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島津久光と来島又兵衛に関するzusannnu4のブックマーク (1)

  • 幕末にサソリ固め!来島又兵衛の壮絶なアラフィフ人生

    生まれながらのガキ大将 来島又兵衛は1817年長門国厚狭郡西高泊村(ながとのくにあつさぐんにしたかとまりむら)無給通組の下士喜多村政倫(きたむらまさみち)の次男として生まれました。無給通組というのは長州の下級武士では上級、しかし田畑は支給されず家禄だけなので、無給通組と呼ばれていました。1817年というのは西郷どんより10歳上で、島津久光(しまづひさみつ)と同じ年です。幕末の志士の中では、かなりの年配者にあたります。 そんな又兵衛は、子供の頃から生まれついてのガキ大将で、合戦ごっこが大好き、近所の子供達を引き連れてホラ貝を吹き鳴らし実戦さながらの竹槍合戦をしたそうです。考えて見ると又兵衛の最期は、スケールの大きな合戦ですから、子供の頃のガキ大将さながらに大きくなったという事かも知れません。 来島政常の養子になり来島姓を名乗る 木島又兵衛は、若い頃から文武両道に優れた大柄な青年でした。それが

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