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2011年1月20日のブックマーク (6件)

  • あなたは、人とどう繋がりたいのかを決める権利がある

    id:ululunだけど匿名ダイアリに書くよ。 ブログに書いても良いんだけど「あなたに届かない」かもしれないしね http://anond.hatelabo.jp/20110118164145 若いアカウントばっかりフォローしてるおっさんは、自分の学生時代を思い出して欲しい。 同年代同士で楽しく喋ってるとき、好きでもないおじさんおばさんが介入してきたらどう感じたか。 歳を考えようよ。育った時代がまるで違うことを認識しようよ。 よっぽどニッチな趣味を共有してでもいない限り、"仲間"にはなれないんだよ。 意図して「若いアカウントばっかり」をフォローしているつもりはないんだけど、結果として「若いアカウント」をフォローしているかもしれないね、とは思う。私の場合面倒臭がりなんでこちらからフォロー申請をする事は滅多にないし、最近はフォローを返すのすら面倒で半ば放置しているところはあるけれどそれはそれと

    あなたは、人とどう繋がりたいのかを決める権利がある
    zaikabou
    zaikabou 2011/01/20
    ↓えっ、これって自覚的にululunさんがキモくてウザいおっさんを演じたんじゃなかったの?
  • 『“最後のはてな村民”――ネット民俗学的な資料か、葬送すべきゾンビか - シロクマの屑籠』へのコメント

    ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

    『“最後のはてな村民”――ネット民俗学的な資料か、葬送すべきゾンビか - シロクマの屑籠』へのコメント
    zaikabou
    zaikabou 2011/01/20
    はてな村同窓会。これは起きるね、事件が/♪初恋の人に 出会った時のような そんなさわやかな そんな懐かしい 胸が 熱くなるそんな気持ちに なるわきゃないじゃろが ワシらのはてな村!
  • “最後のはてな村民”――ネット民俗学的な資料か、葬送すべきゾンビか - シロクマの屑籠

    あなたは、人とどう繋がりたいのかを決める権利がある 昔、はてなダイアリー界隈が“はてな村”と呼ばれていた時代を思い出した。 (株)はてなが提供する「キーワードで繋がる面白ブログ」こと“はてなダイアリー”が、それなりにタイムリーだった時代が実際にあったと思う。もうだいぶ前、2005年〜2007年ぐらいのことだ。ネームバリューのある知識人が読み応えのある文章を書いていた頃や、余所のネットサービスに比べてコミュニティ性の高いブロゴスフィア*1を形成していた頃を、今でも思い出せる人はいるだろう。 しかしその後の“はてな村”は、内輪ウケや揉め事がやたら目立つ、肥大化した自意識の陳列棚のような様相を呈していき、はてなダイアリーのシェア率も低迷していった。ITメディアのインタビュー上で、梅田望夫さんが「日のインターネットは残念」と表明したのは2009年のことだが、少なくとも“はてな村”というコミュニテ

    “最後のはてな村民”――ネット民俗学的な資料か、葬送すべきゾンビか - シロクマの屑籠
    zaikabou
    zaikabou 2011/01/20
    なんかうまいこと言わないとブクマできない雰囲気…
  • 連載 椹木野衣 美術と時評:9 破滅へ至るカオス、循環するカオスモス−−−『破滅*ラウンジ』以後

    『破滅 → 再生ラウンジ〈LIVE2(インスタレーション)〉 ——アーキテクチャ時代のイメージ』2010年 写真提供:NANZUKA UNDERGROUND 連載第6回でのカオス*ラウンジ展評(髙橋コレクション日比谷)に続き、先頃、雑誌『新潮』(2010年8月号)に破滅*ラウンジ論を寄せた。『破滅*ラウンジ』とは、日比谷での展示で主力となったpixiv系カオス*ラウンジのメンバーによる整然とした「展示」に変わって、普段は美術とは関係がなく、職業的にコンピュータのプログラミングを専門とする、いわゆる「ギーク」たちを空間に棲まわせることで、彼らの居住から自ずと生成される混乱をそのまま見せようとするもの。当初のもくろみでは、会期の半ばからカオス*ラウンジのメンバーが美術家として介入することで、この混乱を鎮め、会期終了までには展覧会として「再生」させることが計画されていた(『再生*ラウンジ』)

    zaikabou
    zaikabou 2011/01/20
  • 連載 椹木野衣 美術と時評:11 瀬戸内国際芸術祭を観る(前編)

    9月の頭、早朝の便で空路、高松に入り、その日のうちに女木島、男木島と廻る。翌日は前に見逃していた直島の家プロジェクト、午後は小豆島。翌々日は朝から豊島、夕方から大島。最終日は直島のベネッセハウスでのシンポジウム参加を控え、軽い昼後に李禹煥美術館。日程上、前に訪れたことのある犬島は見送らざるをえなかったが、それにしても連日の猛暑のなか、ハードな行程だった。 小豆島 撮影:中村脩 しかし、それに見合うだけの収穫はあった。 オープン当初(斜面に立ち並ぶ今はなきパオや共同浴場がなつかしい! )から訪ねていた直島を除けば、どの島もまったく初めての体験だ。もっとも、その直島にしてもべネッセハウスがなければ一生涯で行くことがあったかどうか。越後有アートトリエンナーレもそうだが、これらの国際芸術祭は、訪れる人にとって美術体験である以前に旅であり、場合によっては巡礼に近い体験を提供する。90年代以降、世

    zaikabou
    zaikabou 2011/01/20
  • 連載 椹木野衣 美術と時評:7 美術はだれのもの?——北川フラム更迭問題をめぐって(前編)

    後編はこちら 新潟市美術館 2007年に在野から招かれ新潟市美術館の館長職にあった北川フラム氏が、09年の夏に報じられた展示作品へのカビ発生騒動に続き、今年になって発見された虫「約40匹」の責任を取るかたちで更迭されたのは記憶に新しい。むろん、収蔵作品に致命的なダメージを与えかねないカビや虫の発生が、館内で度重なってよいはずはない。新潟市美術館は新たに体制を整え直し、こうしたことが繰り返されないよう細心の注意を払い運営に臨むべきだ。けれども他方で、今回の出来事をきっかけに、素材の多様性も含め表現を拡張して来た現代美術にまつわる展示の可能性が必要以上に萎縮してしまうとしたら、それはまた別の不幸を招くことになる。 北川フラム氏の館長更迭に至る発端には、館内でのカビ発生を報じて美術館の管理責任を厳しく指摘する論調を押し出した毎日新聞(2009年7月31日付)の記事がある。そこで専門家の意見として

    zaikabou
    zaikabou 2011/01/20