主アレサンドロ選手の面々。誰もが知っている元日本代表の加入に、岐阜県中の人々が心躍らせました。 しかしながら、1年後に三都主アレサンドロ選手に戦力外通告、2年後には川口能活選手に戦力外通告、そして、今季のシーズン途中でのラモス瑠偉監督の解任となり、3人ともFC岐阜を去りました。まさに「そして、誰もいなくなった」のです。 「名選手、名監督にあらず」とは、よく言われることですが、ラモス氏はどうだったのでしょう。今回は番外編

    【恩田社長の600日】特別寄稿「解任されたラモス監督の功罪」
  • 清水エスパルス、J2降格の真相。発端は5年前の「事件」

    望月文夫●文 text by Mochizuki Fumio松岡健三郎●撮影 photo by Matsuoka Kenzaburo 1993年Jリーグ開幕時の10クラブのひとつで、「サッカー王国」静岡の人気クラブである、清水エスパルスのJ2降格が決まった。 J1セカンドステージの第14節(10月17日)、清水はホームにベガルタ仙台を迎えた。勝てば、この日のJ2降格は回避できる状況を作れたが、地元ファンの声援を受けながら、0-1であえなく敗れた。それからおよそ4時間後、第13節終了時点で年間順位15位(勝ち点30)のアルビレックス新潟が勝利し、年間勝ち点21の清水は、残り3戦を全勝しても残留ラインに及ばないことが決定。終焉となった。 ベガルタ仙台戦に敗れてJ2降格がほぼ確定し、がっくりとうなだれる清水エスパルスの選手たち。 降格の理由について、清水の左伴(ひだりとも)繁雄社長はまず、「(社

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  • デストラーデ「野茂は人間だけど、イチローはエイリアンだね」

    デストラーデ インタビュー(後編) 久しぶりに来日を果たした元西武のオレステス・デストラーデ。前編では90年代の西武黄金時代についての話を中心に聞いたが、今回は日人メジャーリーガーを中心に、これからの日野球について熱く語ってもらった。 (前編から読む>) 2002年にイチローと久しぶりの再会を果たしたデストラーデ(写真右端) ―― デストラーデさんは90年から3年間、日でプレイし、93年にメジャーリーグに復帰しました。その数年前に、セシル・フィルダーやビル・ガリクソン、ウォーレン・クロマティが日球界を経て、メジャーリーグで活躍しました。日人にとって、日と大リーグとの距離が縮まった印象があります。 「私は、メジャーリーグと日の一軍との距離は遠くに感じていなかったよ。結局、日の選手やファンが、大リーグを精神的な部分(マインド)で遠いものと考えていただけじゃないかな。実際、アキ(

    デストラーデ「野茂は人間だけど、イチローはエイリアンだね」
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