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ブックマーク / www.cyzo.com (5)

  • “当たり前の世界”を見つめ直す、『泣くな、はらちゃん』の無垢な問いかけ

    テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき当に面白いテレビ番組をご紹介。 3しか弦がなかったギターの絵に弦を3描き足し、そのコマに音符を描くと世界にメロディが生まれ、「はらちゃん」は歌い出した。それは新たな世界が生まれた瞬間だった。『泣くな、はらちゃん』(日テレビ系)は越前さんが日記代わりに描く漫画の世界の住民だったはらちゃんが、彼女の住む(ドラマ上の)現実の世界に実体化して飛び出し、暗く淀んだ自分たちの世界を、彼らにとって創造主で「神様」である越前さんを幸せにすることで変えようと奮闘する物語だ。 脚を担当するのは岡田惠和。プロデューサーの河野英裕と組むのは、同枠で放送された野心的問題作『銭ゲバ』以来。『泣くな、はらちゃん』は河野Pがこれまで手がけてきた「人間でないものから人間を見て、人間ってなんだろうということを考えてきた」と

    “当たり前の世界”を見つめ直す、『泣くな、はらちゃん』の無垢な問いかけ
  • 「ウソにウソを重ねる富士スピードウェイ」2007年F1“ずさん運営”日本GP一次訴訟が1月24日判決へ

    2007年9月末に富士スピードウェイが開催したF1日グランプリの運営はずさん極まりなく、「劣悪な環境の中、長時間のバス待ちを余儀なくされ、精神的苦痛を受けた等」として観客109名が富士スピードウェイ(以下、FSW)に対し、損害賠償を求め訴えていた。この判決が、13年1月24日に言い渡される。 訴えから約4年と長期間にわたって行われた訴訟がようやく結審し判決を迎えるが、なぜここまで時間がかかったのか、そしてFSWの対応はどうだったのか、あらためて振り返る。 FSWが開催した07年F1日グランプリでは「チケット&ライドシステム」と呼ばれる、各アクセスポイントから専用シャトルバスで来場する方式を取り、観客が自家用車や徒歩など、ほかの交通手段による来場を基的に禁じていた。 予選日から各アクセスポイントと会場を結ぶシャトルバスの運行が滞り、数万人の観客が場内に閉じ込められた。決勝日にはシャトル

    「ウソにウソを重ねる富士スピードウェイ」2007年F1“ずさん運営”日本GP一次訴訟が1月24日判決へ
  • 懐メロ会社となったビーイングの「収入源は不動産」 空前のCD不況と音楽事務所の経済学

    1990年代に大ヒットを連発した音楽制作会社グループ・ビーイングが、“懐メロイベント”の開催に乗り出している。昨年好評を博した「“BEING LEGEND” Live Tour 2012」に続き、今度はWANDSやT-BOLANなどのギタリストを集めた「BEING LEGEND ~Guitar Summit~」を3月に開催。ライブハウスでの興行ではあるものの、確実な集客が見込まれているようだ。そもそも、現在のビーイングはどうなっているのか? 「ビーイングは90年代から00年代前半にかけてB’zやWANDS、ZARDなどを抱えて音楽業界を席巻しましたが、ここ10年ほどはバンドの解散や所属歌手の引退が相次ぎ、現在ではB’zくらいしか売れているミュージシャンはいません。それでも大阪と東京で自社ビルオフィスを維持しているのは、音楽事業の最盛期に不動産投資して成功したから。現在では数百の貸しビル・

    懐メロ会社となったビーイングの「収入源は不動産」 空前のCD不況と音楽事務所の経済学
  • 「非実在青少年」騒動はなんだったのか? “消していれば大丈夫”という判断をした青林堂の甘さ

    いったい、どんな理由で顔射まであるマンガ単行を、18禁にしなかったのか? 前回(※記事参照)触れた、7月に東京都に「不健全図書」指定された、しろみかずひさ『なぶりっこ マリカとアキコ』(青林堂)の一件をさらに追った。 この件が特異なのは、同人誌としては18禁マークを付けて売っていたのに、なぜか商業出版ではマークを付けずに発行してしまったこと。その理由についていろいろ考えてみても、「危機感が欠落している」ことくらいしか思いつかない。やはり、当事者の意見を聞かねばなるまい。 まず、取材したのは出版元の青林堂だ。担当者は、“マルセイ(成人指定)”に慣れていなかったと繰り返す。 「これまで、あまりこうしたを出版していなかったので、印刷所や取次にも相談をしましたが、判断基準がわかりませんでした。取次からも“それは、出版社のご判断で”と言われましたので。ですので、局部を消していれば大丈夫だと判断し

    「非実在青少年」騒動はなんだったのか? “消していれば大丈夫”という判断をした青林堂の甘さ
  • 「”あやや”を演じていた」松浦亜弥が積年の苦悩と歌手としての矜持を告白

    2001年4月に「ドッキドキ! LOVEメール」(ゼティマ、以下同)で鮮烈デビューを飾り、「LOVE涙色」「桃色片想い」などヒット曲を連発した”あやや”こと松浦亜弥。1年10カ月ぶりのアルバム『Click you Link me』を発売した彼女が、11月22日発売の「週刊プレイボーイ」(集英社)に登場。デビューから10周年迎えるのを前に、衝撃的な告白をし、話題を呼んでいる。「メイクをしたくない」とすっぴんでグラビア撮影に挑み、松浦は次のようにその心情を語った。 「あややって、松浦亜弥100%じゃ絶対できなかったなって。あのひとっていつも笑ってなきゃいけないし。だんだん『嘘笑い』が得意になってて。車が来たらよけるみたいに、カメラが来たら反射神経で勝手に口角が上がるんですよ。それがちょっと怖くなりました、自分で」 アイドルとして圧倒的なセルフプロデュース能力を持ち、独特のアヒル口と屈託のない言

    「”あやや”を演じていた」松浦亜弥が積年の苦悩と歌手としての矜持を告白
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