エロゲの考察屋で面白い人の多くが批評してるエロゲの本文を引用してる気がする。 どうしてなんだろう。それとも俺の気のせいかな? しかし、そこに「感動」の理由はない。ただ、システムの妙が分かるだけだに通じる何かがあるのか? 説明できないような部分があり、それを摂取しまた交換するのが現実の人間である。現実の会話とは時に突拍子もない語が出てきてしかもそれが論理的に回収されぬまま続くものであったりする。みたいなことなのか? 文学というか、まあ芸術文学の基本姿勢は、法則定立性とは正反対の方向を向いている。つまり、法則からは目を背けて、ある一人の人間の個性にフォーカスをあてた、個性記述性が根本にある。 だから、バラバラにして物語を「友情」とか「逆転」とか「葛藤(ストラグル)」とか「恋愛」みたいに、いろんな面白い要素を無感動に一刀両断で一括りしてつまらないものしちゃうのと通じるものがあるのかもし