タグ

ブックマーク / blog.szk.cc (21)

  • 続・社会学は何をしているのか

    以前のエントリで触れたように、社会学という学問は往々にして誤解にさらされるものだ、と、当の社会学者自身が思っている。社会学が他の学問より誤解を受けているという証拠はないけれど、少なくとも研究対象になるものが、専門家以外でも触れることのできる、多くの人が経験したことのある出来事だからこそ「社会学者の見方は間違っている」と非難されることが多くなるのは確かだろう。その非難は、学術を専門としない当事者だけでなく、同じ対象を扱っている他分野の研究者からなされることもある。 たとえば昨年開催された日社会学会におけるシンポジウム「社会学への冷笑と羨望――隣接分野からのまなざし」は、そのような他分野からの視点を学会的に取り入れようという意欲的な試みで、僕自身は参加しなかったのだけれど、とても刺激的なやりとりがあったようだ。学会員向けのニュースレターによると、環境経済学の専門家から指摘されたのは、環境問題

    続・社会学は何をしているのか
    ytn
    ytn 2021/02/06
  • 雑記20180212

    1970年代〜80年代の哲学・思想の世界で「ポストモダン」という考え方が流行した。人々がそこから受け取ったのは「絶対のものなんてないんだ」という相対主義の考え方だった。人の見方はそれぞれ、価値観もそれぞれ、生き方もそれぞれ。だからそこにひとつの価値で介入するのはよくないよね、ということ。 社会学のいまの研究の基盤をつくった人たちの思想的背景には、おおむねこのポストモダンの思想がある。もともと相対主義と仲のいい価値観を有していた社会学にとっては、いまでもこういう見方は根強いし、「主流の見方に対して別の視点からものを言う」ことが、それだけで意義を持つという立場で社会学を考える人も多い。 ところで僕は社会学と並行して政治哲学の研究もしているのだけど、そちらの世界では90年代以後、ポストモダンの思想は扱われなくなりつつある。代わって登場するのは「価値観が人それぞれの社会を否定せずに、その人たちを結

    雑記20180212
    ytn
    ytn 2018/02/17
    ”政治哲学の主流は「いかにして政治社会を可能にするか」という議論になっている。その点で日本の社会学は、世界の潮流から20年遅れている”みんな自分の専門に疲弊してて社会構想の社会学なんてやってない説。
  • ワークマネジメントのフィロソフィー

    仕事の連絡はすべてメールで行い、記録に残し、即レスが基だというワークスタイルがある。相当「できる」人なのだろうと思うけれど、今のように「たくさんの部署にまたがって指示を出す」「それぞれの部署が独立してプロジェクトを進め、統括者はいない」「複数のプロジェクトを束ねるコンセプトは自分の頭のなかにしかない」という環境だと、かえって「記録されていないこと」の質的な重要性が増すので、あまり使えるものではない。 言い換えるとこうしたメールベースの指示というのは、プロジェクトの全体についてイニシアチブを持っていて全員の情報を集約できるか、最終決定だけを行えばいい人、つまり部長クラスや経営者をモデルにしたものであって、プロジェクトマネージャーや課長クラスだと、致命的な見落としをやらかすリスクが高いように思う。というか割と頻発している気がする。 さらにこうしたワークスタイルは、基的には相手も同じようなス

    ワークマネジメントのフィロソフィー
    ytn
    ytn 2017/12/25
  • 文系のゼミでSlackを導入した話

    この話の趣旨はタイトルの通りで、来ならSlackの利用者としては傍流の「私立文系大学のゼミの学生」に、Slackを利用させるために悪戦苦闘した(している)話について紹介するというものだ。読み手として想定しているのは、同僚や似たような環境で教えている教員だけでなく、技術者以外の社員にSlack(その他のグループウェア)を導入、運用している管理者やマネージャー、そのようなソリューションを提案している事業者を考えている。そのため、「要件定義」に関わる前置きが長くなるけれど、具体的なノウハウよりも「未知のツールを利用してもらうためには?」という観点からのひとつの取り組み例として読んでもらえたらと思う。また、Slackそのものの解説については、ウェブ上にあまたある記事の方にお任せしておきたい(たとえばこちらの記事)。 1. 現状と課題 そもそも、なぜゼミでグループウェアを導入する必要があったのか。

    文系のゼミでSlackを導入した話
    ytn
    ytn 2017/12/25
    90年代のウェブフォーラムとか掲示板とかの匂いがそこはかとなくする。
  • 選択肢を理解する――経産省、若手・次官プロジェクト資料について

    5月20日に公開された、経産省の「次官・若手プロジェクト」なるチームがまとめた「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」という資料が話題だ。最初にウェブで見かけた反応は好意的なものだったが、次第に反論・批判・不満が噴出するようになっている。そのうち、「言い古されたことばかり」「パワーポイントがインチキ臭い」といった具体的でない批判を除くと、その中でも興味深かったのは以下の議論だろうか。 経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答 – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 「時代遅れのエリートが作ったゴミ」発言者に訊く!若手経産官僚のペーパーに感じた違和感とは。 | 一般社団法人ユースデモクラシー推進機構 経産省「次官・若手ペーパー」に対するある一つの「擬似的な批判」をめぐって – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 一連の流れのよ

    選択肢を理解する――経産省、若手・次官プロジェクト資料について
    ytn
    ytn 2017/05/24
  • 体感消費とは何か

    消費というものに着目したときに、この数年の間に起きている現象はとても興味深いものが多い。一方に目をやれば訪日外国人の旺盛な消費意欲やハロウィンなどのイベント消費があり、他方では「若者の消費離れ」だとか「ミニマリスト」のように、消費しないことが現代の特徴に挙がる場合もある。もちろんどちらも現代のいち側面を表しているのだろうけれど、消費するにせよしないにせよ、その背後にどのようなメカニズムがあるのかは、あまり取り上げられることがない。 自分自身はこの数年、消費社会論を軸にしながらテーマパークやショッピングセンター、観光、といった対象を扱ってきた。こうした消費は、近年「コト消費」などと呼ばれ、モノの消費ではなくて体験が消費価値の中心になっていると言われている。僕としてはその背景に、ネットで情報があふれるようになったことで、行かないと分からない、体験しないと分からないことを消費するマインドが顕在

    体感消費とは何か
    ytn
    ytn 2016/12/29
    それ使用価値と交換価値でもいいよね。
  • 複雑な社会における真面目さについて

    少しづつ年の瀬の足音が聞こえる晩秋の日。勤め先でも経理の皆様は、謝金の支払いなど所得税や源泉徴収と関係しそうな業務に慌ただしくなる。そして僕らのような請負業務を持っている人間にとっては、「マイナンバーを確認せねばならんので、番号の確認書類と人確認書類のコピーを寄越せ」という、マイナンバー導入の趣旨に真っ向から反する非効率な要求が相次ぐ時期にもなっている。 それ自体はシステムの移行期だと我慢すれば、最終的には効率化への道もあるのだろうし、日の納税率が悪いことを考えても、必要な措置だったろうとは思う。しかし疑問なのは、このマイナンバーを送れという連絡がやたら高圧的であることだ。いわく、この手紙を受け取ったらただちに送れだの、遅れたら事由書を寄越せだの。 よくよく手紙の差出人を見ると、お仕事をしたこともない、大手ベンダーの子会社の名前。そう、僕らにマイナンバーの提供を「お願い」しているのは、

    複雑な社会における真面目さについて
    ytn
    ytn 2016/11/26
  • 「共感」を呼ぶべきか――炎上CMとバイラル

    ネットの初期からそうだったのかもしれないけれど、ソーシャルメディア時代になって特に面倒になったなと感じることのひとつに、「意見のい違い」がある。「感動した」と書けば「は?あんなのクソじゃんセンス疑うわ」と返され、「許せない」と言えば「じゃあこれもあれも批判しないと筋が通らないとおもいまーす」と突っ込まれる。そうした衝突を避けようとすれば、意見の違いは放置するのが吉となるのだけれど、たまに学生のつぶやきを見てしまって「いやそれは違うだろう」となってしまうこともある。いまはすっかり「ネット=自分のひとりごとスペース」だと思っているので、他者の書き込みはすべてbotかAIだと受け止めてはいるものの、自分と異なる意見をどう見るべきか、正解のない問題だなあと思う。 特に、賛否両論あるグレーな事例で、その面倒さは頂点に達する。ある人や情報が「炎上」する、つまり批判を集めると、大抵の場合次に起きるのは

    「共感」を呼ぶべきか――炎上CMとバイラル
    ytn
    ytn 2016/11/26
  • 「である」人と「する」人

    今も残る「である」ことと「する」ことの問題 丸山眞男の文章の中でもっとも有名なものといえば、おそらく国語の教科書で読んだ「「である」ことと「する」こと」(『日の思想』所収、1961年)になるだろう。あまりに有名なこの文章をいまさら要約するのも気が引けるけど、人を属性で判断する(○○である人だから××)近代化以前の日社会のしくみと、人を業績で判断する(○○する人だから××)近代社会のしくみの相剋を指摘し、両者の間の倒錯を再転倒する必要を論じる、というものだ。 確かにこの倒錯というのは今でも色んな場面で見られる。新入社員と飲み会、なんていうのがその例かもしれない。上司と部下というのは業績によって規定される、いわば「部下する」関係のはずだと考える新入社員は、「部下である」以上は社外の飲み会においても、座り位置からお酒の注ぎ方まで部下としてのあるべき行動が求められると考える上司の飲み会には出て

    ytn
    ytn 2016/04/28
  • イノベーションとボトルネック

    もう先月の話になるのだけど、名古屋方面に出かける用事があったついでに、以前から気になっていたトヨタ産業技術記念館に足を伸ばしてみた。もともとは豊田紡績の工場があったところに、その外観を活かしながら作られた紡績と自動車の技術史を展示するミュージアムだ。こういう企業博物館を見るとつい「この人たちの雇用ってどうなってるんだろう」というのが気になってしまうのだけど、社の皆さんも研修で訪れるという中の展示はとても示唆に富むもので、解説の方のお話にも聞き入ってしまった。気づけば当初の予定を超えて何時間も居座ってしまったにもかかわらず、それでも自動車の方は駆け足になってしまったので、また時間を見つけて行きたいなと思う。 時間をってしまった最大の原因は、ちょうど紡績技術のイノベーションと産業革命について考えていたところだったので、そのヒントになるような展示がたくさんあったからだ。世界史の時間に習ったと

    イノベーションとボトルネック
    ytn
    ytn 2016/04/28
  • 山の人と海の人

    山の人と海の人、という分け方をすることがある。感覚的なものなのだけれど、たとえばそれは育った街や暮らした場所の影響、そうした場所の風土に培われるのかもしれない。 山も海も、人の言うなりにはならない。だから私たちは、それらに合わせるようにして自分たちなりの安定した暮らしを身につける。気まぐれな自然と共生するためには、その「不安定な安定」を文化として内面化しなければならなかった。 たとえば漁に出る男たちは、明ける前の海を臨み、今朝はダメだと思ったら帰って酒を飲んで寝た。大漁の朝にも、港で祝い酒を挙げた。港に伝わるには、何が上がるか分からない海の恵みを、そのままに恵みとして受け止めるようなポジティブさがある。そしてどこか、行ったきり帰ることがなくても仕方ないと感じるような刹那さがある。 山での猟や採取は違う。山の生態系は海に比べれば安定していて、どこに何が生まれ、どのような道を通っていきものが

    山の人と海の人
    ytn
    ytn 2016/04/28
  • 猛獣とサーカス

    指導したりされたりという関係は、とても難しい。少なくとも、これこれのことをやってくれ、と指示するのに比べれば。指導するという行為には、相手が望んでしたいと思うことを、相手の望む方向に改善し伸ばすためのものという意味合いがあるけれど、それが実際のところ、指導する側の願望でしかないケースもままあるし、何より、指導する側もされる側も、それがどちらの願望なのかをうまく理解できていないということがほとんどじゃないだろうか。 『セッション』という日語タイトルのついた、しかし作中どこにもジャムセッションの出てこない映画を見て感じたのは、その混濁した願望が導く先のどうしようもなさであり、音楽においてすらそれが起きるという虚しさだった。もちろん興奮しなかったわけではない。そのことについては後で書くのだけど、まずは作中における指導関係について確認しておこう。 聴くべきところのない演奏 舞台は名門音楽大学、そ

    猛獣とサーカス
    ytn
    ytn 2016/04/28
    "権威性を纏うことで存命し、アカデミーがそうした新しい権威を取り込みながら存命するという相互依存関係についてここで深く触れるつもりはないけれど、要するにフレッチャーのしていることは単なるアカハラなのだ"
  • 反抗なきロックの時代

    若い時分、僕の周囲にはロックミュージシャンしかいなかった。アマチュアからベテランまでたくさんの人たちと関わって、たとえば「ミュージシャン」と「芸能人」の間にある微妙な差だとか、フリーランスの演奏家として生きていく彼らの職業意識だとか、そういうものを学ばせてもらっていた。概して彼らは低姿勢だったけど時によっては「ロック」な立ち居振る舞いで、彼らの語る70年代や80年代の武勇伝を聞きながら、さすがにビール瓶で頭を殴られて流血こそしなかったものの、これでも時代はマシになった方なのだろうな、と感じていたものだ。 いいとか悪いとかの話ではなく、それはある環境が生み出した生き方だったのだと思う。そして、産業化され、大きな市場になっていた90年代の音楽シーンにおいては、衝動的な自己表現が溢れた結果としてのロックの居場所は、かつてよりは小さくなっていた。「マス」という存在を意識できる演奏家たちは、その変化

    反抗なきロックの時代
  • 「考えていない」ということ

    若い子、特に男の子たちを見ていると、ほんとうに「何も考えていない」というのに出くわすことがある。頭が悪いという意味じゃない。たとえば誰かが傷ついて悲しんでいるときに、相手の感情を慮って慰めるのではなく、この場においては「はげます」コマンドが正解だ、という考え方で行動してしまうような。 直感で行動するというのも違う。考えるより先に正解の行動を探してしまうというのかもしれない。その行動が正解であるかどうかは一般論では判断できず、両者の関係やそれまでの経緯に左右されるはずだし、行為とその結果の関係も不確定だ。問題は慰めたいという気持ちはあるのに、相手について思考することを投げ出しているその点にある。 そうした傾向は言葉選びにも現れる。どんな文章も「事実」と「感想・主張」で構成されるのだけど、よく考えていない人の文章は、事実ばかりで感想がない。たまたま今朝見ていたふたつの文章が、その対比をよく示し

    「考えていない」ということ
    ytn
    ytn 2015/09/20
  • 「スマホ依存」に対する誤解

    信州大学の入学式における、山沢学長のスピーチが話題になっている。先行する記事で「スマホやめるか、大学やめるか」の見出しとともに 山沢学長は、昨今の若者世代がスマートフォン偏重や依存症になっている風潮を憂慮。「スイッチを切ってを読み、友だちと話し、自分で考える習慣をつけ、物事を根から考えて全力で行動することが独創性豊かな学生を育てる」と語りかけた。 と報じられたのが原因だ。この記述だけでもちょっとまずいな、と思っていたのだけど、全文を読んでみて、その思いが確かになった。なので、この件について手短に。 まず、全文が出たことで「やっぱり言ってることはまともだった」という感想が多いことについて、僕も異論はない。最初から「大学でスマホを禁止する」などと言っているとは思わなかったし、入学式のスピーチでそんな極端なことを言うはずもないだろうと思っていたからだ。 だが問題なのは、「スマホ依存症」に対す

    「スマホ依存」に対する誤解
    ytn
    ytn 2015/04/06
    個人的addictionの水準の問題ではなく、「繋がり依存」の問題と。
  • 「炎上」と「クソリプ」のあいだ

    一度火がつくと止まらないケース アパレル業界においては、だんだんと暖かくなってくる今頃は年間でもかなり重要な時期なのだと思う。社会人になれば可処分所得も増え、生活も変わるから、そういう人に「これまでとは違う、ひとつ大人の服」を売り出す絶好のチャンスだからだ。もっといえば、これまで潜在顧客だった層を一気に自ブランドの顧客に変えるために「春」「変化」「開花」といった季節のキーワードと顧客自身の成長や変身を重ねあわせてアピールするようなキャンペーンが、様々に展開される時期であるわけだ。 そんな中、ジェンダーに絡むものとしては珍しくワンサイドで炎上したルミネのPR動画。20日朝からウェブ上で燃え始め、夕方には謝罪の掲載と動画の削除というスピード対応だったので、僕らにとっては収束に向かう案件だけど、おそらく制作担当者にとっては胃に穴のあくようなクライシス対応の日々が続くのだと思う。春先のキャンペーン

    「炎上」と「クソリプ」のあいだ
    ytn
    ytn 2015/03/21
    "こういう騒動の際によく出てくる「発信側の本来の意図」は何かという問いには、実はほとんど意味がない。"シャノン=ウィーバーモデルですね、わかります。
  • 『クローズアップ現代』に出演しました

    これまでも何度かお話をいただいたものの、スケジュールの都合でお断りをさせてもらっていた『クローズアップ現代』に、ようやく出演することに。事前にもやりとりをしていたものの、話す内容は放送直前まで続いた国谷キャスターとの打ち合わせの中で決めたので、さすがに最後の方は詰まり気味で視聴者フレンドリーではなかったなと反省。話した内容については早速クロ現のサイトにアップされているので特に言うことはないのだけど、あまり指摘できなかった点について3点くらい補足しておきたい。 ひとつは、企業が防衛的になって初動を誤る理由について。打ち合わせで話していて見えてきたのは、これまで企業に対して強い圧力をかけることができる団体、個人は限られていたということ。悪い言い方をすると、お客一人の対応をマズったからといって、さしたる問題にはならず、業界団体、監督官庁、総会屋など、気を遣わないといけない相手は限られていた。それ

    『クローズアップ現代』に出演しました
  • なぜ、ポエムで組織はカルト化するのか〜2014年の振り返り(3)

    いつも時代の3年先というか、みんなが気がつく頃には自分の関心は薄れているようなことにアンテナを張って生きているのだけど、今年話題になったものでいうと、いわゆる「ポエム化」の話かなと思う。ブラック労働とポエムの相性がいいというのは、自分的には周知の事実だと思っていたし、だからこそクロ現の企画も受け入れられたのだと思うけれど、それにしてもあらためて映像化されて驚いたという人も多かったのだろうか。 いまの勤め先に入ってから、学生たちの関心もあって、それまで格的に手を付けてはいなかった消費社会研究に取り組むことになったのだけど、そこで見えてきたものの中には、たとえば再魔術化やディズニー化といったショッピングモール論につながる話や、以前の自分の研究とつながる話なんかと並んで、『サブカル・ニッポンの新自由主義』で扱ったサービス労働と若者の自己意識の話の延長になる、「感情労働」などの現代的なサービスの

    なぜ、ポエムで組織はカルト化するのか〜2014年の振り返り(3)
    ytn
    ytn 2014/12/29
    「悟り系」のフォーマットの中で、条件以上のパフォーマンスを発揮することを歓びとするべきだという「気付き」を得た人にとって、単に職場から引き離すことができたとしても、別のブラック労働を求めて彷徨うことに
  • しくみの分からないものに、関心はもてない

    選挙のたびに「政治に関心を持とう」「選挙に行こう」というキャンペーンが行われるのが、ウェブにおいても当たり前の風景になった。東日大震災以後の世相全体での政治への関心の高まりや、ネットに慣れ親しんだ世代が壮年期を迎え、社会の担い手としての意識を持つようになったことが背景にあると考えられる。またその表現のあり方も、政策の比較やデータの紹介、識者のコメントや論説など、非常に充実したものになっている。 「ネット選挙」という言葉を、ネットでの選挙活動あるいは投票という狭い意味で捉えず、広く政治と投票への関心を集める活動だと考えるならば、10年前とは比べ物にならないくらい、ネット選挙のありようは豊かになっている。一方で、投票率の上昇や投票する候補者、政党を決定するのに、こうした活動がどの程度寄与しているのかは定かではない。どんな物事も普及、定着するのに時間がかかるものだから、単時点ではなく長期的に考

    しくみの分からないものに、関心はもてない
    ytn
    ytn 2014/12/15
  • 「プロのコンテンツ」だから稼げるわけではない

    この夏から一気に「ソーシャル終わるよね」→「バイラルうざいよね」みたいな流れが加速しつつある日のウェブ界隈。僕自身はそれを個人の好みではなく仕組みの限界の問題として考えてきたのだけど、じゃあそれに対して何ができるのか、何をするのかという点についても、そろそろ考えないといけない段階に入ってきているのだと思う。僕は実務家ではないから、逆に何を書いても無責任になるところがあるので、仕組みの話しかできないけど。 今年の夏コミケでは、小林幸子がブースを出したことが話題を呼んだ。 演歌界の大御所の小林幸子とオタクの祭典コミケ。何の関連性もない異色の取り合わせである。だが、その異色さだけで3時間経たないうちにCDが完売してしまった。 だが、このコミケCDは数万円で転売されている一方で、コンサートチケットは100円のまま買い手がついていないという。 「小林幸子」と言うコンテンツそのものではなく「コミケ

    「プロのコンテンツ」だから稼げるわけではない
    ytn
    ytn 2014/09/02