2018年8月15日のブックマーク (8件)

  • 鴻上尚史が受けた衝撃… 特攻帰還者を幽閉した「振武寮」の驚愕の内幕とは? | AERA dot. (アエラドット)

    1944年10月。三重県・明野教導飛行師団にて。ラッキーセブン隊の一員で、陸軍初の特攻隊「丹心隊」の一員に選ばれた佐々田眞三郎少尉(左)と談笑する大貫少尉この記事の写真をすべて見る 河北省石家荘にて。前から4列目右から6人目が大貫見習士官。ここに並ぶ第28教育飛行隊隊員の、およそ7割が戦没した 太平洋戦争末期に、特攻帰還者を幽閉する「振武寮」という施設があった。そこでは上官が帰還兵を殴打し、怒声を浴びせ、再び生きて戻ることは許されない、と思わせる精神教育が行われた。2009年に出版された『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』は、元特攻隊員が知られざる内幕を明かした、驚愕のノンフィクションだ。 【およそ7割が戦没した第28教育飛行隊隊員…】 鴻上尚史さんのベストセラー『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』は、実はこの『特攻隊振武寮』からヒントを得て書かれたのだという。鴻上さんが書から

    鴻上尚史が受けた衝撃… 特攻帰還者を幽閉した「振武寮」の驚愕の内幕とは? | AERA dot. (アエラドット)
  • 日本人は「トルコ経済」のヤバさをなめている

    金融市場で夏休みムードを吹き飛ばすようなトルコ発の衝撃が広がっている。アメリカ人牧師拘束問題などをめぐってアメリカ・トルコ関係が悪化し、トルコの通貨リラの相場が急落、世界的な経済不安に発展している。 日経平均株価もこの影響で不安定な動きが続いている。リラ急落で欧州の金融機関が保有するトルコ関連の資産が焦げ付く恐れもあり、トルコ発の金融危機が懸念される事態に陥っている。 単一的な問題ではない 問題を複雑化させているのは、トルコの対外資依存度の高さや中央銀行の独立性をめぐる疑義といった経済問題のみならず、アメリカとの外交関係悪化も絡み合っていることだ。さらには、2002年の総選挙勝利以来、強い指導者として君臨するエルドアン大統領の経済政策や資質そのものに疑念が生じていることも問題を根深くしている。 エルドアン大統領は、指導力を発揮してトルコを発展させてきた。一方、国力の違うアメリカのドナルド

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  • 世界約90カ国の学生が集まる「APU」、驚きの姿

    大分県別府市。日一の源泉数・湧出量を誇る温泉のまちを望む山の中腹に、世界でも例をみないユニークな大学がある。 2000年に開学した立命館アジア太平洋大学、通称APU。学生6000人のうち半数の3000人が世界88カ国・地域から集まった国際学生(外国人留学生)で、教員も半数は外国籍。多国籍・多文化の中で大学生活を送っている。 「いやー、ものすごく大変でしたが、まさかの夢物語が実現したんですよ」と副学長の今村正治さんは陽気に語る。開学事務局の課長として、準備に奔走したひとりだ。 京都を拠点とする立命館大学は、将来を見据えて1980年代からさまざまな改革を行ってきた。関西で初となる国際関係学部の設置、びわこ・くさつキャンパス(BKC)の開設……。当時の総長他幹部に、大分県の平松守彦知事(当時)がアプローチしたのは1994年のこと。 「大分県をアジアと日のハブにしたい。大学を作りませんか」とい

    世界約90カ国の学生が集まる「APU」、驚きの姿
  • 財務省、風土改革へ360度評価検討 採用苦戦で拍車 - 日本経済新聞

    財務省には、にらまれると怖い上司を若手・中堅官僚がランキングした「恐竜番付」と呼ばれるペーパーがある。別名"パワハラ番付"とも呼ばれるが、この名物が二度と作られなくなるかもしれない。部下が上司を評価する「360度評価」を、気で導入する検討に入ったためだ。上意下達の軍隊的な風土が間違った方に働き、公文書改ざんのような事件を引き起こしたという反省がある。風通しのいい組織を目指したこの人事改革は、採

    財務省、風土改革へ360度評価検討 採用苦戦で拍車 - 日本経済新聞
  • 戦友の生きた証し、私は焼いた 91歳が告白する「罪」:朝日新聞デジタル

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    戦友の生きた証し、私は焼いた 91歳が告白する「罪」:朝日新聞デジタル
  • 公文書廃棄、73年前も 敗戦の霞が関に何日も炎と煙が:朝日新聞デジタル

    東京裁判に出された証言では、陸相により焼却が命じられたのは8月14日。防衛庁の防衛研修所30年史は「陸海軍は、秘密文書が連合国軍の手に落ちるのを防ぐため、重要文書を焼却した。陸軍省や参謀部のあった市ケ谷台、海軍省や軍令部のあった霞が関などでは、何日間も炎と煙が立ち上った」と記す。 日軍の暗号電報を解読した米英の文書には、インドネシアやシンガポールに展開する軍に焼却が命じられた様子も記録されている。 歴史を伝える資料の多くがこうして失われたが、偶然にも残されたケースもある。国文学研究資料館(東京)の加藤聖文准教授(51)は、各地の自治体で貴重な資料を確認してきた。ただ、公文書への意識の低さや自治体の財政難などから、散逸や腐の恐れがあるものもあるという。 今夏に訪ねた鳥取県境港市では、土決戦時の動員の流れを示す「(秘)」と書かれた資料などが段ボール箱に詰め込まれ、旧幼稚園舎に山積みされ

    公文書廃棄、73年前も 敗戦の霞が関に何日も炎と煙が:朝日新聞デジタル
  • 陸軍文書、焼かれたはずが 天皇印や「原子爆弾」の記載:朝日新聞デジタル

    黒い灰が空に舞っている。……東京でも各所で盛んに紙を焼いていて、空が黒い灰だらけだという。作家高見順が、1945年8月16日付の「敗戦日記」にそう記している。45年8月15日の終戦前後、植民地も含めた日の各地で、大量の公文書が燃やされた。東京・市ケ谷台(現防衛省)にあった陸軍省や参謀部は、その象徴的場所だ。その地中から戦後50年以上を経て、焼却されたはずの文書が、焦げ痕がついた状態で発見された。 その一つ。焼け残った部分からは「昭和19年3月」「陸軍大臣東条英機」の文字と、天皇の「可」の印がみえる。天皇の決裁をあおいだ「御裁可書」だ。45年8月の「特別緊急電報」では「広島」「調査団ヨリ」「原子爆弾ノ爆発中心ニ於ケル放射能」の文字がよみとれる。 防衛省防衛研究所などによると、これらの文書は、96年4月末、自衛隊市ケ谷駐屯地で東京都埋蔵文化財センターが旧尾張藩上屋敷跡の発掘調査中、簡易防空

    陸軍文書、焼かれたはずが 天皇印や「原子爆弾」の記載:朝日新聞デジタル
  • The Unlikely Activists Who Took On Silicon Valley — and Won (Published 2018)