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2019年4月3日のブックマーク (38件)

  • SIGINT(シギント)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    今日のキーワード 五節舞 日の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

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  • 逆縁(ギャクエン)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    1 仏語。悪行がかえって仏道に入る機縁となること。⇔順縁。 2 親が子の死をとむらったり、敵対していた者などのために仏事をしたりすること。⇔順縁。 〘 名詞 〙① 仏語。果をもたらす因縁が果と一致しないこと。一般には、善事を縁として仏教にはいることを順縁、悪事を縁として仏教にはいることを逆縁という。[初出の実例]「聖教に値遇せし逆縁くちずして、かへって得道の因ともなる」(出典:平家物語(13C前)一一)② ( 順当な因縁でないというところから ) 親の子に対する供養、または、仇(あだ)などのためにする供養や法事。また一般に、親に先立って子が死ぬことをいう。[初出の実例]「逆縁の手向も受けよ父が水」(出典:俳諧・広原海(1703)三)③ 普段縁のない者が偶然の縁で死者に回向したり、神社仏閣に参詣したりすること。[初出の実例]「逆縁(ぎゃくえん)ながら念仏をおん申し候ひておん弔ひ候へ」(出典:

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  • イタラ訳聖書(イタラやくせいしょ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    古代語訳聖書の一つ。旧約聖書の最古の翻訳は七十人訳 (→セプトゥアギンタ ) であるが,新約聖書をも含めた全聖書の翻訳の最初のものはラテン語訳 (→ウルガタ訳聖書 ) で,これはローマ教皇ダマスス1世のすすめでヒエロニムスにより5世紀の初めに完成された。このウルガタ以前に2世紀に七十人訳からラテン語に訳された旧約聖書と,新約ギリシア語原典からラテン語訳された新約聖書を含む各種のラテン語訳が西方のラテン語を用いる教会の間に流布していた。これらを総称してイタラ訳聖書というが,ウルガタ前原 Praevulgata Text,旧ラテン Vetus Latinaともいわれる。

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  • ウルガタ訳聖書(ウルガタやくせいしょ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    ヒエロニムスによって訳され,西方教会において最も広く用いられてきた聖書のラテン語訳。2世紀以来西方教会で用いられていたラテン語訳聖書文 (→イタラ訳聖書 ) に不備が多く混乱が生じていたため,382年教皇ダマスス1世の要請によって翻訳が始められた。新約のうち福音書はギリシア語文をもととして,イタラ訳の改訂が行われた。旧約は初めギリシア語訳をもとにして開始されたが,やがてヘブライ語原文からの翻訳に改められ,15年 (390~405) を経て完成された。福音書以外の新約各書の改訂訳はヒエロニムスのものでないとされるが,だれの手によるのかはわからない。この訳は従来のラテン語訳よりすぐれていたため,次第に一般に用いられるようになり (普及版を意味する「ウルガタ」の名はここに由来する) ,6世紀頃には旧・新約各書の翻訳のすべてが一にまとめられるにいたった。現存最古の手写は,690年頃に書か

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  • セプトゥアギンタとは? 意味や使い方 - コトバンク

    旧約聖書の最古のギリシア語訳。正式名は Interpretatio Septuaginta Virorum。「七十人訳聖書」もしくは「ギリシア語訳旧約聖書」ともいう。旧約聖書偽典『アリステアス書簡』に,前3世紀プトレマイオス2世フィラデルフォスの命により 72人のユダヤ人の学者が 72日間で完成したとあるところからこの名がある (307節) 。しかし実際は少数集団によってエジプトのアレクサンドリアで,ディアスポラのユダヤ人の要求に応じて,まず律法の部分が訳され,その後1世紀かけて現行正典の大部分が訳された。原典にない多くの文書も含まれて区分配列も現行聖書とは異なっている。諸古代語訳中最も重要なもので,ヘブライ語原典のテキスト・クリティークの重要資料であるだけでなく,コイネー (共通の) ・ギリシア語文書として言語学的にも貴重。

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  • トビト書(トビトしょ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    旧約聖書外典中の一書。童話的モティーフを取り入れた伝記的物語。捕囚民としてニネベに住むユダヤ人トビトTobitは,放置されていた同胞の死体を葬った夜,スズメの糞が目に入り失明,逆境を悲しんで死を願う。同じころ親族の娘サラも神に死を祈り求め,二人を救うべく天使ラファエルが遣わされる。トビトの息子トビアはラファエルに助けられてメディアの親族から父の貸金を取り戻す途中,サラと結婚し,新とともに帰国後,往路入手した魚の胆汁を塗って父の失明をいやす。律法,とくに,施し,同族結婚,死者の尊重が強調されている。エジプトの《感謝せる死者の話》《アヒカル物語》《コンスの書》から素材を借用したものとされる。 執筆者:土岐 健治

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  • 破落戸(ゴロツキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    一定の住所、職業を持たず、あちこちをうろついて、他人の弱味につけこんでゆすり、嫌がらせなどをする悪者。無頼漢。ごろ。 [補説]「破落戸」とも書く。 [類語]ならず者・地回り・やくざ・暴力団・無頼漢・無法者・与太者・ごろ・ちんぴら・暴漢・暴れ者・暴れん坊・暴徒・荒くれ者・兇漢・凶賊・奸賊・海賊・山賊・賊徒・賊子・逆賊・謀反人・悪人・悪者・悪漢・悪党・悪玉・悪女・毒婦・わせ物・詐欺師・山師・ペテン師・いかさま師・悪あく・悪わる・凶徒・凶手・人非人・人でなし・奸物・曲者・あぶれ者

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  • 如何致しまして(ドウイタシマシテ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    1 相手の礼・わび・称賛などの言葉に対して、丁寧に打ち消しながら返すあいさつの言葉。「『たいへんお世話になりました』『如何致しまして』」 2 相手の思っていることが事実とまったく反するときに用いる言葉。「如何致しまして、たいへんな損失ですよ」

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  • ミルトン(みるとん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    イギリスの詩人、思想家。シェークスピアとともにイギリス文学を代表する二大詩人の一人であるのみならず、清教徒(ピューリタン)革命の渦中に巻き込まれ、革命を支持し、多くの評論を書いた。12月9日、ロンドンの富裕な清教徒的色彩の強い家庭に生まれ、将来聖職者になる意志をもち、猛烈に勉強した。しかし、聖職者になることがイギリス国教会の牧師になることを意味するとすれば、当時の国王チャールズ1世の宗教政策に反感をもつ彼としては、その意志を当然捨てなければならなかった。彼は、宗教詩人になる意志を固め、ケンブリッジ大学を出てから、神学とともに古典文学の研究に没頭した。在学中および卒業後に、『快活な人』L'Allegro、『沈思の人』Il Penserose(ともに1631年?)、『コーマス』Comus(1634年上演)、『リシダス』Lycidas(1637)などの作品を書いている。このうち『コーマス』だけは

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  • 除目(じもく)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    ① 平安時代以降、京官、外官(げかん)の諸官を任命すること。また、その儀式。また、任官者を列記した帳簿。春秋二回あり、春の除目は県召(あがためし)除目といい、外官(国司などの地方官)を任命し、秋の除目は司召(つかさめし)除目といい、大臣以外の京官を任命するのを主とした。除目は公事の中で最も重要なもので、公卿(くぎょう)が三夜、清涼殿の御前に集まり、評定して行なう。また、摂政や上皇の御前において行なうこともあり、春秋除目のほか、臨時除目(小除目)、女官除目、一分召除目も行なわれた。除書(じょしょ)。じょもく。〔内裏式(833)〕

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  • 闕官(ケッカン)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙① その官に任ずべき人の欠けていること。現任者のいない官。闕(けち)。[初出の実例]「殿下仰事之後、闕官文二通入レ筥進之」(出典:後二条師通記‐別記・寛治五年(1091)正月二六日)② ( ━する ) =げかん(解官)[初出の実例]「早く御札をけづって、闕官停任ぜらるべき由、おのおの訴へ申されければ」(出典:平家物語(13C前)一)

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  • 大間書(オオマガキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙 除目(じもく)に用いる文書。闕官(けっかん)の職名を書き連ね、任官決定後に新任者の姓名を書き入れる。そのため行間を広くあけるところからこの名がある。大間。[初出の実例]「夜前大間文等入レ櫃云云申文、大間書乍レ筥被レ置二御円座前一」(出典:後二条師通記‐寛治五年(1091)正月二七日) 春秋の除目(じもく)すなわち任官に際して作製される文書で,欠員の官職名と任官候補者名を列記したもの。任官候補者名を記入するため,あらかじめ間隔をあけて記されるので大間書あるいは大間と呼ばれる。神祇官,太政官以下諸国司に及ぶ長大な文書である。除目の銓擬(せんぎ)が終了すると,執筆の大臣が欠員官職名の下に任官候補者の位階氏姓名を記入する。これを入眼という。入眼を終えると奥に日付を記入し,奏覧を経て清書の上卿に付せられ,黄紙もしくは白紙に清書された。大間書作製の作法については,《建武年中行事》などに詳

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  • ル・シャプリエ法(るしゃぷりえほう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    フランス革命中、1791年6月、国民議会で可決され、労働者の団結禁止を目的とした法。議員で主唱者のル・シャプリエIsaac René Guy Le Chapelier(1754―94)の名でよばれるが、正式には「同一の身分、職業の労働者および職人の集合に関する法」という。すでに廃止されていた同業組合の再建を禁止し、同一の職業の市民が共通の利益のために集合することを禁じているが、これは、各個人の個別的利益、および全体的利益だけの存在を認め、したがって中間的利益を守る中間団体を否定する理念に基づくといわれる。続いて、集会の首謀者、または集会を強要した者には罰金や公民権停止、あるいは禁錮刑を科し、脅迫や暴力を伴う場合は公安を乱すものとして処罰すること、などが定められている。事業主、商店主をも対象としているが、中心は労働者であった。この法は革命後も存続し、フランスで罷業権や結社権が認められたのは、

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  • トックビル(とっくびる)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    フランスの政治学者、歴史家、政治家。ノルマンディーの由緒ある貴族の生まれで、1827~1830年にベルサイユ裁判所の陪席判事を務めた。自由主義思想の持ち主であり、ルイ・フィリップ(市民王)の王政を容認した。1831~1832年にかけて約9か月間、アメリカ行刑制度の視察のかたわら北アメリカを遊歴し、帰国後『アメリカにおけるデモクラシー』De la Démocratie en Amérique2巻(1835、1840)を発表した。この著作は、近代世界の趨勢(すうせい)であるデモクラシー、とくに平等化の進展を政治・社会・文化に及ぼす影響の観点から論述したもので、その分析と洞察力によって今日の「大衆社会」の出現を予言している。この著作によって「19世紀のモンテスキュー」と評価された。1839年下院議員に当選し、二月革命後制憲議会議員、ついで立法議会議員となり、1849年にはバロー内閣の外相を短期間

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  • 西郷隆盛(さいごうたかもり)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    [1828~1877]政治家。薩摩さつまの人。通称、吉之助。号、南洲。討幕の指導者として薩長同盟・戊辰戦争を遂行し、維新の三傑の一人と称された。新政府の参議・陸軍大将となったが、明治6年(1873)征韓論に関する政変で下野、帰郷。明治10年(1877)西南戦争に敗れ、城山で自殺。 海音寺潮五郎によるの史伝。昭和36年(1961)から昭和38年(1963)にかけて「朝日新聞」に連載されたものが初出。16年もの間書き続けられた大作だが、著者の死により未完に終わる。単行は全9巻で、昭和51年(1976)から昭和53年(1978)にかけて刊行。 林房雄によるの長編の評伝小説。昭和14年(1939)に執筆開始。昭和45年(1970)完結。全22巻。 幕末・明治初期の政治家。文政(ぶんせい)10年12月7日薩摩(さつま)国鹿児島城下の下加治屋(しもかじや)町に生まれる。薩摩藩士西郷吉兵衛隆盛(きちべ

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  • ルソーとは? 意味や使い方 - コトバンク

    [ 一 ] ( Henri Rousseau アンリ━ ) フランスの画家。パリ市入市税関に勤めるかたわら、独学で画を描く。風俗画や空想的な原生林風景画などに素朴で独創的な作風を示し、ピカソ、アポリネールらによって高く評価された。税関吏ルソーと通称される。(一八四四‐一九一〇)[ 二 ] ( Jean-Jacques Rousseau ジャン=ジャック━ ) フランスの啓蒙思想家。理性に対して感情の優位を主張し、人為的な文明社会における人間の堕落をつき、自然に帰ることを説いた。「人間不平等起原論」「社会契約論」で人民主権を説いて大革命の原理を打ち出し、「新エロイーズ」で情熱の解放をうたってロマン主義の源流をつくり出し、「エミール」で自然に即した人間像を示し、「懺悔録」で自己を赤裸々に語った。(一七一二‐七八)[ 三 ] ( Théodore Rousseau テオドール━ ) フランスの画

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  • エミールとは? 意味や使い方 - コトバンク

    ( 原題[フランス語] Émile ou de l'Éducation ) ルソーの教育小説。一七六二年発表。別名「教育について」。孤児エミールの出生から青年期にいたるまで、人為的教育を排し、自然に従い人間の性を尊重する教育法を小説の形式を借りて述べている。後世の教育者に多大の影響を与えた。 J.J.ルソーの教育論で,人間論の地平からの旧体制批判の書でもある。1762年に刊行されるとすぐにパリ高等法院に摘発された。当時,民衆は抑圧のもとにあり,子どもは〈小さなおとな〉でしかなかった。〈人は子どもというものを知らない〉,教育を考えるためには子どもが何であるかを研究することから始めなければならない,として,孤児エミールに託して自然の歩みに従う教育のあり方を追求した書は,子どもの発見の書であり,子どもの権利の宣伝の書といわれる。 人間は弱いものとして生まれる。しかしその弱さは,可塑性を,発達

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  • 周利槃特(シュリハンドク)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    釈迦(しゃか)の弟子。サンスクリット名をチューダパンタカCūapanthakaといい、朱利槃毒、周利槃陀迦(はんだか)などとも音写する。兄マハーパンタカMahāpanthaka(摩訶(まか)槃特)とともに仏陀(ぶっだ)の教団に入ったが、兄が聡明(そうめい)であるのに対し、愚鈍なことで知られ、短い詩を4か月かけても暗誦(あんしょう)することができず、兄から叱責(しっせき)されて、還俗(げんぞく)するようにいわれた。しかし、仏陀から「塵(ちり)を払い、垢(あか)を除く」ということばと掃除だけを与えられ、それを繰り返し毎日続けて、ついに大悟して阿羅漢果(あらかんか)を得たという。これより転じて、愚鈍な者をさすことばともなった。 [石上善應 2016年11月18日]

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  • 価格革命(カカクカクメイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    16世紀初葉から1世紀以上ヨーロッパ諸国で続いた長期的な物価騰貴をいう。15世紀末のアメリカ大陸発見後,アメリカ大陸貿易はスペイン王室の保護の下にセビリャ商人の手で独占的に進められた。その輸入品の大部分はアメリカ大陸産貴金属,とりわけ銀であり,とくに16世紀中葉のボリビアのポトシ,メキシコのサカテカス,グアナフアトなどの豊富な銀山の開発,水銀アマルガム法による銀製錬技術の適用,低廉な原住民の賦役労働により銀生産は飛躍的に増大し,その輸入は16世紀後半にはいって激増し,スペインを経てヨーロッパの市場にあふれた。物価騰貴の主要な原因の一つは,この貴金属の大量流入と貨幣の改鋳とによる貨幣供給量の増大であり,貨幣供給量の増大は物価騰貴をひきおこす一方で利子率の長期的な低下をもたらした。また,黒死病(ペスト)の終息以後ヨーロッパに起こった顕著な人口増加も物価騰貴の原因として注目され,価格革命において

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  • 重商主義(ジュウショウシュギ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙 近世絶対主義国家成立期から産業革命開始期までの西ヨーロッパ諸国で、資源的蓄積を推進するためとった経済政策および経済理論。初期産業資のために国内市場を確保し、貿易を通じての財貨の蓄積が、国富の増大につながるとするもの。この思想に基づいて、具体的には国家の手による輸出促進、輸入制限、植民地の獲得および搾取などが行なわれた。イギリスのマン(Thomas Mun)の貿易差額説が代表的。マーカンティリズム。〔英和商業新辞彙(1904)〕 一般に,イギリスを中心とするヨーロッパ諸国の資主義生成期に,資源的(原始的)蓄積を促進する関係にあった経済諸政策,経済諸思想および経済諸学説の総称として用いられる。内容的には,一義的に規定できない不安定な学術用語で,とくに最近の研究の進展につれて,いっそう多義的に使用されている。時期区分の点も,イギリスの場合,広くは政治的にチューダー王

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  • 超絶主義(ちょうぜつしゅぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙 ( [英語] transcendentalism の訳語 ) 一九世紀中頃、アメリカ合衆国北東部のニューイングランドで起こった観念論哲学の運動。カント、コールリッジ、シェリング、東洋思想の影響を受け、汎神論、直覚主義、神秘主義、ユニテリアニズムなどの哲学を主張した。R=W=エマーソン、T=パーカーらがその代表。超越主義。超絶論。 超越主義ともいう。1830年代後半から1860年代にかけて、R・W・エマソン、H・D・ソローらによって主張された19世紀アメリカ・ロマン主義思想。カント、コールリッジ、カーライルらヨーロッパの哲学者、文学者の影響を受けながら、アメリカにおいて独自の発展を遂げ、19世紀中葉アメリカの楽観主義を支えた。暗い正統的ピューリタニズムや、理性的で冷たいユニタリアニズム(ユニタリアン教)に反抗し、人間の内面の神聖さや、神、自然との交流、個人の無限の可能性など、人

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  • エマソンとは? 意味や使い方 - コトバンク

    [1803~1882]米国の詩人・思想家。神性を宿す自然の一部としての人間は、自然に従って生きるべきであるとする超越主義の代表者で、初期アメリカ哲学の確立者。著「自然論」「神学部講演」「アメリカの学者」など。エマーソン。 アメリカの思想家。ボストンに牧師の子として生まれ,1826年にハーバード大学を卒業,やがてボストン第二教会の牧師になる。しかし過去の〈死んだ形式〉に身動きもできぬ聖職者の日常に,元来〈形式そのものを異常なほどに嫌悪する〉彼は,しだいに懐疑をつのらせていった。32年秋ついに辞表を提出し,年末には初めてのヨーロッパ旅行に出発。辞職にあたって書かれた最後の説教〈主の晩餐〉は,自分の全存在をかけて行えないようなことなら,たとえキリストの遺志でも拒むという強い自立の決意を表明していて,以後形成されていくエマソンの思想の原点ともなっている。渡欧後のエマソンは,カーライルと親交を結ぶな

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  • ユニテリアン(ゆにてりあん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    キリスト教正統派の中心教義である父と子と聖霊の三位(さんみ)一体Trinityの信条に反対し、神の単一性Unityを主張し、イエスは神ではないとする一派の人をいう。厳密な意味でのユニテリアニズムUnitarianismは宗教改革後約半世紀たって現れている。17世紀以後イギリスにおける著名なユニテリアンとしてはビドルJohn Biddle、クラークSamuel Clarke、プリーストリーJoseph Priestly、マーティノーJames Martineauなどがあげられる。アメリカでは、イギリスから移住したプリーストリーによってフィラデルフィアに初めてユニテリアン教会が建てられ、チャニングWilliam Ellery Channingが1825年にアメリカ・ユニテリアン協会を設立した。1961年にはユニバーサリスト教会と合同して、ユニテリアン・ユニバーサリスト協会が組織された。 日

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  • デスポティズムとは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙 ( [英語] despotism ) 専制君主制をも含めた独裁政治。[初出の実例]「デスポチスム〔覇政〕即ち君主己が意を以て為すは」(出典:自由之理(1872)〈中村正直訳〉一)

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  • リトリートとは? 意味や使い方 - コトバンク

    今日のキーワード ビートルズ 1960年代に活躍したイギリスの音楽グループ。ロック音楽の全盛期(1960年代半ばから 1970年代)への先導役を務めた。メンバーは,ジョン・レノン(1940~80),ポール・マッカートニー(1942...

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  • チャプレンとは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙 ( [英語] chaplain ) 教会以外の、学校その他の施設における礼拝堂で奉仕する聖職者。宗教主任。[初出の実例]「連邦議会の各院にチャプレンが置かれ」(出典:憲法講話(1967)〈宮沢俊義〉二)

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  • 王位継承排除法案(おういけいしょうはいじょほうあん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    1679年旧教徒の王弟ヨーク公 (のちのジェームズ2世) をイギリス王位継承予定者からはずすために,初代シャフツベリー (伯)の率いる野党が提出した法案。下院は通過したが,上院で否決され,81年廃案になったが,これをめぐる対立が,ホイッグ党とトーリー党を生んだ。

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  • ホイッグ党[イギリス](ホイッグとう[イギリス])とは? 意味や使い方 - コトバンク

    イギリスの政党。 17世紀末に形成され,トーリー党と対立した。もともと馬どろぼうの意で,スコットランドの長老派の反乱者につけられた名称であったが,王位継承排除法案をめぐる議会内の争いで,初代シャフツベリー (伯)の率いる支持派を罵倒する言葉として使用され,定着した。商工業者や非国教徒に支持され,王権制限,議会主権,宗教的寛容,非国教徒擁護を主張。 1688年の名誉革命でホイッグ党の路線が勝利したため,ハノーバー朝成立以降は,R.ウォルポールを代表におよそ半世紀政権を掌握した。 1760年代のジョージ3世の治世にトーリー党に反撃されて分裂し,特にピット (小)内閣の出現以後トーリー政権の時代が続き,19世紀に入っても,フランス革命に対する国民の反作用もあって不振であったが,1830~40年における一連の内政改革,特に選挙法改正 (1832) によって新たな勢力を獲得。自由主義的な政策を主張し

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  • 印紙税法(いんしぜいほう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    アメリカ駐屯軍費の一部を植民地人に負担させるため,1765年3月に制定されたイギリス議会法。印紙を新聞,暦,パンフレット,証書,公文書など多様な印刷物に貼付させ,年間6万ポンドの税収を見込んだ。しかし,植民地人の同意なく,国議会が直接アメリカ植民地人に課税する最初のものであったので,〈代表なくして課税なし〉というイギリス自由人の権利を無視するものだとして,まず植民地商人間にイギリス商品不輸入協定が結ばれ,同年8月にはイギリス商品ボイコットの民衆運動に発展した。10月には9植民地代表26人がニューヨークで〈印紙税法大陸会議〉を開き,〈植民地人の権利と苦情の宣言〉を採択した。法律発効の11月が近づくにつれて暴動化し,各植民地の反英グループ〈自由の子どもたち〉は,印紙販売官を襲って辞任させ,砂糖税法反対から税関吏や不輸入協定を破る商人を襲った。打撃をうけた国商人も議会に撤廃を働きかけ,翌年3

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  • カタリ派(カタリは)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘名〙 (カタリはkha tharos 「清浄な」に由来) 中世キリスト教の異端の一つ。マニ教的霊肉二元論の教義にたち禁欲主義を唱えたが、一二世紀以来カトリック教会に弾圧された。

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  • クロムウェルとは? 意味や使い方 - コトバンク

    (Oliver~)[1599~1658]英国の軍人・政治家。ピューリタン革命の指導者として、議会軍を率いて王軍を破り、1649年チャールズ1世を処刑。1653年、護国卿となって軍事的独裁政治を行った。また、アイルランド・スコットランドを制圧したほか、航海法を発布、オランダ海軍に勝ち、英国の海上制覇の基礎を固めた。 (Richard~)[1626~1712]英国の政治家。の子。共和国時代、父の後を継いで第2代護国卿となったが、軍隊と議会との対立の中で辞任。王政復古とともにパリに亡命。 [ 一 ] ( Oliver Cromwell オリバー━ ) イギリスの軍人、政治家。一六四二年清教徒革命勃発後、鉄騎隊、新模範軍を組織して、王党軍を撃破。四九年チャールズ一世を処刑し、共和制を樹立した。五一年航海条例を発して、英蘭戦争を誘発。五三年護国卿(護民官)となり、厳しい清教主義によって独裁政治を断行

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  • ピューリタン革命(ピューリタンかくめい)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    原因革命の原因は複合的なものであったが、直接的には、1630年代のチャールズ1世親政下でのロード、ストラッフォードらによる強権的な政治に国民各層の不満が高まったことにある。ことに船舶税など議会の同意を経ない課税の強行、星室庁および高等宗務官裁判所を通じての政治犯の弾圧などが人々の憤激を買った。しかしその背後には、ますます増大する行政費用をだれが負担するか、また宗教上の問題において最終的決定権をもつのはだれか、といった基的な問題が横たわっており、それらの問題はすでに1620年代に争点になっていたのである。1621年に始まり1628年の「権利請願」に至る議会における論争がそれを示している。 ところで、それよりも100年ほど前、ヘンリー8世(在位1509~47)は同様の財政問題に突き当たり、中小地主を中心とする議会の支持を背景として、宗教改革を実行し、修道院の財産を奪って、一時的にせよこの問題

    ピューリタン革命(ピューリタンかくめい)とは? 意味や使い方 - コトバンク
  • スコープス裁判(スコープスさいばん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    1925年にアメリカ南部テネシー州で行われた裁判。プロテスタント正統主義(ファンダメンタリズム)を熱心に信奉する南部はバイブル・ベルトとよばれていたが,同年3月テネシー州議会は,聖書の天地創造説に反する理論を公立学校で教えることを禁じた。そのためデートンという小さな町の高校の生物学教師スコープスJohn T.Scopesは進化論を教えて逮捕され,7月に裁判が行われた。これが一躍全米の注目を集めたのは,3回も大統領候補に指名され,国務長官を務めたこともあるW.J.ブライアンが検察側に,当代一流の弁護士ダローClarence S.Darrow(1857-1938)が弁護側に加わったためである。ブライアンはダローの追及に混乱したが,聖書を文字どおり信奉するプロテスタント正統派の勢力は強大で,判決は有罪100ドルの罰金であった。正統派の影響はその後しだいに後退したものの,同州法が廃止されたのは19

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  • ファンダメンタリズムとは? 意味や使い方 - コトバンク

    1920年代に起こったアメリカ・プロテスタント教会内の保守的な神学運動をいい,〈根主義〉と訳される。そのルーツは19世紀に英米で何度か燃えひろがった千年王国運動や信仰復興(リバイバル)運動の中にあるが,1910-15年に《The Fundamentals》という小冊子が広範に頒布されてから,一挙に社会問題へと発展した。1925年,テネシー州デートンの公立学校の教師スコープスJohn T.Scopesが進化論を教えたかどで告発され有罪とされた事件(スコープス裁判)は,その典型的な例であった。この事件にみられるように,ファンダメンタリズムは第1次大戦後の共産主義,労働問題,人種問題,暴力など政治経済的もしくは社会心理的要因と結びついているが,元来は近代化に伴う合理主義,世俗主義はキリスト教信仰の根要素を危うくしているという宗教的批判である。この立場に立つ人々は,聖書の権威,キリストの神性,

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  • 逐語霊感説(ちくごれいかんせつ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    聖書の一字一句は神の霊感(→インスピレーション)によって書かれ,聖書の記述に誤りのないことを主張する説。この考え方は旧新約聖書のなかにある(テモテ2書3・16,エレミヤ1・7など)。古代教会ではエイレナイオス(130頃~200頃)が主張してこの説の創始者となった。宗教改革以後発達した正統主義の時代にカトリック神学者(→カトリック)との論争過程で,トリエント公会議(1545~63)の結果ローマ教皇(→教皇)の絶対権に対抗し,聖書に権威を求めるあまり「人の教皇」に対して「紙の教皇」を立てたかの観があった。現代では聖書の批判的研究,歴史言語学的研究により,霊感説は逐語的性格から救済史的性格へと進展している。今日この説の継承は根主義(ファンダメンタリズム)にみられる。

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  • ドルト教会会議(ドルトきょうかいかいぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    1618年 11月 13日~19年5月9日,オランダのドルトレヒトで開かれたオランダ改革教会 (カルバン派) 会議。予定説をめぐるアルミニウス派とゴマルス派の神学論争が主題であったが,オランダの外交政策 (特に対スペイン) をめぐる政争が深く関係した。ドイツ,イギリス,スイスなどの改革教会から 26名の神学者が参加したが,国内の代表となったのはすべてゴマルス派であった。冒頭,聖書のオランダ語訳の問題などを扱ったのち,S.エピスコピウスほか 12名のアルミニウス派指導者を召喚。会議の権威を否定した彼らを追放,その神学が聖書に反することと国内騒乱のかどで断罪した。厳格なカルバン主義に立つドルト信条を採択したが,これは,2世紀にわたってオランダ改革教会の神学の基礎となった。

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  • カルバン主義(カルバンシュギ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    宗教改革者カルバンの影響を受けて展開したプロテスタント主義の一系統をさす。改革派教会あるいは長老派とも呼ばれる。そのなかにはカルバン自身の考え方を修正,変形したものも含まれる。旧・新約聖書の質的一致,神の主権と自由,国家に対する教会の自由の強調などを特徴とするが,なかにはこれらを形式的に強調するあまり,聖書が一言一句神の霊感を受けたとする逐語霊感説や,神の救いは人間の意志とは無関係にすでに決定されているとする決定論的予定説なども説かれ,オランダではアルミニウス派の反発を招いたが,ドルト教会会議 (1618~19) は,このような厳格な形式主義的理解を貫いた。しかし,他方カルバンの精神は,イギリス国教会ではピューリタンに影響を与え,ドイツ西部ではメランヒトンの神学思想と触れることによって,ハイデルベルク信仰問答 (1563) にみられるような穏健なドイツ・カルバン主義を生んだ。さらに旧約と

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  • カルビニズム(かるびにずむ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    宗教改革者カルバン(1509―1564)の神学から出発し、発展していったプロテスタントの思想。ルターに発する教会的伝統はルター派と総称されるが、カルバンの名を公に付する教会は実際問題として存在しない。しかしカルバンの宗教思想は広く深い伝統を形成することになった。第二世代の宗教改革者としてのカルバンは、第一世代のルターやツウィングリから多くを学び、基的には「信仰のみ」「聖書のみ」の二大原理においては合致するが、なおカルビニズムの特色を求めようとする努力も理由がないわけではない。 多くの場合、カルバン神学の中心教義は何かという形で論じられる。カルバンのジュネーブにおける直接の後継者T・ベザ(ド・ベーズThéodore de Bèze。1519―1605)を含めて、これを予定論、すなわち、ある者は救いに、ある者は滅びに予定されているという主張にこれを求めることが少なくない。他方、カルバンの著述

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