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ブックマーク / trivial.hatenadiary.jp (119)

  • 心頭滅却すれば、たかが省令如き遵守するに値せず - 一本足の蛸

    静岡県三島市は、市役所の室温が30度に達するまで冷房を使用しないことを決めた。 【略】 豊岡市長は「心頭滅却すれば火もまた涼しというが、職員には我慢してもらうしかない」と話していた。 参考 心頭滅却すれば - 一足の蛸 追記(2011/05/29) 文を書いたときには外出前で時間に余裕がなかったため、引用文とリンクだけにしたが、これは不親切な書き方なのでもう少し補足する。 見出しの「省令」とは事務所衛生基準規則(昭和47年労働省令第47号)のこと。その第5条第3号で次のように定められている*1。 事業者は、空気調和設備を設けている場合は、室の気温が十七度以上二十八度以下及び相対湿度が四十パーセント以上七十パーセント以下になるように努めなければならない。 「努めなければならない」という書き方をしているので、「努力したけどできませんでした」という言い訳の余地がある。見え透いた言い訳だとして

    心頭滅却すれば、たかが省令如き遵守するに値せず - 一本足の蛸
  • コミケとラノベから離れたらオタク文化の「今」が皆目見えなくなった - 一本足の蛸

    先日、久しぶりに日橋界隈を徘徊した。 特に用事があったわけでなく、阪堺電車の運賃がどこまで乗っても200円になったので浜寺駅前から恵美須町まで乗りとおしたついでに日橋まで足を伸ばしたのだが、街の風景は以前とさほど変わっていないのに、まるで異国のように感じられた。というのは、あちこちのオタク系ショップのポスターや立て看板に描かれているキャラクターも、そこに書かれている作品名もさっぱりわからないからだった。 考えてみれば、日橋で散財するような消費生活から足を洗ったのは10年近く前のことだ。だから、今のはやりがわからなくなっていても何の不思議でもない。とはいえ、日橋で買い物をしなくなってからでもちょくちょく街歩きはしていたし、その際にも何がなんだかわからないオタク的物件は数々目にしていたのだが異国風景のようには感じなかった。 ということは、先日の違和感は、単に「わからない」ということ以上

    コミケとラノベから離れたらオタク文化の「今」が皆目見えなくなった - 一本足の蛸
  • 消えていく言葉 - 一本足の蛸

    いつ、どこでだったのかは忘れたが、「縄を編む」という表現を見かけたことがある。一瞬、縄を使って何かを作る工程のことかと思ったのだが、前後の文脈からそうでないことがわかった。縄の原料である藁を「編んで」縄にする工程のことを指していたのだ。 それは「編む」のではなく「なう」だ。日語として間違っている。 とはいえ、日常生活で「なう」という動詞を用いる機会が非常に減っていて*1、そういう言葉があることを知らない人がいてもおかしくないだろう。「なう」を漢字で書けば「綯う」だが、「綯」は常用漢字に入っていない。 つい最近、ある小説*2を読んでいると、次のような一節があった。 「あの機械ですが、何なのかご存じないですか。見る限り農具小屋だと思うんですが、何に使う機械か知らなくて」 私も馴染みがあるわけではない。しかし、前の住人との折衝する中で話を聞いていた。 「ああ、古い脱穀機です。米を収穫したら、あ

    消えていく言葉 - 一本足の蛸
    zonia
    zonia 2010/11/27
    消える「なう」←いま消えるのかと思った人はtwitter脳
  • いまさらながら『涼宮ハルヒの消失』をみた、という話 - 一本足の蛸

    日ごろ仕事が忙しくて土日でもなかなかまとまった時間がとれないのだが、今日はなぜか急に仕事をしなくてもいいことになったので、長らく懸案だった映画『涼宮ハルヒの消失』鑑賞のため映画館に向かった。 平日の朝一ということもあり観客はわずか9人だったが、これはまあ予想の範囲内。というか9人もいたことのほうが驚きだ。公開から4ヶ月以上も経っているというのに。さすがに「なんで今頃みにきたんですか?」とたずねることもできず、おとなしく着席した。 凄く長い映画だという話は知っていたので、途中でトイレに行かなくてすむように前の晩から水分補給は控えてあった。喉が渇いてからからになると不快なのでのど飴を用意したが、そのせいで逆に喉が痛くなり、上映中に何度か咳き込んでしまった。申し訳ないことをした。 ストーリーは原作どおりで、台詞も若干の追加を除けばほぼ原作に書かれているものと同じだと聞いていたが、その原作を読んだ

    いまさらながら『涼宮ハルヒの消失』をみた、という話 - 一本足の蛸
    zonia
    zonia 2010/06/10
  • ネットの敷居が高い今日この頃 - 一本足の蛸

    恥ずかしながらつい最近まで「敷居が高い」という慣用句の来の用法を知らなかった。そして、来の用法を知った今となっては、このことばを使う機会がほとんどない。なるほど、言葉の誤用が来の用法を駆逐するのにはそれだけの理由があるのだ、と思う。たとえば、檄文が書かれなくなった現在、「檄を飛ばす」が来の意味を保ち続けるのは難しいことだろう。 「敷居が高い」に戻る。 日常生活ではほとんど使うことのないことばだが、ここ数ヶ月のネット活動を振り返ってみると、このことばがよくあてはまるように思う。他人のサイトにリンクしづらくなったし、メールを送ることもなくなった。オフ会なんか敷居が高くてとてもとても……。 ああ、人はこうやってネットコミュニティから離れていくのか。これまで多くの人がネットから消えていくのを見送ってきたが、今、まさに自分自身が消えかけているのを自覚して、何ともいえない感慨にとらわれる。 初

    ネットの敷居が高い今日この頃 - 一本足の蛸
    zonia
    zonia 2010/02/14
    さびしい
  • 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』はエロゲー業界への「トロイの木馬」になりかねない - 一本足の蛸

  • お盆の高速道路大渋滞に期待する - 一本足の蛸

    土日の高速道路料金割引のせいで、各地の公共交通機関が打撃を受けている。昨年の燃料高騰や不景気による交通需要の減少とのトリプルパンチで、特にフェリー業界は存亡の危機を迎えており、減便や航路廃止が相次いでいる。鉄道乗客数も激減しており、いくつかの鉄道会社は割引企画きっぷで応戦していており乗客数の面では一定の効果を上げているようだが、果たしてそれが安定的な収益に結びつくかどうかは疑問だ。高速バスも悲惨だ。自家用車ではないから高速道路料金一律1000円の恩恵を受けられないばかりか、割引のせいで発生した渋滞に巻き込まれてダイヤが乱れ、定時性・速達性が大いに阻害されている。寡聞にして具体的な報道は見聞きしたことはないけれど、トラック物流業界も悪影響を受けているものと思われる。 高速道路料金の割引が交通システムに与えるダメージが徐々に見えてきており、常識的に考えればならこの状況は何とかしなければならない

    お盆の高速道路大渋滞に期待する - 一本足の蛸
    zonia
    zonia 2009/07/20
  • 一週間の命の「予想」も時間が経てば貴重な史料になる……かもしれない - 一本足の蛸

    ぼくのアニメ視聴は、原則としてTVその他の放映が終わっている(完結している)ものをまとめて借りたり買ったりして一気に見る、というやりかたなんですが、それが面白かった場合は、ネットで他の人の感想を拾って、再視聴するわけです。多分そういうのはアニメ見る人間としては少数派なのかも知れず。たいていのアニメ感想サイトは、放映中が感想のピークで、話の流れを追いながら、話の展開を予想するようなテキストつきで何か言ってる。 この、完結してから見る、というぼくの見方に一番邪魔なのが「話の展開を予想する」(予想している)ネット上のテキストで、どうにもこうにもこれほど無駄に思えるテキストはないね。「次は○○が××になる予感」なんて、予感テキスト書いても一週間の命しかないですから。読むほうの身になってみやがれ。 ちょっと堪忍して欲しい、と思ったのは「話の展開を予想するようなテキスト」で、要するに「来週は○○が××

    一週間の命の「予想」も時間が経てば貴重な史料になる……かもしれない - 一本足の蛸
  • それを「権威主義」と呼ぶかどうかはともかく、我々は権威に頼らなければ暮らしていけない - 一本足の蛸

    未熟な科学は、疑似科学と区別がつかない - NaokiTakahashiの日記を読んで、ふと、以前読んだに似たようなことが書いてあったことを思い出したので、棚の奥底からそのを引っぱり出してきた。 論理学 (哲学の世界) 作者: W.C.サモン,山下正男出版社/メーカー: 培風館発売日: 1987/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 17回この商品を含むブログ (3件) を見るこのは 論理学の活動範囲 演えき 帰納 論理学と言語 の4章から成り立っている。論理学の教科書をいくつか読んだことのある人なら、章題を見ただけでもこのの特徴がある程度わかるのではないかと思うが、たぶん論理学の教科書の読み比べが趣味の人はさほど多くはないので、こののまえがきからこのの特徴をよく表している箇所を抜粋して紹介しよう。 多くの重要な学科と同じように、論理学もまた、それ自体に備わっている

    それを「権威主義」と呼ぶかどうかはともかく、我々は権威に頼らなければ暮らしていけない - 一本足の蛸
  • 冬の時代は近い - 一本足の蛸

    メディア: 購入: 7人 クリック: 122回この商品を含むブログを見る発売前にはノーチェックだったが、昨日、書店で見かけてタイトルに興味を惹かれて買った。 読んだ。 ……。 ええと、少々昔話をしましょう。 今から約20年くらい前のこと。和歌山県田辺市に紀州新報というローカル新聞があった*1。1990年、その投稿欄に端を発した社会運動がやがて日全国を覆い尽くし、一部マンガ業界に冬の時代が訪れた。それまで盛んに出版されていた、性描写を含む青年向けマンガ単行の出版がぴたりと止まってしまったのだ。この時代を象徴するのが、1991年の『BLUE』*2回収事件だ。奇しくも『BLUE』の作者である山直樹のデビュー作『世界を駆ける紀州の力』の主人公(?)の東力衆議院議員(当時)がこの運動に積極的に関与しており、「朝まで生テレビ」で二人が対決するという一幕もあった。 厳寒の時期はおよそ1年半程度だっ

    冬の時代は近い - 一本足の蛸
  • はてブ処女厨 - 一本足の蛸

    告白しよう。あなたが今読んでいるこの文章の書き手*1ははてブ処女厨だ。どんなに興味深い記事を見かけても、既にブクマがついてたらもう処女じゃないので黙って立ち去ることにしている。 昔はこうじゃなかった。ここの過去ログをみると、去年の1月28日にJ-STAGE [科学技術情報発信・流通総合システム] 電子ジャーナルにブクマをつけている。28人目だ。そのひとつ前には山純子『便所四十八手?女体による和式?』|情報芸術コースへのブクマ。これは2人目。 ということは、はてブ処女厨になったのはだいたい1年くらい前ということか。そのころ一体何があったのだろう? 昔のことなのでもう覚えていない。 なお、はてブ処女厨とは関係なく、はてなブックマークを使い始めてからずっと続けている方針がある。それは、ブクマコメントを一切つけない、タグもつけない、というもの。そのせいで、他人が見ても面白みがないブクマになってし

    はてブ処女厨 - 一本足の蛸
  • 生きるということは手段ではない - 一本足の蛸

    しかし。ぼくに言わせると、その思想の一番おおもとにある(暗黙の)前提が間違っているので、そこから展開する論のすべてが無効になっています。その前提とはなにか? それは「生きることにはそれだけで価値があり、人は生きなければならない(死んではならない)」というものです。 そんなものは、フィクションです。ファンタジーです。生とは目的ではなく手段です。生きるのは、なにごとかを為すためです。 だってさー、考えてもみてくださいよ。派遣で安い給料で働いて、辛かったり、苦しかったり、悲しかったりいろいろで、それで派遣切られて、寒かったり悔しかったりで、派遣村に流れ着いて、まだ「仕事をください」と。そこまでして、そこまでして。そこでさ、「あなたは何のために生きているんですか?」って聞かれて、もし答えらんなかったらさ、ごめんぼく笑っちゃうかもしれませんよ。「特にやりたいこともないのに、なんでそこまでする必要があ

    生きるということは手段ではない - 一本足の蛸
    zonia
    zonia 2009/02/15
  • ライトノベル衰退論の新展開 - 一本足の蛸

    少年少女科学倶楽部から。 ただちょっと気になるのは、「ロウきゅーぶ!」にしても「アクセルワールド」にしても売るためだけの仕掛けが眼につくこと。 仕掛けというのは結局焼畑で、今は仕掛けに質が伴っていてもかならず仕掛けだけに頼った劣化コピーが生まれて読者を減らす。それに仕掛けに頼るということは読者を売る側が信用できなくなっている、ということ。 【略】 他ならばともかく、電撃文庫でこれだとちょっとまずいかもね。今の出版も含めたコンテンツ産業というのはおそらくゆっくり衰退していくだろうし、その影響でライトノベルなんかは長くて10年、短ければ5年くらいでごく少数のレーベルだけが生き残る状況になるだろうとは思うんだけど、これはヘタすると短い方かも。 ああ、そういや今年は電撃の新人の作品、1冊も買わなかったなぁ。いちおう発売日に書店には行ったのだけど、「うみねこ」に時間をとられて読書ペースが落ちている時

    ライトノベル衰退論の新展開 - 一本足の蛸
  • 著作権と音楽は「人と人の間」で成立する - 一本足の蛸

    著作権は、それを「ある」と思っている人の頭の中にあります。作曲者が持ってるとか、曲に付随していたりとか、そういうものではありません。著作権があろうがなかろうが、曲自体にはなんの影響もないでしょう?(音質や音程が変わるとか) 実際、著作権のある/なしは、物理的現実にはまったく影響を及ぼしません。いや、どっかのHDDや書類に記録されてる内容や誰かの脳内のシナプスの結合がちょこっと変わるとか、そういうことはあるかも知れませんが。 文中2箇所の強調は前のほうが句点込み、後のほうは句点抜きだが、これは原文のまま*1なので、ご了承願いたい。 さて、「著作権は、それを「ある」と思っている人の頭の中にあります。」というのは非常に奇妙な見解だ。端的に誤りだと言っていいだろう。著作権にせよ、他の権利にせよ、物理的実体としてどこかにあるわけではないのは当然のこと。かといって、各人の頭の中にあるというのもおかしな

    著作権と音楽は「人と人の間」で成立する - 一本足の蛸
    zonia
    zonia 2009/02/11
    「著作権を始めとするさまざまな権利が、間主観的な事柄である」
  • 統計を読み解く眼を養う良記事 - 一本足の蛸

    元記事 長野県南部、天竜川の畔に広がる下條村。出生率を向上させたことで全国的に知られる村である。国の合計特殊出生率は1.34。それに対して、下條村の出生率は2003〜06年の平均で2.04人に上る。1993〜97年の平均1.80人から0.24人改善させた。この出生率は長野県下でも随一だ。さらに、村の人口4176人のうち0〜14歳が710人を占める。人口比17%。この数字も県下一という。 なぜ出生率が増えたのか――。多くの視察団はそれを知ろうと、この辺鄙な田舎にやってくる。だが、その理由は驚くほど単純だ。村独自の子育て支援を充実させたこと。この一事に尽きる。 一時、4000人を割り込んだ村の人口も4200人近くまで増加した。若者夫婦が下條村に移住してしまうため、飯田市をはじめ周辺の市町村からはやっかみの声も漏れる。それもこれも、子供を持つ家族が暮らしやすい村作りに取り組んだ成果である。 出生

    統計を読み解く眼を養う良記事 - 一本足の蛸
  • 「一本足の蛸」が「大手ラノサイ」に認定されました! - 一本足の蛸

    kadotanimitsuru ネタ, ラノベ 「2009年1月1日以降に買って積んだ」わずか1ヶ月ほどで「積み」扱いとはさすが大手ラノサイは違うな。今度こういうのをネタに「このラノサイがすごい!」でも出せばいいよ > 宝島社 2009/02/10 や、自分とこが「大手ラノサイ」と呼ばれる日が来るとは思っていなかった。 でも、当のところはどうだろう。大手かどうかについても、ラノサイかどうかについても、むろん明確な線引きの基準はないわけだが、目安となる指標はあるんじゃないかと考えた。その結果をふたつほど紹介する。 まずひとつめ。「一足の蛸」でブクマの多い記事ベストテンを掲げておく。【】内は現段階でのブクマ数。 ボーイズラブはセクハラなのか?【90】 死刑制度を支持するということは、自分で手を下してでも死刑を執行したいということだ【51】 生きるということは手段ではない【50】 「DN

    「一本足の蛸」が「大手ラノサイ」に認定されました! - 一本足の蛸
  • 殺人と死刑 - 一本足の蛸

    1 殺人事件には加害者と被害者がいる。 殺人事件の加害者は事件の後も生きていることが多いが、殺人事件の被害者は事件の後には生きていない。 生きている人には生存権があるが、生きていない人には生存権はない。 殺人事件の加害者が事件の後も生きていれば生存権があるが、殺人事件の被害者には事件の後には生存権はない。 殺人事件の加害者の生存権を死刑によって奪うことは可能だが、殺人事件の被害者の生存権を死刑によって回復することはできない。 2 殺人事件の被害者には遺族がある場合と遺族がない場合がある。 殺人事件の被害者に遺族がある場合に、犯人を殺してやりたいほど憎む遺族がいる場合と犯人を殺してやりたいほどまで憎む遺族がいない場合がある。 殺人事件の被害者の遺族が犯人を殺してやりたいと思う場合に、死刑によってその感情が解消される場合と死刑によってはその感情が解消されない場合がある。 いずれの場合においても

    殺人と死刑 - 一本足の蛸
    zonia
    zonia 2009/01/31
  • 事実は何に依存するか? - 一本足の蛸

    事実の所在 - 「で、みちアキはどうするの?」 これを読んでむずむずしてきた。 これを書いた人は、「宇宙が消滅すれば、事実も消えてしまう」と考えているようにぼくには感じられます。そのわけは、たとえば「杉原千畝氏は6千人のユダヤ人の命を救った」とか「南京大虐殺によって×人(不明)もの中国人の命が奪われた」というような“事実”は、たとえ宇宙が消滅したところで無効になったりはしないだろうと感じられるからです。 でもほんとうにそうなんだろうか? なら“事実”はどういった形で存在していると言えるのか? ……ということをきちんと考えていくと、結局「その事実があったという信念が、それぞれの人の頭の中に存在する」ということになりそうな気がするのです。「誰もいない森の中で木が倒れたとき、音はしたのかしなかったのか」というあれと同じです。“過去”と似てるかも知れません。過去はどこかに存在するわけではなくて、記

    事実は何に依存するか? - 一本足の蛸
  • 「聖地巡礼」は日本の風景の再発見のことと見つけたり - 一本足の蛸

    北日新聞 2008/12/31付け朝刊に、富山の城端を舞台のモデルにした「true tears」についての記事があったので紹介。 …で、この記事を読んでふと思いついた事を一つ。これって「アニメをきっかけにした日の風景の再発見」だよね? 引用タグのCITE要素でページ内リンクのアンカーまで含めた参照を行っていいのかどうか知らないので、とりあえず上では該当ページURIを書いておいた。引用したのは1月12日付「ついに北日新聞でも「true tears」繋がりで「聖地」「巡礼者」の言及が!」なので、ここをクリックすれば当該記事に飛べます。 さて、題。 物語の舞台やモデルとなった場所を探訪するという旅行スタイルはかなり昔からある。昔は文学作品が中心だったが、今ではアニメが主となっている。そう考えると、昨今の「聖地巡礼」に特殊事情はないことになるのだが、でもやっぱり昔とは何かが違うという気がす

    「聖地巡礼」は日本の風景の再発見のことと見つけたり - 一本足の蛸
  • そろそろ『ばけらの!』と『狼と香辛料』について誰も言わなかったことを言っておくか - 一本足の蛸

    ばけらの! (GA文庫) 作者: 杉井光,赤人出版社/メーカー: SBクリエイティブ発売日: 2008/09/16メディア: 文庫購入: 10人 クリック: 279回この商品を含むブログ (125件) を見る狼と香辛料〈9〉対立の町(下) (電撃文庫) 作者: 支倉凍砂,文倉十出版社/メーカー: アスキーメディアワークス発売日: 2008/09/10メディア: 文庫購入: 9人 クリック: 69回この商品を含むブログ (186件) を見る おことわり 今回の見出しには誇張表現と誤解を招く言い回しがそれぞれひとつずつあります。 誇張表現 「誰も言わなかったこと」と書きましたが、当に誰も言わなかったかどうかは定かではありません。ネット上の感想文を適当に流し読みした程度では見あたらなかったという程度の意味でしかないのでご注意ください。 誤解を招く言い回し 「『ばけらの!』と『狼と香辛料』につい

    そろそろ『ばけらの!』と『狼と香辛料』について誰も言わなかったことを言っておくか - 一本足の蛸