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ブックマーク / note.com/shinshinohara (8)

  • 「教える」の多くは幼児的欲求?|shinshinohara

    面白い体験を伺った。とある女性が初めてテレビゲームをやってみたら、普段からやってる息子が「そこはこうしたほうがいい」「次はこうなるから気をつけて」と教えてくれて、かなりうっとうしかった、と。他方、やったことのない夫は一緒にドキドキしながらうまくいくと驚いてくれて、嬉しかったという。 その経験から、人間には教えたがる能があるのではないか、という指摘がなされていた。これは大変面白い話だと思う。教えたくなる能、これについて考えてみたい。 私の考えでは、教えたいという気持ちは、「驚かしたい」という気持ちの変形なのでは?ということ。 テレビや雑誌、ネットなどで新しい情報を仕入れ、他の人にそれを教えると「へー!」と驚いてもらえた経験は、皆さんお持ちだと思う。教えるという行為は、人を驚かす行為でもあるのだと思う。それは恐らく、子どもの頃からの経験から生まれたもののように思う。 幼児はよく、「ねえ、見

    「教える」の多くは幼児的欲求?|shinshinohara
  • 関係性から考えるものの見方・・・社会構成主義|shinshinohara

    (ずいぶんと堅苦しい名前だけれど)社会構成主義の考え方、結構面白い。 アメリカでは中絶問題で世論が真っ二つに割れている。賛成派と反対派で議論すると、互いに相手の主張のおかしいところを攻撃し、自分の主張の正しさを訴える。話は平行線に終わり、関係性は断絶したまま。ところが。 リクツを戦わせるのをやめ、なぜ自分が中絶に反対するようになったのか、あるいは賛成するようになったのか、そのきっかけとなった個人的体験を語ってもらったところ、お互いに「ああ、そういう体験があると、そういう意見になるのは当然だよな」と理解と融和が進んだという。 この現象は興味深い。リクツというのは一見論理的で、論理的だからこそ普遍的なものだという思い込みがある。その普遍的なリクツから言えば相手の意見は非常におかしく矛盾に満ちていて、自分の理論こそ正しい、としか思えない。しかし相手は相手で同じことを考えている。ここに断絶が生じて

    関係性から考えるものの見方・・・社会構成主義|shinshinohara
  • 単純作業は創意工夫の小宇宙|shinshinohara

    ストッキングの袋詰めを内職に出すことに。まずは一箱どのくらい手間がかかるか調べなくては。両親二人で三時間。ということは、一人だと一箱六時間かかる。それを参考に、一箱あたりの内職代を決めた。案の定、慣れてきた人でも四時間を切ることはできなかった。ところが。 一人だけ、1時間程で一箱仕上げてくる人がいた。そのことを他の内職の人に言うと、皆、信じられない、友達に手伝ってもらっているに違いない、という。 ところがとうとうその人は1時間を切って持ってくるように。人に聞くと、一人でやってるという。一度、目の前でやってみてほしいと頼んだ。 「うちのテーブルと少しすべりが違うけど」と言いながら、袋の束ををトントンとテーブルの上で叩くと、前に放り投げた。マジシャンのトランプのように、均等に袋がズレて並んだ。まずこれにビックリ。すると今度はストッキングを雑然と山にした。「きちんと並べなくていいんですか?」と

    単純作業は創意工夫の小宇宙|shinshinohara
  • まずは五感で観察、理論は後|shinshinohara

    もう10年近く前になるけれど、「すいえんさー」というNHK教育の番組が面白くて。特に衝撃的だったのは、大学対決。私が初めて大学対決を見たのは、京都大学との対決だった。A4の紙で作った物体の滞空時間を競うという競技。京大の学生は博学さと理論知を発揮して、様々な形の物体を作った。かたや。 アイドルグループのすイエんサーガールは、中学高校生の女の子たち。飛行体の知識も理論もなく、流体力学ももちろん知らなかった。理論からいけない彼女たちは、ともかく紙を色々折っては、落としてみた。すると意外なことに、無加工のA4の紙が一番滞空時間が長くなることに気がついた。 ただし無加工の紙は、ものすごく早く落ちることもあった。彼女らは、滞空時間が長い時と短い時の違いを観察した。滞空時間が長い時は横にシーソーのように揺れて徐々に落ちるのだけれど、早く落ちるときは揺れ過ぎて紙が縦になり、一気にまっすぐ落下するのが原因

    まずは五感で観察、理論は後|shinshinohara
    yuiseki
    yuiseki 2021/10/24
  • 夢中になること|shinshinohara

    赤ちゃんは見たことのないものを手にすると、かじったりガンガン床に叩きつけたりなげたり、いろんな角度から眺めたり。ありとあらゆる方法でそれを味わい尽くす。それこそ夢中で。五感を使って関心あるものを夢中で調べ尽くす能があるらしい。 大人から見ると、知育おもちゃは遊び方が決まっている。赤ちゃんが「来の遊び方」と違うアプローチをしていると「これはそうじゃなくて、こうやって遊ぶんだよ」と、つい教えたくなる。けれど、赤ちゃんは目の前のものの調査真っ最中。ジャマしない方がよい。 昔、塾生の父兄も一緒に海にキャンプに行った。すると中学生男子「何もない!ゲームセンターは?コンビニは?マンガどこで買えるの?」そんなものない、海で遊んだらええやん、と言ったらガックリ肩を落とし、持参した携帯ゲーム始めた。 おかしい。ボーイスカウト長年やってると聞いたのに? するとその子のお父さん、クルマからイス、机を出し、車

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    yuiseki
    yuiseki 2021/10/12
  • 「驚く」ことが体験ネットワークを構築する|shinshinohara

    「勉強できる子」は一度説明しただけで理解し、覚えてしまう。「勉強の苦手な子」は一度説明しただけでは理解できず、覚えることもできない。なんなら同じ説明を何度もしても理解できない。この現象をもって「頭が悪い」と決めつけてしまう「勉強のできる人」は多い。しかし私は見解が異なる。 観察してると「勉強のできる子」は、その言葉を聞く前にすでに知識のネットワークが準備されている。電流の話を聞く前に、モーターや電球の仕組みだとかに興味を持ち、すでにある体験ネットワーク、知識ネットワークの結節点の一つにその名称をあてはめるだけ。だからすんなり覚えてしまう。 ところが「勉強の苦手な子」は、体験ネットワークがすっぽり抜けてしまっていることが多い。花をマジマジ見たことがないし、電気のオモチャを分解したりしたことがない。見たことも聞いたこともないことを突然聞かされても面らうだけだし、何度説明されても体験と結びつか

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    yuiseki
    yuiseki 2021/10/12
  • 教育学はまだ科学的検討が難しい分野|shinshinohara

    教育学は、人間の営みの中でも最重要のことを研究する学問でありながら、科学的に扱うことが難しく、今後も当分は科学として取り扱うことが難しいと思う。「子育ての巧拙」を定義することが非常に難しく、定量的に扱えないからだ。 「あの人に出会って人生が変わった」という体験を持つ人は多い。この親でなければ今の自分はないだろう、と思う方は非常に多い。だから実例にあふれている。あふれているにも関わらず、数値化できない。定量化できない。子どもによって性質が様々、適した接し方も様々だからだ。 たとえば先日も紹介した話だが、果敢派の親が慎重派の子どもに、自分のように果敢になれと強制することで子どもの意欲を奪うことがある。他方、慎重派の親が果敢派の子どもの乱暴さを叱ってばかりで、「悪い子」のレッテルを貼りかねないケースもあり得る。 https://t.co/sDfw7wNVRU 果敢派の子ども、慎重派の子ども、それ

    教育学はまだ科学的検討が難しい分野|shinshinohara
  • 高齢者にも聞こえる新・電子音部品の開発を!|shinshinohara

    携帯電話の着信音、誰か、高齢者でも聞こえる電子音を開発してくれませんか?私の母は聞こえないし、周囲でも、高音過ぎて聞こえない高齢者、多いです。 現在の電子音は、耳の悪くない人には、遠くにいても聞こえる、通りの良い音ではありますが、高音が聞こえにくくなった高齢者には、聞こえません。 高齢者向けガラケーやスマホに装備されている着信音すべて試しましたが、よりによって全部電子音で構成されているので、全然聞こえず。高齢者向けとうたいながら、着信音はすべて高い電子音で構成するという工夫のなさ。これ、何度も訴えているのに改善される気配なし。 年を取ると、蚊の飛ぶ音(モスキート音)が聞こえにくくなる、と言われるように、高齢者で耳の遠くなった人は、高音から聞こえにくくなるようです。なのに電子音はことごとく高い音。おかげで着信音、耳の遠い高齢者は全然聞こえません。不便極まりない。 これだけ高齢者だらけになった

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