ブックマーク / blog.tatsuru.com (12)

  • 統一教会、安倍国葬について他 - 内田樹の研究室

    あるネットメディアからインタビューを受けた。もう公開されているので、少し長い別ヴァージョンをあげておく。 ―これから安倍系右翼はどうなると思いますか? 内田 おっしゃっている「安倍系右翼」という言葉の定義を僕は知らないのですけれど、言いたいことは何となくわかります。それが「安倍晋三という個人の求心力やカリスマ性に依存して存在感を発揮していた政治勢力」という意味でなら、その人たちはこの事件をきっかけに力を失い、弱体化すると思います。 実際に安倍元首相の死後、彼の庇護下でこれまで「いい思い」をしてきたネット論客たちはいまほぼ沈黙状態にあります。どういうスタンスでこの事件に向き合って良いのかについての組織的な合意形成ができていないのでしょう。もともと安倍晋三個人が手作りしたネットワークですから、ハブが不在になると、合意形成のための場も、ルールもない。代わりを務めることのできる人がいない。ですから

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    zu2 2022/09/13
    “内田 「ネトウヨ」と言いますけれど、別にこの人たちは「右翼」じゃないですよ。あれは何と言うか、大日本帝国に漠然とした郷愁を感じているレイシストだと思います”
  • 部活は生き残れるか - 内田樹の研究室

    『週刊金曜日』に部活の地域移管について書いた。 文科省とスポーツ庁が主導して、公立中学校での部活の「地域移管」が進められている。来年度からまず運動部の地域移管が始まり、文科系部活についても来月には提言がまとめられるという。 勝利至上主義に毒された指導者が生徒の人格を否定するような暴言を吐き、体調を崩すほどの長時間拘束を強いる「ブラック部活」はない方がましだと私は思う。 一方で、教員にとっての負荷も過大なものになっている。部活の顧問になって休日返上して指導に当たった教員が心身を病むという事例も報告されている。 生徒も苦しみ、教員も苦しんでるのだから、そんな部活はアウトソースすればいいというのがこのたびの「地域移管」の理由だ(と私は思っている)。 むろん文科省はそんなことは言わない。地域移管は「少子化による廃部で、子どもの選択肢が減っているので、もっと多様な選択肢を提供する」「専門家による指導

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    zu2 2022/06/28
    “日本の部活には「文化資本の民主的分配」という側面があったことを私たちは忘れているのではないか。部活のおかげで貧しい家の子どもたちでも、運動器具や楽器やさまざまな機材を無償で使うことができる”
  • 自由論 - 内田樹の研究室

    アメリカにおける自由と統制 アメリカの話をしようと思う。自由を論じるときにどうしてアメリカの話をするのかと言うと、私たち日人には「自由は取り扱いのむずかしいものだ」という実感に乏しいように思われるからである。私たちは独立戦争や市民革命を経由して市民的自由を獲得したという歴史的経験を持っていない。自由を求めて戦い、多くの犠牲を払って自由を手に入れ、そのあとに、自由がきわめて扱いにくいものであること、うっかりすると得た以上に多くのものを失うかも知れないことに気づいて慄然とするという経験を私たちは集団的にはしたことがない。「自由」はfreedom/Liberté/Freiheitの訳語として、パッケージ済みの概念として近代日に輸入された。やまとことばのうちには「自由」に相当するものはない。ということは、自由は土着の観念ではないということである。 私たちはややもすると私たちは「自由というのはす

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    zu2 2022/05/10
  • 危機の危機 - 内田樹の研究室

    『新潮45』という雑誌が以前存在した。ある時期から極右的な論調に変わって、質の悪い記事を掲載するようになってそのうち廃刊になった。まだまともな雑誌だった頃にはよく長いものを書かせてくれた。これもその中の一つ。2012年の2月に書いたので、もう10年前になる。朴東燮先生が「読みたい」と言うのでHDの筐底を探して見つけ出した。10年経ってもリーダブルなような気がしたので、再録する。 先日、哲学者の鷲田清一先生と「3・11後の日の危機的状況」について対談する機会がありました。僕がホスト役で、鷲田先生から話を聞き出すという趣向の会でしたので、冒頭で僕が「われわれは今、ポスト・グローバリズムの世界という、前代未聞の歴史的状況に投じられています。さて、これから、いったいどうやって、この危機を生き抜くべきなのでしょうか?」というようなよくある定型的な問題提起を不用意に口にしてしまいました。すると、鷲田

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    zu2 2022/03/29
  • 対米従属テクノクラートの哀しみ - 内田樹の研究室

    という標題の文章を「サンデー毎日」に寄稿した。発売日からだいぶ経ったから、ブログにも掲載しておく。 私たちが「問題」と呼んでいるものの多くは長期にわたる私たち自身の努力の成果である。だから、それは「問題」というよりむしろ「答え」なのである。 私見によれば、現代日の問題点の多くは、私たちが久しく「ある現実」から必死に目を背けてきた努力の成果である。私たち目を背けてきた「ある現実」とは「日アメリカの属国であり、日は主権国家ではない」という事実である。この事実を直視することを集団的に拒否したことから、今日のわが国の不具合のほとんどすべてが派生している。 日は属国だというとすぐに怒り出す人たちがいるので、同じことをそれよりは穏やかな表現に言い換えてみる。日国民は憲法制定の主体ではない。 日国憲法は1946年11月3日に公布された。公布時点では「上諭」というものが憲法の「額縁」として付

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    zu2 2021/12/13
    対米を対日に置き換えて読む
  • コロナ後の世界 - 内田樹の研究室

    『月刊日』にロングインタビューが掲載された。「コロナ後の世界」について。 ■「独裁か、民主主義か」という歴史的分岐点 ―― 世界中がコロナ危機の対応に追われています。しかしたとえコロナが収束しても、もはや「元の世界」には戻らないと思います。内田さんはコロナ危機にどんな問題意識を持っていますか。 内田 新型コロナウイルス禍は、これからの世界のあり方を一変させると思います。「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。 最も危惧しているのは、「新型コロナウイルスが民主主義を殺すかもしれない」ということです。こういう危機に際しては民主国家よりも独裁国家の方が適切に対処できるのではないか・・・と人々が思い始めるリスクがある。今回は中国が都市閉鎖や「一夜城」的な病院建設や医療資源の集中という、民主国家ではまず実施できない政策を強権的に下して、結果的に感染の抑制

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    zu2 2020/04/23
  • 竹田恒泰氏による山崎雅弘さんへの名誉毀損裁判費用への寄付のお願い(案) - 内田樹の研究室

    これは「お願い」の案文です。まだ正式のものではありません。 今週中にクラウドファンディングが開始されましたら、改めてお知らせ致します。現段階では、支援活動の趣旨と「呼びかけ人」にこれだけの方が短期間に集まってくださったことを感謝をこめてご報告したいと思います。 まず、呼びかけ人に応じてくださった皆さんのご厚志に心から感謝申し上げます。 3月23日午前0時をもって「呼びかけ人」の参加を締め切りました(手作業でアップデートするのがたいへんなので・・・すみません)。これ以降はクラウドファンディングの「賛同者」というかたちでお名前をネット上に公開してゆきたいと思います。「呼びかけ人になりたかった」という方、ごめんなさい。お気持ちだけ頂いておきます。 短期間に、これだけの方々が集ってくれたのは、このような事案についてきちんと「ことの筋目を通す」努力を積み重ねることによってしかこの国を「正義と条理の通

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    zu2 2020/03/29
  • 「沖縄の孤独な戦い」ル・モンド - 内田樹の研究室

    『ル・モンド』が3月25日に「沖縄の孤独な戦い」と題するレポートを掲載した。 ヨーロッパから見た沖縄の状態についてのレポートである。ヨーロッパからは日は「こういうふうに見えている」ということである。 とくに、最後の方の「日政府の無関心が沖縄独立気運を強めている」という観察はたぶん欧米の読者には腑に落ちる説明だろう(植民地においての無数の苦い経験が彼らにはある)。 なぜ日政府がそのような愚かな選択に固執するのか、その理路が記者にはどうしても理解できないようだ。 日のメディアでは自明として扱われていることが、海外メディアからは理解不能であるという場合に、対応は二通りある。ひとつは海外メディアは「何も事情がわかっていない」と無視すること。ひとつは「事情がわかっていないのは自分たちかもしれない・・・」と疑ってかかること。 知的負荷が大きいのは後者である。 沖縄の孤独な戦い フィリップ・ポン

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    zu2 2015/04/03
    “東京の無関心はむしろ住民の側からの沖縄独立を求める声を高めている”
  • 資本主義末期の国民国家のかたち - 内田樹の研究室

    ●資主義末期の国民国家のかたち ご紹介いただきました内田でございます。肩書、ごらんのとおり、凱風館館長という誰も知らないような任意団体の名前の長を名乗っておりますので、こんなきちんとした学術的な集まりに呼ばれると、いたたまれない気持ちになります。 私は、基的に全ての問題に関して素人でございまして、ですから、おまえのしゃべることには厳密性がないとか、エビデンスがないとか言われても、それはそうだよとしか言いようがありません。ただ、素人には素人の強みがありまして、何を言っても学内的な、学会内部的なバッシングを受けることはない、いくら言ったって素人なんだからいいじゃないかで全部済ませられる。 大学の教師というのは誤答を恐れる傾向がありまして、大風呂敷を広げることについては強い抑制が働く。私はその点で抑制のない人間でございまして、ほんとうは私のような野放図な人間がもう少しいたほうが、世の中、風通

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    zu2 2014/11/27
  • 最低賃金制の廃止について (内田樹の研究室)

    維新の会が選挙公約として「最低賃金制の廃止」を打ち出し、波紋を呼んでいる。 公約発表時点では、私の知る限りどの新聞もこの公約について主題的に検討しなかった。 無視したのである。 その後、ネット上で反対論が噴出して、それを承けてはじめて報道するに至った。 この問題についてのマスメディアの無関心と危機感の希薄さが気になる。 これまで繰り返し書いているとおり、現在日のエスタブリッシュメントは政官財メディアを挙げて「若年労働者の雇用条件の切り下げ」をめざしている。 その理由は何度も書いてきた。 「日中国化」である。 大飯原発再稼働のときの財界の主張をご記憶だろう。 日にはもう生産拠点を置き続けることはできない。 その理由として指摘されたのが、人件費が高い、法人税率が高い、公害規制がきびしい、電力料金をふくむ生産コストが高い、という点である。 ここで原発を止めて火力に切り替えるなら、もう

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    zu2 2012/12/01
  • 教育のコストは誰が負担するのか? - 内田樹の研究室

    増田聡くんがツイッターで、奨学金について考察している。 もう奨学金という名称を禁止すべきではないか。学生向け社会奉仕活動付きローンとか、強制労働賃金(返済義務あり)とか、いいのがとっさに思いつかないけど、現実を的確に解釈しかつ人口に膾炙するキャッチーな概念をこういうときにこそ考案するのが人文学の仕事なのではなかろうか。マジで。 すくなくとも現状の奨学金は奨学金ではなく貸学金と呼ぶべきだよな。 貸学金:たいがくきん。うっかり借りてしまうと社会奉仕を義務づけられ単位取得が滞りしまいには退学に追い込まれてしまう、恐ろしい学生ローンのこと。 今知ったんですが「貸学金」という言葉は中国語に存在しまして、うちの留学生の王さんにきいたところを総合するとほぼ日の学生支援機構「奨学金」と同種の学生貸付制度であるようだ(99年開始だとのこと)。一方で、中国には返済不要のちゃんとした奨学金も存在する。よっぽど

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    zu2 2012/11/10
    「教育の受益者は本人ではない。直接的に教育から利益を引き出すのは、学校制度を有している社会集団全体」/
  • 田中大臣の不認可問題の影にあるもの - 内田樹の研究室

    田中真紀子文科相は秋田公立美術大など3大学の2013年度開校を不認可とした問題について6日に大学設置認可に関するあらたな検討委員会を発足させる意向を表明した。 文科相の諮問機関である大学設置・学校法人審議会の見直しをこの委員会で行い、改めて3大学の設置認可を判断することとして、来春の開学への可能性を残す考えである。 大臣は設置審議が「許可されてから工事をするならわかるが、ビルが建って、教員も確保してから、認可申請をするというのは筋違いだ」と批判した他、設置審議会の構成が委員29名中22名が大学関係者であることを咎めて、「多くのジャンルの方の意見を聞きたい」とした。 不認可という爆弾を放り投げてみたものの、世論の袋叩きに遭って、あわてて引っ込めたということである。 政治的にはそれだけの単なる失策に過ぎないが、この失策の背後には大学教育をめぐる質的な問題点がいくつも透けて見える。 ひとつは文

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    zu2 2012/11/07
    「大学生の学力が低下しているのは事実である。別にそれは大学が増えすぎたせいではなく、中等教育で基礎学力が担保されていないからである」
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