仕事からの帰宅後、暫し読書。夜九時十五分頃から約三十分間スポーツクラブで鍛えて、帰宅後は再び読書。白石良夫著『かなづかい入門-歴史的仮名遣VS現代仮名遣』を読み終えた。歴史的仮名遣を学んだのは中学校の国語科の授業でのことだったが、当時から素朴な疑問を禁じ得ないでいた。例えば、「逢う」という語を古語では「逢ふ」と書くが、国語教師によれば「逢ふ」と書いて「おお」と訓まれる。吾、国語に関しては優等生だったので直ぐに把握し得たが、どうしてそうなるのかは理解し難いと感じていた。なぜなら「あふ」と「あう」の差であれば時代の経過に伴う変化として了解できるが、「おお」から「あう」への変化となると歴史的な変化とは到底思えないからだ。この感覚は、大学で古代ラテン語の授業を受けた際に確信と化した。教授によれば、言語の発音は一般に母音化して洗練される。そうであれば「あふ」から「あう」への母音化は自然だが、「おお」