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ブックマーク / dennou-kurage.hatenablog.com (5)

  • 裁量労働制になったら、働き方は何も変わらずに残業代だけ減った話 - 脱社畜ブログ

    首相が国会で言及した厚労省のデータが不適切だったという問題を皮切りに、いま裁量労働制が話題である。裁量労働制は実際にその適用下で働く労働者も含めて非常に誤解の多い制度であり、問題点も多い。裁量労働制の何が問題なのかという話については、以下の記事が非常にわかりやすかったので詳細はそちらを参照して欲しい。 僕自身の話をすると、裁量労働制には苦い思い出がある。一応、僕は新卒でとある大手インターネット系企業に就職して2年間ほど会社員として働いたことがあるのだが、そのうち1年ぐらいは裁量労働制の契約で働いていた。これは新卒であの会社に入社した社員の一般的なパターンで、数ヶ月の研修を終えて現場に配属されると、1年弱は裁量労働制でない契約で働き、その後少しだけ昇進して裁量労働制が適用になる。僕もこのお決まりのコースに乗ったというわけだ。 僕が配属された部署はとあるウェブサービスを開発・運営する部署で、そ

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    yk4192 2018/02/25
  • 週休三日、あるいは週休四日があってもいい - 脱社畜ブログ

    では、週休二日制が労働における標準だ。正社員をやろうとすると、ほとんどの会社でこの働き方を強制されることになる。 この週休二日制が、万人に合っているとは僕にはどうしても思えない。 たとえば僕は、5日連続で会社に行くのは辛いし、土日しか休みがないと、あんまり読書もはかどらないので、会社が許すならばぜひとも週休三日制で働きたい。そのために、給料が五分の一削減されてもいい。 僕の例は不真面目すぎるかもしれないけど、人生のフェーズによって、労働量を調整したいというのは自然なことだ。子育てのために少し勤務日数を減らしたいとか、あるいは、学校に通ったり、資格を取るために勉強したりするために、仕事とプライベートの比率を変更したいと思うことは当然あるだろう。 こういう時に、給料を減らして休みを作る、ということが自由にできる社会が僕は理想だと思っている。 仕事は懲役では無いのだから、休みたい時には休む。

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    yk4192 2014/09/27
  • 「ゆるい就職」は、今の日本だと全然ゆるくない。 - 脱社畜ブログ

    「ゆるい就職」が話題である。 ゆるい就職:若者が正社員で働くのは「負け」 慶大助教が提案 - 毎日新聞 僕が「ゆるい就職」を許せない理由 - 言いたくないけど、僕が青二才です 僕は元々週休3日制論者なので、世の中全体がゆるい労働へとシフトしていくのは好もしいと思っていたりもするのだけど、この慶大特任助教が言うところの「ゆるい就職」というのはそういう社会政策的な話ではないらしい。記事によると、「週休4日で15万円」の仕事を若者に紹介する人材派遣サービスがはじめるのだそうだ。つまり、今の日社会で「ゆるい就職」を目指すという話だ。 ちょっと考えてみるとわかるが、これはそんなに「ゆるい」話ではない。 今の日社会は正規雇用で働くことが前提に社会制度が設計されている。そこで月収15万(社会保険なし)で生きるのはなかなか厳しい。大学を卒業してから10年ぐらいであれば持久戦が可能かもしれないが、それか

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    yk4192 2014/09/27
    お金の面で全然ゆるくないのは参加者は承知している。しかし確かに、id: dennou_kurage氏の言うように「戦略」やキャッシュフローを整えられている人は少ない(僕も例外ではない)。/参加者グループトピックに投げておこう。
  • 未来人が現代日本の社畜を見たらどんな風に感じるだろうか - 脱社畜ブログ

    歴史の教科書や資料集を読んでいると、現代の価値観ではおよそ理解できないようなことが載っていて不思議な気持ちになることがある。たとえば、平安貴族には入浴の習慣が無かったとか、武士が責任をとるために切腹をしたりとか、時代背景などの説明を聞けば多少は納得できるが、じゃあ現代に同じことをするかと言われれば「そんな、バカな」と思ってしまうようなことはたくさんある。 これは現代から過去を見たら、という話だが、僕たちが今こうやって生活をしている現代社会も、時間が経過すればいずれ過去となる。歴史の教科書にも載るだろう(未来にも、まだ文明が存在して歴史教育が行われていればだが)。こういうことを考えた時にいつも思うのは、現代日の労働習慣、とりわけ社畜的な習慣は、未来人にとってどのように見えるのだろうか、ということだ。 歴史の教科書や資料集には、満員電車のイメージ図が載るような気がする。「ツウキンデンシャでカ

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    yk4192 2013/02/19
    笑われてるのかもね。
  • 大学は就職予備校ではない - 脱社畜ブログ

    たまに、「大学では、社会に出てから役に立つことなんて何も教えてくれない」という、ものすごく的はずれなことを言う人がいる。 こういうことを言う人は、大学の役割を勘違いしている。大学は、そもそも学問をするところであって、就職活動の準備をする施設ではない。会社に入ってから役に立つことを教える義務は大学にはない。「大学では、社会に出てから役に立つことを教えてもらえない」というのは、「蕎麦屋では、ラーメンを注文しても出てこない」と言っているのと同じで、当たり前すぎて批判になっていない。 どうして、このような勘違いをしてしまうのだろうか。それは、学生が大学を学問をする場所ではなく、就職までの準備学校として利用してしまっているという悲しい現実があるからだ。 この傾向に迎合してしまっている大学も多い。私立大学の説明会や募集要項では、殊更就職率や就職先のことが強調され、肝心の学問部分は大学生活のおまけ程度に

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    yk4192 2013/01/06
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