すでに、コメをめぐる歴史学や民俗学の研究が示すように、この日本列島にはコメを常食としない集団がずっと存在していたし、また日本人が広くコメを食するようになったのは戦時中以降のことであったといわれる。おそらく日本人全体が白米を腹いっぱい食べれるようになったのは、戦後の高度経済成長期以降、たかだかここ半世紀足らずのことでしかない。この意味では、米飯民族というよりも、農学者・渡部忠世の指摘するとおり「米飯悲願民族」だったのである。 (『食の共同体―動員から連帯へ』p16) 米飯悲願民族だったことはいい。でもそれが、どうして今受け継がれているんだろう。食育の気持ち悪さについてで見たように、食育では決まって米飯賛美で、伝統食賛美だ。世代の上の人たちが、戦争の影響もあって米を満足に食べられなくて、「米飯悲願民族」の末裔として育ったとしても、それほど不思議ではない。問題はそれがどうして、今「食育」運動の中