疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのため人の死に目に会えるのは親族のみになった。感染の状況によっては親族さえ会えないこともある。 わたしはいまだ五十の坂を越えたばかり、昨今の平均寿命から考えると死が近いとはされにくい年齢だが、平均はあくまで平均なのであって、人によっては強く死を意識する。具体的には病気をするとか、そういうことで。 わたしは病気をした。生きて帰ったが、年に一度検査をして「まだ死なないでしょう」というようなお墨付きをもらっている。もう数年そうしている。そんなだから死について考えることは日常であり、特段の悲劇とも受け取れない。法的に有効な形式の遺言も書いたが、自筆なので、公正証書遺言にして後の憂いを断ったほうがよいのではないかと考えている。 一方で「もう法定のままでよいのかもしれない」「死んだあとのことなんかどうでもいいのかもしれない」「だっ
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