売りに出された娘たちが 「やませひと吹き女郎三人」 昔、青森で言われた言葉だという。夏の間、オホーツク海上で成長して東北太平洋岸に吹きつける、霧雨を伴った偏東風。地を這うように吹きつけるこの風が猛威を振るうと、気温は時に5度近く下がって田畑の作物が枯れ、農民は困窮し、いよいよ年貢が払えなくなれば娘を売りに出すしかなくなった。彼女たちの行く先の多くは「花の街」……遊郭だった。 盛岡の南部本家から分かれた八戸(はちのへ)藩は2万石という小藩で、代々の藩主は天守を構えることもなく、土居のうちに館を構えて住んでいた。藩主と藩士の住む城下町はいまの八戸中心街で、そこから湊街道と呼ばれる1本の道が海に向かって伸びている。 江戸からの東廻り船が沖の蕪島(かぶじま)に停泊し、小舟を使って荷揚げをした。その水夫の世話をした「洗濯女」と呼ばれた女性たちが遊女としても奉仕するようになり、港街道沿いの小中野の表通