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2016年8月1日のブックマーク (2件)

  • 貴乃花、日馬、王会長、カズが…九重親方追悼まとめ - 大相撲 : 日刊スポーツ

    大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(名・秋元貢)が31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。 大横綱の死去は、各界の関係者に大きな衝撃を与えた。 コメントは以下の通り。 九重親方の遺体が無言で部屋に到着。力士らに迎えられる。手前右は佐ノ山親方 貴乃花親方 「いまは厳粛に静粛に受け止めています。現役時代には胸をお借りし、鋼の肉体に額をおそるおそる当てたことを忘れてはいません。まだ下積み時代に横綱から、早く上に上がってこいと激励のお言葉をたまわったことも忘れてはいません。いまはご遺族に哀悼の意をささげております」 元横綱朝青龍 「悲しい悲しいな涙が止まらない…憧れの力士、角界の神様、横綱たちの横綱よ~~悲しいな。親方よ 夏にモンゴルに来てイトウ釣る約束は?悲しいな涙」 横綱日馬富士 「言葉が出ない。何て言えばいいか…。鳥肌が立っています。大好きな大好きな方。あの方の相撲を見て勇気をもら

    貴乃花、日馬、王会長、カズが…九重親方追悼まとめ - 大相撲 : 日刊スポーツ
    ykkykym
    ykkykym 2016/08/01
    “尾車親方「初顔は78年夏、私が勝ち、その後5連勝。すると突然佐渡ケ嶽部屋に出稽古に来るように。鋭い当たりから中に入って左前まわしを取られたら体が浮いて、つま先立ちになるほど。その後は11連敗。本当に
  • 九重親方「第2の千代の富士を」…高砂親方思い出す - 大相撲 : 日刊スポーツ

    現役時代のいつだったかは覚えてないけど、九州巡業で鹿児島から奄美に移動する船で、千代の富士と同室になったんだ。その時、横綱が切々と話していた言葉を、今でも覚えている。「オレは第2の千代の富士を作りたいんだ。それがオレの夢。千代の富士というしこ名を弟子に継がせたいんだ」とね。ああ、そうなんだ、そんな思いがあったのかと。同じ一門で同じ昭和30年生まれ。自分も大関朝潮を作ろうと、お互い頑張ろうと思ったね。 ところが引退後、師匠として横綱を作ったのは自分の方だった。2代目横綱千代の富士誕生の夢はかなわず、志半ばだったかもしれない。それでも最後まで、千代の富士は千代の富士だった。 最後に会ったのは、5月の夏場所初日。監察室で、あまりにも細くなった顔を見て「痩せたねえ」と声をかけたら「健康管理のためにダイエットしてるんだよ」と、今にして思えば強がって返してきた。治療してることも口に出さず、弱みを見せた

    九重親方「第2の千代の富士を」…高砂親方思い出す - 大相撲 : 日刊スポーツ
    ykkykym
    ykkykym 2016/08/01