調査はとりあえず、以下の資料から行った。 ①藤井駿氏「三聖寺文書に見える備中国小坂庄」 ②鴨方町「鴨方町史」 備中国小坂村については、①の藤井駿氏の研究が秀逸で、小坂村について初めて史料をもとに明らかにされたようだ。 小坂荘なる荘園が中世の備中に存在したらしいことは知られていたが、その存在を知るに足る史料は一向に見つからなかった。昭和31年になって初めて、京都の『三聖寺文書』の中に小坂荘の関係文書が若干ある事が分った。ただし、「三聖寺文書にみえる小坂荘に関する資料も断片的で、その歴史を明確に知るには頗る不十分である」としながらも、この文書を紹介して小坂荘の歴史の輪郭だけでも明確にしたいとして、上記論文を書いておられる。 まず、小坂荘の読みであるが、『倭名類聚抄』(「和名抄」)では、浅口郡小坂郷を「乎佐加」と訓じているらしい。藤井氏は鴨方町小坂西・小坂東を現在「こさか」と呼んでいるので「こさ