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文学と創作に関するyurikissのブックマーク (27)

  • 物語の類型 - Wikipedia

    この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。 出典検索?: "物語の類型" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年10月) 物語の類型(ものがたりのるいけい)とは、類似の物語をカテゴライズしたものである。 概論[編集] 人が接する数々の物語には類似のものが多く認められ、こうした物語を類型として捉えることは各ジャンル内で、あるいはジャンルを跨って多く行われてきた。ただし、物語の類型化には様々なアプローチがある。物語に登場する人物類型によるもの、物語を構成するモチーフによるもの、物語の構成そのものであるプロットによるもの、物語のストーリーによるもの、物語の表現様式によるものなどであるが、多くの場

  • 物語は作れたがどんな文章で小説にしていいか分からない人のための覚書

    前回の記事 生まれてはじめて書く人のための、小学生向け小説執筆マニュアル(手順書) 読書猿Classic: between / beyond readers について、物語の作り方はわかった気がするけど、それをいざ小説にしようとすると言葉が出てこない、なんとかしろ、という意見がありました。 実は、小説の文章についても少し書いていたのですが、あまりにも小学生向けでなかったので省きました。参考になる人がいるかもしれないので出してみます。 1 小説の文章は何からできているか? 小説は、文章を通して物語を伝えるものです。 小説の文章は、大きく3つに分けられます。 《場面》、《説明》、《描写》です。 (1)説明とは 《説明》は、物語を大づかみに述べる文章です。細かいところを省略して伝えるので《要約》と呼ばれることもあります。 大づかみなので、少しの文章で、長い時間の物語を伝えることができます。 わず

    物語は作れたがどんな文章で小説にしていいか分からない人のための覚書
  • 物書きがネットを使い倒すための7つの検索

    ==ネタ編== まだ書こうとするものがはっきりと見えて来ない段階や、曖昧模糊とした「原初のスープ」にスパイスの一撃を加えたい時など、探してみて見るとよい検索たちです。 ■物語要素事典 古典、民話から小説映画漫画に至るまでを対象に、物語のパーツとなる「物語要素」(物語素)を拾い出し、分類、整理したもの。いわば定番的あらすじ/エピソードの集成なので、ストーリーを考えたり、必要な要素を加えたりする際のヒントになる。 (使用例)上の検索ボックスをつかって ・「"犬" site:http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~kamiyama/」で犬が活躍する物語を探す。 ・「"雨宿り" site:http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~kamiyama/」で雨宿りにまつわるエピソードを探す。 (サイトURL) http://www.aichi-gakuin.

    物書きがネットを使い倒すための7つの検索
  • 物語要素事典

    <BODY> <P>このページは、フレーム機能をサポートするブラウザで表示するようデザインされています。このテキストは、フレーム機能をサポートしないブラウザで表示されます。 </P> </BODY>

  • 【前島 賢氏インタビュー】「セカイ系」を通して見えてくる世界とは何か?

    「セカイ系」というキーワードを通してオタク文化などの分析を周到に行った書籍『セカイ系とは何か』(ソフトバンク新書)。書を書いた動機や狙いなどについて、ライター・評論家の前島 賢氏にうかがった。 「セカイ系」というキーワード ――「セカイ系」という言葉が、ゼロ年代のオタク文化やその周辺ではよく使われていたと思います。2010年の今、書で前島さんがセカイ系について書こうと思われたのは一体どういう動機からなのでしょうか? 前島氏■この言葉は、「きみとぼくの関係性が社会を抜きにして世界の運命と直結する」――たとえば少年と少女の恋愛が成就するか否かで世界が滅亡するかどうか決まる――ような作品と定義されています。この言葉はインターネットから生まれた単語なんですが、ぷるにえさんという方がネットで最初に使ったときは、何気ない言葉遊びのようなものでした。ところがなぜかそれが大ウケして広がった。批評家や若

    【前島 賢氏インタビュー】「セカイ系」を通して見えてくる世界とは何か?
  • 太宰治 自作を語る

    私は今日まで、自作に就いて語った事が一度も無い。いやなのである。読者が、読んでわからなかったら、それまでの話だ。創作集に序文を附ける事さえ、いやである。 自作を説明するという事は、既に作者の敗北であると思っている。不愉快千万の事である。私がAと言う作品を創る。読者が読む。読者は、Aを面白くないという。いやな作品だという。それまでの話だ。いや、面白い筈だが、という抗弁は成り立つわけは無い。作者は、いよいよ惨めになるばかりである。 いやなら、よしな、である。ずいぶん皆にわかってもらいたくて出来るだけ、ていねいに書いた筈である。それでも、わからないならば、黙って引き下るばかりである。 私の友人は、ほんの数えるくらいしか無い。私は、その少数の友人にも、自作の註釈(ちゅうしゃく)をした事は無い。発表しても、黙っている。あそこの所には苦心をしました、など一度も言った事が無い。興覚めなのである。そんな、

  • 終末もの - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "終末もの" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年7月) 核戦争の恐怖は、文明の破滅への想像力をかきたてた 終末もの(しゅうまつもの)またはポスト・アポカリプスは、フィクションのサブジャンルの一つ。 大規模な戦争、大規模な自然災害、爆発的に流行する疫病などの巨大な災害、あるいは超自然的な事象によって、文明や人類が死に絶える様を描くもの(Apocalyptic fiction)、あるいは文明が死に絶えた後の世界を描くもの(ポスト・アポカリプス、Post-apocalyptic fiction)である。 概説[編集] アメリ

    終末もの - Wikipedia
  • 三秋縋インタビュー『終末について』|かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン

    ※この記事は、感傷マゾ専門同人誌『感傷マゾvol.05 終末と感傷特集号』(https://wak.booth.pm/items/2551855)に掲載されたものです。今回は「終末」に特化した内容で、小説家・三秋縋氏にお話を伺いました。 三秋縋(@everb1ue) 1990年生まれ、岩手県出身の作家。 ウェブ上で『げんふうけい』名義の小説を発表し、人気を博している。 聞き手:かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン(@wak) 01.ゼロ年代含め、古今東西、創作物の中でさまざまな世界の終わりが描かれてきましたが、三秋縋さんにとって魅力的な終末のシチュエーションや、それを体現した作品があれば教えていただきたいです。 三秋 「今夜限り世界が」というレイ・ブラッドベリの短編が、僕の考える終末の理想型の一つです。何の前触れもなく、男は何もかもが終わりになる夢を見ます。“なんとなく、たとえば読みさ

    三秋縋インタビュー『終末について』|かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン
  • 文学の哲学にはどのようなトピックがあるのか - Lichtung

    文学の哲学は、存在論、認識論、倫理学、心の哲学、そして美学から、哲学的に文学を考察する研究ジャンルである。 物語とは何か、物語は人生の何を教えてくれるのか、作者とは誰か、詩的想像力とは何か、フィクションとは何か、詩の深遠さとは何か、キャラクタになぜ惹かれるのか、文学作品はどんな存在なのか、そして、文学とは何か。 稿は、The Routledge Companion to Philosophy of Literature*1 を参照しながら、主に英米圏における文学の哲学の主要な32のトピックを紹介する。文学の哲学について関心のあるひとがさらに学びを深めるために、あるいは、美学や文学の研究者の方が研究の手がかりとするために役立てばと思う。計三万字強あるので、頭から読んでいただくのもうれしいが、気になるところからすきな順番で読んでもらえればと思う*2。 定義とジャンル 1. 文学の概念 2.

    文学の哲学にはどのようなトピックがあるのか - Lichtung
  • ヨルシカ「盗作」書評 オルゴールの外側へ(作家・三秋縋)|好書好日

    >「思想の種子をめちゃくちゃまき散らしたい」三秋縋さんとヨルシカの鼎談記事はこちら 三秋縋さん書評「オルゴールの外側へ」 海外小説を読んでいると、あの献辞というやつがやたら目に付く。「私を支え続けてくれた誰それに捧げる」「誰それにたっぷりの愛を込めて」みたいなあれだ。 僕が献辞を捧げるとしたら相手は誰になるだろうか、と時々考える。多分それは他ならぬ自分自身になってしまうのではないか。「僕を支えてくれた僕の両足へ」とか、そんなところだ。僕は誰かのためにを書いたりしないし、罪のない誰かを僕の情けないの共犯者に仕立て上げたりもしない。そして何より、僕は自分自身を楽しませるためにものを書いている。八割くらいまでは。残りの二割は生活のためだ。日によってこの割合は大きく変わる。自分のためにものを書き続けるのもそれはそれで疲れるからだ。何せ彼は常に自身の限界の先にあるものを要求してくる。生活のため

    ヨルシカ「盗作」書評 オルゴールの外側へ(作家・三秋縋)|好書好日
  • 住野よるが「10代の心」に刺さるのは一体なぜか?(飯田 一史) @gendai_biz

    『君の膵臓をたべたい』(『キミスイ』)が大ヒットした住野よるの小説『青くて痛くて脆い』を原作とした実写映画が2020年8月28日に公開される。 住野よるの作品は『キミスイ』『青くて痛くて脆い』以外にも、幅広い年代の人たちから支持されているが、とくに中高生から絶大なる人気を集めていることが注目に値する。 ここではその理由を作品のテーマ性と、用いられている技法(小説上のテクニック)の関係から考えてみたい。 中高生からの人気の高さは完全に「別格」 中高生が実際に読んでいるを調べる方法としては、全国学校図書館協議会と毎日新聞社が毎年発表している「学校読書調査」内の「5月1か月間に読んだランキングや、トーハンがやはり毎年発表している「「朝の読書」(学校)で読まれた」がある。 これを見ていくと、いずれの調査でも2016年には『君の膵臓をたべたい』が中高生の読んだとしてランクインしており(

    住野よるが「10代の心」に刺さるのは一体なぜか?(飯田 一史) @gendai_biz
  • 描写論のために

    0 はじめに 描写とは物事に心を語らせること 高校生に小説を書かせた場合、指導以前の彼らの自然状態では記述ばかりになりやすく、あらすじだけになってしまい、描写が現れにくく、その結果として一定分量以上には書けないことが多い。この現実だけをもって仮説を立てることは危険ではあるが、 外界の事象に対する人間の基的な認識とその表現の型は記述である。 そして、基的な時間認識の幅は継時を中心にしているのではないか。 ということが考えられる。 現実場面において、人間は目を凝らし耳をすましてはいないのではないか。あるいは、認識の受け皿には、たとえ目を凝らし耳をすましたとしても、瞬時瞬時の外界の姿が折り重なって一つの継時的な姿にまとまってしまっているのではないか。まるでパイのように。 それゆえ、基からかけ離れた瞬時の描写に出会った場合に、「外界事象を叙述した文」以上の意味を感じるのではないか。その意味と

  • 元長柾木 on Twitter: "エロゲとはジャンルではなく世界認識の方法だと思ってますので、まあ21世紀を見るに現状はそんな悪くもないと思ってたりしてます、はい https://t.co/sOBD1PE8Fz"

  • ヨルシカインタビュー 自分を滅却し、芸術に人生を捧げた2人の決断 | CINRA

    ボカロPとしても活動するコンポーザーのn-buna(ナブナ)が、女性シンガーのsuis(スイ)と共に結成したバンド「ヨルシカ」。彼らが8月28日にリリースした『エルマ』は、今年4月にリリースされた『だから僕は音楽を辞めた』の続編となるコンセプトアルバムだ。 約半年というスパンで2枚のフルアルバムをリリースする活動濃度にまず驚かされるが、さらに特筆すべきは、両作品に通底する、重層的に作られた世界観だろう。この2作は「対」になるような構造を持ちながら、ふたりの登場人物を巡る物語を紡いでいく。ここから立ちあがってくるのは、強烈なほどの「文学」の香り。両作ともに初回生産盤にはそれぞれ「手紙」と「日記」という体裁をとったブックレットが付属しているのだが、そこに綴られる言葉の羅列が、この2作品の背景にある「物語」の存在を知らせている。 『エルマ』において、彼らはオスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣す

    ヨルシカインタビュー 自分を滅却し、芸術に人生を捧げた2人の決断 | CINRA
  • 話題の新刊「君の話」三秋縋さんインタビュー 絶望を小説の糧に|好書好日

    三秋縋(みあき・すがる) 1990年、岩手生まれ。「げんふうけい」名義でウェブ上に小説を発表して人気を博し、2013年に『スターティング・オーヴァー』で作家デビュー。主な著作に『三日間の幸福』『いたいのいたいの、とんでゆけ』『恋する寄生虫』(いずれもメディアワークス文庫)など。 読者を自分と同じ病にかけたい ――発売から約1カ月半で6刷を突破(8月29日現在)、たくさんの読者に支持されていますね。 僕はある意味で、読者の方々を自分と同じ病にかけたいんです。『君の話』を通じて物の記憶と偽物の記憶、現実と虚構との境界があいまいになればいいな、と思ってます。自分にそういう症状があるので、みんなも同じように悩まされれば、と。そういう思いで書きました。 ――いつわりの記憶(義憶)の中にしかいないはずの幼馴染と遭遇する、という展開はまさに、現実と虚構が入り混じっていますね。義憶をつくる「義憶技工士」

    話題の新刊「君の話」三秋縋さんインタビュー 絶望を小説の糧に|好書好日
  • 海法 紀光 on Twitter: "小説だと「彼女はショックを受けた」と書けちゃうのだけど、漫画やアニメだとこれではダメで「うつむいた彼女の拳が震えている」とか「リサリサ先生煙草が逆だぜ」とかの演技に落とし込む必要がある。小説畑だった自分が漫画原作やアニメ脚本を始めて習ったことです。"

  • 『物語の法則』は強い物語とキャラを作れる道具箱|感想と内容紹介

    今回は『物語の法則 強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術』を紹介します。 このは著者のクリストファー・ボグラーとデイビッド・マッケナが「書はツールキット(道具箱)である」と語っているとおり、物語作りに役立つテクニックがつまった道具箱のような存在です。 書は私たちが頭のなかで使うためのツールキットである。私たちの能力を高め、目標や効率を改善するのに不可欠な道具のコレクションであり、私たちの作業をずっと楽にしてきてくれたものだ。書のあちこちでさまざまなツールが登場してくる。登場人物を明確なものにし、構造を細かく定め、テーマを決定し、意図を明らかにし、観客の楽しみを高めるためのツールだ。 『物語の法則 強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術』 それでは、『物語の法則』がどんな内容で、どんな人におすすめなのかを具体的に紹介していきます。

    『物語の法則』は強い物語とキャラを作れる道具箱|感想と内容紹介
  • メリーバッドエンド

    いわゆる「Open-ended」(開かれた終わり・結末)。受け手の解釈によって幸福と不幸が入れ替わる結末。 曖昧さ回避まふまふ(鏡見て失神P)によるボカロ曲。 → メリーバッドエンド(まふまふ) 概要広く物語において使われる表現形式。 物語を解釈する観点(パースペクティブ / perspective)や受け取り方次第で意味が変化する結末のこと。 「メリーバッドエンド」という語は一般的に物語の登場人物の誰か(多くの場合主要人物)にとっては幸福な結末だが、当人以外の周囲から見ると悲劇的な結末であるといったシチュエーションに対して用いられることが多い。 それ以外のエンディングを指して「メリーバッドエンド」と呼ぶのも定義的に間違ってはいないが、そう評する作品、人物は少なく、ビターエンドなどの別の表現で呼びならわされる傾向にある。 「受け手の解釈によって幸福と不幸が入れ替わる結末」という括りに入るも

    メリーバッドエンド
  • チェーホフの銃 - Wikipedia

    チェーホフの銃(チェーホフのじゅう、英語: Chekhov's gun)とは、小説や劇作におけるテクニック・ルールの1つ。 概要[編集] ストーリーの早い段階で物語に導入された要素について、後段になってからその意味なり重要性を明らかにする文学の技法。この概念は、ロシアの劇作家アントン・チェーホフに由来している。チェーホフはこの概念を様々な形に展開して、手紙の中で言及していた。 チェーホフの銃は、伏線の手法のひとつと解釈されるが、この概念は「ストーリーには無用の要素を盛り込んではいけない」という意味であるとも解釈できる[注 1]。チェーホフの銃のルールを守らない作品は、プロットの穴を論じる際に批評家に引用されることになりかねない。 ドラマの原理についてのチェーホフの言葉[編集] チェーホフの銃という表現は、ストーリーに持ち込まれたものは、すべて後段の展開の中で使わなければならず、そうならない

  • 物語要素事典

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