ブックマーク / tsukimori.sakura.ne.jp (6)

  • 森の路はずれ - 「音楽とは人が人に向けて発する何かだ」――「Canvas2 ~虹色のスケッチ~」美咲菫編を改めて読み解く

    当に好きなギャルゲーは、一度売り払ってからまた買い戻したくなって、実際買い戻してしまうギャルゲーのことなんじゃないかと思ってるんですけど、実際してしまったという意味で僕はPS2「Canvas2 ~虹色のスケッチ~」が当に好きなんだなあ。今となっては懐かしい作品で、いつまで水着着てるんだよというか、既に続編の移植版PS2「Canvas3 ~淡色のパステル~」が発売されていたりするくらい時代遅れなんですが。この最新作どうなんでしょうね、PC版の体験版をプレイした限りではイマイチかなと思ったんですが。先祖帰りしてどーするよというか。 「Canvas」シリーズが抱える自己撞着的限界 「Canvas2 ~虹色のスケッチ~」を今回買い戻したのは、特に美咲菫編がまたプレイしたくなったからでした。(正直な話美咲菫編と竹内麻巳編以外はどうでもいい)そして再プレイを終えた今、やはりこの子のシナリオは「Ca

  • 森の路はずれ - おへんじにかこつけて僕の環境設定の話

    現実は重いし濃い。最近は残業が増えて、金は要らないから早く帰らせてくれという日々が続いていたのでエロゲーはほとんどやっていない。なんとなく読んでみた丸谷才一の小説(『女ざかり』)は、さすがに筆は滑らかだったけど下世話な風刺小説だった。もうちょっと自分で楽しいことを見つけて、月森さんのような元気の出る文章を書けるようになりたいものだ。このままでは閉塞して消耗して終わりそうな気がする。(オネミリエの出島さん2009-04-05付日記) 僕、ちょっと調子に乗りすぎていたかもしれません、は、恥ずかしい・・・。でも「俺たちに翼はない」、かなりオススメですよ。気楽に楽しめるというか、最初主人公にプレイヤー(自分)のことを胡散臭がられるのが良いです。 絵も、そんなに魅力を感じないところがかえってくつろげたりして。たとえば異性と意識せずにつきあえる女友達とバカ騒ぎでもしているかのような感覚で、不条理とか

  • 森の路はずれ - 破綻から再生へ、狂気から陳腐へ、ありふれてゆく物語――「俺たちに翼はない」評

    ミラーハウスってあるじゃないですか。いや、今もあるのかは知らないけれど。遊園地のアトラクションのひとつで、たくさんの鏡が壁のように張り巡らされた迷路の小部屋。 「俺たちに翼はない」という作品は、いうなれば、青春群像という名のミラーハウスに迷い込んだ主人公たちが、己ら自身という鏡に映り込んでくる僕(プレイヤー)と形而上の対話をする、ずいぶん風変わりな"仕掛け"だと思いました。 この作品を好きになれるかどうかは、第一に、鏡に映った自分をどう見るか(そもそも見るのか見ないのか)ということに尽きるのかもしれないなあ。 まずプレイヤーは、主人公という鏡に頭をぶつけるところから始まります。形而上のこととはいえ"痛い"かもしれませんね。でも鏡があること(鏡であること)、鏡を向けていることを彼らは最初に教えてくれ、以降もあらゆる場面・方法・メディアで作品側は――主に人をおちょくったような親しみやすさを

  • 森の路はずれ - 暴漢から救ってSEXする、相互批判性の欠けた共犯関係

    今は亡き・・・というわけでもないらしいねこねこソフトが2000年に発売した、「銀色」という作品があります。けっこう有名かもしれません、僕も当時プレイしました。その物語に登場するヒロインのひとり、篠崎あやめは言葉をしゃべることができず、会話はホワイトボードを使って行う。そんな女の子です。 ちなみにホワイトボードの語尾は「~なの」ではありません。 さすがに9年も前にプレイした作品なので、記憶違いの可能性もあるんですけど、ある夜彼女は、帰路通り抜けようとした近所の公園で暴漢に襲われてしまう。口が聞けない=助けを呼べないという弱みにつけこまれて・・・。 そこを間一髪、"たまたま"通りかかった主人公が助けることになる。まあ、お約束ですね。というか助けなければ即バッドエンド直行なんですけどね。 かわいそうにすっかり怯えきってしまっている彼女を、すでに好意を寄せてもいた主人公はそのまま帰すことがどう

  • 森の路はずれ - エンディングでは終わらない ハッピーはエンディングにしかないわけではない

    □エンディングを見るために攻略するゲームとそうでないゲーム[from 駄文にゅうすさん] ファミコン初期のゲームは、エンディングという概念がないものが多かったです。最後まで行ったら最初にループしたり、エンディングと言えるようなものもないままそのまま終了してタイトルに戻ったり。よく覚えていませんが、あの頃は最後までクリアすることをそれほど意識せずに遊んでいたと思います(というか、例えばマリオブラザーズで255面だか256面だかまで行くとループするということすら知らなかったはず)。 そのうち使える容量が増えていくとゲームにストーリーが盛り込まれるようになり、最後まで攻略してエンディングを見れば一通り終わり、という形式が当たり前になりました。逆に言えば、プレイヤーはエンディングを見るためにゲームを遊ぶわけです。しかし、この方式には気が向いたときに適当に遊ぶのが難しいという欠点があります。 そ

  • 森の路はずれ | ヒロインに好かれたい――ジャンルの起源・プレイヤーの原質

    そもそも、ぼくには「自分に好意を寄せてほしい」という欲望はないと思う。エロゲはプレイするけれども、別にエロゲのキャラクタと恋愛したいわけではない。 そしてぼくはとくに自分が少数派だとは思わない。ぼくみたいな人間はたくさんいると考える。「オタクは皆美少女キャラに好かれたがっている」というのは、やはり極論だろう。(Something Orangeさん) なんというか、エロゲーのヒロインに好かれたいとは思っていない、そうさっぱり断定してしまえるというのは、個人的にちょっと寂しいなあと思った次第であります。 エロゲーというものがゲームであり、ゲームであるのならプレイヤー個々人のプレイ動機というものが発生するでしょう。プレイヤーは何を目的としてエロゲーをプレイしているのかといえば、小説映画のようにただ純粋に読みたい、鑑賞したいというとりたてて意識するほどのこともない純然たる動機があるのは当然にして

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