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ブックマーク / jp.rbth.com (7)

  • アグニヤ・ディネスの写真に見る極東の魅力(写真特集)

    極東初の女性写真家、アグニヤ・ディネスが、金鉱山や帝政ロシア時代の民族を撮影したとき、彼女はすでに50歳を超えていた。彼女が映した写真は歴史に残っているが、彼女自身はいまも謎の存在のままである。 アグニヤ・ディネスは長いこと、知られぬ存在であった。名前をよく間違えられただけでなく(アグネスやアグラヤと呼ばれた)、多くの人に男性だと思われていた。19世紀末、写真家という職業は、まったく女性向きものではなく、彼女は大きなカメラと三脚、ガラスの湿板を入れた重い箱、ときには現像用道具一式を自分で運ばなければならなかった。とりわけ驚かされるのは、このときすでにディネスは50歳を過ぎていたということである。 ディネスは建設中の都市のパノラマ、地元のアボリジニ、風光明媚な丘を背景にしたロシアの船、そして東洋らしい寺院、中国の宮殿、偶像などを撮影した。撮影場所の幅広さにも感銘を受ける。ディネスは極東や中国

    アグニヤ・ディネスの写真に見る極東の魅力(写真特集)
    yuzuk45
    yuzuk45 2021/09/16
    ゴールデンカムイの世界だ!
  • ロシア軍の五大アサルトライフル

    水中アサルトライフル APSアサルトライフル(APSは「水中特殊自動小銃」を表すロシア語のアクロニム)はソ連で1970年代に開発された火器で、ドックに入渠中の船に機雷を仕掛けようとする敵の潜水士に対する武器として作られた。 長さ120 mm、口径5.66 mmの専用の針状の鋼鉄弾を発射する。マガジンの装弾数は26発だ。 このライフルは水中で弾を安定させるため滑空銃身を持つ。なお、APSを地上で発射すると精度は著しく落ちる。 他の水中銃に比べてAPSは貫通力が大きく、潜水士のドライスーツやヘルメット、呼吸装置の厚い部分を貫くのに便利だ。 射程最大のアサルトライフル  射程最大のアサルトライフルの一つでAK-12の派生版であるAK-308は、スナイパーライフル用の.308ウィンチェスター弾を使用する。600メートル以内の標的を仕留められる(ちなみに、標準的なAK-12、AK-74、M-16、H

    ロシア軍の五大アサルトライフル
  • ロシア軍の四大戦車

    現役の中で最古参なのがT-72BM「ウラル」だ。この戦車は1973年に採用され、今後も適宜改良を加えて運用され続けると見られる。 これは最も多く量産された第2世代戦車で、現在までに3万両が生産されている。国内市場・国外市場に向けて数多くの派生版が作られている。 T-72BMと他の第2世代戦車との違いは、自車に向かって飛んで来る敵の飛翔体を弾き落とせる「コンタクト5」爆発反応装甲を備えていることだ。 また、この戦車は125 mm滑空砲を備えており、誘導ミサイルを発射できる。840馬力のV字型の多燃料ディーゼルエンジンにより、戦車は舗装路で時速60キロメートル、未舗装地で時速35~45キロメートルまで加速できる。 現在、約2000両のT-72BMとT-72B3が現役で運用されており、予備で約7000両が保管されている。 T-80 これは世界で最初にガスタービンエンジンを採用した戦車で、その独特

    ロシア軍の四大戦車
  • スターリンの影武者はどうなったか

    高齢の「諸民族の指導者」の影武者を務めたのは24歳のダゲスタン人だった。そして誰からも疑われなかった。 ダゲスタンのある村出身の若き青年フェリクス・ダダエフが正式な替え玉となる以前から、スターリンには3人の影武者がいた。替え玉を見つけることは、1920年代からすでにクレムリンの警護を指揮していたニコライ・ヴラシク将軍が提案していた。警護担当者らは、スターリンには敵が多すぎ、労働者の会合に赴くのは危険だと考えたからだ。 この判断は正しかった。最初の影武者、コーカサス出身のラシドフは、彼の車列が赤の広場を通過する際に爆弾で吹き飛ばされてしまった。だがダダエフの経歴はさらにすごい。第一に、彼は55年間事実を隠し、家族にも真実を語っていなかった。第二に、彼はまだ生きている。現在なんと100歳だ。 戦死扱い ダダエフは1920年に生まれたダゲスタンの高地にあるカジ・クムフ村で生まれた。幼い頃から牧人

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    yuzuk45
    yuzuk45 2021/01/23
    プーチンにも
  • チェルノブイリより危険な場所

    カラチャイ湖は地球上で最も汚染された場所である。かつて放射性廃棄物の処分場だったこの場所は、封印されている。現在、安全性はどうなっているのだろうか。 カラチャイ湖とは 湖のほとりといえば、美しく静かで自然豊かな場所、休息、日光浴に適しているのが普通である。だがカラチャイ湖に限っては、そうではない。1990年代は、人間が1時間ほど湖岸にいるだけで6シーベルトの放射線を浴びる、つまり死にいたる湖であった。 カラチャイ湖のある場所は、チェリャビンスク州の南ウラル。雨不足などで干上がることが多く、地図から消えることもあった。 この近くにあるソ連最大の原子力施設の一つ「マヤク核技術施設」は、1951年から放射性廃棄物をカラチャイ湖に処分していた。湖の名はV-9貯水池に改名されていた。 なぜこれほどまでに危険になったのか 放射性廃棄物は長年、カラチャイ湖に放出され続けた。面積2~3平方メートル程度の湖

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  • 戦争映画の最高傑作『炎628』について知っておくべき9つのこと

    第二次世界大戦を描いたこの映画は、最も恐ろしく最も難解な映画でもある。一度見たらなかなか頭から離れない。 『炎628』はしばしば戦争映画史上最高の傑作と言われ、間違いなく世界で最も人気のあるソ連映画だ。この映画は第二次世界大戦の一部分を、ベラルーシの十代の少年の視点から描いたものである。『炎628』は劇中ずっと戦争の残酷さを憚ることなく見せつける。リアリズムを徹底したこの映画は、戦時中の人間の暗い所業ほど恐ろしいものはないということを教えてくれる。 この映画を見たことがないなら、絶対に見るべきだ(Russian Film Hubで『炎628』を見るにはこちら)。もし見たことがあっても、これらの9つの事実を知れば、映画がもっと面白くなるだろう。だが気を付けてほしい。最後の事実はネタバレだ。 1. 撮影中、実包を使用した

    戦争映画の最高傑作『炎628』について知っておくべき9つのこと
  • ソヴィエト連邦はいかにして食卓に平等をもたらしたか

    ソ連時代、料理人たちは伝統的な民族料理を組み合わせ、材料を安くし、その過程で現在“ソヴィエト料理”として知られているものを作り上げた。 今日ロシアの伝統料理と考えられているものの多くが、実はソヴィエト時代に起源を持つ。マヨネーズに浸したサラダ、パン粉いっぱいのカツレツ、ラスクで作った“ポテト”ケーキ。これらすべてソ連時代に作り出されたものだ。新時代が旧式の生活に変革を迫った。そしてもちろん数世紀の歴史を持つロシア料理もずいぶんと様変わりした。 厨房奴隷をなくそう  1917年の革命まで、ロシア料理は社会的にも地理的にも分かれていた。ロシア帝国西部の伝統的な農民料理はシチー(キャベツのスープ)、雑穀粥、ライ麦パンだ。ロシア北部の住民はウハー(魚のスープ)、焼きカブ、カリトキ・パイを作った。モスクワ人はトラクティル(軽店の一種)で出されるズビテニ(蜂蜜湯)を楽しんだが、一方当時ロシアの首都

    ソヴィエト連邦はいかにして食卓に平等をもたらしたか
    yuzuk45
    yuzuk45 2018/01/15
    ソ連
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