二次コンやロリコンはセクシャル・マイノリティなんだ、在日や黒人やゲイと同じなんだって必死で主張しているオタクがたくさんいて、怒りに震えています。荻野幸太郎さんまでがそれに近いことを言っているので、児ポ法をめぐる表現規制反対の論理は基本的に間違っているのでは?という疑念が。
先制攻撃を仕掛けてきたのはサブカルだった 竹熊健太郎氏が「オタクvsサブカルはオタクの妬みから始まったもの」と言っているのは以前も見て知ってはいるのですが、違うよ、ぜんぜん違うよ!と、ここはひとつ主張しておきたいところ。 以前↑の記事で書いたように、私の認識では「オタクvsサブカル」ってのは、サブカルが優越感を得るためにオタクをダシに使い始めたことで始まった「消費センス競争」なんですよ。 サブカルってのは、「消費センスに優れたオレかっこいい」のナルシシズムを基本とする文化なので*1、「センスの悪いあいつら」という外敵を構造上必要とする文化なんですよね。で、その「外敵」としてターゲットにされたのがオタクだった。 サブカル側の人間である、中森明夫氏の「おたくの研究」や宮沢章夫氏の「80年代地下文化論」を読むと、当時のサブカルがいかに壮絶にオタクを馬鹿にしていたかが分かって非常にムナクソ悪い気分
頭の体操をしてみようと思う。オタクに対するヘイトスピーチは成り立つかという話だ。これが成り立つには当然のことながらオタクが差別されているという実態を証明しなければならない。だが、ここで私はいつも躓くのだ。差別とは goo の辞書に拠れば「取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと」という定義があるという。 それでは、オタクは「他よりも不当に低く取り扱う」対象とされているのだろうか。例えば女性が女性であるということだけで就職に関して不利になってしまったり、あるいは在日コリアンであるから不動産屋で冷たくあしらわれるというようなことをオタクが被っているかどうか、といった話である。そこまでひどく「不当に低く取り扱」っているとは私には思えない。 もちろん、マスメディアでは何かというとオタクがバッシングされる。犯罪者が見つかった、彼の部屋にはアニメの DVD があった、云々。これに
私は公共セクターで広報に関わる仕事をしています。数年前から、いわゆる萌えキャラクターを活用した広報をやっています。 萌えキャラクターを活用した広報は、うちの仕事では今までにないぐらいの話題性が出ていて継続的にやりたいというところです。 また、今までの心積もりとしては、男性向けと女性向けを交互に展開する方向ですすめてきました。 確かに、スプツニ子さんの指摘のとおり、人工知能学会の紀要の表紙は差別的であると非難されてしまう要素はありました。また海外で活躍されているスプツニ子さんやメイロマさんのご指摘のとおり、海外からの指摘として、ああいった日本的なサブカルチャーに依拠したものは理解され難く、非難の対象になることも、おっしゃる通りです。 特にメイロマさんの指摘の通り、リスクマネジメントの観点から言えば、公共性のある舞台では避けるべきというのはもっともな見解であると思います。 さて、どうしてもオタ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く