ブックマーク / salon.mainichi-kotoba.jp (9)

  • 「ウラジミール」と「ウラジーミル」 ロシア人名の注意点

    図書館で借りた、19世紀ロシアを代表する文豪の一人、イワン・ツルゲーネフの「はつ恋」。ロシア文学「金の時代」の代表作です。 「はつ恋」(新潮文庫)裏表紙カバー 何気なく目に入った裏表紙の内容紹介には「16歳のウラジミールは……」とあり、チェコ系か何かの人の話だっただろうか、などとぼんやり考えたところで、はっとして中身をめくりました。 「はつ恋」(新潮文庫)文の表記は「ヴラジーミル」。裏表紙と合っていません。出版社のサイトを見てもの紹介文は裏表紙と同じ「ウラジミール」でした。 「ウ」と「ヴ」の違いは日語で表記しがたい音をどう文字にするかの問題で悩ましいところですが、文と裏表紙が合っていないのは気になります。しかしより気になるのが長音記号「ー」の位置です。 英語で綴ればVladimirで、表記に長音の要素があるわけではなく、「ウラジミル」と書かれることもありますが、ロシアではアク

    「ウラジミール」と「ウラジーミル」 ロシア人名の注意点
  • なぜ新聞は「想う」を使わないか

    読者から、次のような趣旨の異議申し立てがありました。 投稿欄で「想う」という字を、タイトルを含めてこの読者は使いたかったのですが、弊社のその欄の担当者にこう言われ、諦めたとのことです――「想う」は「おもう」と読ませられない、使うにはルビが必要になる、見出しにルビは付けられない、と。 後日、掲載された文章を見た投稿者の周りの誰もが「想う」がいいと言い、国語の先生にも「『思う』では気持ちが伝わらない。ルビの問題ではない」と言われたそうです。 「普通に使い、誰もが普通に読んでいる、きれいで、意味深い『想う』が使えない不思議が、納得いきません」とのことでした。 これに対する用語担当者の回答を、一部文言を加えて掲載します。 「想い」「思い」についてのご意見ありがとうございます。言葉を大切に思われるお気持ちが痛いほど伝わり、貴重なご意見として承りました。 これまでのやりとりと多少は重複するかとは存じま

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  • ハッシュタグ記号は「シャープ」じゃない | 毎日ことば

    2017年4月、当時の復興相が辞任することになった「大震災が東北でよかった」という趣旨の失言。これを逆手に取って東北のすばらしさをアピールするツイートが話題になりました。毎日新聞でも4月27日朝刊などで取り上げました。 その原稿中、次の部分が目に留まりました。よく見ると「ハッシュタグ」を示す記号が前と後で微妙に違っています。 どちらが正しいハッシュタグの記号か、お分かりになりますか? あ、正解の前に、これは縦組みという性格上、いずれも全角ということをおことわりしておきます。どちらかが半角ということではありません。 微妙に違う二つ 見分け方は? 正解は、後の方です。 見分け方は、横棒が右上がりになっているか否か。右上がりになっているのは音楽記号で有名な「シャープ」です。 シャープとは、半音上げることを示す記号です。だから記号も右上がりになっているかどうかは知りませんが、横棒が水平の#との違い

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  • 「なぜ新聞は閉じカッコの前に句点を付けないのか。」

    教科書では、カギかっこ(「 」)の中でも文の終わりに当たるところには句点(。)を打っているのに、新聞では閉じかっこの直前に句点を付けていないのはなぜか、というお尋ねをいただいたことがあります。 「小学国語2下」(教育出版)の「ないた赤おに」より このご指摘はその通りで、行政の公用文や教科書などはカギかっこの中でも文の終止に句点を打つのが標準とされています。これは、1946年3月に当時の文部省教科書局調査課国語調査室で作成した「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」という文書にのっとったものです。表題に「(案)」とありますように、この文書は内閣告示のような正式文書になりませんでした。しかし、句読点に関する公式機関の文書がこれ以外にほぼなかったため、「(案)」のままでいろいろな資料に収録されていて、現在もこれに準拠していることが多いのです。 さて、このような文書があるにもかかわらず、新聞が閉じか

    「なぜ新聞は閉じカッコの前に句点を付けないのか。」
  • 「地味にヒドイ!官邸の日本語」を寄稿

    首相官邸ホームページの「安倍総理挨拶」(2015年9月28日、対日投資セミナー)の動画字幕と原稿に「安倍普三であります」という表記が。

    「地味にヒドイ!官邸の日本語」を寄稿
  • 安倍首相謹話の「慎んで」は誤りでは

    変な「慎んで」 これまでにも 実は首相談話の「慎んで」のおかしな使い方はこれが初めてではありません。例えば 遠い戦場に、斃れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥かな異郷に命を落とされた御霊の御前に、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。 15年8月15日 全国戦没者追悼式式辞 日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式を挙行するにあたり、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。 16年8月15日 全国戦没者追悼式式辞 と、ここ2年の戦没者追悼式の首相の式辞に「慎んで」が使われました。 ちなみに野田内閣(12年6月6日)や小泉内閣(04年12月18日)の時の謹話には「謹んで」が使われています。 フロイトの「精神分析学入門」では、言い間違いや書き間違いと、人の深層心理との関連が述べられています。いや、安倍首相が心では「謹んで」ではなく「控えめに」という気持ちがあるか

    安倍首相謹話の「慎んで」は誤りでは
  • 校閲を悩ます「雨模様」

    梅雨や台風、時雨など、日の季節には雨が付き物。雨にまつわる日語は数多くありますが、中でも「雨模様」というありふれた言葉が校閲記者の悩みの種となっているのをご存じでしょうか。 小雨が降る空という意味で理解されがちな「雨模様(あまもよう・あめもよう)」ですが、来は雨が降り出しそうな「曇り空」のことで、実際に雨が降っている空のことではありません。辞書を引いても、「雨天」の語意を採用しているのは「明鏡国語辞典」など一部に限られ、逆に「岩波国語辞典」には「雨の降る様子を言うのは誤用」と書かれています。毎日新聞も来の意味で使用するよう心がけています。 しかし、いざ記事に「雨模様の空」が出てくると校閲記者は考え込んでしまいます。現地の天気が分からないからです。「嫌な予感」はしますが、別に文法や言葉そのものに問題があるわけではありません。校閲記者が記事の出稿元に問題点を指摘しに行く場合、あらかじめ

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  • 【首相の戦没者追悼】繰り返される奇妙な言葉遣い

    2014年8月初め、毎日新聞社会面で連載していた「週刊漢字 読めますか?」(サイトでも出題)で「首相の戦没者追悼」をテーマにしました。 過去の「沖縄全戦没者追悼式」、広島「平和記念式典」、終戦の日の「全国戦没者追悼式」で行った安倍晋三首相のあいさつのうち、難しそうな漢字を首相官邸ホームページから拾いました。 8月6日、ネタにしてしまった手前、今回はどんなあいさつになるのか、耳をそばだたせました。 ☞2014年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ(首相官邸) すると、聞いたことのある文言がぞろぞろ。安倍さん、間違えて去年の原稿を持ってきてしまったんじゃなかろうか、と半ば気で心配しました。 もちろん、毎年行うのであれば内容が前年と似たものになるのは、このあいさつの性格上避けられませんが、ここまでコピペするのは、雨や猛暑の中、参列していただいた方々のことを考えれば普通避けるものでし

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  • 一本取られた「祇園」

    2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」で松田聖子さんが出演する役名を伝える原稿で「祗園女御」「祇園女御」と分かれていました。どちらが正しいか、お分かりですか。機械の表示によっては「しめすへん」が「示」と「ネ」で分かれるものもありますが、それはここでは問題にしません。 正解は「祇園女御」。「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」をはじめ、一般的に祇園の祇の字のつくり「氏」は、下に「一」が付きません。国語辞典にも「祇園」とあります。「一」が付く「祗」は「祇」とは別の字で「し」と読みます。NHKのホームページでも「祇園」となっていたので単純なミスと分かり「祇」に直しました。 しかしなぜこんな字が出るの? パソコンで「ぎおん」と打てば「祇園」と正しく変換してくれるはず。と思って自分のパソコンで変換してみたら、選択肢に「祇園」「祗園」の二つとも出るではありませんか。なぜ誤字のはずの「祗園」が存在するのでしょ

    一本取られた「祇園」
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