ブックマーク / satotarokarinona.blog.fc2.com (2)

  • 「ネトウヨ」の源流 | 荒野に向かって、吼えない…

    『グラウンド・ゼロを書く  日文学と原爆』(ジョン・W・トリート著)の原著の刊行は1995年のことなので、むろん著者にその意図があったわけではないが、いわゆる「ネトウヨ」的なものの源流などについて考えさせられる部分があった。 1966年発表の井伏鱒二の『黒い雨』は高く評価され広く読み継がれることになるがその刊行後、、意外にも山健吉や江藤淳といった保守派からも絶賛された。 現在では『黒い雨』は原爆の悲惨を語り継ぐ「戦後民主主義」的な作品として受けとめている人が多いであろう。それをなぜ保守派が絶賛したのだろうか。その理由は山の「地についた平常人」の次の箇所を読むとよくわかる。 「[他の原爆文学の作品は]あまりにハードボイルドに書かれ過ぎた。あまりに政治の手に汚され過ぎた。あまりに安易な符牒で呼ばれ過ぎた。井伏さんがこれを書いてくれなかったら、私は日人として、何時までもやりきれない思いを

    yuri_donovic
    yuri_donovic 2024/09/06
    『グラウンド・ゼロを書く-日本文学と原爆』、言及されている原爆文学の主要作品、『この世界の片隅に』。このほか、関連して『従順さのどこがいけないのか』。
  • 『ケインズかハイエクか』 | 荒野に向かって、吼えない…

    ニコラス・ワプショット著 『ケインズかハイエクか』 ケインズとハイエクの出会いから二人の交差する伝記、そして弟子たちを含む現在に至るまでの両者の対決の歴史が扱われている。 著者はジャーナリストなので経済学の素養がない読者でも苦労することなく読み進めることができるだろう(数式は出てこない)。ケインズやハイエクの伝記的事実についてすでにある程度触れてきた人にとってはそう目新しいものはないかもしれないが、とりあえずこの二人について知りたいという人にとってはいい入門書になるのではないだろうか。 邦題では二者択一を迫っているかのような印象を与え、党派的なものを連想してしまう人もいるかもしれないが、ケインズ、ハイエク両者については比較的バランスが取れた記述になっているように思う(原題はKeynes Hayek)。 しかしサッチャー政権やレーガン政権への点はあまりに甘すぎるという印象もしてしまう。また「

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