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ブックマーク / diary.jp.aol.com/mywny3frv (12)

  • 相変わらず教育再生会議はすごかった:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    前エントリが教育関係だったので、久々に思い出して教育再生会議サイトをみてしまった。 なんか第二次報告が出たという報道があったけど、あまりフォローしてなかったし、、 で、思わずあけてしまったのが分科会要旨。5/28に開かれたらしい、合同分科会の内容だ。 相変わらずすごかった。 ぱっと見て印象に残ってしまったものが以下。要旨をざっと見ただけだが、議事録をちゃんと読むともっと凄い発言が出てくるんだろうなあ。。 留学生政策について。 (川勝委員) ・留学生政策推進の理由に、教育政策と同時に産業政策、外交政策でもある となっているが、少子化対策でもあると加えていただきたい。日に憧れ を抱く、優秀な学生を日への誘導する機会になる。 「少子化対策」って、ひどすぎ。。 そして、なんだかんだいって東大のことしか考えてないらしい委員たち。 (塩崎官房長官) 東大は世界のランキング

  • 校庭の芝生化、ねえ。。(千葉県管理教育番外編):ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    石原都知事の政策として、校庭の芝生化というものがあるのを知った。(今頃、な話題なのかな?) この何となくよさげに聞こえる「校庭の芝生化」。石原の施政方針演説によれば、 また、校庭の芝生化は、ヒートアイランド現象の緩和に寄与するだけでなく、屋外で遊び回る子どもたちの元気な声が学校に戻ってくるなど、うれしい効果も生み出しておりまして、都内のすべての公立の小中学校で、校庭の芝生化を進めてまいります。 ということらしい。すべての学校か。。 私がこの「校庭の芝生化」に反応してしまう理由。それは、やはり以前、このブログの「千葉県管理教育シリーズ」で書いた、私がいった管理教育バリバリの某K小学校の校庭が、芝生化されていたからだ。おそらくK小学校は、校庭の芝生化の面で先駆的な学校だったのだろう。『みどり豊か」だとか、「芝生の校庭が自慢」とか、よく学校で言われていたのを覚えている。校庭が芝生になって

  • ピアスと茶髪を禁止する大学:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    「秋田経済法科大学」にて、茶髪とピアスを禁止する法則をもうけ、従わない場合は「懲戒」もありえるし、指導に応じて改めた学生には学長賞として一万円を贈るというニュースを読んだ。 「秋田経済法科大学」のサイトに行ってみたら、このニュースについての補足なるものが載っていた。 茶髪・ピアスについて(一覧のコメントをご覧ください) 読売新聞やヤフーのニュース欄に取り上げられました記事について補足いたします。 この規則の主旨はあくまでも「社会に出してはずかしくない学生の教育」ということです。 そのために守るべきマナーを守ってもらいたい。服装や頭髪等の身だしなみも他人に不快感を与えないものにしてもらいたいということです。 どのぐらいの頭髪の色か、ピアスは耳もだめか等の細則や、褒章制度(1万円)等についても今後検討した上で具体的に制定していく予定です。 学生を社会に貢献できる人材に教育していき

    zonia
    zonia 2006/10/01
    いやいや、むしろ人気急上昇になると思われ。
  • 「元気をもらう」という言葉:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    女性運動界隈で、よく聞く言葉に「元気をもらう」というものがある。 「この集会で、元気をもらいました」とか、「皆さんと交流できて、元気をもらいました」とか、「○○さんに元気をもらいました」というように使われるのをよく聞く。直接会った時のみならず、メールなどでもよく見る表現だ。 だが、私はどうもこの「元気をもらう」という言葉に違和感を覚えてしまうのだ。聞くたびに、そしてメールなどで見るたびに、気になってしまう。 何が気になるのだろう?と考えてみると、女性運動界隈で「元気をもらう」という表現が使われるコンテクストに問題があるのかなと思えてきた。思いつくのが、東京など「中央」とされる地域で開かれる集会や、全国規模の集会(たとえばNWECフォーラムとか、日女性会議とか、民間の団体にしても、様々な地域から人が集まる類いの集会)において、地方からきた人たちが「ここに来て元気をもらいました」という

  • 千葉管理教育番外編:親の視点:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    シカゴに遊びにきた親との会話の中で、70〜80年代千葉県の管理教育の話題が出た。 母親の記憶では、授業参観の日に、忘れ物をしたとかいう理由で、数人の生徒が、床に正座をさせられたまま授業を受けていたことがひどく印象に残っているらしかった。すっかり忘れていたが、言われてみればそんなことがあったように思う。授業参観といえば、自分の親、そして他の子どもの親もずらっと並ぶ中で、正座をさせられているというわけだ。子どもにだってプライドはある。親の前で、正座させられた状態で授業を受けるということが、どれだけそのプライドを傷つけることか、、。 そして、授業参観の後の教師との面談の際に、私の母親は、体罰の横行に対して、苦情を言ったという。そして言い合いになり、あげくの果てにその教師は「バカな親とは話さない!』と言い放ったとか。次の順番を待っていた、他の生徒の母親に、「何の怒鳴り合いをしているのかと思った

  • 千葉管理教育シリーズその6:密告文化と暴力、管理:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    千葉県管理教育シリーズ、中学、高校編である。 中学にはいると、小学校時代「ジェンダーフリー」だった体罰は、明らかに女に対しては少なくなったように思う。だが、当時世間は校内暴力全盛時代。暴力を防ぐ=暴力を通じて管理する、という公式だったのか、男子生徒に対しては、相変わらず殴る、蹴るの体罰が続いていた。自分自身が暴力をふるわれなくとも、他人がふるわれている様を目の前で見させられると、同じような心理的圧力がかかってくる。しかも、あの小学校時代を過ごしてきた記憶も生々しいわけだ。 中学にはいって制服が導入されると、生徒手帳に細かく書かれた校則により、髪型、制服のスカート丈などが細かく規制されるようになった。そして、体操服には名前が大きく書かれたゼッケンがあった。服装を通じての「管理」は、より細かいところまで行き届く状況になったわけだ。そして、前回エントリのコメント欄で出てきた、監視に基づいてお

  • 千葉管理教育その5:小学校体罰編:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    前回エントリのコメント欄にも書いたが、私の小学校5〜6年のときの担任は、「叩く専用棒」というものを常に所持していた。最初は、直径2〜3センチくらいの木の棒をもっていたような気がする。だが、ある日、細い、しなる竹の棒の先の部分に、ひどく固い黒いもの(固く重いゴムのようなもの?)をつけた棒を開発してきた。そんなものが商品として売っているわけもなく、わざわざ工夫して、叩くためだけの用途に作ってきたわけだ。竹でしなり、先についているものが重いため、反動もついて叩く側はほとんど力を入れる必要がない。何度でも苦労なく叩ける。だが、その反動と、棒の先についている固いもののために、叩かれる側は非常に痛いという代物なのだった。そしてその棒を開発した彼は、かなり自慢気だった。 この棒でどこを叩かれるのか?頭である。頭をそんなに固いもので叩かれれば、当然、コブができる。当時の私の頭はコブだらけだった。毎日のよ

  • 八千代市小学校管理教育関連の1980年国会議事録発見!:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    70〜80年代の八千代市小学校の管理教育について、国会で話題になったという話を聞いたのを覚えていたんですが、ちょっとグーグルしてみたら、出てきましたよ!1980年参議院予算委員会でのやりとり。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/091/1380/09103211380012c.html 山中郁子議員の質問部分です。 とくに以下が、関連深い部分かと。 ○山中郁子君 こういうことの小学校版と言えるものが、いまの背番号教育などという呼ばれ方で問題になっている千葉県の八千代市で広がっている事実です。具体的に申し上げますと、八千代台東小学校、八千代台東第二小学校、勝田台小学校、大和田南小学校、西高津小学校、この五校です、私の調査によれば、大同小異ですけれども。 具体的に言いますと、授業中お隣の子にセロテープを貸してくれと言っただけで、しゃべった

  • 千葉管理教育その4:体育編:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    千葉県管理教育シリーズその4は、体育編。 今までの記載から、いかに私の小学校で体育ばかり行われていたか、ご想像つくと思う。 一日のスケジュールを見るだけで、朝の運動、業間体育、昼休み(雨でない場合、ほぼ強制的に外に出て「遊ぶ」ことが求められた)、そして正規の体育とあるわけだ。高学年のときには、業間体育の後の3時間目はなだれこみ体育となることも多かった。現在、学校のカリキュラムにゆとりがありすぎだか何だかといって批判が出ているようだが、当時、少なくとも私の学校では、カリキュラムがどうであろうが全く関係なく、通常授業をつぶして体育にするということが堂々と行われていた。どうやら、私の行った小学校は、地域の体育モデル校的学校だったらしい。そして私は運動音痴。たまたま近所にあった学校がこんなところだったという、この不運。。 その証拠に(?)なんと、私の小学校はほぼ毎月運動会があるという、恐るべ

  • 千葉管理教育その3:「男女同室着替え」編:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    さて、いまや話題の(?)男女同室着替え。「ジェンダーフリー」思想がこれを導くなどと保守派は言っているようだ。 だが、70〜80年代の、軍隊のような千葉管理教育において、私は毎日、男女同室着替えを実践させられていたのだ!「ジェンダーフリー」が導入されたのは95年だというのに、あれれ? この千葉県管理教育における着替えカルチャー(?)を理解するには、まず「ジャージ着用強制」文化を理解することが第一である。wikipediaの「管理教育」の項目には、東葛地域(柏、松戸など)の中学校と一部小学校において、登下校時を除いて学校指定のジャージ着用を強制している、と書かれている。夏期には、半袖の体操服とトレパン/ハーフパンツ/短パン/ブルマ(廃止以前)の着用が義務づけられていたとある。 東葛地域ではないが、私がいた八千代市の小学校もまさにそうだった。登下校時のみ私服を着るわけだが、学校につくやいな

    zonia
    zonia 2006/06/05
    すげえな…。
  • 千葉管理教育その2:業間体育、掃除、給食:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    前エントリへのannntonioさんのコメントに出てきた、「業間体育」、お掃除の「黙動」、そして給の「三角べ」。何のことだか皆さんわかります?普通こんな言葉、使わないよね。これが私にはすぐ、ツーカーにわかってしまうところが、千葉県管理教育の恐ろしさ。 業間体育というのは、小学校において、授業の2時間目と3時間目の間に、雨が降っていなければ外に出て、強制的に運動やらダンスやら行進やらをさせられるという時間だった。20〜30分くらいだったかと思うのだが、とくに小学校高学年のときは、業間体育の後の3時間目の授業は、時間割が何であろうとつぶされ、体育と化していたような記憶がある。 そして、この業間体育への教室からの移動も、ちんたら歩くのは駄目。走らねばならないのだった。 掃除。私の学校で「黙動」という言葉を使っていたかどうかは忘れてしまったが(でも意味がわかるから、使っていたのかな)、掃

  • 70年代千葉県管理教育と日の丸・君が代:ふぇみにすとの雑感 - AOLダイアリー

    70年代後半〜80年代前半にかけて、私は千葉県で初等、中等教育を受けた。あの、愛知と並び称される、「管理教育の千葉」である。 それがどんなにオソロシイことだったか、先日久々に思いだした。 「70年代」について友人と話していたのだ。運動に関わっていた友人から聞くリブ運動の話。その後に続いた国際婦人年、そして女性運動の広がり・・こんな話をしながら「ああ、70年代って今と比べていいなあ」なんて単純に思っていた。え、でも、待てよ、私にとっての70年代ってどうだったんだ? それより前、2月頃にも思い出す機会があった。アメリカの某大学を訪れ、授業に別の日人で同じ年齢の友人と参加した。そこで話題になっていたのが、「国旗、国歌」。教員に話をふられて、発言をした友人は、東京で公教育を受けたという。そして、日の丸なんて学校であがっていたのはほとんど見た事無いし、君が代だってほとんど歌った事ないというの

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