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2008年12月4日のブックマーク (2件)

  • 2003年に何が起きたのか? - himaginary’s diary

    30日のエントリで、2003年の溝口財務官の為替介入について取り上げ、結局これはクルーグマンの1999年の論文の一節に書かれた政策を実際に実行したものだ、と論じた。 その翌日(12/1)、このエントリに大幅に加筆した。当初は、てにをはを少し直すだけのつもりだったが、そのうちにあることに気づいて、それについて考えているうちに、いつの間にかクルーグマンからの引用箇所を増やし、文章も追加し、グラフを2枚足していた。 最初このエントリを書いたときは、財務官僚にしては珍しく経済を正確に理解している男が、日銀が渋っていたリフレ政策を為替介入にかこつけて実施し、日経済を回復させた、という一種の英雄譚として2003年の溝口財務官の行動を理解していた。そして、彼のその行動が、結果的にはクルーグマンの日への政策提言を実現した形になった、という主旨でエントリを書いた。 だが、一昨日のこのエントリを見直してい

    2003年に何が起きたのか? - himaginary’s diary
    zokkon
    zokkon 2008/12/04
  • 第25回「弥」と「彌」 | 人名用漢字の新字旧字(安岡 孝一) | 三省堂 ことばのコラム

    昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表には、旧字の「彌」が収録されていて、新字の「弥」がカッコ書きで添えられていました。つまり「彌(弥)」となっていたわけです。ところが、昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表には、「彌」も「弥」も収録されていませんでした。そして、戸籍法が昭和23年1月1日に改正された結果、旧字の「彌」も、新字の「弥」も、子供の名づけに使えなくなってしまいました。でも現在は、「彌」も「弥」も出生届に書いてOK。「彌」や「弥」は、どのようにして人名用漢字になったのでしょう。 全国連合戸籍事務協議会は昭和25年10月19日の総会で、子供の名づけに使える漢字を、当用漢字以外にも増やしてもらうべく、法務府と文部省に要望することを決めました。戸籍担当者たちは、子供の名づけが当用漢字だけで十分だとは思っていなかったからです。この時、全国連合戸籍事務協議会が要望し