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ブックマーク / www.nextftp.com (7)

  • 現代都市空間におけるコミュニケーション適応戦略の、幾つかのバリエーションについて(汎適所属)

    【現代都市空間におけるコミュニケーション適応戦略の、幾つかのバリエーションについて】2008/02/24 今年はこのウェブサイトの更新を少し遅れ気味なわけだが、その分のエネルギーをネトラジに割り当てて、リスナーの方とのやりとりを体験させていただいている。ネトラジのなかで私は、自意識(例えばマズローの言葉を使えば承認欲求、所属欲求あたりが該当するような)を現代の私達やオタク趣味愛好家がどのように満たしているのか・また、満たしかたによって何か問題となることが発生しえるのか、を主要なテーマとして連載しているが、かつての地域社会的コミュニティのなかで自意識を満たすのと、現代の都市空間やインターネット空間で自意識を満たすのでは、手法も副作用も随分と違ったものになっていると思う。その、誰もが否応なく直面しているであろう変化を踏まえたうえで、21世紀風の、自意識の様々な備給経路・備給形態について考えなけ

  • 教育しない限り何もかも身に付かない子ども達----ポストモダン社会と子どもの発達について考える(汎適所属)

    平成19年12月17日のNHK『クローズアップ現代』は、子どもの運動能力の低下、特に運動能力の発育に極端なばらつきが発生している現象についての放送内容だった。身体機能の発育が不十分な故に受け身がとれず“危ない転び方で”大怪我をしてしまう子ども・まっすぐ走ることが出来ない子ども・集団で遊ぶ機会の減少に伴って社会性や協調性の発達にも影響が出る可能性etc…かなりショッキングな内容だったと思う。番組ではその一因として「子ども同士で外遊びする機会に激減したため、身体機能の発達が極端に偏っている子どもが増えた。それで子どもの体力格差が極端になりやすい」という風な分析をしていた。 悲惨なことだとは思うが、しかしこういった子どもの能力的なスペックばらつき傾向は都市部を中心として殆ど不可避なのだろうな、とも思う。番組中でも触れられていたが、現代都市空間で育てられる子どもが、みんなで自発的に体を使って遊ぶ機

  • オタク趣味以外にアイデンティティを補強する手段を持たない人達(汎適所属)

    オタク趣味以外にアイデンティティを補強する手段を持たない人達 ――オタク趣味に後ろ向きだけど、すがりつかずにはいられないという矛盾―― 【はじめに】 Zさん(仮称)はオタク趣味人としてハイレベルな知識と経験を持った、手強いオタクさんである。専攻はコミック分野・洋物ファンタジーあたりだろうか。一方で、東洋思想や西洋哲学、宗教学などへの造詣も深く、オタクな話題を交換する時にもそれらを交えた芳醇な視点を提供してくださる方である。 このZさんと話をしていた時に、興味深い台詞が出てきてハッとさせられた。 「世に言うオタの人達は、生業としている仕事や全人格的なモノ※1を帰属先とせず、趣味の分野でアイデンティテイを形成しているのかしら? 」 ああ、オタク趣味やサブカルチャーにアイデンティティ・自己実現感を依存している人があまりにも周囲に多すぎるせいで、Zさんのようなオタクさんが存在していることをすっか

    zonia
    zonia 2006/09/18
    さてさてどうだろうか。
  • 能動過小傾向がみられることは「悪」か?(汎適所属)

    他者に対する能動過小傾向が、現代の若年男性の幾つかのグループでみられることは今回の特集で散々述べたことだが、今回は、敢えて一章を割いて、『能動過小のオタク非モテや引きこもりは悪だ!』とするむきに反対意見を提示しておきたい。自戒もこめて。 しばしば、オタクやモテない男や引きこもりは社会的に良くないものとみられやすい。あるいは蔑視されやすい。恋愛するのが義務であるかのような風潮は、モテない男を異常視するような雰囲気を生みだしているし、引きこもりには“穀潰し”“社会のゴミ”というレッテルが貼り付けられやすい。『電車男』『2005年のオタクブーム・メイド喫茶ブーム』も、オタクの社会的認知を向上するというよりは見せ物としてのオタクを印象づけただけだった。オタク・モテない男・引きこもりを巡る蔑視が問題視される要因のなかには、自意識の問題※1に由来する、彼らの被害的な態度が関与している部分もあるにせよ

  • 脳内補完における、萌えキャラとオタクとの一方向的関係(汎適所属)

    ・脳内補完における、萌えキャラとオタクとの一方向的関係 ――拒絶の無い世界における、あられもない営み―― さて、一つ前のテキストで、消費者たるオタクに常に従順で拒否を示さない属性を持ったキャラクター達がさかんに消費されている事を述べた。こういったキャラクター達が持つ属性は、前述の通り、オタクがキャラに願望を投射し、萌えな脳内補完(脳内萌えシミュラークル)を形成するのに適した、ある種のフォーマットとして機能している。だが、こういった従順なキャラとオタクとの関係は脳内補完(かそれに近い描写のなされた同人等)という閉じた場においてのみ形成されるため、キャラクターとオタクの関係は、現実の男女関係とはかなり異なっている。 コミケの三日目、成人向きの日に東館で同人誌漁りをすると、メイド・幼女・幼なじみなどの属性をひっさげた萌えキャラ達がどういった形でオタクに消費されているのか、その最も激しい部分を観察

    zonia
    zonia 2006/04/19
    自由自在な萌えとオタク。
  • 不安や葛藤を解消するサプリメントとしての、“ゲーム脳”の適応的意義(汎適所属)

    ・はじめに “ゲーム脳”の森昭雄博士について、また面白い出来事があったようである。 H18年3月6日、森博士は世田谷区民会館で、『テレビゲームが子どもの脳に与える影響について一緒に考えてみませんか?』といういつものような講演をやらかしたらしい。ここまでならいつもと同じなのだが、なんと、川端裕人さんという方が会場に乗り込み、質問をかわしたうえで一部始終をブログ上にアップしたのだ。これが好事家さん達の目に留まり、3/8現在、様々な考察・罵倒・感想がネット上を飛び回っている。詳細をお知りになりたい方は、以下原文を是非お読み頂きたい。 記事:森昭雄氏の世田谷区講演レポート(1) (2)(from リヴァイアさん、日々のわざ さま)より 記事:森昭雄博士の講演(from せんだって日記 さま)より (まとめはこちらかこちらが良さげです) 臨床脳波に対する無知を隠そうともしない似非科学っぷり・学会発表

  • 「他人に迷惑をかけない」という要請は、現代の子ども達の適応に何をもたらすのか(汎適所属)

    ご覧の通り、東京の数字だけが「身内や自分ではなく赤の他人に迷惑をかけず大事にせよ」という数字が突出しているのがわかる。他の四都市にはこれがみられないのである。このような差異が生まれる要因としては、都市化してからの時間の程度、情報化の進みっぷり、民族性や国民性、儒教・道教的精神の残存度合いなど色々絡んでのことだろうが、ともかく違いがあることだけはよくわかる。よって、私はその後の木走さんの議論を「うんうん、確かにそうだ」と思いながら読み進むことになった。しかし、なんとなく何か大切なものを見落としているような違和感が残っていた。 ・「他人に迷惑をかけるな」、という時の「他人」の相違点(1948年と2006年) その違和感の正体は何だったのか?それは、「他人に迷惑をかけるな」という時の「他人」とはどんな他人なのか、が件のリンク先で区別されていなかったことに由来しているとようやく私は気付いた。木走日

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