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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (6)

  • 韓国語学習ノート 12 - finalventの日記

    오늘 저녁에 저와 드시겠어요? 미안합니다. 오늘 저녁은 좀. 그럼 내일은요? 내일요? 언제요? 여덟시 는요? 예. 좋습니다. 감사합니다. - 내일 봅시다. 오늘은 점심(点心)을 안먹겠어요. 얼마예요? 원(円) 천원 천원 이에요. 이천 삼천원 하고 이천원 이에요. 사천 원

    韓国語学習ノート 12 - finalventの日記
    yuta0210
    yuta0210 2015/05/16
  • 読むことの難しさ マスコミの言論はなぜ質が高いか - finalventの日記

    (公開予定 4月1日)

    読むことの難しさ マスコミの言論はなぜ質が高いか - finalventの日記
    yuta0210
    yuta0210 2009/03/28
    じゃあ俺は「読むことの難しさ 競馬専門誌の予想はなぜ質が高いか」でも書こうかな
  • 日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記

    熟慮の末の決断だったに違いない。辞任したどこかの大臣ではなく、世界中にファンを持つ作家、村上春樹さんの話である。イスラエルのエルサレムで文学賞の授賞式に臨んだ彼はガザ地区への攻撃を周到に、そして手厳しく批判した。 ▼その講演は体制を高く固い壁に、それにぶつかって壊れる個人の精神を卵にたとえている。「私たちを守るはずの体制が私たちを殺したり、私たちに他人を冷酷に効果的に組織的に殺させたりする」。少しばかり難しい言い回しだが趣旨は明快だ。「壁と卵の間で、私はいつも卵の側に立つ」とも作家は宣言した。 悪いコラムではないし、まあ、ちょっとこういうのもなんだけど、その程度に読まれるのはしかたないなと思うけれど、春樹さんがあのスピーチで言いたかったことは、イスラエル対ハマスではないのですよ。もちろん、今回のイスラエルの対応は非難されるべきであることは普通に国連の動向からしても明白。そしてその明白な批判

    日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記
  • はてなQより 脳内の神経伝達物質 - finalventの日記

    ⇒人力検索はてな - 脳内の神経伝達物質と人間の心理、行動等との関係性について詳しく説明しているサイト、書籍を教えてください。 回答例。 3 回答者:sadajo 2007-01-20 16:42:55 http://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E5%86%85%E9%9D%A9%E5%91%BD%E3%... 是非、一度よんでみるといいです!! ちなみに↑そのネタ↓。 脳内麻薬と頭の健康―気分よければ頭もまたよし: 大木 幸介 ついでに際物っぽいが⇒「 パンツを捨てるサル―「快感」は、ヒトをどこへ連れていくのか: : 栗 慎一郎」 このあたりも面白いには面白い⇒「 脳内麻薬の真実―感情を支配する活性ホルモンとは: : 高田 明和」 生田先生↓すっかり週刊文春ライターに。 脳と心をあやつる物質―微量物質のはたらきをさぐる: 生田 哲 人によっては読むといい

    yuta0210
    yuta0210 2007/01/20
  • 吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった - finalventの日記

    ソフト・スターリニズムとは何かが以前なら感覚としてある層には共有されていた。おそらく、60年代安保から70年代安保への裂け目の感性を持つ人がいたからだ。それと、吉は関わらなかったが、ハンガリー動乱が日共的なもののの質的な解体を志向していることに気が付いた人がいたからだ。 今その感性が崩れ去ろうとしてのは、彼らが死期を迎えつつあるからか。しかし、その問いは歴史のなかに忘れ去れさられるに足る解体を遂げただろうか。 そうではないだろう。むしろ、その間隙のなかでべ平連的なものが、戦後民主化的なものと結合して※※的なものに結合して、歴史の感性を失った30代から20代の旧知的な特権に吸着される若者に見られるようになった。面白いことに、吉主義者の私に対する攻撃がこのあたりから起きてきたのはあまりに漫画的というか、俺も吉主義者なんかやってるからだよ、な。 この若者たちには60年代から70年代の間隙

    吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった - finalventの日記
  • 国を愛するということ - finalventの日記

    ⇒H-Yamaguchi.net: 「愛国者」の3つの責務 ちょっと意外な感じがした。もしかして「社会」と「国家」の違いをわかってないのかもしれないなという印象を持った。 あるいは、共同体と国家の違いというべきか。あるいは、そんなものはないよということなのか。あるいは、啓蒙の文章を書くとき掬われる典型的なことというだけなのか。 共同体は直接的な愛情なり信頼感なりで結ばれる。ルールであっても会衆として向き合うことができる。国家はその延長にはない。国家はまず権力として現れる。その権力をどのように公的な正義とするかが問われる。民主主義とは会衆の原理ではなく、国家の原理なのだ。多数決は会衆の手法の一つだが、国家はそれで動かされてはならないために各種の制度を持つ。くどいがこの権力を公的に正義とするために押さえ込む制度を作り上げることが民主主義の質。 その意味で、すこし言い過ぎだが、国家とは法であり

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