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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (10)

  • 想像上のカウンター - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのさなかにこの町に引っ越してきたので、しばらくは飲み屋に行くこともできなかった。わたしは働き疲れて小さな居酒屋で小一時間飲んでささっと帰るような日が、けっこう好きなのだけれど。 今日は珍しく灯りがついていた。ドアをあけると、彼は自分のためにいくらかのつまみを盛っていて(あきらかに自分向けの、ラフな盛り方だった)、わたしの顔を見ると、お、と言った。入っていい、とわたしは尋ねた。いいよいいよと彼はこたえた。もうのれん仕舞っちゃったけどさ、残りもんでよければ。 一人で飲もうと思ったんだろうにお邪魔しちゃって悪いね。いやいや、一人より二人で飲んだほうがいいですよ、そりゃ。そうお、ふふ。なに、今日はこんな時間まで仕事してたの? そう、ずーっとオフィス、もういやになっちゃう、あ、これおいしいな、ねぎのぬたとホタルイカのやつ、酢味噌

    想像上のカウンター - 傘をひらいて、空を
    ymmtdisk
    ymmtdisk 2023/03/15
  • 洗いたてのタオルのために - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。その後しばらくして増え、いまだ数を減らさないのが自殺である。逃げる道のない者が家に閉じこめられると死ぬ、とわたしは思う。そして寄付などする。 なぜするかといえば、わたしが無力だったころ、世界はたまたま疫病下でなく、わたしにはたまたま逃げ出すだけの足腰の強さがあったからである。そんなのはただの運で、わたしが死なずに別の誰かが死んでいる理由にはならない。その理不尽のもたらす苦痛を少し減らすために、わたしはときどき寄付をする。 わたしがはじめて洗いたてのタオルを使ったのは家を出て進学した十八のときのことである。それまでは風呂に入るときには洗面台のタオルを取って新しいものをかけ、古いほうを自分が使用するきまりだった。それがすでに水を取る能力を持たなければ、家の者の、つまりわたしより先に風呂に入る全員のうち誰かの使い古しを使用した

    洗いたてのタオルのために - 傘をひらいて、空を
  • ここから出たくない - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから一年半、わたしはかつてなくラクな日常を送っている。生きるってこんなに気楽な、快いものだったのかと、誰にも言わないけど、毎日そう思っている。 その状態を「不安」と名付けたのはわたしではない。わたしにとってそれは常に感じるものであり、デフォルトだった。子どもだったからそんな言い回しは知らなかったけれど、でも「不安になりやすい」と名付けられたときにはひどく驚いた。だってわたしはいつもそうだし、内面がのぞけないけれど実際にはみんなそうなのだろうと思っていた。 わたしは不安な子どもであり、不安な思春期を過ぎて、不安な大人になった。子どもだから、思春期だから不安なのだと言う人もいたけれど、彼らは何もわかっちゃいないのだ。これは性分であり、わたしのデフォルトなのだ。 ある意味でそれは正しい、とわたしの数少ない友人が言った。今こ

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  • どうして、お母さん - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それでわたしは母に会うことができない。 わたしの母はすごく感じのいい人だった。同世代や祖父母世代だけでなく、わたしの友だちもみんなそう言った。母はわたしの覚えているかぎり場違いなふるまいをしたことがなかった。家にどんな人が来たときにも、旅行先でも、わたしの保護者として学校に来るときでも、親戚の集まりでも。 小学生のころまではそういうのが当たり前だと思っていた。お母さんは大人だからねって思ってた。お父さんはお母さんに比べてドジだなって思ってた。父はときどき誰かと言い争いをしたり、発言すべきでないときに発言して気まずそうな顔になったりしていたから。それで人に笑われたりもしていたから。 わたしはおよそ母を嫌う人やばかにする人を見たことがなかった。母はいつも適切なふるまいをしていた。高校生までのわたしの目には、そのように見えた。

    どうして、お母さん - 傘をひらいて、空を
  • あなたブスでモテないんでしょ - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしはあなたにずっと会っていない。 オンラインで飲んでるって? あんなの会ってるとは、わたしは言わない。通話に近いと思ってる。あなたはオンライン飲みも「会ってる」にカウントするけどね。なんせアイドルのコンサートに行って「誰それに会った」って言うような人だからね。 あなたはアイドルに会ってないですー。見ただけですー。観覧しただけですー。会うっていうのはお互いがお互いを個別に認識してコミュニケーションが成立した状態を指すんですー。アイドルはあなたなんかどうでもいいんですうー。 あなたはオンラインで愚痴をこぼす。出会いがないという、いつもの愚痴だ。彼氏ほしいってあなたは言う。それなのにアプリでのアピールはど下手。あのさあ、自信がないない言いながら自信がないまま薄ぼんやりしたビジョンで彼氏作ろうとして何になるのよ。女

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    ymmtdisk
    ymmtdisk 2021/06/29
  • 家の女 - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。だからわたしは行くところがなくて、ただ走っている。 わたしが十代だったころ、若い女は将来結婚すると決まっていた。わたしは短大を出て大企業に就職してその職場で結婚して「寿退社」をした。そして子どもを産む予定だった。婚家は都内の、政治家や芸能人の屋敷はないけれどそれなりの「ランク」の住宅街の一軒家で、子ども部屋候補としてリフォームされた部屋がふたつあった。 わたしはとうとう妊娠することがなかった。それが誰のせいかは知らない。知ることができる時代でもなかった。それを甘えと今の若い人は言うのかもしれない。そもそもそういう結婚をすべきではないとか、手に職をつければよかったのだとか、そのように言うのかもしれない。 とにかくわたしには子がいない。 子ができないがそれ以外に「目立った問題」がないために離縁することもできないらしかった。そ

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  • ロマンティックなラブ像の局地的な破壊 - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために僕らは暫定的に今の相手だけを色恋の相手にすることに決めた。疫病のリスクを負ってまで新規のアフェアを探す気にはなれないし、探さなくてもあらわれるような状況でもない。 僕はつきあっている相手がいるとき積極的に他の男を捜したいタイプではない。ないが、超タイプの男から誘いがあって乗ったことはある。それに、つきあっている相手がいても「そろそろ終わりかな」と思っている段階では別の男と気軽に寝る傾向にある。そのなかから次の彼氏ができたりもする。僕はそういうのを「のりしろ」と呼んでいて、浮気にはカウントしていない。 僕の現在の彼氏に至ってはもっとアクティブというかラフというか積極的というか、一対一の恋愛関係を維持しながら常時ほかにひとりふたり楽しいだけの色っぽい相手がいるという立ち位置を好む男である。僕としてはそれがそんなにし

    ロマンティックなラブ像の局地的な破壊 - 傘をひらいて、空を
  • わたしは孤独に死ぬだろう - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのため人の死に目に会えるのは親族のみになった。感染の状況によっては親族さえ会えないこともある。 わたしはいまだ五十の坂を越えたばかり、昨今の平均寿命から考えると死が近いとはされにくい年齢だが、平均はあくまで平均なのであって、人によっては強く死を意識する。具体的には病気をするとか、そういうことで。 わたしは病気をした。生きて帰ったが、年に一度検査をして「まだ死なないでしょう」というようなお墨付きをもらっている。もう数年そうしている。そんなだから死について考えることは日常であり、特段の悲劇とも受け取れない。法的に有効な形式の遺言も書いたが、自筆なので、公正証書遺言にして後の憂いを断ったほうがよいのではないかと考えている。 一方で「もう法定のままでよいのかもしれない」「死んだあとのことなんかどうでもいいのかもしれない」「だっ

    わたしは孤独に死ぬだろう - 傘をひらいて、空を
  • 劇場から出ない - 傘をひらいて、空を

    だって仲良くなって何度かおたがいの部屋に泊まった相手なら、部屋の中を下着でうろうろするものでしょ。 私がそう言うと彼女は完全に沈黙し、それから、ほう、とつぶやいた。そのつるりとしたひたいに「保留」と書いてあるかのようだ。インテリジェントな人間によくあることだけれど、相手の意見を言下に否定することを下品だと考えているのだろう。 それはちがうと思うの?私はそのように訊く。彼女は慎重に首をかたむけ、そう、うん、えっと、そう思う、とこたえる。私は考えて、言う。お行儀がよい人なら、恋人の部屋にいても、ちゃんと部屋着を着るんだろうね、あるいは子どもができて、教育上の理由で部屋着を着てすごすのでしょう。彼女はますます慎重なようすで、そうかもしれない、と言う。 部屋着じゃないのだ。私はそう判断して確認する。つまり眠るまでは街着を着ているわけだ、お化粧も落とさない、おたがいにきちんとしている、それがどちらか

    劇場から出ない - 傘をひらいて、空を
    ymmtdisk
    ymmtdisk 2018/09/05
  • かつて凛々しかった、わたしと彼女のこと - 傘をひらいて、空を

    花とか小鳥みたいにきゃらきゃら生きていたかった。自分がそうじゃないことをよく知っていたからそういうふりをしたかった。わたしは清潔な植物でも自由な動物でもなかった。もっとなまぐさい、みっともない生き物だと思っていた。アイライナー、短いスカート、上手につけた香水、おしゃべり用に作っておく好きな男の子の名前、そういう鎧を纏って少しはマシなものみたいなふりをしていた。十六歳だった。 地方の進学校にも毎日ばっちり化粧をしているちょっと派手な女の子たちがいて、彼女たちがいちばん花と小鳥に近かった。だからわたしはその集団の中にいた。着崩した制服、噛み崩したことば、教室で大きな声を出すのは権力の証、机の上に座って凝ったかたちの髪を揺らして遠慮なしに笑うのは「かわいい」子たちだけ。そういう序列をくだらないと思わなかったのではなかった。序列を崩すほど序列に対する情熱がなく、自分の心地よさを確保するだけでひとま

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    ymmtdisk
    ymmtdisk 2017/11/07
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