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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (6)

  • 葬儀は誰のために - 深く考えないで捨てるように書く、また

    葬儀というのは、基的に、故人のためにするものではないよなあ。 故人は亡くなってしまっているのだから、自分の葬儀が行われようと行われなかろうと知ることはないわけで。 故人を亡くして悲しみを抱えている親族やのためかな。多少はそれはあるかな。葬儀をすることによって、故人は亡くなった、いなくなったんだ、と区切りをつけるという意味で。が、それだけなら、大々的な葬儀を行う必要はあまりないわけで、親族の中でだけわかればいい話。実際、葬儀を行わないケースもあるし。 しかし、葬儀は誰のために行われるかというと、つきつめれば参列者のためなんだろうな。この方は亡くなりました。会う最後のチャンスです、この機会を逃したらもう二度と直接会うことはできません。お会いになりたい方はどなたでも結構ですからいらしてください。 参列者の側にも、いろいろな事情がある。故人と当に会いたかった人。仕事上や人間関係上のことで、礼儀

    葬儀は誰のために - 深く考えないで捨てるように書く、また
    zaikabou
    zaikabou 2008/12/03
    そして火葬されて骨になったのを見て、近しい人たちは、死をやっと実感できるのだろう
  • 気持ちはわかる - 深く考えないで捨てるように書く、また

    気持ちはわかる、という言い方がある。 誰かが悩みを話していたり、愚痴を言っていたり、なにかに文句を言っていたりするときなどに、使うことがある。 言われた側は、気持ちはわかるって言うけど、当に私の気持ちなんてわかるもんか、と反発を感じたりすることもある。 それは当たり前で、気持ちはわかる、という言い方は、あなたの感じたことは私も同じように感じますよ、ということではないのである。この「わかる」は「了解できる」であって、つまり、自分が同じような立場に置かれたら、そのような心境になる可能性はあると思う、という意味だ。言う側も、相手の気持ちを丸ごと受容しているわけではなく、あくまで1つの可能性として了解可能だ、というだけのことである。 気持ちはわかる、は、気持ちがわかる、ではない。 気持ちはわかる、と思うことはある。 そういう場合、往々にして、気持ちはわかる、わかる「けど」、とつながる。

    気持ちはわかる - 深く考えないで捨てるように書く、また
    zaikabou
    zaikabou 2008/04/09
    そうだし、そうでしか有り得ないし、しかしそうする努力というのが人間関係なのだろうな、と
  • ある「ログ残し議論」に関する思い出 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    昨日書いた記事にいただいたブックマークコメントに、いくつか「ある程度時間の経過で自動的に書いたものが消えるシステムがあったらどうだろう」というものがあった。(参照→はてなブックマーク - 中くらいの声でしゃべる - 深く考えないで捨てるように書く) それを読んで、思い出したことがあったので、書く。 なお、昨日の記事とは直接的には関係のない思い出話であることを先にお断りしておく。 17年ほど前のこと。だと思うが、若干前後はするかもしれない。よく覚えていない。 当時、NIFTY-Serveというネットワークサービスをよく利用していて、主にあるフォーラムのRT(チャット)に常駐していた。 その頃、それにまつわる議論が起こったことがある。「チャットのログを残すのはマナー違反か」というものだ。 システム側でチャットのログを残す、ということは行われていなかった。厳密に言うと、おそらく一定期間のログはサ

    ある「ログ残し議論」に関する思い出 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    zaikabou
    zaikabou 2007/10/09
    なるほどなあ…
  • 自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    自分にまつわる情報を極力出したくない人、と言い換えることもできるか。 ネットで長年活動していると、こういう人たちがいることに気づく。 実は実生活でもいるのだが、実生活ではあれこれ自分について語らなくてもコミュニケーションがとれるものなので、あまり意識しない。ネットだと、言葉をやりとりをしてなんぼ、なので、あれ? と気がつく。 古くからのネットの知人でも、ブログはおろか、クローズドのmixi日記でも、自分自身についてほとんど書かない人がいる。自分のべたものや、自分の行ったところ、ネタ的なものなどについては、時々簡単に書くが、それについて自分がどう感じたか、は書かない。それなら活動してないのかというと、そういうわけではなくて、他の人のブログや日記はけっこうまめに読んでいる。 他人とつながることを忌避しているわけではなく、自分自身の情報、特に心理的なことや感情的なことについて表に出すことを忌避

    自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    zaikabou
    zaikabou 2007/10/08
  • 自分と他人は違う人間だから - 深く考えないで捨てるように書く、また

    自分と他人は違う考えをもつ違う人間なんだ、ということがいまひとつ分かっていない人がいる。 自分と他人は違う人間なんだ、とは分かっているが、他人にも自分と同じような考えをもたせたい、と思っている人がいる。 自分と他人は違う人間だから、なにも働きかけない、どうでもいい、と思っている人がいる。 自分と他人は違う人間で、とりあえず自分のことで手一杯、だから他人は目に入らない、という人がいる。 自分と他人は違う人間だから、他人を尊重したい、だから自分からはなにも言わない、という人がいる。 自分と他人は違う人間だから、他人のことが面白くてしょうがない、と観察している人がいる。 自分と他人は違う人間だけど、どこかに共通点はあるはず、と同じところを探し始める人がいる。 自分と他人が違う人間であること自体を嘆く人がいる。 そんな人たちは、それぞれ別の人とは限らない。同じ人格の中にいくつかが、あるいはすべてが

    自分と他人は違う人間だから - 深く考えないで捨てるように書く、また
    zaikabou
    zaikabou 2007/09/12
    いい。とても
  • 「料理ができる」とは - 深く考えないで捨てるように書く、また

    料理ができないってどういうこと? とりあえず、「料理ができる」とは、各種の材に手を加えて、単品の材とは別のなにかを作り、それが「まずくてとてもべたくない」と思わないレベルである、という感じじゃないだろうか。 ただの蒸かしイモは料理とはいえないが、粉ふきイモなら料理。スライスしたキュウリだけなら料理じゃないけど、他の野菜あるいはドレッシングなどの調味料とあわせてサラダにすれば料理。そんな感じかな。 ところで、こんな実話を、ある身近な女性から聞いたことがある。 その女性が大学時代に交際していた彼氏の話。彼らは当時、それぞれ下宿していて一人暮らしであった。で、その女性は料理はなかなか上手く、彼氏に手料理を作ってあげることもしばしばあった。しかし、その彼氏は自炊が全然できず、もっぱら外・中していたそうな。 見かねた彼女は、彼氏に、一度料理にチャレンジしてみるよう、勧めてみた。とりあえず、

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    zaikabou
    zaikabou 2007/05/23
    おお。非常に興味深い
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