ブックマーク / www.mishimaga.com (35)

  • フカフカの土が世界を救う!?  学校では教えてくれない「土」のはなし(2) | みんなのミシマガジン

    第11回 フカフカの土が世界を救う!?  学校では教えてくれない「土」のはなし(2) 2019.04.13更新 今日は昨日に引き続き、土の研究者・藤井一至先生インタビューです。 人間と土の、歴史的な深い深いつながりの話から、ちょっとワケありな日の土の話へ。ウンコとフカフカの土のお布団がもたらす、思わぬ効用も明らかに!? <前編はコチラ> 文・池畑索季、写真・須賀紘也 藤井一至(ふじいかずみち) 土の研究者。国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員。 1981年富山県生まれ。京都大学農学研究科博士課程修了。博士(農学)。 京都大学研究員、日学術振興会特別研究員を経て、現職。カナダ極北の永久凍土からインドネシアの熱帯雨林までスコップ片手に世界各地、日の津々浦々を飛び回り、土の成り立ちと持続的な利用方法を研究している。 第1回日生態学会奨励賞(鈴木賞)、第33回日土壌

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    zu2 2023/01/22
  • ウクライナ侵攻について(藤原辰史) | みんなのミシマガジン

    歴史学者の藤原辰史さんと数学者の伊原康隆さんによる、往復書簡の連載です。伊原さんから藤原さんへの前回の便りはこちらから。 今回は、歴史学者が現在の出来事をどうとらえるか、そのおりにどう歴史を学び直すのかについてのお話をさせてください。歴史学の営みは、単に過去の事実を学ぶのではなく、過去を通じて現在を理解しようとする試みでもあることは、よく言われる通りです。今回、ロシアウクライナに侵攻したという衝撃的な事実を前に、私たちはどう頭を整理できるのか。歴史学をはじめ人文学の知はこのようなときに、悪い意味にも良い意味にも、威力を発揮します。悪い意味、というのは、歴史の歪曲と国威発揚と「非国民」の確定のために用いること、良い意味というのは、過去の愚行の背景を知り、現在に生かすために用いること、と取っていただいてかまいません。 この問題が起こる前にウクライナ情勢について私が考えたことは、『毎日新聞』(

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    zu2 2022/03/21
  • 古代文字で写経 安田登 | みんなのミシマガジン

    第1回 古代文字で写経 安田登 2018.07.30更新 2018年4月にリニューアル創刊した「みんなのミシマガジン」。システムの関係上、これまでの記事は見られなくなってしまったのですが、「あの連載がどうしても見たい」という声がとても多く、そのリクエストにお応えして一部を復活させよう! というのがこの「復活ミシマガジン」のコーナーです。 第1回目は、リクエストの声が多かった安田登さんの「古代文字で写経」の連載のうち、はじめの数回をここに掲載します。 ゆる〜く、かる〜く。古代文字写経のすすめ 「古代文字好き」って案外多いかも 『あわいの力』をお読みいただいた方から「古代文字の部分が面白かった」とか「古い言語に興味がわいた」という感想をいただきました。 実はこれは思ってもみなかったことで、たとえば『あわいの力』の6章の「甲骨文字から「心」の誕生に迫る」で紹介した、「甲骨文字を読んでみよう」とい

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    zu2 2018/08/01
  • 第50回 人工知能について語る時に羽生の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    2016.05.13更新 「人工知能と対戦してみたい思いはありますか?」 いつもの質問だ。 私は思った。 何度も繰り返された問いは、どこにも行き着かずに彷徨うことになるだろう。今までと同じように。 ところが、壇上の羽生善治は、照れ笑いと苦笑いを足して2で割ったような微笑を浮かべ、言った。 「えーっとですね。ちょっとタイミング的な問題が少しありまして、番組が放送されるのが5月15日なんですけど、その段階ではちょっとそのことについてはまだ何も言えないということなんです。まあ、あの...近々のうちに何かしらのアナウンスはあると思います。申し訳ありませんが、それ以上はまだ言えないんです」 解釈に幅はあるが、含みを持たせる言葉であることは間違いなかった。 羽生と人工知能(あるいはコンピュータ)の勝負という将棋界にとって極めて大きなテーマが動き始めていた。 5月9日、NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽

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    zu2 2016/05/16
  • 第41回 台風下の棋士|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    夜は深くなり、雨は激しくなった。 台風6号は勢力を弱めて温帯低気圧に変わりましたと、さっき会社で観たばかりのニュースは伝えていたはずだが、改札口を抜けると22時の千駄ヶ谷は豪雨の街だった。品川で山手線に乗った時より格段に雨脚が強くなっている。駅前は家路を急ぐ人々ばかりで、これから街へ出ていこうという物好きは私くらいのものだった。 川と化した横断歩道を渡る。向こう岸に着いた時には下の中まで水浸しになっていた。横殴りの雨が襲えば、小さな折り畳み傘など形だけの代物だった。決死の覚悟で歩道を進むものの、五叉路を折れて鳩森八幡神社を回り込む頃にはシャツもファイブポケットパンツもズブ濡れになっていた。珍しく早い時間に仕事が終わった夜だ。おとなしく帰宅するのが最善だったか、と少し思った。 闇に包まれた坂を見下ろす。電灯看板には「将棋会館」の4文字が浮かんでいる。守衛に挨拶をして、誰もいない記者会室

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    zu2 2015/08/14
  • 第42回 交錯する部屋|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    戦い終えた右手をそっと将棋盤の端に添え、高浜愛子は投了の意思を示した。 至近距離でテーブルを取り囲む20人ほどのギャラリーからは、緊張の弛緩による吐息が漏れた。 皆、目の前の勝負の重さを知っていた。 感想戦が静かに始まった。 聞き取れないほど小さな声で盤上に対する意見が交わされていく。 ふと気が付くと、勝利した飯野愛の瞳に涙が浮かんでいた。 嬉しくて泣いているわけではない。もちろん悔しくて、悲しくて泣いているわけでもない。 将棋盤の先にいる同志のことを想って泣いていた。あるいは、将棋という勝負事が人に強いる厳しさについて泣いていた。 人が棋士になるには養成機関「奨励会」に入り、昇級昇段を重ね、年齢制限を迎える前に三段リーグを突破して四段にならなくてはならない。 一方、女性が女流棋士になるには養成機関「研修会」に入り、昇級を重ね、年齢制限を迎える前に規定の成績を残して女流3級に

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    zu2 2015/08/14
  • 沖縄で出版社をするということ 後編|今月の特集2|みんなのミシマガジン

    刊行したはほぼ県内で売れる ―― 前回、「出したの9割方が沖縄で売れる」とおっしゃっていましたよね。あの、これ、すごすぎてビックリしてしまったのですが...! 金城そうですね、刊行したはほとんど県内に置いています。昔は2割か3割くらい、県外でも売れればいいなあと思っていたけれど、今はほぼ9割が県内ですね(笑)。だから、県外ではあんまり目にする機会がないのかなあ、とも思います。県外にも沖縄のことを知りたいと強く思ってくださっている方って結構な人数いらっしゃるので、「屋さんで買えない」と言われたりすると、うーん、と思うことも。 新城けれど同時にここ数年でだいぶ、東京の出版社とかが出す沖縄のっていうのが増えてきたなと感じます。ガイドだけではなく、堅いや柔らかいを含めて。それで土の読者の、沖縄に対するニーズはある程度満たされている部分もあるんですよね。 ―― たしかに、沖縄関係

    沖縄で出版社をするということ 後編|今月の特集2|みんなのミシマガジン
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    zu2 2015/06/29
    “『よくわかる御願ハンドブック』という沖縄の行事関係の本” "総部数はもうすぐで10万部なんですけど、この本は99%が沖縄でしか売れないですね”
  • 沖縄で出版社をするということ 前編|今月の特集2|みんなのミシマガジン

    突然の訪問、しかも日曜日にも関わらず取材に快くお答えくださったのは、編集部の新城さん、池宮さん、企画営業の金城さんの三人です。 かわいい看板が下がるオフィスのドアをくぐり、南の陽気に浮かれ調子の編集部二名。 さっそく、気になっていたことをどんどん伺ってみました。 県産ってなんだ? ―― 沖縄には、「県産」という言葉があると耳にしたのですが......。 池宮県産というのは、20年前に私たちが勝手に作った造語です。そもそもは、「沖縄県産ネットワーク」というものを作ったのがはじまりなんですね。沖縄の出版社同士の横のつながりがなかったので、みんなで集まって何かしよう! となって、会の名前を決めました。名称も「沖縄」とかいろいろな候補があったんですが、「沖縄」という言い方だと県外の出版社から出ているものもそのくくりのなかに入りますよね。そうではなくて、沖縄の出版社が作った沖縄の

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    zu2 2015/06/29
    “本土の実用書とか、もはや実用ではない”
  • 第34回 羽生の一分、鳴り響く歌|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    あの時、羽生は何を見ていたのだろう。何を思っていたのだろう。 一分将棋の死線の上で。 秒読みの焦燥、確信した勝利、敗北の恐怖、恍惚、不安。 何も分からない。分からない。誰にも分からない。 午後10時29分、134手目。劣勢の豊島は△8二銀を着手する。終盤のセオリーをかなぐり捨てる執念の受けだ。揺らめき、くぐもっていた控室の熱は突然、大きな声になって発露された。 一分後、羽生の右手の指先は8二の地点へと伸び、豊島の銀を奪い上げる。9三にいた竜を切る驚愕の手順で踏み込んでいったのだ。 「うわああああ」 一目見て危険すぎる一手の出現に、検討陣は再び歓声とも悲鳴ともつかない声を上げた。 継ぎ盤を囲む棋士、報道陣、関係者の多くは口元を緩ませている。もちろん嘲笑ではない。苦笑でもない。ゾクゾクする高揚を得た時に人が見せる笑みだった。 まだ羽生の駒台には飛、銀2枚、香、歩5枚が乗っている

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    zu2 2015/04/07
  • 第36回 彼の中の失われない部分|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    8×8マスの盤上中央、中心から点対称の位置で2つのビショップが睨み合っている。 羽生、そしてカスパロフの指先によって操られた駒と駒は、互いを牽制するように小刻みなステップを踏んでいく。 カスパロフ、羽生、カスパロフ、羽生...。 手が進むにつれ、大盤解説会場の空気は緩んでいった。解説担当で、いずれもチェス元日王者の塩見亮と小島慎也が「スリーフォールド・リピティション」となることを確信し、局面を語り始めたからだ。つまり、将棋で言う千日手模様だ。両者が同一局面を指し続け、ドローになると結論付けたことで、直前まで保たれていた緊張は一気に弛緩した。 選択権を持つカスパロフにとって、ドローは異存のない結果だったはずだ。白(先手)での第1局では羽生に圧勝しており、第2局をドローとしても1勝1分で「羽生に勝った」ということになる。チェスは引き分けの割合が多いゲームで、国際的プレイヤー同士の対局

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    zu2 2015/04/07
  • 第39回 表現者|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    乾杯を交わした後で、3日前の挑戦者決定戦での戦型選択の意表について行方尚史に尋ねた。 なぜ相振り飛車を選んだのか。大一番こそ普段通り戦うというのが勝負事の常識と言われているのでは、と。 彼は柔らかな口調で言った。 「今ひとつしっくり来ていなかったので、全てを変えなくちゃいけないと思ったんです。ちょっと飛びたいな、と。うん。飛びたいなと思った。僕の将棋は地味なので、飛びたいと思ったんです」 ちょっと飛びたい――。 ゾクゾクして、思わずニヤついてしまった。行方が選ぶ言葉は時々、鮮やかに生きることへの憧憬を漂わせている。 行方尚史は表現者である。もちろん盤上技術で、勝つことへあらゆる死力を尽くすことで表現する者。さらには生きる姿勢や流儀によって、自分とは何者かを伝え続けている存在だと思っている。棋士としての在り方、佇まいだけではない。彼の書いた文章を初めて読んだ時、心底そう思った。

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    zu2 2015/04/07
  • 2014年3月 篠原さん・その1|石井ゆかりの闇鍋インタビュー|みんなのミシマガジン

    「名前も知らない初対面の方にいきなりインタビューする」、 題して「闇鍋インタビュー」第2回目。 3月某日、ミシマ社の新居さんからカフェ・ジンタへという指示が出た。 「2回目のジンクス」。 世間には「2回目のジンクス」というのがある。 1回目は「ビギナーズ・ラック」的にうまく行くのだが 2回目というものは、なぜかうまくいかない という説である。 多くのジンクス同様、 ハッキリ言って「気のせい」なのだが 私はどうもこの「2回目のジンクス」にハマリがちなのだ。 ゆえに、昔からどうにかこれを回避しようとして 工夫を凝らしてきた。 今回も実は、最初からそれを仕込んであった。 というのも、この企画を起ち上げたとき 最初に、三島社長と新居さんと3人で打合せをしたのだが これを、記事としてアップしてもらったのである。 それを1回目とすれば、 1回目のインタビューは既に2回目で

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    zu2 2014/04/09
  • 第25回 羽生について語るときに森内の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    あの日、森内俊之は思っていた。 勝負の熱の中で、誰にも知られず、1人きりで。 「対戦相手と戦いながら自分とも戦っていました。非常に重いものを背負いながら...。自分が先になってしまっていいものなのかと」 2007年6月29日。第65期名人戦7番勝負最終局。挑戦者・郷田真隆九段との最後の戦いの終盤、勝利を確信した。勝てば名人通算5期となり永世名人の資格を得る。通算4期で並ぶ羽生善治より先に将棋歴史に自らの名を刻むことになるのだ。「木村(義雄14世名人)、大山(康晴15世名人)、中原(誠16世名人)、谷川(浩司17世名人)と来て、次の永世名人は羽生さんがなるんだろうなーと誰もが思っていて、私も思っていたんですけど、自分が先に5期目を取りそうになった時、なんて言うんでしょうか...葛藤がありました」  将棋界について知らない人に「将棋界にはとんでもないものがある」と声を大にして伝えたくな

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    zu2 2014/03/30
  • プレ第1回 ゆる〜く、かる〜く。古代文字写経のすすめ|古代文字で写経|みんなのミシマガジン

    「古代文字好き」って案外多いかも 『あわいの力』をお読みいただいた方から「古代文字の部分が面白かった」とか「古い言語に興味がわいた」という感想をいただきました。 実はこれは思ってもみなかったことで、たとえば『あわいの力』の6章の「甲骨文字から「心」の誕生に迫る」で紹介した、「甲骨文字を読んでみよう」という内容などは、今までにもいくつもの出版社さんに「こんなのどう?」と提案をしてきたのですが、ほとんどのところから「それはちょっと」と二の足を踏まれていた内容でした。 今回の『あわいの力』でも、ミシマ社の三島さんに「当にこんなの書いていいんですか?」と確認したのですが、「いいです。面白いです」と言われ、「ほんとかな」と思いながらも書いてみたら「面白かった」という反応をたくさんいただき、正直、びっくりしているのです。 で、ちょっといい気になってみました。 『あわいの力』の中には、甲骨文以外にもコ

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    zu2 2014/03/24
    記紀も写経すると楽しいと思う
  • 第29回 はてな×ミシマ社、始動!|みんなの『みんなのミシマガジン』|みんなのミシマガジン

    はてなは、ITの会社です。 ミシマ社京都オフィスから、歩いて5分のところに社があります。 ミシマ社メンバーはてくてくと歩いて、よく社にお邪魔します。まかないランチべさせていただいたりします(いつも当にごちそうさまです...)。 ITというと、猛烈なスピードで時代の先端を走っていて、キラキラしていて、なんだか、まるでちがう世界・・・と勝手なイメージを作り上げていました。 が、はてなは、なんだかあったかいIT会社です。 代表の近藤淳也さんは、いつもおもしろいことを探しているような目をキラキラさせながら、すっごく楽しそうにお話しをされる方です。 社員のみなさんも、利用者さんことをとっても大事にされていて、とってもとっても、すてきです。 いろんな方にお会いするたびに、「はてなってすてきな会社だなあ」という実感が、深まるばかりです。 そんなはてなと一緒に、おもしろいことやりたいね

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    zu2 2014/03/23
  • 『あわいの力』刊行記念対談 安田登×光嶋裕介|今月の特集1|みんなのミシマガジン

    一瞬にして、響くかどうか こんにちは。建築家の光嶋裕介です。 『あわいの力』を拝読して、おもしろさに心が震えました。なかでも心の三層構造、表層に「こころ」、その下に「おもひ」、さらに底に「心(しん)」があるというのが、とくに気になった部分でした。 僕は初めて能を見たときに、「能はジャズのライブに似ているな」と思ったんですね。ジャズライブに行くようになると、せっかくだからいろんな弾き手の動きを逃すまいと、つい一生懸命に見てしまっていたんです。 けれどもいいライブというのは、目の前の生演奏を聴きながら風景が見えるというか、ある種のトリップさせてくれる感覚があるんです。その感覚こそが自分に備えられたセンサーだと思うんですよね。能やジャズによって自分の身体的センサーが刺激されることによって新たな創造を触発するような力というものは、心の深い部分に繋がっているんじゃないかと思いました。 今まで自

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    zu2 2014/02/25
    “建築の大事な役割のひとつは、「記憶の器」”
  • 第23回 神々の集う場所|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    2014.02.20更新 三浦弘行の指先は震えていた。 2月6日午前1時過ぎ、将棋会館特別対局室。 感想戦で指し手を再現していく右手の人さし指、中指、薬指が小刻みに揺れている。羽生善治が勝利を確信した一手を指すときの、あの激しい震えとは違った。凍りつく寒さに震えるような微動だった。 両目は充血し、真っ赤に染まっている。 枯れた声で言葉を発する。 「こっちも覚悟を決めないといけなかったので」 勝ったのは三浦だった。指先だけでなく、魂を震わせる1勝を手にしたのである。 渡辺明の声は明瞭だった。 午前10時からほぼ15時間に及んだ勝負の疲れや、名人挑戦の目がなくなった落胆など微塵も感じさせなかった。通常、感想戦とは極めて難解なことが極めて理解し難い言語によって語られるという極めて厄介な行為である。主語述語が無慈悲に割愛され、精巧な技術がファジーなフィーリングのような雰囲気の中で語ら

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    zu2 2014/02/21
  • 第8回 ユーミン考|タイトル、まだ決まってません。|みんなのミシマガジン

    K氏は年末の休み、12月29日にNHK「Songsスペシャル 松任谷由実〜生きる歓び 歌にこめて」の再放送をなんとなく見ていた。 歌番組が好きなK氏はNHKのこのシリーズで、ちあきなおみ、高橋真梨子と立て続けに見ていた。 ちあきなおみの『喝采』を作曲中の中村泰士が、作詞した吉田旺に「黒い縁取りがありました」のところを「ちょっとないんじゃないか」と言ったが、後日「そこがないと、この曲ではない」と答えた秘話が披露され、K氏はしびれた。 高橋真梨子が女手一つで自分を育てた母親の不倫相手を「すごくエッチな人だった」とあけすけに語り、母がホステスとして働いていたスナックを訪ねるシーンで、その店のアールのついたものすごく長いカウンターに、K氏はすっごい昭和でかっこいいと思った。 それに比べて、松任谷由実のはつまらなかった。 パリに行って、ジャック・プレヴェールの孫と会ったり、プレヴェールの詩をカ

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    zu2 2014/01/30
  • 第21回 闘志について語るときに渡辺の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    年季が入りすぎて暖房が故障してしまったのか、喫茶店の店内はヒンヤリと底冷えがした。外にいるときとほとんど変わらないくらいだった。スラックスにドレス・シャツ一枚の渡辺明は「ちょっと寒いですね。着ていいですか?」と言って、例のウィンドブレーカーに袖をとおした。 ブルーマウンテンの香りに満ちていたはずのコーヒーカップは必然的に2つともカラになっている。「お代わり頼みます?」と提案すると、彼は「大丈夫です」と小さく言った。正直、遠慮は無用だった。私は熱いコーヒーを胃に流し込む欲求に駆られたが、忍耐の局面だ。話の続きを聞こう。 「ちょっと伺いにくいんですけど、やっぱり竜王位というのは特別なものだったんでしょうか」 過去9年間、彼が最も多く耳にした単語のひとつだろう。「竜王」という言葉の勇壮な響きを聞いて、渡辺は少し淋しそうな顔をした。私の問いかけが「・・・だった」と過去形だったせいかもしれない。迂

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    zu2 2014/01/29
  • 第12回 不器用な練達士|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    「自分、不器用ですから」。1984年、高倉健が日生命のCMでつぶやいたコピーは、名優を象徴するフレーズとして今も語り継がれている。来はマイナスの意味である「不器用」という単語に肯定的なニュアンスが加わった発端だったのかもしれない。 名声、巨額の報酬、スポーツカー、女子アナとの結婚・・・。きらびやかな野球界で出会った人々の中に、唯一「自分、不器用ですから」という言葉が似合う小坂誠という男がいた。私は初めて会った日から彼に惹かれた。腰をかがめ、しっかりと両手で名刺を受け取り「こちらこそ宜しくお願いします」と一礼した立ち振る舞いは全くプロ野球選手らしくなく、親近感を抱いた。もしかしたら、極めて庶民的な性格にもかかわらず、キラキラと光り輝いている世界に何とかフィットしようと試みている自分自身を、彼の姿に重ねようとしたのかも知れない。 小坂は超一流のプレイヤーだった。ロッテに入団した1997年、

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    zu2 2014/01/13