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2011年6月19日のブックマーク (9件)

  • 「悪徳ポピュリストに騙されない方法」 - Afternoon Cafe

    http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201106230033.html 元々、大阪都構想が出てきたのは竹山堺市長が当選した後のこと。 堺市長にとっては都構想なんて聞いてないよ!ってところでしょうし、バカ殿が勝手に始めた大阪市との喧嘩に巻き込まれてしまって、とんだ災難って思ってるかもしれませんね。もっとも、こんな奴と分かっていながら市長になりたいがために手を組んでしまったのは自業自得。しっかりと堺市を守っていただきましょう。 それにしても、自分で市長に仕立て上げといて、都構想に賛成しないからって絶縁ってのはどうなんでしょうね。自分に賛成しないものはすべて敵、数の力に任せて正義の鉄槌を振り下ろすのだと言いたいのでしょうか?時間がかかっても、しっかり話し合い、合意を形成するのが民主主義ってもんでしょうに。(また同じことを言ってると怒られそうですが)。まあ、身内

    zakinco
    zakinco 2011/06/19
    『「有権者も責任を負う。それが住民による自治」と言うのを見逃すべきではない』
  • 東京新聞:石綿での労災、一転認定 神戸東労基署が2度不支給:社会(TOKYO Web)

    神戸東労働基準監督署が、神戸港でアスベスト(石綿)入りの貨物の荷役作業に約20年間従事し、肺がんになった兵庫県内の男性(79)の労災申請を2度不支給とした後、一転して労災認定していたことが19日、男性の支援団体への取材で分かった。 支援団体によると、不支給の決定後、認定基準を超える石綿が見つかり、兵庫労働者災害補償保険審査官が同署に異例の調査やり直しを求めていた。主治医の意見書の内容を十分確認せずに不支給にしていたとみられ、同署は「不手際があり、申し訳ない」と謝罪したとされる。 団体はNPO法人「ひょうご労働安全衛生センター」(神戸市)。男性は1967~88年に神戸港で働き、2004年に肺がんを発症。06年に労災申請したが、同署は不支給とし、10年の再申請も同じだった。 同署は「石綿を吸った人に特有の石綿小体が認められない」などとした主治医の意見書を基に不支給を決めたが、意見書には同時に、

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    zakinco 2011/06/19
  • 3週間でやりなおす「高校数学の教科書」

    習うより慣れろ、学ぶより真似ろ。 やりなおし数学シリーズ。いつもと違うアタマの部分をカッカさせながら、3週間で一気通貫したぞ。もとは小飼弾さんへの質問「数学をやりなおす最適のテキストは?」から始まる。打てば響くように、吉田武「オイラーの贈物」が返ってくる……が、これには幾度も挫折しているので、「も少し入りやすいものを」リクエストしたら、これになった。 書の特徴は、「つながり」。アラカルト方式を改め、高校数学の体系を一化しているという。なるほど、上巻の「数と式」の和と差の積の形に半ば強引に持ち込むテクは、下巻の積分の展開でガンガン使うし、図形と関数はベクトルと行列の基礎訓練だったことに気づかされる。ベクトルが行列に、行列が確率行列に、さらに行列がθの回転運動や相似変換に「つながっている」ことが「分かった」とき、目の前がばばばーーーっと広がり、強制覚醒させられる。 上巻 1章 数と式 2章

    3週間でやりなおす「高校数学の教科書」
    zakinco
    zakinco 2011/06/19
  • 自壊する二大政党 だけでなく・・・ - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    東京新聞のコラム「筆洗」から、 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011061802000030.html ><自壊する二大政党>。音を消したままにしていたテレビの画面に何げなく目をやると、そんなテロップが見えた ウン? 民主党と自民党のことか? 東大の御厨貴教授が何か語っているようなのでボリュームを上げた。「まったく国民と遊離したところで、政党同士が争った。二大政党制の悲劇…」。いよいよ民主党と自民党の話という感じである だが、早とちり。それはNHKが放映した昭和史の番組のさわりの紹介で、二大政党とは、その<自壊>が軍部独走を招いた、戦前の民政党と政友会のことだった。しかし「国民と遊離」なんて、今の二大政党の争いにもどんぴしゃりではないか 改めて引用するまでもないことではないか・・・とお考えの方も多いことでしょう。 わた

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    zakinco 2011/06/19
  • asahi.com(朝日新聞社):東大サイトの放射線情報 「端的」過ぎる説明文訂正 - 社会

    学内の放射線を計測して公式サイトで公表している東京大学が、測定結果に「健康にはなんら問題はない」と付記してきた一文を、全面的に削除して書き換えた。市民からの問い合わせが相次ぎ「より厳密な記述に改めた」という。学内教員有志からも「安易に断定するべきではない」と批判が寄せられていた。  測定値は東京・郷と駒場、千葉県柏市の各キャンパスの、3月15日以降、毎日1時間ごとの値を掲載している。柏キャンパスは現在、毎時0.25マイクロシーベルト前後だが、平時は0.05〜0.10程度。サイトでは「(原発の)事故前より少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はないと考えています」とのコメントを載せていた。  これに対し、学内の教員有志45人が今月13日、断定的な表現を避けるべきだなどとして、記載を改めるよう浜田純一総長に要請書を提出した。ごく微量でも放

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    zakinco 2011/06/19
    『ごく微量でも放射線量に比例して発がんリスクがあるというのが世界的に標準的な考え方だと指摘。「(安全だと)強い断定をするのなら、悲観的学説をなぜ排除したか説明が必要だ」と主張した。』
  • 故・ゴールドラット博士の功績を振り返る

    TOC(制約条件の理論)の提唱者、エリヤフ・ゴールドラット博士が、6月11日にイスラエルの自宅で亡くなった。10年前に発刊された『ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か』(ダイヤモンド社)がきっかけでファンになった人は多いだろう。 ITproのコラムCIO登場では、これまで4人のCIO(最高情報責任者)が「お薦めの」として同氏の著作を挙げていた。全体最適の実現に悩むCIOにも多くのヒントを与えてきたことが分かる。 そこで、同氏の死を悼みつつ功績を振り返りたい。 導入事例 同氏の理論の応用として最初に知られた手法は、DBR(ドラム・バッファ・ロープ)と呼ばれる生産管理手法だろう。「生産工程の中で、制約が大きい(ボトルネックになっている)工程を特定し、その工程の稼働率が最大になるように生産計画を組み、かつ、その工程直前に部材の在庫置き場(バッファ)を作り、上流工程はバッファの減り方を見なが

    故・ゴールドラット博士の功績を振り返る
    zakinco
    zakinco 2011/06/19
    お悔やみ申しあげます。ザ・ゴールは面白かったなあ。
  • なぜ若者はクルマに興味が持てないの?|教えてMJブロンディ【MOTA】

    クルマに興味がもたれない時代、若い人などにクルマに興味を持ってもらうとすれば、清水さんならどういったことをすればいいとお考えですか?教えてください。(自粛反対人さん) 「若者のクルマ離れ」が言われて久しいですね。 自動車雑誌などでも、「どうしたら若者がクルマに興味を持ってくれるか」といったことがよく話題になります。しかし私は、無理だと考えています。 クルマに興味のない若者に、クルマに興味を持ってもらうのは、勉強が嫌いな子に、勉強を好きになってもらうのとまったく同じです。対象が自分の子供など、限定されていればいろいろ方法はありますが、広く若者にクルマに興味を持ってもらうというのは、とても我々の手に負えるものじゃありません。 それこそ、日中の子供に勉強を好きになってもらう!というのと同じで、政府主導で国を挙げて取り組んだとしても、非常に難しい課題です(笑)。 私の世代の男は、たいていクルマが

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    zakinco 2011/06/19
    アホか
  • asahi.com(朝日新聞社):「原発は無駄なエネルギー消費を助長」元独環境相が会見 - 国際

    ドイツのシュレーダー政権で環境相として脱原発政策づくりに携わったユルゲン・トリティーン氏が17日、日記者クラブで会見した。脱原発ができるのは「10年前に再生可能エネルギーの拡充を強力に始めたからだ」と強調。電気代も「他国とかけ離れて高いという状況ではない。産業に悪影響を与えているとは言えない」とした。  ドイツの現メルケル政権は原発の運転延長を決めていたが、東京電力福島第一原発の事故を受け、2022年までに原発を全廃する方針に転換した。  トリティーン氏は、約10年前に4%だった再生可能エネルギーの割合がいまは17%以上だと説明。「ドイツは再生可能エネルギーの普及を始めてから電力輸出国になった」とも述べた。

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    zakinco 2011/06/19
  • 長勇の上海出張 - Apeman’s diary

    まもなく沖縄戦で日軍の組織的抵抗が終わってから66年になりますが、第32軍参謀長だった長勇は上海派遣軍の参謀として南京攻略戦に従軍し、南京陥落後に上海へと出張しています。何のために? 上海派遣軍の参謀長だった飯沼守少将の37年12月19日付け日記にはこう記されています(引用にあたって現代仮名遣いに改めた)。 迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す。 長中佐は25日に南京に戻ってきます。同じく飯沼日記より。 長中佐上海より帰る。青幇の大親分黄金栄に面会上海市政府建物等の打合せを為し先方も大乗気、又女郎の処置も内地人、支那人共に招致募集の手筈整い年末には開業せしめ得る段取りとなれり。 黄金栄の部下虞洽卿、王一亭等は中南支の一流の財界巨頭なりと。塩は彼等に売却し阿片を何とかして入手せしむる様考慮する筈。(後略) 「天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるもの

    長勇の上海出張 - Apeman’s diary
    zakinco
    zakinco 2011/06/19