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by Marcelle Lucena SNSにアップロードされたバラバラの写真の中から同一人物の写真を探し、SNS上での友達作りに役立てるためのサービスとして開発された顔認識システム「FindFace」は、顔認識技術が犯罪などに悪用される恐れがあると報じられていました。そんな中、FindFaceを使ってSNS上の女性の写真とアダルトビデオをマッチングさせ、AV女優の身元を特定するという悪事が発生しています。 Facial Recognition Service Becomes a Weapon Against Russian Porn Actresses - Global Voices Advocacy https://advox.globalvoices.org/2016/04/22/facial-recognition-service-becomes-a-weapon-against-
増田です。 このところジャーナリストカエルさんのまとめが立て続けにホッテントリに入ってたりして、 そこで私は「この人は困窮してるんではないか」と直感的に思いました。 というのも、題名の通りですが、今まさに知人が困窮の一途を辿っていく道すがらにおり、 その心理的な変化をつぶさに見る距離におり、 胸が痛むが自分には何もできないという状態になっています。 もちろんカエルさん=知人ではありません。 ただ、困窮したときに、人はどのような心理におかれるのか。 それを目の当たりにしたので、すごいスピードでピンと来たのです。 いや、ピンと来ただけでそれが当たっているとはみじんも思いません。 あくまでも推測の域を出ませんので、その辺をご承知の上で このエントリを読んでいただければと思います。 フェイクはありませんが、ぼかして書きます。 知人は会社を60歳で定年退職して自営業を始めました。 最初の1年くらいは
Pressoを“新しい関心ワード”に統合しよう iOS向けソーシャルニュースアプリ「Presso」と同等の機能を持つ「新しい関心ワード」が、はてなブックマークのiOS・Androidアプリで利用できるようになりました。これを記念して、プレゼント企画を実施します。 賞品はこちら 関心ワード機能をきっかけに「関心ある話題にもっと触れられるように」という気持ちを込めて、話題の電子書籍リーダー「Kindle Oasis」を抽選で2名様にプレゼント! Wチャンスとして、「はてなブックマーク10周年記念Tシャツ」が5名様に当たります。 iOSアプリ賞 Kindle Oasis 1名様 対象:関心ワードを5個以上登録し、このページをiOSアプリからブックマークした方 Androidアプリ賞 Kindle Oasis 1名様 対象:関心ワードを5個以上登録し、このページをAndroidアプリからブックマー
今も残る「である」ことと「する」ことの問題 丸山眞男の文章の中でもっとも有名なものといえば、おそらく国語の教科書で読んだ「「である」ことと「する」こと」(『日本の思想』所収、1961年)になるだろう。あまりに有名なこの文章をいまさら要約するのも気が引けるけど、人を属性で判断する(○○である人だから××)近代化以前の日本社会のしくみと、人を業績で判断する(○○する人だから××)近代社会のしくみの相剋を指摘し、両者の間の倒錯を再転倒する必要を論じる、というものだ。 確かにこの倒錯というのは今でも色んな場面で見られる。新入社員と飲み会、なんていうのがその例かもしれない。上司と部下というのは業績によって規定される、いわば「部下する」関係のはずだと考える新入社員は、「部下である」以上は社外の飲み会においても、座り位置からお酒の注ぎ方まで部下としてのあるべき行動が求められると考える上司の飲み会には出て
もう先月の話になるのだけど、名古屋方面に出かける用事があったついでに、以前から気になっていたトヨタ産業技術記念館に足を伸ばしてみた。もともとは豊田紡績の工場があったところに、その外観を活かしながら作られた紡績と自動車の技術史を展示するミュージアムだ。こういう企業博物館を見るとつい「この人たちの雇用ってどうなってるんだろう」というのが気になってしまうのだけど、本社の皆さんも研修で訪れるという中の展示はとても示唆に富むもので、解説の方のお話にも聞き入ってしまった。気づけば当初の予定を超えて何時間も居座ってしまったにもかかわらず、それでも自動車の方は駆け足になってしまったので、また時間を見つけて行きたいなと思う。 時間を食ってしまった最大の原因は、ちょうど紡績技術のイノベーションと産業革命について考えていたところだったので、そのヒントになるような展示がたくさんあったからだ。世界史の時間に習ったと
山の人と海の人、という分け方をすることがある。感覚的なものなのだけれど、たとえばそれは育った街や暮らした場所の影響、そうした場所の風土に培われるのかもしれない。 山も海も、人の言うなりにはならない。だから私たちは、それらに合わせるようにして自分たちなりの安定した暮らしを身につける。気まぐれな自然と共生するためには、その「不安定な安定」を文化として内面化しなければならなかった。 たとえば漁に出る男たちは、明ける前の海を臨み、今朝はダメだと思ったら帰って酒を飲んで寝た。大漁の朝にも、港で祝い酒を挙げた。港に伝わる食には、何が上がるか分からない海の恵みを、そのままに恵みとして受け止めるようなポジティブさがある。そしてどこか、行ったきり帰ることがなくても仕方ないと感じるような刹那さがある。 山での猟や採取は違う。山の生態系は海に比べれば安定していて、どこに何が生まれ、どのような道を通っていきものが
指導したりされたりという関係は、とても難しい。少なくとも、これこれのことをやってくれ、と指示するのに比べれば。指導するという行為には、相手が望んでしたいと思うことを、相手の望む方向に改善し伸ばすためのものという意味合いがあるけれど、それが実際のところ、指導する側の願望でしかないケースもままあるし、何より、指導する側もされる側も、それがどちらの願望なのかをうまく理解できていないということがほとんどじゃないだろうか。 『セッション』という日本語タイトルのついた、しかし作中どこにもジャムセッションの出てこない映画を見て感じたのは、その混濁した願望が導く先のどうしようもなさであり、音楽においてすらそれが起きるという虚しさだった。もちろん興奮しなかったわけではない。そのことについては後で書くのだけど、まずは作中における指導関係について確認しておこう。 聴くべきところのない演奏 舞台は名門音楽大学、そ
若い時分、僕の周囲にはロックミュージシャンしかいなかった。アマチュアからベテランまでたくさんの人たちと関わって、たとえば「ミュージシャン」と「芸能人」の間にある微妙な差だとか、フリーランスの演奏家として生きていく彼らの職業意識だとか、そういうものを学ばせてもらっていた。概して彼らは低姿勢だったけど時によっては「ロック」な立ち居振る舞いで、彼らの語る70年代や80年代の武勇伝を聞きながら、さすがにビール瓶で頭を殴られて流血こそしなかったものの、これでも時代はマシになった方なのだろうな、と感じていたものだ。 いいとか悪いとかの話ではなく、それはある環境が生み出した生き方だったのだと思う。そして、産業化され、大きな市場になっていた90年代の音楽シーンにおいては、衝動的な自己表現が溢れた結果としてのロックの居場所は、かつてよりは小さくなっていた。「マス」という存在を意識できる演奏家たちは、その変化
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